"マスター" 3
「本当に一人で大丈夫?変な人に声かけられても無視するのよ。寄り道せずに学校に行くこと。知らない人にはついていかないこと。それから……」
「もうわかったって!ちゃんと守るから!」
お母さんのしつこい小言?を無理矢理終わらせて、私は立ち上がり、玄関の取っ手に手をかけた。
あの後、私は部屋に戻って登校の準備をし、朝ご飯を抜いて早々に学校に向かうことにした。お母さん達に何も言わないのも変だなと思って声をかけたが、声をかけたらずっとお母さんはしつこいくらいに言うは言う。
さすがに鬱陶しくなって声を荒げちゃったけど、私は悪くないと信じたい。
「ちゃんと聞きなさい!私は心配してるのよ!」
「わかったって!行ってきます!」
「ちょっと!……もう!」
このまま居たらまだ話が続きそうだ。それを避けて、私は早々に家を出た。
6月に入ってからじめじめとした空気が続いているような気がする。今日も例外ではなく、私は曇り空の下、殆ど人がいない大通りを歩いていた――わけではなく。
こんな朝にも関わらずぎゅうぎゅうに込み合った大通りの道を、ひいこら言いながらなんとか人の波に呑まれながらも歩いていた。
ひ、人が多い……!!こんな朝早いから人なんて全然いないと思って、開放的な気持ちを味わえると思っていたのに!こんなことならお父さんの送り迎えの方が何倍もマシ!
でも送り迎えはもういいと言った手前、やっぱり送ってとは言えないし……。
「というか、なんでこんなに人多いの……?」
まだ6時半を過ぎたばかりなのに、なんでこんなに人が多いのだろう。何かのイベント?というよりは、スーツ姿の大人が多い……あ、学生の人もいる。
最近じめじめとしてきたので夏服に替えたのだが、夏服で正解だった。こんなの冬服のセーラー服で行ったら、学校に着く頃には汗でびっしょりだ。今もおしくらまんじゅうで暑いのに。
早くこの人混みから抜け出そう……と決めるけど、そう易々と行くはずもなく。私よりも歳も背も高い大人達に囲まれながら、大通りに設置されている信号を待つことになった。
(この信号長いんだよね……)
暫く落ち着けるかな、と赤になっている信号を見上げていた時だった。
ポンッ、と肩を叩かれたのは。
「!?」
「わ。ごめん、驚かせたね」
バッ!と振り返ると、スーツを着た男の人が片手を上げて声をかけてきた。
……あれ、この人、なんか見覚えがあるような、ないような……。
訝し気に見ていることを悟られたのか、男の人は少し焦った様子で続けた。
「覚えてるかい?先月、君に家の鍵を拾ってもらったんだけど。ほら、鈴付きの」
「………………あー!あの時のおじさん!?」
鈴付きの、と言われてやっと思い出す。
そうだ。このおじさん、初めて図書館に行った時に会ったんだ。あれから図書館でも見かけることなかったから完全に忘れていた。
「お久しぶりですね!」
「そうだね。見かけたからつい声掛けちゃったけど……大丈夫だったかな?」
「大丈夫ですよ!」
長い信号を待つだけだったし、特に声をかけられても支障はなかった。
おじさんは私の隣に立つと、そのまま話し始めた。
「学校に行く途中かな?朝早いんだね」
「そうです!今日はたまたま朝早く覚めちゃったんで、折角だし学校にもう行っちゃおうって思って!朝早く行けば人が少ないと思ってたんですけど、意外に人がいるんですよね……おかげで暑くて暑くて……」
「嗚呼、まぁ通勤ラッシュ時だもんね。いつもより人は少ない方だけど、初めてこの時間に登校したのなら、人が多いと感じてしまうか」
「え、これ通勤ラッシュなんです!?じゃあ周りの人全員仕事なんだ……こんな朝早くから通勤するんですね」
「全員が社会人とは限らないけど、まぁ、そうだね」
言葉だけは知っていた通勤ラッシュ。まさかこんなにぎゅーぎゅーに敷き詰められるような空間だとは。
……明日からはいつも通りの登校時間に戻そう、と私は心に誓った。
「……ところでお嬢さん、今時間あるかい?」
ふと、おじさんが急にそう聞いてくる。
聞かれた私は、丁度近くにあった時計を見る。……時間はまだある。ちょっと寄り道しても間に合うくらいだ。
「ありますよ!」
「そうかい。ご飯は食べた?食べてないのなら、この間のお礼に……そうだな、あそこのカフェでご飯をご馳走したいんだが」
「え!?」
おじさんが指を差した先には、道なりに建つお洒落なカフェだった。お客さんが食べている凄い美味しそうな料理が見えて、私の目が釘付けになる。
た、食べたい……!そういえば朝ごはん抜いてきたんだった……!途端に、お腹がきゅるきゅると鳴り始めた。ずっと誤魔化してきた空腹の音が、自覚したせいで始まってしまったのだ。
食べたい。あれめっちゃ美味しそう。た、食べるだけなら直ぐに食べれば時間的にも問題ないと思うし……!
