帰り道
──四年前
松峰貴樹は大学受験という人生最大の難関で、大きな岐路に立たされていた。そんな七月である。
クラスの中は受験組とそうでない人達で分かれていた。貴樹は受験組である。特に夢と言う具体的なものは無かったが、興味のある学問はあった。だからそれを研究していけるような仕事に従事できれば良いと、漠然と思っていた。
もうすぐ夏休みであると同時に受験期の天王山であるこの時期、貴樹も周りに流され緊張感漂う雰囲気の中、勉強に励んでいた。
「あ、おーい。松峰ー」
この日も帰りのホームルームのチャイムが鳴った後も教室で数人の友人と一緒に勉強していた。その帰り道、空が薄暗く、早足で狭い路地を歩く貴樹に岸田凛が背後から声を掛けてきた。凛は自転車に乗っていて、貴樹の横で止まると長い髪の毛が大きく揺れた。
「帰り遅くない?もう七時になっちゃうよ?」
凛は貴樹と小、中、そして高校と同じ学校だった。昔から活発で喧嘩っ早い面もあったが、直向きで周りからは好かれる人柄だった。高校三年生になってクラスが分かれ、最近話してなかった凛に貴樹は少し動揺する。それは好きとかそういう感情ではなく、高校に入って極端に異性と話す機会が減ったからだった。
「ああ、うん。まぁな。今日も残ってたんだ」
凛は自転車から降りる。ローファーがコンクリートを蹴る音が強くなった。まるで心臓の鼓動のように。
「へぇー。松峰は進学かぁ。まぁ私もなんだけどね」
ニッと凛は笑った。
「お前、進学するのか、岸田」
凛の発言に貴樹は驚いた。最後に凛と話した時は高校二年生の時。その時に凛は調理師になると言う夢を話していたのを覚えている。だから貴樹は凛はすっかり専門学校へ進むのかと思っていた。
「そうだよ。悪い?私立大学なんだけどね。松峰はどこの大学目指しているの?」
凛は貴樹の横顔をジッと見ていた。貴樹はその視線に気付き早く返事をしなければいけないと思うが、凛の食入る様な眼差しにたじろいで、頭が混乱した。余計な仕草で誤魔化そうとする。しかしそれはすぐに治まった。
「俺はまだ、決めてない。けど多分、地元じゃないかな」
額から汗が噴出る。背中にシャツが引っ付くのがわかった。
「そっか。松峰ここから出るのかー。上京?」
「それもまだ。行きたい大学すら決めてない」
「だったらここに残るって選択もあるんじゃない?」
凛は地元に残るのか、と思った。確かに地元には仲の良い奴や家族も見慣れた風景、そして安心感もある。しかし、もっと世の中を知ってみたいと言う小さな願望がある貴樹は、違う土地で生活をしてみたいとも思っていた。
「いや、でもな……」
言葉に詰まる。沈黙が続いた。貴樹は凛を見る。凛はさっきの様な熱い感情は消えうせ、真っ直ぐ前を見ていた。自転車の車輪がゆっくり回る音が心地よかった。
「ま、そうだよね。みんな別々の人生だもんね」
凛は急に大きな声を出す。不可抗力を前にして発するその声の調子は初めて会った時から変わっていなかった。
「ああ」
貴樹は頷く。
「でも変わっていかないものもあるんだよね」
凛はよく聞く、紋切り型の青春小説の一節に出てくるような台詞をはいた。
「なあんてね。あ、そうだ松峰ってもう彼女とかいたりするの?」
凛は小学生に戻ったみたいに溌溂な声を出した。