4
夜も更けご主人が寝る時間になっても、女が目を覚ますことはなかった。
ご主人の小さな家にはベッドが一つしかなく、そのベッドを女が使っているため、ご主人の今夜の寝床はなくなってしまっていた。
この家にソファーでもあれば良かったのかもしれないが、あったらあったで邪魔になるようなものなので、そんなものは置いていない。
ご主人は硬い椅子に座ったまま、コクリコクリと船を漕いでおり、見ていてハラハラしてしまう。
ご主人の膝の上で丸まっていた私は、なんとかご主人に安全な寝床を提供できないかと頭を悩ませる。
(せめて体を伸ばせられれば…)
そう思い、寝室の床を思い出すが、すぐさま却下する。
(あそこはご主人の寝室だけど、今はあの女がいるっ!ダメ、絶対!!)
同じ部屋で寝るなんて許せない。ご主人も男だ。もし間違いが起きれば、私はショックで死ぬかもしれない。と言っても私は獣だ。いつかそんな日が来るかもしれないが、今はまだご主人と時間を邪魔されたくない。
私は自分がしてしまった嫌な妄想をぶるぶる頭を振って追い出すが、へちょんと耳が垂れてしまう。
「ん…っ、ど…した?ブラン」
少し掠れた低い声が頭の上から振ってくる。私が動いたためにご主人を起こしてしまったようだ。
(…ご、ご主人。色っぽ過ぎます!)
申し訳なさげに鼻を鳴らし上を見上げれば、愛しいご主人は顔にかかった艶のある白髪をかき上げながら、眠気眼で私の背を撫でてくれる。そんなご主人にドキドキしてしまった私はそれを誤魔化すために、ご主人のお腹にグリグリと頭を擦り寄せた。
「くくっ、ブランも寝にくいか?早くあの荷物が気がつけば、どこぞなりと追い出せるんだが…」
どうやらご主人は私のした仕草がいたく気に入った様子で、両手を使って私の体を撫で回してくれた。
あまりの気持ち良さに、ご主人の後半の言葉が耳にはいらなかったが、今幸せだし、私は獣なのでご主人の独り言は理解できなくてもいいのだ。ただ、ご主人に目一杯可愛がられるのが私の生きがいで役目なのだから。
「がふぅーっ…」
撫で回されて満足気な声を漏らせば、今度は前足の腋に手を入れられて、ご主人の顔の高さに抱き上げられる。
そのままご主人は私の鼻とご主人の鼻をくっつけて目を細めた。
「本当にブランは可愛いな」
クスクスと笑いながら鼻と鼻を擦り合わせるご主人に、可愛いと褒められた私はベロンベロンとご主人の唇を舐めた。
(ご主人とベロチュー!!)
ただの飼い主とペットのスキンシップの一環を、ついつい変な方に考えながらも嬉しくて、尻尾をブンブン振ってしまう。
「ぶっ…!コラ、ブラン!!」
私のベロチュー攻撃に、ご主人はびっくりして腕を伸ばして私を離しながら怒った声を出すが、瞳は優しげに揺れていた。
「がふっ!」
嬉しそうに、不服そうに一吠えすれば、ご主人は笑いながら私を肩の辺りに抱き寄せ私の背中に顔を埋め、私の涎で汚れたいた口を擦りつけた。
「がぶっ!がふがふがふっ!!(いやぁっ!なにするんですかっ!!私の自慢のもっこもこ毛玉に!!)」
私が抗議の声を上げつつ暴れると、ご主人は私の背中に毛に顔を埋めながら肩を揺らして笑った。
ご主人が笑ってくれて私をいっぱい構ってくれて、二ヶ月間でそんなことは毎日あるのだが、そんな獣として新しい何気ない毎日は、今の私には何ものにも変えられない大事な大事な宝物なのだ。
「ブランが舐めるのが悪いんだろう?」
なかなか笑いの収まらないご主人が、私の耳に唇を寄せ囁く。その口から漏れる僅かな息で、私の耳がピクピクと揺れて、ご主人の唇を叩く。
「がふっ!!(やめてぇっ!!)」
こそばゆいというかなんというか、耳がピクピクと無意識に揺れて嫌がれば、ご主人はまた私を膝の上に私を乗せて、今度は背を撫でながら喉元から耳元にかけて掻いてくれる。
「がふっ!(ご機嫌とろうたって、そうはいかないんだからっ!)」
不貞腐れて膝の上で丸まるが、いかんせん気持ちよさに尻尾が揺れてしまう。そんな私を見ながら、ご主人は幸せそうに口元を緩めるのだった。
ひとしきり戯れて、落ち着いた私とご主人だったが、ご主人の言葉でハッと妙案が浮かんだ。
「ブランの毛並みは本当に気持ちがいいな」
若干、ご主人のテクニックに微睡みかけていた私だったが、いいことを思いついた興奮で、立ち上がるとご主人の膝から飛び降りた。
「どうした?ブラン」
「がふっ!(ちょっと待ってて!)」
飛び降りた私を不思議そうに眺めるご主人に、尻尾をパタパタさせて嬉しそうに一吠えする。それから私は居間の隣にあるご主人の寝室のドアの下側にある私専用のドア(ペット用ドアともいう)を跳ね上げ寝室に入ると、まずは寝こけている女に鼻を鳴らし、それからご主人のチェストを獣にしては器用な前足で開けた。
そこに鼻を突っ込んで、目当てのものを涎がなるべくつかない様に、頑張って咥える。もう一回、ここに来ないといけないので、チェストは開けっ放しにしてご主人のもとへと向かう。
(くっ、顎が痛い!)
