◆第十五章:鉄と酒の賭け
フロストゲートに、秋の終わりを告げる最初の冷たい風が吹き抜けていた。木の葉は最後の輝きを放ちながら舞い落ち、家々の煙突からは、冬支度を始めた薪の匂いが立ち上る。
グラドゥスの私室で、一行は今後の計画を練っていた。
「グラドゥス殿」サンギーヌが、地図を広げながら口を開いた。「テオドール様の時代に取引をしていた、ダーギンというドヴェルグのツテがあってな。彼に話を持ちかけてみようと思う」
テオドール王朝時代に王の側近をしていたサンギーヌならではの提案だった。
グラドゥスは、腕を組んで頷いた。
「ヴァルガスは今やアルベールの最も信頼する男だ。我らが邪神の話をしたところで、王が信じるとは思えん。……サンギーヌ殿、頼めるだろうか?」
***
数日後、一行は再びドヴェルグの国アイアンハースを訪れていた。活気ある酒場の一角で、クレオラ、サンギーヌ、グラドゥスが、約束の相手を待っていた。やがて、屈強な体つきのドヴェルグが、テーブルにどかりと腰を下ろす。商人ギルドの長、ダーギンだった。
「サンギーヌ殿。久しぶりですな。して、話とは一体?」
ダーギンは、単刀直入に用件を尋ねた。
「ダーギン殿もお変わりなく」サンギーヌは静かに返礼すると、本題を切り出した。「実はお願いがありましてな」
彼は、ヴァルガスがレムリアンシードの採掘を独占し、その力でシルヴァリアへの侵攻を企てていることを、簡潔に話した。
ダーギンは、その話を聞いても、眉一つ動かさなかった。
「人族の反感を買って、我々が何か得をするのか? それにサンギーヌ殿、あなたは指名手配にかけられている身だと聞いているぞ」
「確かにそなたの言う通りだ。しかし皆の未来が掛かっておるのだ!」
ダーギンは、サンギーヌの必死の言葉を鼻で笑った。
「邪神だの悪魔だの、そんな話は俺には関係ねぇ。……だが」
彼は身を乗り出すと、少しだけ声を潜めた。
「正直に言えば、あそこは幽霊が出るって鉱員達がびびっちまって採掘も進まないしな。それにアダマンタイト級の道具じゃないと道具がへたっちまう。職人雇う金を考えると、王国の支払だと割に合わねえのさ」
ダーギンは、そこで言葉を切ると、クレオラの姿をじろりと見た。
「……面白い。レムリアンシードの採掘から手を引く代わりに、一つ、賭けをしないか?」
彼は、テーブルに巨大なジョッキを二つ、ドン、と置いた。
「まずはそこの耳長と酒の勝負をさせろ。アールヴなんぞに命令されたくない」
サンギーヌは、慌てて間に入った。
「まてまて。クレオラ殿は長い時間、人間と暮らしている。純粋なアールヴとは違うのだ」
ダーギンは、サンギーヌの言葉を鼻で笑った。「関係ない。つるむ相手は、俺が決めるのさ」
ダーギンは、ドヴェルグが誇る「生命の水」と呼ばれる、火を噴くような蒸留酒を、なみなみとジョッキに注いだ。クレオラは、その挑発に表情一つ変えず、ジョッキを手に取ると、一気にそれを呷った。十杯飲み干しても、彼女の表情は変わらない。一方のダーギンは、顔を真っ赤にし、完全に酔いつぶれていた。
「何と酒の強いやつだ……。休ませてくれ……。今日はだめだ……明日来てくれ……」
翌日、一行が再びギルドを訪れると、ダーギンはすっかり回復した様子で、上機嫌だった。
「あんなに飲むやつは初めてだ! アールヴの連中は我々をいつも見下しているが、おぬしは違うようだな。気に入った」
彼は、一枚の古い地図を広げた。
「頼みというのは、こうだ。最近、アイアンハース北東に巨大な隕石が落ちてな。鍛冶師なら誰もが憧れる、伝説の隕鉄だ。皆、それを欲しがって回収に向かったが落ちた先が悪かった。化物が住む『アンダーグラウンド』と呼ばれる、禁断の地だ。そこに住まう化物を退治してくれたら、あの面倒なレムリアンシードの採掘からは、綺麗さっぱり手を引いてやろうじゃないか」
