◆第二十一章:古の民
シルヴァリアが王国軍を退けてから、一月が過ぎた。幸いなことに、王国からの新たな侵攻はなく、森には穏やかな時間が流れていた。
フィーナはこの国の暮らしにもすっかり打ち解け、アールヴの子供たちと森を駆け回っている。グラドゥスの傷も、アールヴの癒しの力によって、順調に回復へと向かっていた。
ある日、エルデランは一行の代表者たちを、宮殿の一室に招いた。
「お主らは、この先どうするつもりだ?」
エルデランの問いに、サンギーヌが答えた。
「北方にある、グリム殿の故郷にしばらく身を隠そうと思っております」
「ここにいた方が安全ではないのか?」
「王国には、邪神復活を目論む者がおります。それを阻止せねば、いずれこの国にも災いが及ぶでしょう。これ以上、この国にご迷惑をかけるわけにはいきません」
「……そうか。エリアス!」
呼ばれたエリアスは、兄の前に進み出た。
エルデランは、弟の目を真っ直ぐに見つめて言った。「リリエル様が亡くなってからは、クレオラ様がこの国の希望だ。お前の一命を持ってしても、御守りするのだ」
「兄者、わかっております。命に変えましても、お守り致します」
「……約束だぞ」
出発の日。リアムの肩を借りて歩けるまでに回復したグラドゥスが、エルデランに深々と頭を下げた。「エルデラン殿、大変世話になった」
「お前らは、傲慢な人間とは違うようだ。戦争が終わったらいつでも訪れるがいい」
エルデランの言葉には、かすかな温かみが感じられた。
一行は旅立ちの準備を始めた。荷支度を整える中、グリムが古びた羊皮紙の地図を広げた。
「禁断の森を大きく迂回し、大陸から見えないよう、険しい崖を幾つも越えて、この地へ向かう」
グリムは、そう説明しながら、地図の北の果てを指差した。
「そこに、グリムの故郷があるんだな」と、リアムが尋ねた。
グリムは、指を置いたまま頷く。「ああ。昔、滅んだ国だ。今はいくつかの集落を作って、静かに暮らしている」
リアムは、その言葉に決意を固めた。「では、準備が出来次第、そこへ向かおう」
***
数日間の過酷な旅路だった。一行は、草木もまばらな荒涼とした大地を進んでいく。
やがて、高台から、風雨に晒され風化した砦と、崩れかけた廃墟の古城が見えた。そして、その周囲には、獣の皮で作られたようなテントが、いくつも点在している。
一行がテントの一つに近づいた、その時だった。鋭い風切り音と共に、一筋の矢がクレオラに向かって飛んできた。
咄嗟に、グリムが信じられない速さでその矢を掴み取った。
「おいおい、危ない歓迎だな……ルシア」
グリムは、警戒しながらも、どこか懐かしさを込めた声で呟いた。
粗末なテントの幕が開き、一人の女性が顔を出した。
「今頃、帰ってきてどういうつもりだ?」
ルシアと呼ばれた女性の声は、北の風のように冷たかった。
「相変わらず無愛想だな。誰に似たんだか」
「五年も留守にして、今更、親父づらをするな」
リアムは、驚いてグリムを見た。「グリム! 娘がいたのか!」
その顔には、抑えきれない興味とからかいの色が浮かんでいた。
「おかしいか? 俺だって、子供がいてもおかしくない歳だろ?」
グリムは、ルシアに向き直った。「ルシア、長老のもとに案内してくれ」
「……長老は、今は病で床に伏せっている。先に、お前たちの寝床を案内する」
「ああ、感謝する」
グラドゥスが礼を言うと、ルシアは無言で一行を簡素な造りの天幕へと案内した。
***
その夜、グラドゥスの天幕で、リアムは父と静かに話していた。
「父上、傷の具合はどうですか?」
「うむ。だいぶ動けるようになった。……リアム、お前、頼もしくなったな」
「皆が支えてくれたおかげです。……父上は、グリムが北方の出身だと知っていたのですか?」
「いや。ぶっきらぼうで面白い奴だが、昔から自分のことは話さないやつでな。皆と賭け事をしていたら、いつの間にか住み着いていた」
「グリムらしいや」
「明日からは、これからのことも考えねばならん。今日はもう休め」
