【舞い降りた幸運】②
『八神医院』と称された診療所は、ちいさいながらもしっかりとした設備の場所だった。
診察を終え、郁人くんをベッドに寝かせた後、八神さんが私たちに向き直る。
「単純な風邪です。ただ2、3日は様子見で入院したほうがいいでしょう」
「そうですか……ありがとうございます」
頭を下げると、八神さんは「いいんですよ」と穏やかに笑った。
「彼のことは心配ありません。ご家族には私から連絡をしておきますから」
「あ……」
「どうなさいました?」
「……その、郁人くんにはご家族がいなくて」
「……ご家族が、いない?」
「お父様とお兄様がいるんですけど、少し事情があって……」
そう言うと察してくれたのか、八神さんは真剣な面持ちでこう返してきた。
「では、お母様は?」
「……つい先日、亡くなられたと聞いています」
やっとの思いで口にする……と。
「……何ですって。亡くな、られた? 彩子さんが…………?」
はらり、と雫が零れ落ちた。それは間違いなく、八神さんの頬を伝う涙。
「……何ということだ」
顔を覆う八神さん。深い悲しみを表すように、声を押し殺して静かに泣いた。
「あの……?」
「……実は私、郁人くんが幼い頃から主治医をさせてもらっていたのです。彼の家庭の事情は存じております」
「そうなんですか!」
「ええ。中学校に入ってからは調子がいいからと、それっきりだったのですが、そうですか、お母様が亡くなられましたか。
……突然申し訳ありません。涙もろいもので」
八神さんは気丈に笑いながら、目元の涙を拭った。
「それで、郁人くんは今どこに?」
「父と縁があって、今は私の家で一緒に暮らしています」
「そうですか。……彼も辛かったでしょうね。昔から無茶ばかりしていましたが、悪い子ではなかったですから。
わかりました。彩子さんには確か妹さんがいらっしゃったはずです。彼女に連絡をしておきますね」
「……はい」
「セラさん、でしたよね。大丈夫です。あなたがいてくれたおかげで、郁人くんは今まで楽しかったと思いますよ」
「そうだといいんですけど」
「きっとそうです。郁人くんは隼斗くんに似て不器用ですけれど、正義感の強い、心根の優しい子ですから。
今日はありがとうございました。明日も学校があるんでしょう? 私がついていますから、安心してお帰りなさい」
包み込むような優しい声音に、私はひどく安心感を覚えた。
ベッドに横になっている郁人くんを見やる。先ほどよりずいぶんと落ち着いたようだ。
「よろしくお願いします。八神さん」
深々と頭を下げて、私は若葉くんと一緒に八神医院を後にした。