サンギーヌは、一行のリーダーであるグラドゥスに判断を仰いだ。
「グラドゥス殿、いかがかな?」
グラドゥスは、ダーギンを真っ直ぐに見据え、力強く言った。
「問題ない。引き受けよう」
***
ダーギンに教えられた通り、一行は暗い地下道へと足を踏み入れた。クレオラが、内に宿る精霊たちに「お願い」をすると、彼女の周囲が、まるで月明かりのように、柔らかな光に包まれた。
その光景を見て、グラドゥスは堪えきれずに吹き出した。
クレオラが、目を丸くして彼を見つめる。
「すまん、すまん」
グラドゥスは笑いながら言った。
「リアムの幼い頃を思い出してな。お前が初めて精霊を見せてやった時、あいつはあんぐりと口を開けて、その光る玉を掴もうとしたんだ。『おいしそう!』って言いながらな。慌てて止めたんだが、本気で食べようとしていたんだから、おかしくてな」
グラドゥスの話に、クレオラの顔にも、初めて見るような、あどけない笑みが広がった。その思いがけない表情に、グラドゥスはさらに楽しそうな笑い声をあげた。
ひとしきり笑った後、グラドゥスは、優しい目でクレオラを見つめた。
「……お前は、昔から泣かない子だったな。……いつも感謝している、クレオラ」
クレオラは、その言葉に少し照れたように視線をそらし、ただ黙って頷いた。
その時、サンギーヌが壁を指差した。
「……これは」
壁面の光苔の合間に、ところどころ、線のようなものが見える。次第に苔のない場所に出ると、そこには古代の壁画のような模様が描かれていたのだ。人と、炎の絵だ。
「この先は何が続いていると言うんだ」
長く続く地下道には、地上では見れないような目が退化した生き物がおり、洞穴ならではの景色が歴史を感じさせる。
「サンギーヌ殿、気付いたか? ここに住んでいる生物は餌が地上より少ないはずなのに成長しているな」
グラドゥスの疑問に、サンギーヌが答えた。
「昔、死体を埋葬せずにアンダーグラウンドに捨てていたと聞く。地下で育った生き物が三メートル近くの大きさで見つかったのもいたそうだ」
「化物は大きいのだろうか」
やがて一行の前に、食い散らかされた獣の死骸が見えてきた。
「この先のようだ。注意しよう」
グラドゥスが剣を構えた、その時だった。
洞窟の奥から、威嚇するような唸り声が聞こえ、岩のような肌を持つ、巨大な巨人が姿を現した。その瞳は、鈍く、しかし敵意に満ちた光を宿している。巨人はクレオラを一瞥すると、雄叫びを上げて突進してきた。
クレオラは、その突進をすかさず躱す。巨人が体勢を立て直そうとした隙に、グラドゥスがその背後から飛びかかり、渾身の力でシールドバッシュを叩き込んだ。
巨人は、背後からの一撃に怒り狂い、振り返りざまに、丸太のような腕をグラドゥス目掛けて振り回した。だが、グラドゥスはその剛腕を大盾で正面から受け止めず、巧みにその側面を打ち、攻撃の軌道を逸らした。
巨人が体勢を立て直すよりも早く、グラドゥスの剣が、がら空きになった脇腹を深々と切り裂く。
「グオォッ!?」
巨人は、信じられないといった様子で自らの傷口を見下ろし、目の前の戦士に明らかな恐怖を覚えた。そして、一行に背を向けて洞窟の奥へと逃げ出した。
「待て!」
グラドゥスは追撃しようと一歩踏み出したが、敵が完全に背を向けて逃げていくその姿に、思わず足が止まった。
「……なんだと? 逃げたのか?」
サンギーヌも、その意外な行動に眉をひそめる。
「これほどの巨体でありながら、臆病な性質なのか……? いや、何かあるのかもしれん」
「どちらにせよ、ダーギンの依頼は化物の退治だ! 追跡しよう!」
グラドゥスは気を取り直し、巨人が消えた暗闇の奥へと、再び剣を構えた。
一行は、巨人の追跡に夢中になるあまり、自分たちが通り過ぎた壁の壁画には、もう気づいていなかった。
炎に焼かれる人々と、その傍らで咆哮する、巨大な竜の姿が描かれていることには……。




