運命の出会い:5
ざく、ざく、と積もった白い……もう、雪でいいや。雪を踏み締める。
「はぁ、はぁ……まって、まってぇ……!」
ぜぇ、ぜぇと息を荒げながら、私は必死に前を走る兎を追いかけていた。
兎を追いかけてからどれくらい時間が経ったのだろう。最初は必死に走っていたけど、兎に全然追いつけなくて、結局体力が無くなって今は歩くことしか出来なくなっていた。
見失わないように顔を上げて足だけ動かすけど、兎には当然追いつかない。
……というか、兎はある程度距離を取ると足を止めて、私の方を振り返るのだ。そして私が距離を詰めた後にまた走って、足を止めて私を見て、走ってを繰り返している。
まるで後ろの私がちゃんと付いてきているか確認するかのようなその動作に、私の頭は少しだけ混乱していた。
(というかモンスターって、すぐ襲ってくるもんじゃないの?今のところそんなことないっていうか、逆に誘われてるっていうか)
自分の中にあった僅かな知識が否定されていく。
やっぱり、ダンジョンについてもっと勉強しとくんだった。
「……?」
少し歩いた後、兎が足を止めた。
また付いてきているか確認するの?と思ったけど、兎は私の方を振り向いて私を見た後、直ぐに顔を戻してその場に留まっている。
はてなマークが浮かんだ。今までにない行動に、私の足が止まる。このまま近づいていいのか躊躇ったけど、でも兎は大切なキーホルダーを持っているし、近づかない選択肢はない。それに敵意がないし、多分襲われないと、思う。
そんな曖昧な判断で決断した私は、恐る恐る兎に近づいた。
一歩、一歩近づいて、そして兎の背後に拳一つ分近づいたところで……私は、兎が見ている光景を目にした。
「え……!?」
視線の先に広がるのは、とっても大きな「穴」だった。
どこまでも下が全く見えない程深く、さらに私の身体が何十、何百あっても足らないくらいの「大穴」。不気味な程に風の音が強く吹き、私の髪を揺らす。
思わず足が竦み、私はその場に座り込んでしまった。
「……ぁ、ちょっと……!」
茫然と穴を見ていると、傍にいた兎が動き出す。
兎はぴょんぴょんと飛び跳ねるように、大穴の淵を沿って移動する。その姿を目で追っていた次の瞬間、兎の身体が突然大穴の中に沈むように消えた。
「え、落ち……!?」
まさか落ちた!?と思って身体を僅かにずらした時……兎がぴょこ、と頭だけを出した状態で私を見た。
「……ぇ」
ぽかん、と私は頭だけを出している兎を凝視してしまう。
今、兎、落ちたよね。でも、あれ、浮いてる?もしかして幻覚?
なんか、色々なことが起こり過ぎて今どんなことが起きているのか、理解が追いつかない。
兎は動かない私をずっと見ているし、浮いている割にはあんまり動かない……。
「……いや、もしかして……?」
一つの可能性に辿り着いた私は、這うようにして兎に近づいた。
そして兎に近づいた私は、兎が今どんな状態か知ることが出来た。答えは、単純明快。
「――階段が、ある」
そう、階段だ。
大穴の壁に沿って、私の身体の幅くらいの狭い階段が下に螺旋状に続いていた。兎はその初めの一段目に乗っていただけである。
その兎はというと、私が近付くと、軽々と階段を降り始めた。
暫く降りたらまたさっきみたいに止まって、私の方を振り返って動かなくなる。
「……え、まって、もしかして私も、この階段を降りろっていうわけじゃないよね……?」
また嫌な予感がして、思わずその仮説を口に出す。
いや、いやいやいや。だってこの階段凄く狭いし、足踏み外したらもう死ぬよ、これ。まさか来いって言ってるわけじゃないよね。
……と冗談だと笑い飛ばしたいけど、でも、兎はじっと私を見て動かない。
早く来い、って言ってるみたいな兎の眼差しが、私を真っ直ぐに射貫いてくる。
「……いや、さすがに」
……。
「……む、むりだって、むり、こわい」
……。
「……う、ぅぅううう……!!」
……結局私は、キーホルダーを取り返す為と自分を言い聞かせて、この階段を降りることにした。
座ったまま恐る恐る足を階段に乗せる。階段も雪みたいなのが乗ってるけど、滑った感じはしない。
そのまま慎重に、二段目、三段目と降りていく。
降りていくんだけど……この階段、手すりとかがない!!マジで頭おかしい!!ちょっとでも手とか足とかズレたら死ぬよこれ!!
