【後悔の先に見つめるもの】②
「どういう関係って……先生は俺の主治医で、おふくろはその家族ってだけだろ」
「言ったでしょ。だったら、こうやって八神さんが必死になることもないと思うの。
……私は、彩子さんが亡くなったと聞かされたときに八神さんが流した涙が、嘘だなんて思えません。あれが、真実なんだと思います」
八神さんは、無言で床を見つめている。
やがて唇を噛み、顔を覆う。
「……もう、隠すことはできないよ、彩子さん」
消え入りそうな呟きだった。
彼は静かに手を引く。
「……私と彩子さんが初めて出会ったのは、大学生のときです。彼女は病を治療するために、私が所属していた医大を訪れて来たのです」
視線は伏せたまま、言葉だけがポツリ、ポツリ。
一滴も零さぬようにと誰もが聞き入り、針の落ちる音すら聞こえる静寂が訪れる。
「最初は、よい友人でした。それが触れ合っていくうちに、いつしか、互いを想い合うようになったのです。
……確かに私たちは愛し合っていました。けれど、彼女は宗雄さんと結婚をした」
「どうして……」
「彼女の家は、代々続く名門家です。親の取り決めでない縁談は即、破棄された。
結局、私たちは諦めるしかなかった。それでも離れることができなかった……私たちは、ご両親の目を盗んで密かに会っていました」
「それって、もしかして……」
……不倫。
「……何だよ、それ。じゃあ親父が出て行ったのは、先生とおふくろが不倫してたからだってことか……!
しかも、それだけじゃない。親父とは……望まれてない結婚だった。おふくろは、親父のことを好きじゃなかった……俺たちのことも!」
「郁人くん、それは違う!」
「だってそうだろ!? 好きでもないヤツとの間に生まれた子供だ!
そんな悪夢の証みたいなもん、見てて嬉しいはずねぇだろ! 心のどこかで、俺たちのこと嫌ってたんだ……っ!」
――パァンッ!!
郁人くんが「え……」と声を漏らし、頬に手をやる。
「――いい加減にしなさい」
呆然とする郁人くんの目前で怒りと悲しみに打ち震えていたのは、八神さんだ。
普段の温和な彼からは想像もつかない剣幕で、声を張り上げる。
「彩子さんが君たちのことを嫌っていたなんて、そんなことがあるはずないだろう! 血を分けた自分の子供であることに変わりはない!
だってあんなに笑っていたじゃないか……彼女は本当に君たちのことを愛していた! 私はずっと見てきたからわかる!」
「……ずっと見てきたって……じゃあ、アンタは俺の何なんだよ!!」
立ち上がりざまに白衣を掴まれ、今度は八神さんが言葉を見失う番だ。
「そりゃあずっと一緒にいたよ! アンタと一緒で、おふくろも楽しそうに笑ってて……本当の家族みたいだった!
でも違うだろ! アンタたちは、何も足掻こうとはしなかっただろ! 親に逆らえないからって、立ち向かおうともしないで過ごしてたんだろ!
それは全然かわいそうなんかじゃない! 臆病者だ!」
「郁人くん! もう……」
「セラは黙ってろ!
おふくろが自分のこと好きじゃないって知ってても、親父は帰って来てくれた。一緒に住もうって言ってくれた!
親父が、アンタと関わるなって言った意味がよくわかった!」
その一言で、八神さんがサッと血の気をなくす。
「宗雄さんが、そんなことをっ……!」
「言われたんだ! 信じられなかったけど……信じたくなかったけど、もう全部納得した!
親父が言ったように、アンタが俺たち家族の人生を狂わせたんだ!!」
「待ってくれ! それは……!」
「うるさいッ! 誤解だなんて言われても今更信じられない! 俺に話しかけんな!!」
「待って郁人くんっ!」
言葉の終わりを待たずに、八神さんを睨みつけた郁人くんは、扉を突き破るように部屋を飛び出した。
思わず立ち上がり、グッと息を飲み込む。
恐る恐る振り返ると、膝の上で震える拳を見つめたままの八神さんの姿がある。
「行ってあげて。ここには、僕がいるから」
後ろ髪を引かれる思いではあったけど、私は頷き、駆け出した。




