◆第六章:猫と密命
父グラドゥスの見送りを受けたクレオラとリアムは、馬に乗り、南の港湾都市ルミナリアへ向けて出発した。
「皆で行ってしまえば、この拠点を守る者がいなくなる」
そう言って、グラドゥスはこの任務を二人に一任したのだ。長旅になるため、フィーナは残ることになった。彼女は出発の朝までへそを曲げていたが、その理由は、何よりも大好きな姉のクレオラと、しばらく離れるのが嫌だったからに他ならない。
「リアム、ルミナリアを占拠している者がいると聞く。様子を見てくるのだ。もし他国の侵略であれば、深追いはせず戻ってくるのだぞ」
「はい、父上。分かりました」
「クレオラ、リアムを頼む」
クレオラは、馬上から父を真っ直ぐに見つめ、力強く頷いた。本格的な長旅の準備を整え、二人は故郷の拠点を後にした。
ルミナリアへの旅は三日に及んだ。
静かな谷や、霧深い山脈の風景は、次第に、人の往来の激しい街道へと姿を変えていく。道中、様々な町の、様々な人々の間を抜けていく。そして三日目の午後、潮の香りが風に乗って運ばれてきた。
目の前に地平線を埋め尽くす、白亜の城壁が見えてくる。城壁の上には無数の旗がはためき、その向こうには、数え切れないほどの建物の屋根と、天を突く塔が見える。そして、巨大な港には、森の木々よりも多く、帆船のマストが林立していた。
活気と喧騒。富と貧困。希望と絶望。その全てを飲み込んで、巨大な都市は、そこに存在していた。
港湾都市ルミナリア。
二人は大通りから一本外れた、職人や中流の商人たちが住む地区へと足を向けた。豪華すぎず、しかし、ならず者の溜まり場でもない。そういう場所が、目立たずに活動するには都合がいい。やがて、一軒の宿屋が目に入った。
「錨と暖炉亭」
その名の通り、飾り気はないが、頑丈で清潔そうな建物だ。
中へ入ると、騒がしい表通りとは打って変わって、落ち着いた空気が流れていた。数組の旅人や商人たちが、静かに食事をとっている。
カウンターの向こうには、人の良さそうな恰幅の良い女将が立っていた。
「いらっしゃい。ご宿泊かい?」
「ああ。先に食事を頼む」
リアムはそう言って、数日分の宿代を銀貨で前払いした。
名物だという魚のスープで空腹を満たすと、女将に案内されて二階の部屋へ向かう。部屋は広くはないが、清潔に保たれていた。硬そうなベッドと、小さな机、そして窓の外には、隣の建物の壁が見えるだけだ。
リアムは部屋を一望し、あることに気づいた。
「待った。部屋は一つか?」
女将はきょとんとした顔で二人を見比べる。
「あら、てっきり貴方たち、恋人同士かと……」
「違う! 部屋は別にしてくれ!」
リアムは顔を赤くして叫んだ。
女将は厩の場所を教えてくれた。「別料金になるけど、ちゃんと見てくれるところだよ」とのことだった。馬を預けに行きがてら、リアムは女将に尋ねた。
「わかった。ところで教えてほしいんだが、ルミナリアの領主は誰だ?」
「ハイレディン公だよ。もっとも、お姿を拝見したのは、もうずいぶん昔のことだけどねぇ」
二人は身支度を終え、再び宿屋を出た。街は既に夕暮れの茜色に染まっている。
「姉さん、どこから情報を集めようか?」
リアムが尋ねるが、クレオラは返事をしなかった。
「リアム……こっち」
彼女は思うところがあるのか、そそくさと市場の方へ行ってしまう。
「いた」
クレオラの視線を追うと、そこには魚屋の店先で、おこぼれをねだっている一匹の猫がいたのであった。
リアムの口から、今日一番の深いため息が漏れた。
「はぁ……」