【襲いかかる闇】②
――身体を、強い力がさらう。
驚き硬直した一瞬の隙に、どこからか伸びてきた手が口を塞いだ。
振り返ろうにも、顔を固定されている。
「……んんん~!」
「大人しくしろ!」
私を押さえつけようとしてか、男の腕が腰に触れたとき、全身を戦慄が走った。
「いやぁっ!」
「ぐっ……!」
とっさに出た肘鉄が相手を直撃。拘束が解ける。
見ると、男が腹部を押さえてよろめいているところだった。
あ、運よくみぞおち入ったかも。……なんて悠長なこと思ってる場合じゃなくて!
男が顔を上げる。暗くてよくわからないけど、ものすごーく怒っている様子が感じ取れた。
やばい? これやばいよね?
「あ……あは、あはははは…………失礼しますっ!!」
やばいやばいやばい、やりすぎた! 全速力で逃走。捕まったら死ぬ!
「待ちやがれ!」
「むむむ無理でーす!!」
どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの!?
清く正しく平凡に生きてるだけなのに!!
誰か助けて――――――っ!!!
「わぁっ!」
腕を取られ、体勢を崩す。追いつかれてしまったようだ。
「この女が……手間取らせやがって!」
「は、はなはなはな離してください!!」
とっさに出たもう片方の手の平手打ちを、今度は掴まれてしまった。
「大人しくしろっつんだよ!」
「きゃあっ!?」
私はバランスを失って、地面に投げ出された。
「威勢のいい女だ」
男が馬乗りになって、両腕を押さえつけている。
……やだ、怖い。
見知らぬ男に乱暴に押し倒されて、それからどうなるか。……想像しただけで吐き気がする。
……やだ、怖い。やめて。やめてよ。
涙腺は崩壊した。視界が完全にぼやけて、男の顔もわからない。
想像したくもない。男がどんな顔で私を見ているのかなんて……。
「……たす、けて……」
掠れた声はひどくか細く、誰に聞こえるわけでもない。
でも嫌だった。絶対、こんなの嫌だ……!
私は余力のすべてを使って、叫ぶ。
「助けてっ! 若葉くんっっっ!!!」
その叫びは夜の闇に響き渡り、
「何言ってやがる。馬鹿が」
……絶望にも似た感覚を覚える。
「大人しくしてりゃ、少しはマシだったのになぁ?」
覆いかぶさる影が大きくなり、男の息がかかる。
……嫌だ。もう……ダメ。
どこからか夜風が吹く。揺れる木々と、小枝の擦り合う音しか聞こえなくなった。
不気味なさざめき。深い闇。……そして。
「――誰に手ぇ出してる?」
突風が吹いたと同時に、重く鈍い音。
「……かは……っ!?」
恐る恐る目を開ける。宵闇の中、驚愕に見開かれた男の瞳だけが不気味にギラついていた。
それさえも、男を突如襲った一撃によって視界から消え失せる。
「ご丁寧にも暗がりを襲うとは、肝の据わったヤツだ」
やがて目の前に現れた彼……壬生狼は、研ぎ澄まされたどんな刃物よりも鋭く言い放つ。
「食い殺される覚悟は充分か?」
身体を折っていた男は、立ち上がるなり一目散に逃げ出す。
その背が闇に紛れてしまうのはあっという間のこと。
(解放、された……?)
緊張感が切れて、身体から力が抜ける。
崩れ落ちる私を、引き締まったたくましい腕が支えてくれた。
「ケガはないな」
「わかば、くん……わたし……わたしっ!」
「大丈夫だ、俺がいる。もう怖くない」
とても優しい声音に安堵を覚え、さらに泣けてきてしまった。
時を忘れて泣きわめく私を、若葉くんはきつく抱き締めてくれていた。