手すりとかないから安易に身体を起こせない。起こして二本足で立った瞬間、今の自分の状態を改めて実感してまた座り込む自信がある。
「マジで怖い、無理、助けて、なんで私ここにいるの……!!」
……私がこんなことになった元凶は、もう数十段も下で私が降りるのをじっと待っている。
口には相変わらず、私の大切なキーホルダーを咥えて。
早くそれを返してくれれば、私もこんな階段降りる必要ないのに……!なんて愚痴を吐いても、モンスターが聞くわけがない。
「……と、取り合えず落ちないように気を付けて降りて……」
一先ずは、降りることに集中する。
もう一段降りる為に態勢を直そうと、一度階段から手を離して、もう一度掴もうとした時だった。
すかっと。
「……ぇ」
左手に、階段を掴む感触が伝わらなかった。
明らかに空を切った、感覚。それと同時に、私の身体がぐらりと横に倒れていく。
外に――階段から落ちるように、私の身体が傾いていく。
あ、やばい、落ちる。
瞬時にそう悟った。
階段を掴む感覚をミスったんだ。怖すぎて見誤ったのか。
「ぇ、いや」
いや、原因を探る暇がない。
このままだと落ちる。何かに掴まないと。
でも手を伸ばしても、何も届かない。私が手を伸ばす範囲に、掴めるものが見当たらない。
え、やばい、このままだと落ちる。下が見えない穴の下に落ちて、死――。
し、ぬ――。
「――ぅ、わああああああああああああああああああああッッ!?!?」
急に現実に戻ってきたように恐怖が湧き上がってきて。
私の口からは、甲高い悲鳴が溢れ出した。
その時にはもう私の身体は階段から投げ出されていて、私の身体は下へ下へ落ちていた。
一瞬で私の視界が黒く染まる。あれだけ明るかった光が一気に無くなる。
下から押し上げてくる風が痛くて、寒くて、私の呼吸を奪っていく。
だめ、だめだめだめだめ!!このままじゃ死ぬ!落ちて死ぬ!
「やだ!やだやだ!やだあああああああああああ!!」
頭の中で、料理をするお母さんと、新聞を読むお父さんと、歯磨きをするお兄ちゃんの姿が思い浮かぶ。
あ、これ、走馬灯だ。私はわかってしまった。
走馬灯が流れたってことは、もう私、死ぬってこと?
……嫌だ、そんなの、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ……!!
「――け、て」
死にたくない。
私、まだ、大人になってない。
死にたくない。
私、まだ、やりたいこと、見つけられてない。
死にたくない。
お母さんに、お父さんに、お兄ちゃんに……会えないままで、死にたくない!!
「――助けて!!!!」
――そう叫んだけど、ここはダンジョン。
私以外の人間なんていない、モンスターしかいない場所。
そんなところで助けを呼んでも、誰も助けに来ないのは明白だった。
だから私が助けを呼んだのは全くの無駄になる。身体の底から出た救済は、誰に拾われることなく空気に溶けていった。
絶望が胸の中に広がる。必死に手を伸ばしても誰も掴まないその光景に、視界が霞む。
そして私は誰に助けられることもなく、間もなく迫ってくる地面に追突して、死に……。
――その時、真っ暗な中で、赤い何かが視界を横切った。
え、と驚いた直後、私の身体がガクン!と大きく上下する。
「ぅがッ!!ぅう……」
一瞬息苦しくなって、頭も痛くなる。急な緩急に身体が痛みを訴えてずきずきする。
でもそれと同時に、誰かに掴まれている感触も伝わってきた。
……誰かに掴まれている?
ふと湧いた疑問に、私は思わず顔を上げて……そして、こちらを見つめる真紅の瞳と、目があった。
私の視界が狭まる程の長い銀髪が、顔にかかる。
その中に収まっている褐色肌の整った男の人の顔は、私の方を真っ直ぐ見ていた。
「……ぇ、え……」
周りの音が、段々聞こえてくる。ばさ、ばさ、と何かが羽ばたく音が聞こえてくる。
音のした方に目を向ければ、悪魔のような翼がばさばさと羽ばたいているのが、男の人の髪の合間から見えた。
身体が揺れているような気がする。視線を下に向ければ、褐色肌の手が私の身体を掴んでいるのが見えた。掴んでいるというより、抱っこしている、みたいな。
そこでいつの間にか落ちていないことに今更ながら気づく。
「……え?」
身体が、多分、この男の人に抱えられていて。
そんで、浮いているような感じがして。
翼が、ばさばさ羽ばたいていて。
「…………………………」
…………………………………………………………。
「え?」
どんどん来る情報を整理することが出来ず、終始、私はその一言しか吐き出すことしか出来なかった。