リアムは頷くと、自らの天幕へと戻っていった。
その後、グラドゥスの天幕を、グリムが訪れた。
「グラドゥス、休憩中のところ悪いな」
「なんだ、グリムか」
「ちっと、しばらく野暮用があってな。片付けたら、ここへ戻って来る」
「ああ。お前のことだ、心配あるまい」
「すまねぇな。リアムにも、よろしく伝えてくれ」
「分かった。気をつけろよ」
短い言葉を交わすと、グリムは闇の中へと消えていった。
***
翌日、リアムは集落の周辺を散策しようと、近くの川辺へ向かった。すると、岩陰で、ルシアが川の水で長い髪を洗っている姿が、偶然、目に入ってしまう。
「ご、ごめん! わざとじゃないんだ! 僕はリアムって言うんだ!」
リアムは慌てて岩陰に身を隠した。しばらくして、濡れた髪を布で拭いながら、ルシアが彼の近くにやってきた。
「……構わない」
「グリムに子供がいるなんて、思わなかったよ」
「あの時はすまない。体が先に反応してしまったのだ」
先日の、矢を放ったことを言っているのだろう。ルシアは、怒っているような、それでいて慣れないことをしているような表情で、謝罪の言葉を口にした。その大真面目な様子に、リアムは思わず笑ってしまった。
「どうして、姉さんを狙ったんだ?」
「姉さん?」
「ああ。アールヴだが、義理の姉なんだ」
「……君は真面目だな。グリムとは正反対だ」
「似てないのは当然だ。あいつは、育ての親だ。戦時中、捨てられていた私を拾った」
(ぶっきらぼうなところは、そっくりだな)
リアムは、心の中で思った。
「まあ、姉さんも怒ってはいないし、気にしないでいいよ。ところで、グリムはどうして故郷を出たんだ?」
「事情は分からないが、仲間と意見の違いで揉めていた」
ルシアは、そこで言葉を切ると、リアムをじっと見つめた。「あとで、案内したいところがある。用事が済んだら、私の天幕へ来てくれ」
「わかった」
リアムは用事を済ませると、ルシアの天幕を訪れた。
「ルシア、いるかい?」
「ああ」と、中から声がした。「準備は良いのか? では、ゆこう」
リアムは、彼女の後を追いながら尋ねた。「どこに案内してくれるの?」
「歩きながら説明する」
(やっぱり親子だな)リアムは、そのぶっきらぼうな物言いに、そう思った。
二人が辿り着いたのは、集落から少し離れた、巨大な廃墟だった。風化した城壁が、かつての栄華を物語っている。
ルシアは、その廃墟を見上げながら、静かに口を開いた。「ここは、もともと私達の祖先が住んでいた王国だった」
「戦争でもあったのか?」とリアムは尋ねた。
「違う」ルシアは首を横に振った。「……神に、滅ぼされたんだ」
「神?」
「そう。私達の祖先は、その神を石に封じた。私達は、その生き残りの末裔なんだ」
リアムは、信じられないといった様子で問い返した。「なぜ神が人間を殺すんだ……?」
「私達は、その神を『邪神』と呼んでいる。封印された神は、その末裔である私達を根絶やしにするため、悪魔を生み出し、殺そうとしている。……父の両親も、悪魔によって殺されたんだ」
「グリムの両親が……」
「私達は、その封印された石……レムリアンシードの採掘をやめさせようとしている」
リアムは、全てを理解した。「それで、王国を攻めたのか……?」
「そうだ」
ルシアは、そこで言葉を切ると、リアムに真っ直ぐ向き直った。
「リアム、頼みがある」
「目的は僕たちと一緒だ。協力するよ」とリアムは力強く言った。
「そうではない」
「?」
「父は、何か良からぬことを考えている。五年前、ここを失踪した時から……父は、私達とは違う考えを持っているのだ」
「グリムが……」
「父が何かをしようとすれば……とめてほしい。それが、私の頼みだ」
「……わかった。グリムに気をつけてみるよ」
リアムは、そう答えるしかなかった。
その頃、商人に扮したグリムは、一人、旅支度を済ませ、南の港湾都市ルミナリアへと向かっていた。
その横顔には、何か、固い決意が浮かんでいた……。




