【夕暮れの戦慄】①
郁人くん? と呼ばれた気がした。
夕陽を反射する正面のガラスに、穏やかな笑みをたたえたタダ先生が映っている。
「今日はどうしたの。さすがに風邪で来たわけじゃないだろう?」
振り返るまでもなく、冗談めかした先生が歩いてきた。俺の隣。自動ドアが反応する、1歩手前。
「……ちょっと話があるんだけど」
「私に? 何だい?」
「親父と、話をした」
言いたいこと、聞きたいことはたくさんある。
頭の中がぐちゃぐちゃで、出てきたのは結局こんな話題だった。
「どうだった」
「将来的に、一緒に住めるようになるかもしれない」
「そう。……よかったね」
……違う。俺が言いたいのは、こんなことじゃない。
「先生」
「うん?」
「親父のこと……どう思う?」
「宗雄さんのこと? いきなり、どうして?」
「いや、同じ医者だと、どういう風に見えるのかって思って」
「……そうだね。立派な医師だと思うよ。私なんかよりも大きな病院に勤めていて」
――お前たちの人生を狂わせた男だからだ。
昨夜、その意味を問い詰める俺に、父は多くを語らなかった。
けれど、最後に一言だけ付け足した。「あの男は、俺を疎んでいる」と。
「……違う。違うでしょ」
「え?」
「タダ先生の『立派な医師』の基準って、大きな病院に勤めてることじゃない。
小さな医院でも、たくさん患者さんを救えるような人なんだろ。だからここ始めたんだって、昔教えてくれたじゃんか」
「郁人くん……?」
「……本当は親父のこと、どう思ってるの?」
泣きそうだった。けれどここで泣いてはいけないから、精一杯問う。
タダ先生はしばらく黙っていた。刺すような視線に降参したのか、やがて呟く。
「……ひどい人だと思うよ。君たち親子を置いて行った、とてもひどい人だ」
人が好きかと問われれば、是と答える。
人が嫌いかと問われれば、否と答える。
……昔から、そんな人だった。
その人が今、唯一の例外を口にした。それは多分、本能的に気に食わない相手……疎ましい相手だから。
「……っ! 昨日、セラが不審者に襲われた。それだけじゃない。その犯人なんじゃないかって、兄貴が警察に捕まった」
「何だって、隼斗くんが!」
「絶対そんなの違う。セラもそう言ってる。先生は、暴行事件の患者さんたちを治療したんだろ? 何か聞いてないのか?」
「それを聞いて、どうするつもりなんだい」
「ほかの大人たちは、兄貴を疑ってかかってる。きっと何を言っても聞いてくれやしない。だから俺たちが兄貴の無実を証明して……」
「止めなさい」
「何で!?」
「危険な目に遭ったらどうするんだ。君に何かがあったら、私は彩子さんに面目が立たない。警察に任せて、大人しくしているんだ」
「……危険な目? 先生は、このまま行くと俺たちが危険な目に遭うと思ってるんだ?」
「――!」
疑いたくない。けれど。
「先生、何か、知ってるんじゃないのか?」
「…………事件の捜査だなんて、危険に決まってるじゃないか」
上手く言い逃れたつもりなんだろう。でも、間がすべてを表している。
「……郁人くん、隼斗くんは心配だけれど、警察だってちゃんと動いてくれる。信じて待つんだ」
それは言外にこう言っている。「この件に関わろうとするな」と。
そうか……そうなのだ。
「――っ!」
「郁人くんっ!? どこにっ……!」
――お前たちの人生を狂わせた男だからだ。
再度、父の言葉を思い出す。
――それを、心の底から否定できなくなっていた。




