◆第十八章:偽りの勅命
王宮を離れたヴァルガスは、苛立ちを鎮めるように、場末の酒場へと向かった。エールを呷りながら、彼は思案に暮れる。
(アルベールが動かぬ以上、俺が直接グラドゥスを罰すれば、王との間に亀裂が生じる。だが、このまま奴らを野放しにはしておけん……)
どうしたものか、と彼がグラスを傾けた、その時だった。
酒場の隅の席で、みすぼらしい格好で酒に溺れている男が、彼の目に入った。
かつての騎士隊長、アルドリック・ハーコート。グラドゥスの娘に叩きのめされ、全てを失った男。
ヴァルガスの口元に、冷たい笑みが浮かんだ。
(……そうだ。友を罰せない王でも、復讐に燃える男を止めることはできまい)
ヴァルガスは静かに立ち上がると、アルドリックの前に姿を現した。
「……何の用だ、ヴァルガス様」
アルドリックの、濁っていた瞳が、わずかに揺れる。
ヴァルガスは、声を潜めて言った。
「アルベール陛下からの、内々の勅命だ」
「……勅命だと?」
「表沙汰にはできぬ故、私がお前に伝えに来た。……お前に、復讐の機会をやろう」
その言葉に、アルドリックの瞳が、危険な光を宿した。
翌日、アルドリックは「謀反者を捕らえる」という大義名分を掲げ、手勢の騎士を引き連れて、北のフロストゲートへと出立した。
数日後、フロストゲートに到着した一行は、見張りの兵士を突き飛ばし、グラドゥスの屋敷へと押し入った。
「どうしたのだ、アルドリック殿。何の騒ぎだ」
ただならぬ気配に、グラドゥスが姿を現す。
「グラドゥス! 貴様に、旧王党派のサンギーヌを匿っている疑いがある! 神聖なる王の勅命である!」
「そのような者は、ここにはいない」
「とぼけるな! 見た者がいるのだ!」
アルドリックは、部下たちに屋敷の捜索を命じた。だが、いくら探しても、サンギーヌの姿は見つからない。
「……隠したな。おとなしく、サンギーヌを差し出すのだ!」
「これは、本当にアルベールからの命令なのか?」
グラドゥスの問いに、アルドリックは下卑た笑みを浮かべると、近くにいたフィーナの腕を掴んだ。
「この小娘に尋問すれば、何か分かるかもしれんな」
「やめろ!」
グラドゥスが、フィーナを守ろうと前に出た、その瞬間。アルドリックの剣が、グラドゥスの脇腹を深々と貫いた。
「父上!」
リアムの絶叫と、フィーナの泣き声が響き渡る。激昂したリアムが剣を抜こうとするが、グラドゥスはそれを手で制した。
「やめろ、リアム……。これ以上抵抗すれば、王命への反逆となる……。大丈夫だ……このくらい……」
アルドリックは、苦痛に顔を歪めるグラドゥスを見下ろし、満足げに笑いながら、フロストゲートを後にした。
クレオラとリアムは、数日後、王都の謁見の間にいた。父の傷は、幸い命に別状はなかったが、アルドリックの卑劣な行いは、許されるものではなかった。
「陛下! アルドリック・ハーコートへの、厳正なる処罰を要請いたします!」
リアムの訴えに、アルベールは苦渋の表情を浮かべた。
「……あれは、私の命令ではない」
「では、なぜ!」
「ハーコート家は、マルケルス処刑後の国内を安定させるために、必要な力なのだ……。今は、罰することはできん。……辛抱してくれ、リアム」
その言葉に、これまで黙っていたクレオラが、初めて口を開いた。
「……あなたは、父の友ではないのか?」
その、非難の色を帯びた問いに、アルベールは目を伏せた。
「……今は、立場が違うのだ」
謁見の間を後にした二人の前に、アルドリックが、わざとらしく現れた。
「よう。王に泣きつきに来たのか、田舎者ども」
その挑発に、クレオラの殺気が溢れ出す。彼女は、音もなく剣を抜き、その切っ先をアルドリックの喉元に突きつけていた。
「ひっ……!」
アルドリックの従者たちが、慌てて間に入る。
「ま、待て! 不意打ちでなければ、俺は負けん!」
この騒動は、すぐにアルベールの耳に入った。
「……よかろう。お互いに遺恨が残らぬよう、公式の場で、決闘を行うことを許可する」
王と貴族たちが見守る中、決闘は始まった。
アルドリックは、雄叫びを上げて猛攻を仕掛ける。だが、その全ての攻撃は、クレオラに届かない。彼女は、まるで戯れるかのように、全ての剣戟をいなし、ついにはアルドリックの足を払って転倒させた。
首筋に冷たい剣の感触を感じ、アルドリックは震える声で降参を告げた。
「こ、降参だ……! 私の負けだ!」
観衆から、安堵のため息が漏れる。誰もが、これで決闘は終わりだと思った。
アルベールが、壇上から声を上げる。
「勝負は決した! クレオラ、剣を収めよ!」
しかし、クレオラはその声に反応しない。彼女は、ゆっくりと剣を振り上げた。
そして、一閃のもとに、アルドリックの首を刎ねた。
広場は、一瞬の静寂の後、絶叫に包まれた。
アルベールは、怒りと信じられないものを見る目で、壇上から立ち上がった。
「貴様、何を……! 決闘は終わったはずだ! 降参した相手を斬るとは、騎士の風上にも置けぬ蛮行ぞ!」
アルベールの怒声が、広場に響き渡る。
「勝者はクレオラとする! だが、貴様の罪は重い! 追って沙汰を下すまで、フロストゲートにて謹慎を命じる!」
その日の夜、ハーコート家から、クレオラの身柄引き渡しを求める、強い要請が王宮に届いた。アルベールは、「決定を下すまで待て」とだけ命じた。
その頃、王都の闇の中では、一人のアールヴが静かに動き出していた。
エリアスは、主君であるクレオラを案じ、密かに一行の後を追っていた。そして、フロストゲートでアルドリック・ハーコートが犯した暴挙の一部始終を、彼は影から目撃していたのだ。グラドゥスを刺し、フィーナを人質に取ろうとした、あの卑劣な行為を。
決闘の後、ハーコート家が報復のために動き出すであろうことを、エリアスは正確に予測していた。主君の命令を待つまでもない。火種は、小さいうちに消し尽くさねばならない。
その夜、ハーコート家の筆頭家老が、自室で心臓をひと突きにされて死んだ。
次の日、ハーコート家の最強と謳われた騎士が、巡回中に忽然と姿を消した。
そして、また次の日には、ハーコート家の財産を管理していた商人が、密室で喉を掻き切られて発見された。
王都に、静かな恐怖が広がり始めていた。




