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【少年の殻が壊されるとき】②

 

 中学の頃、リラックス効果があるからと夏バテの私にお父さんが勧めてきたジャスミンティー。


 そのグラスを、ソファーに座る郁人くんの目の前に置く。




「……話って?」




 隣に腰を下ろすと、郁人くんは長いまつげを伏せる。


 グラスを見ているけど、どこか違うところを見ているような気がしてならない。




「……俺さ、子供んときから身体が弱かったんだ。外で遊べばすぐに熱を出す。だからずっと家の中にいた。


 人と関わるのも、おふくろと兄貴みたいなごく少数の家族と、医者くらいのもんだった」



「お父さんは?」



「出て行った。俺がちいさい頃に」




 聞いているこっちも辛くなるような話を、郁人くんは淡々と話す……。




「兄貴とも中学のときに決別した。親父が突然『一緒に暮らそう』って帰ってきたんだ。


 でもおふくろは嫌がった。結局兄貴が親父について行って、俺はおふくろと残った」



「それって……」



「離婚だったらよっぽどよかったのにな。いまだにズルズル引きずってる」




 ふいに郁人くんが身を引いて、あるものを取り出す。


 そこにあったのは、一度だけ見たことがある蒼色の丸いもの。郁人くんが大事にしていたものだ。


 間近に見てみると、それはたまごの形をしていた。




「俺さ、こんなんでも星麗に通ってんだよ」



「星麗って……あの名門男子校の星麗学院!?」



「らしくねーだろうけど……医者になるのが夢なんだ。子供ながらに俺を治療してくれる先生をすごいって思ってさ。そう言ったらおふくろ、泣いて喜んだんだ。


 俺より身体弱いくせに、学費は心配するなって連日働き詰めで。おふくろの力になれるようにって毎日必死になって勉強した。でも……」




 そこで言葉を切り、郁人くんは唇を強く噛み締める。




「そのおふくろも……死んだ」



「……え?」



「昨日持病が悪化して……あっという間だったって、叔母さんから連絡があった」




 郁人くんは視線を蒼色のたまごに落とし、そして、笑った。




「ホント、不幸な親だよな。男運ねーし、病気に負けるし。『郁人の身体が弱いのは母さんのせいだね。せめて郁人の夢を応援するよ。これがそのお守りだから』って……」




 強くたまごを握り締めた手の甲に、ポタポタと雫が落ちる。




「……おふくろとケンカして家出したら、それが最後になるなんて思ってもみなかった……。


 たかが口論ひとつで切羽詰まって他人の家に転がり込んで……俺、何やってんだろうな。何しにここに来たんだろう……」



「……お父さんやお兄さんと連絡は取ったの?」



「……アイツらはもう関係ない」



「でも、血の繋がった家族でしょう? きっと力になってくれるはずよ」



「おふくろを捨てたヤツらだ! そんなのこっちから願い下げだ!」




 テーブルを打ち据えた郁人くんは、固く拳を握り締めたまま怒りに震える。




「兄貴だったら、おふくろのことを理解してくれるって思った。親父がいない間、おふくろがどれだけ苦労してきたか一緒に見てきたから。


 なのに、兄貴は親父を選んだんだ。……別れ際、アイツがなんて言ったと思う? 別れを惜しむおふくろに『馬鹿が。さっさと行け』っつったんだよ。


 確かにいつも馬鹿みたいに笑ってて絶対に泣かないおふくろが、泣いて俺のところに帰って来たんだよ……!」




 震える声が秘めている感情は、憤怒と……慟哭。




「おふくろと一緒にいるって決めたんだ。なのに『母が死にました。養ってください』なんてノコノコ行けるわけねぇだろ!」




 ……だから居場所なんて、ないんだよ……言葉の最後は、弱々しく消えてしまう……。




「……俺、本当に独りになっちまったよ。どうすればいい……? 教えてくれよ、セラ…………」




 すがる言葉は、私の胸を鋭く貫いた。


 あんなに素っ気なくて取りつく島もなかった少年は、今、母の死に涙を流している。


 何もかもを自分でしようとしていたのは、お母さんに迷惑をかけないように過ごしていた生活の名残なのかもしれない……そう思うと、耐えられなくて。


 気づいたときには、勝手に動いた腕がガシッと郁人くんを受け止めていた。




「……え……」



「よっ、よく我慢したねっ!」



「……なんでアンタが泣いてるの」



「だって郁人くん、すごく頑張ってるんだもん! それ見てたら、なんか急にっ!」



「……同情ならいらない」



「なんでそんなこと言うの!? ふっ、ふえええー!」



「っ! おい……!」



「しっかり者どころじゃないよ、お父さ――――ん!!」




 涙は後から後から溢れ出る。でも泣いてばかりじゃいけないから、頑張って涙を拭った。




「……頑張りすぎないで。お母さんの代わりにはなれないけど、私が郁人くんの味方になる。


 泣いて。私だって泣いてるんだから、恥ずかしいことなんてないよ!」




 ――あなたは独りぼっちじゃない。


 それだけを伝えたくて、腕にいっそう力を込める。




「セラ……」




 強張った身体が徐々に震えてきた。




「……っ!」




 それから堰を切ったように、郁人くんは泣き出す。



 硬い殻を被った少年が見せた、子供らしい姿。



 もし何かできるとすれば、彼と一緒になって泣きわめくことしかできない。



 それでも、明日声が枯れたっていいと思えた。



 その涙が、枯れるのなら。

 

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