3
女を落とさないようにというよりも、女をご主人のもとに連れて行きたくなかったために遅かった歩みも、進んでいるのだからいずれ目的地に着いてしまう。
闇の森の湖の近くに立てられている、ご主人の小さな家が視界に入る。
(本当この人、今すぐ元気になって追い出せないかな…)
ご主人と一緒に住む私の大事な家を見てから、首を後ろに回し、背中で伸びている女を見る。
「がふ…(はぁ…)」
女は一向に目を覚ます様子はないし、心なしか発見時よりも顔色が悪くなっているようだった。
(はぁ…、嫌だ嫌だ…)
いつもならご主人の家が見えた時点で、尻尾を振りつつ玄関を壊す勢いで突っ走るのに、今日はこのまま女を捨てに回れ右をしたい気分だ。
「ブ……、…ラン?」
(ご主人の声!!)
家の方から微かに聞こえる、男性の少し低めの声に今までの憂鬱を忘れて、美しい漆黒の尻尾が揺れてしまう。
背中に女を乗せていたことなどすっかり忘れ、ご主人のもとへと駆け足になりかけた。
「がふっ!?」
駆け出そうとした瞬間、目の前に閃光が放たれ、私の行く手を阻んだ。
視界が白で覆われたあと、チカチカと星が飛び散り、たたらを踏む。
身体の周りで光の精霊が忙しなく飛び回っている気配がした。
(…あー、そうだったぁ)
視界が戻ってくるまでの間に、現実を思い出しげんなりする。美しい漆黒の尻尾も、耳を伴ってへにょんと垂れた。
視界が戻り、気分が逆戻りになりつつゆっくりと歩き出すと、前方から慌てた足音が近づいてきた。
「ブランっ!?」
(ご主人っ!!………ぁっ)
多分、先程の閃光を見たのだろう。異常を感じて、こちらに来てくれたようだ。
ご主人に会えてとてつもなく嬉しいのに、ご主人は後ろの女に気を取られて、私の背中を凝視していた。
「くぅん…(ごめんなさい、厄介ごとです)」
私の近くに来て止まったご主人のわき腹当たりに頭を擦り寄せると、ご主人がわしわしと頭を撫でてくれる。
「拾って来たのか?」
「がふっ(あい)」
私を見つめながら問いかけるご主人に鼻を鳴らして返事をする。
「とりあえず、うちに運ぶしかなさそうだな」
最初こそ驚いた様子のご主人だったが、その目は既に女ではなく、私を見ていて、私の毛色と一緒の真っ黒い瞳を細めていた。
「がふぅぅっ(ご主人、大好き…)」
普段は無表情に近いご主人が、時折見せる僅かな表情の変化が大好きな私は、またもやご主人に擦り寄り甘えた。
「さて、うちに戻ろうか?ブラン、後ろの荷物は私が運ぼう。少し、じっとしておきなさい」
ひとしきり甘えさせてくれたご主人は、私の耳の後ろを掻くように頭を撫でるとそう言って女に手を差し出した。
(うぅ…、お姫様抱っことかするのかな?なんか、すごく様になりそうだし嫌だなぁ)
ご主人が女に触れると思っただけでこれだ。私は意外と嫉妬深かったのか、喉の奥が威嚇のためかグルグル鳴る。思わず剥き出しになりそうな歯を必死に隠した。
ご主人の手が、女に触れる前に止まる。
「がう?(ご主人?)」
どうやらご主人は女に対し、魔法を使うようだ。
ブツブツとご主人が詠唱を始めるとご主人の手のひらに魔方陣のようなものが現れる。詠唱は何を言っているかはさっぱりなのだが、魔法陣と魔力の動きが私の目に映る。
背中がふわっと軽くなり、びっくりして背中をみれば、女の体が僅かだが浮いていた。
(おぉっ!新しい魔法だ!!私も覚えた!)