私が咥えたものはベッドの変えのシーツ。大きくなればなんてことない重さだが、私専用のドアを潜り抜けるためには、毛玉サイズのままでいるしかない。
(ご主人のために頑張る!)
シーツを咥えながらだとなかなかうまくドアを通り抜けられず、四苦八苦する私。
すると、ドアから突き出たシーツが引っ張られる感触がして、思わず思い切り噛みついて引っ張りたくなる衝動に駆られたが、我慢をしてシーツを離せば、シーツはするりとドアの外に消え、代わりにドアを持ち上げたご主人が顔を覗かせた。
「がふっ(ご主人っ)」
シーツを受け取ってくれたご主人に、尻尾を振って愛想を撒く。
「ブラン、何をしたいんだ?」
困惑しているご主人だったが、私のミッションは終わっていないため、再びドアにお尻を向けて、チェストへ向かう。
もう一度、チェストの中を鼻で探り、今度は厚手のシーツを咥える。シーツが床に着かないように気をつけているのだが、今度は先ほどのシーツの倍の重さになり、フラフラしながらご主人が顔を覗かせているドアに向かった。
「ブラン…。シーツがあっても寝床はないぞ」
呆れながらも、困ったやつだなという風に笑うご主人になんとか重いシーツを差し出し受け取ってもらう。
「がふぅ!(大丈夫!)」
意味が伝わるとは思わないが、一応返事のために吠えておく。そして、重いシーツのせいで閉めそこねたチェストを閉め、ご主人のもとへ急いで戻った。
ドアを潜り抜けると、困った顔のご主人が二枚のシーツを抱えしゃがんだまま、私を待っていてくれていた。
しゃがむご主人の足に甘えてみせてから、私はしっかりと四つ足を床につけて、部屋の中を見渡した。
(うふっ。忘れていたけど、今こそ新しく覚えた魔法を使う時よね!)
にやけて半開きになった口から涎が垂れそうになり、慌てて口を閉じる。
(危ない、危ない)
ぶるっと一度頭を振ってから、今日ご主人が使った物体を浮かす魔方陣を鼻の先に出すイメージをしながら、同時にその魔法陣に魔力を通して、浮かせたい物体に向けて放つ。
ガタガタッ、カタカタッと居間に置いてある家具がふわっと浮いた。
「ブラン…」
"悪戯っ子め"という風にご主人が私の名前を呼ぶ。
ご主人は基本的に、私が魔法を使うことを止めたりはしない。初めてご主人が使った魔法を私が真似して使った時は、びっくりしていたが褒めてくれたぐらいだ。
今も私を苦笑しながら、見守ってくれている。
浮かせた家具を居間の隅に移動させてご主人を振り向けば、ご主人がポンポンと頭を撫でてくれた。
「さすがは私のブランだが…、きちんともとの位置に戻すんだぞ」
「がうっ!」
ご主人に褒めらつつたしなめられるが、今は家具をもとに戻すつもりはない。
ご主人は綺麗好きなので移動した家具の下に埃が溜まっていたりということはないので安心だ。
私は家具がなくなってスッキリした居間の中心に意気揚々と進むと、今度は体を大きくして、でーんっと横たわった。
「がふっ、がうぅっ(ささっ、ご主人寝ちゃいなよ)」
尻尾をお腹のあたりに持ってきて、パタパタと床を叩き、得意そうな顔をして見せれば、ご主人は私とシーツを見比べてまた苦笑した。
「ブランが寝床になってくれるのか?」
「がうっ!(そうっ!)」
さすがご主人。私の意図をよくわかってくれている。
「しかし、シーツを敷く前に巨大化したら、シーツが敷けない」
(ハッ!!そうですね…)
思わぬ誤算に耳と尻尾がピンと張って、力尽きたように垂れてしまう。
「がぅ…」
落ち込んだ私にご主人は近づくと、慰めるように頭を撫でてから、私を立たせて居間の隅に追いやる。それから、追いやられた私がそれ以上へこむ暇を与えないぐらいの素早さで薄い方のシーツを広げると、ゴロンと横になり少し厚いシーツを上に掛け私を誘った。
「おいで、ブラン。今日は疲れただろう?早く一緒に寝よう」
(うぅっ。…ご主人、大好き!!)
ご主人の誘いに尻尾を振って答えると、ご主人の隣にピタリと伏せる私。
ご主人はそんな私の首に手を回し、つやっつやのさらっさらの毛に顔を埋める。私はそんなご主人のお腹に沿うように顔を向け、尻尾をご主人のお腹が冷えないようにのせてあげた。
(ご主人、大好き…)
ご主人の柑橘系によく似た香りが鼻いっぱいに広がり、私の幸せは満たされる。背中にかかるご主人の重さと温もりに、便利ペット万歳と悦に入った。
「ブラン、おやすみ」
ご主人の声がして、私の喉を掻く感触がする。
それに合わせて、居間の魔法灯の明かりが落ちた。
(おやすみなさい、ご主人…)