◆第二十二章:神殺し
北の集落を発ったグリムは、商人に扮し、南を目指していた。
彼は主要な街道を堂々と進んでいく。その旅路は、誰に邪魔されることもないが、ただひたすらに長く、孤独だった。
ようやくルミナリアに到着したグリムは、まず目立たない安宿に部屋を取った。そして、その日のうちに、頑丈な馬車を手配した。
夜、グリムは港の労働者たちが集う、騒々しい酒場にいた。
「酒をくれ」
カウンターでエールを一杯あおると、彼は人々の注目を集めるように、大声で叫んだ。
「腕っぷしが強いやつ、賭けに自信のあるやつは集まれ! 勝ったやつの総取りだ!」
彼は、手製のサイコロを使い、即席の賭場を開いた。彼の周りには、あっという間に人だかりができる。
「まただ!」「また六のゾロ目かよ!」
プレイヤーたちの呻き声をよそに、グリムは圧倒的な強さで勝ち続けた。その彼の元に、数人の屈強な男たちが姿を現す。
「おい、あんた。少しツキすぎじゃねぇか?」
「ああ? 運も実力のうちだろ」
「イカサマを疑ってるなら、調べてみろ」
男がサイコロに触れようとした、その瞬間。グリムの拳が、男の顎を撃ち抜き、吹き飛ばした。
酒場は、一瞬にして乱闘の舞台と化した。だが、グリムは目の前の相手を数人殴り倒すと、客同士の喧嘩に紛れて、いつの間にかその場から姿を消していた。
グリムが去った後、酒場の店主は、ひっくり返ったテーブルや椅子を見て、怒りに顔を歪ませた。
「あのよそ者め……! 『銀の鍵』に連絡しろ! 俺たちの縄張りで、好き勝手させたまま帰すな!」
帰り道、グリムが薄暗い路地に入ったところで、複数の影が彼の行く手を塞いだ。先ほどのチンピラたちとは違う、統率の取れた、プロの動きだった。
「貴様か。酒場を荒らしているというのは」
(……かかったな)
「なぁ、闇市場を探してるんだが、知らねぇかい?」
「ここは『銀の鍵』の縄張りだ。痛い目に遭いたいようだな」
男たちが、一斉に襲いかかってくる。だが、彼らの動きは、グリムにとっては子供の遊びのようだった。数合も打ち合わぬうちに、男たちは全員、地面に伸びていた。
「……さて」
グリムは、リーダー格の男の首根っこを掴み、低い声で尋ねた。
「もう一度聞く。『銀の鍵』のアジトは、どこだ?」
「……よそ者に教えるか!」
「そうかい。俺の故郷には、『嗅ぎ煙草』ってのがあってな。たっぷり楽しめよ」
グリムは、火のついた煙草を、男の鼻の穴にゆっくりと近づけていく。
「やめろ! やめてくれ! 言う! 言うから!」
男に教えられた通り、古びた教会へ向かうと、そこにいた案内人に連れられ、地下水道の奥にある『銀の鍵』のアジトへとたどり着いた。
グリムは、そこで、賭けで得た金と、懐にあったいくつかの宝石をテーブルに広げた。
「ここにある『エーテル』を、あるだけ全て買いたい。それと、頑丈な木樽もいくつか用意してくれ」
「なぁ、あんた」銀の鍵の幹部らしき男が、宝石の輝きに目を細めながら、探るように尋ねた。「こんなに買い込んで、何をするつもりだ? まさか、ただの薬に使うんじゃねぇだろうな?」
グリムは、肩をすくめて答えた。
「そうだな。国でもふっとばそうかね」
「はっ、冗談だろ? 教えてくれよ、本当の目的を」
グリムは、ニヤリと笑うと、真顔で言った。
「陰険な神を、吹っ飛ばしてやるのさ」
その答えに、男は一瞬きょとんとした。その反応を見て、今度はグリムの方が、腹を抱えて笑い飛ばした。
「チッ……!」
ふざけた返事しか返ってこないことに、男は苛立たしげに舌打ちをする。グリムは、それ以上何も言わず、樽を馬車へと運び込む。その背中に、男の不満げな視線が突き刺さっていた。
***
積荷を馬車に乗せ、ルミナリアを離れたグリムは、北へと向かった。
街道を一人、馬車を進めていると、前方の見晴らしの良い丘の上に、王国の監視塔が見えてきた。そして、街道には、こちらに向かってくる二人の騎馬兵の姿があった。
(……厄介だな)
グリムは、馬の手綱を僅かに引き、速度を落とす。
騎馬兵たちは、すぐにグリムの馬車の横に並び、鋭い視線を向けた。
「止まれ! 通行許可証を見せろ!」
一人の兵士が、居丈高に命じた。
グリムは、ゆっくりと馬車を停止させると、懐から用意していた偽の通行許可証を取り出した。
兵士がそれを確認している、その一瞬。
グリムの左手が、信じられない速さで動き、短剣が兵士の喉笛を貫いた。
悲鳴を上げる間もなく、兵士は馬から落ちる。
もう一人の兵士が異変に気づき、剣を抜こうとするが、グリムは既に馬車から飛び降り、その首を掴んでいた。
「……静かにしてろ」
低い声と共に、兵士の首はありえない方向に捻じ曲げられた。
グリムは、倒れた兵士の鎧を素早く剥ぎ取り、自分の体に身につけた。
「……これで、少しは紛れるか」
彼は、もう一人の兵士の馬を自分の馬車に繋ぎ、そのままレムリアンシード鉱山へと向かった。
鉱山の入口には、「侵入禁止」と書かれた看板が立てられていたが、グリムはそれを蹴り壊して中へと入った。
鉱山の奥深く、レムリアンシードが埋め込まれた鉱脈を支える、複数の重要な岩盤に、彼は樽から出した「エーテル」を、手際良く仕掛けていく。
そして最後に、精霊の力を宿した小さな石を、時限式の着火装置として岩盤の中心に設置すると、静かに鉱山から脱出した。
グリムが鉱山から十分に離れた直後、地中深くで、巨大な爆発が起こった。
その瞬間、世界中で、原因不明の大規模な地震が発生した。
邪神エクリップスが、その永き眠りから、ついに目覚めたのだ。
***
北の集落でも、これまでに経験したことのない、大地が裂けるかような強い揺れが観測された。
長老は、ただごとではないと悟り、ルシアに原因の調査を命じた。
ルシアが屈強な若者たちを率いて集落を出て行った後、長老は、一人、グラドゥスの天幕へと向かった。
「グラドゥス殿、おられるか」
「長老殿、どうされた。この揺れは……」
「……何か、胸騒ぎがする。ところで、グリムの姿が見えんが」
「ああ、グリムなら、数日前に出て行ったぞ。『野暮用がある』と言ってな」
その言葉を聞いた瞬間、長老の顔から血の気が引いた。
彼は、震える声で、グラドゥスに、グリムの恐るべき真実を語り始めた。
「……ルシアには、これまで伏せていたが、グリムは、五年前に、我らが守り神、ソルスティス様を、自らの手で破壊し、その遺産を奪ったのだ。奴は、その力を使って、邪神を完全に滅ぼそうと考えている」
「神を……破壊しただと……!? グリムが、用事を片付けると言っていたのは……この天変地異と、何か関係があるというのか?」
「もしや……あやつ……なんということを……」
長老は、南の空を見つめ、戦慄した。