この世界の魔法は、ご主人の魔法を見る限り、詠唱の後、魔法陣が浮かび上がり使えるようになるようなのだ。私は詠唱の意味はさっぱりだし、詠唱出来る声帯がない。けれど、一度見た魔法陣と魔力の動きをイメージすると、魔法が使えるようになる。
新しい魔法を覚えるは楽しく、今も嬉しくて尻尾がわさわさと揺れてしまった。
(帰ったら試すぞぉ~)
何を浮かせようか、ご主人の家にあるものをいろいろと思い出す。いっそ、ポルターガイストみたいな現象を起こしてみたい気もしているのは内緒だ。
尻尾を振りながら、新しい魔法についてあれこれ考えていると、ご主人が私の頭をポンポンと軽く叩いた。
「元のサイズに戻ってもいいぞ」
ご主人を見やれば、ご主人の口元に笑みが浮かんでいる。それに見惚れながら、返事のために短く吠えた。
大きくなる時は魔力を吸収するが、小さくなる時はその逆で、全身の力を抜くようにしながら縮むイメージをしつつ魔力を放出する。すると、大きくなる時の逆再生で真っ黒い毛玉に戻るのだ。
私が毛玉に戻ると、ご主人は手を軽く振り、浮いていた女を仰向けにひっくり返し、私を抱き上げた。
ご主人が腕に抱き込んだ私の喉を掻きながら、家の方へ歩き出すと女も浮きながら着いてくるのだった。
家に着くとご主人は寝室に向かい、私を床に降ろすと女のぼろきれになっていたドレスを無造作に引きちぎった。
「がうっ!?」
激しく布の避ける音がして、女の美しい裸体が寝室に差し込む光に照らされて、何処か神々しさを感じさせるが、それどころではない。
ご主人も男だったのかという思いと、突然のご主人の凶行に背を低くして喉を鳴らし警戒してしまう。
「がうっ!がうっ!がぅーぅっ!!(ご主人のアホ!バカ!変態っ!!)」
当然吠え出した私にびっくりしたご主人は、私を抱き上げて落ち着かせようとするのだが、私が抱かれるのを拒みつつ吠えまくると、困ったように眉を寄せ私の前にしゃがんだ。
「どうした、ブラン?」
「がうぅっ!がふ、がふっ!!(どうしたもこうしたもないですよ!ご主人のドスケベ!!)」
ご主人が頭を撫でてくれるために伸ばしてくれた手すらも避け、なおも激しく吠えたてながらご主人と裸になった女を交互に見やる(睨むとも言う)。
「ブラン、嫉妬か?しょうがないだろう?あのままでは私のベッドが汚れてしまう。体も拭かねば、傷の治療もままならないのだから」
しゃがんだご主人が私の目を見ながら苦笑する。納得は出来ないが、ご主人の言い分も理解できたため、ふんと鼻を鳴らすと寝室の隅に行き、体を丸めてふて寝してやった。
クスクスと笑うご主人は、女を丸裸にしたまま一旦寝室を出ると、濡れたタオルと救急箱を手に戻ってくる。
そして、女の体を拭くと、手早く傷の処置をし、チェストから取り出した自分のシャツを着せてベッドに降ろすと魔法を解除した。
その様子をふて寝しながらも、チラチラと見ていたが、はっきり言ってあまり愉快なものではなかった。
ご主人は女に布団をかけると、私の所に来て私を掬い上げる。短い唸り声で抗議するが、ご主人が気にした様子はない。
「ブラン、終わったぞ。いつまでも拗ねてないで、私とご飯を食べてくれないか?」
掬い上げた私の顔を覗き込みながら、困った顔をしながら頼むご主人に逆らえる訳もなく…。ご主人の鼻に、自分の鼻をくっ付けるような仕草をして了承すると、ご主人は目を細めて私を抱き寄せてくれた。
(やっぱり、ご主人大好き…。その女と付き合っても私を捨てないでね)
すっかりご主人を許し、抱き寄せられて肩に前足を掛けるような形になった私は、ご主人の肩越しに見える眠る女を見ながら、ご主人の首に頭を擦りつけ、今度は甘えるために喉を鳴らした。