【安息の中の不穏】③
「……もしもし。紅林です」
妙にモヤモヤした気持ちのまま、受話器を取り、
《その声は……郁人か?》
「っ、親父!?」
聞き覚えのある声に、受話器を落としそうになった。
いけない。セラが起きてしまう。
声をひそめ、受話器を握り直す。
「……なんでここの電話番号知ってんだよ」
《息子が世話になっているお宅なんだ。知らないほうが失礼だろう。……それよりお前、平気か? 襲われたりしなかったか?』
「……は!?」
《いや、どうも今日、また暴行事件があったらしいと聞いてな……》
――待てよ、ついさっきだぞ。そんなに早く知れ渡るものなのか?
《学生が襲われたというから、心配になったんだが……郁人?》
「あ、ああ……」
……どうやら詳しいことまでは知れ渡っていない。断片的に話が届いた、といったところか。
驚いた。自分の父に超能力でもあるのかと思った。
「俺じゃない。世話になってる家の子だ」
《何! 大丈夫なのか!? もし怪我をしてるなら俺の病院に……》
「心配ない。今は眠ってる。そっとしておきたい」
《……そうか》
納得した父の声と共に、沈黙が訪れる。
「…………」
……こういうとき、何を話すんだ?
親子のはずなのに、そういう関係を今まで築いていなかったせいか、どうも気まずい……。
『……郁人。少し、いいか』
「……何だよ」
聞き返すと、妙な沈黙の後、張り詰めた声音で口を開く。
《お前、八神という医師を知っているな》
「……モロ知ってるけど、それが?」
《その男とは、今どうしている?》
「どうしてるって……この間久しぶりに世話になったけど、おととい退院してそれっきりだ。何だよ」
《郁人、よく聞け。もうあの男とは関わるな》
……耳がおかしい。今度は耳鼻科にでも行ったほうがいいか?
《体調が悪いときは俺が診てやる。別の医者は必要ないだろう》
……聞き間違いでは、ないようだ。
「何でそんなこと言うわけ。意味わかんない」
《だが郁人、その辺の医者に診てもらうより、身内のほうが安心……》
「――親父、ふざけてっとマジでキレるぞ。
タダ先生は、俺がちいさいときからずっと診てくれてた人だ。優しくて、患者やその家族、医院の人からも信頼が厚い。
勉強積んだだけの薄っぺらい医者じゃない。アンタにそんなこと言われる筋合いねぇよ」
《郁人っ、俺はお前のことを心配して……!》
「心配ってなんだよ! おふくろのことはほったらかしだったクセに!」
叫んで、ハッとする。
怒鳴るつもりなんてなかった。バツが悪くなって、でも素直に謝れないから、ぶすくれたまま続ける。
「……なんでタダ先生のこと、そんなに嫌がるんだよ」
《それは……》
「言えねぇんなら、簡単に人のことけなすな。もういいだろ。切るぞ」
《っ! 待て、郁人!》
その声があまりに切羽詰まっていたから、離しかけた受話器を耳元に戻す。
《……最近、この付近で暴行事件が多発していることは知っているな》
「ああ。それで?」
《実はその事件、うちの病院の近くで起きているものが多いんだが……おかしいんだ》
「何が」
《うちに、患者が来ない》
「……は?」
《治療は一刻を争う。少しでも短時間で医療機関に運び込むことは鉄則だ。
だが、負傷者はうちではなく、わざわざ離れた八神医院に搬送されている》
「それは、どういう……」
《うちはこの区域でも大きな病院だ。疎ましく思われていても仕方ない》
「……ちょっと待てよ、親父!」
混乱してきた。胸騒ぎがする。それなのに、こんなときに限って頭がよく働く。
「それは、タダ先生が裏で手を引いて、患者を盗ってるってことか!?」
父は、否定しない。
「……ざけんなよ……! 先生はそんな人じゃない! 私利私欲のために患者の命を危険にさらすような真似、あの人がするわけない!
何の証拠もないんだろ!? 偶然そうなっただけかもしれないじゃんか! 親父はなんでそんなにタダ先生を疑うんだ!?」
しばらく押し黙っていた父だったが、やがて、不気味なくらい静かに口を開く。
そこで紡がれた言葉は、俺にとって衝撃的なものだった。
《それは――アイツが、お前たちの人生を狂わせた男だからだ》