とおじさんの誘いに乗ろうとしたところで、出かける前のお母さんの言葉を思い出した。
『――変な人に声をかけられても無視するのよ!』
『――知らない人にはついていかないこと!』
……。
………………。
……………………………………………………。
「――行きます!!!」
おじさんは知らない人じゃないし、多分変な人じゃないから私はおじさんのご飯の誘いに乗ることにした。
やはり、食の誘惑には抗えないのだ。
「そうか!じゃあ行こうか、こっちだよ」
おじさんを先頭に、私達は人混みから抜け出してカフェに近づく。
そうして入口までやってくると、おじさんが「お先にどうぞ」と譲ってくれた。
ドキドキしながらドアの取っ手に手をかけようとした、その時だった。
ズブリ、と、私の手がカフェの扉に埋もれていく。
「――ぇ?」
見ると、埋もれていく私の手を中心に、カフェの扉が水面のように揺れていった。
驚いて手を引っ込めようとした時、ドン!と後ろから押され、私の身体がカフェの扉だったところに埋もれていく。
完全に私の身体が埋もれていく前に、私は後ろを向いた。
私の背後には、私に向かって手を突き出しているおじさんがいて。
私と目が合ったおじさんは、ニタリと笑ってこちらを見ていた。
そのおじさんの顔を最後に、私の意識はブツリと切れていった。
「……あ」
カフェ内で給仕していた女性店員は、カフェに近づいてくる人影に気づいて手を止める。
客に配膳しようとしていた料理を別の店員に任せ、彼女は新しい客を迎える為に扉の前に向かった。
(パッと見た感じ、女の子と男の人……親子かな?)
この時間帯に、親子で来る客も少なからずいる。その類いかなと彼女は思った。
レジの傍まで行き、その親子(仮)が入ってくるのを待つ。そうして顔を上げて一つ瞬きをした。
――すると、扉の前にいた筈の親子(仮)の姿がないことに、彼女は気づいた。
「………………あれ?」
思わず声に出して首を傾げる。
おかしい、さっきまで人がいた筈なのに。
(……もしかして、通り過ぎる人をお客様だと勘違いしちゃったとか?)
有り得ない、話ではない。たまにフェイントのように店に近づいては結局入ってこない人もいるし、もしかして彼らもそういうのだったのかもしれない。
まぁ人がいないなら給仕に戻ろう、と振り向いたところで、レジの前に少年がいるのを確認した。
「あ、ごめんなさい!直ぐ会計しますね!」
その少年が会計待ちの客だと気づいた彼女は、直ぐにレジに移動して会計を進める。
珈琲一杯しか頼んでいない為、レシートも直ぐに出てきた。レシートとお釣りを渡した彼女は、足早に店を出る客に向かって「ありがとうございました!」と頭を下げた。
「…………」
会計を済ませて店を出た少年は、店を出た後しっかりとした足取りで店の直ぐ横の路地裏に身体を滑り込ませる。
街の喧騒が徐々に離れていき、少年の足音しか響かなくなるまで路地裏の奥まで進むと、急に足を止めた。
少年が顔を上げると、行き止まりの奥に、黒く渦巻く『何か』を見た。
ズズズズ、と小さな音を立てて存在する『それ』は、正しく『ダンジョンの入口』そのものだった。
それを見た少年は、制服の中に着ていたパーカーのフードを頭に被せ、顔を隠す。
そしてリュックをしっかりと抱え直すと、躊躇うことなくその渦へ、『ダンジョン』に入っていった。
色々とプライベートの関係で執筆時間が取れず、遅れてしまい申し訳ございません。
次話はなるべく時間をかけないよう投稿したい次第です。




