52「君に会えてよかった」
「アルマ、落ち着いたな」
ブランカは「レオもね」と返した。
ヴィートはいつの間にか後片づけ係だ。アルマと何か話しているのかもしれないが、几帳面らしく片づけもうまい。
こうしてレオと二人でテーブルでだらだら話すのも、もう恒例となっている。
「どう、忙しい?」
「忙しいな。でも、前みたいに、止められないほど走り出したものに必死にしがみついてる感じはしないから、疲れてはない」
「だね。なんか生き生きしてる」
「ここに来るのも息抜きだし」
「アルマと会いたいんでしょ」
「まあな」
「何か困ってることは?」
何気なく聞くと、レオは優しく笑った。
「お前たちの方こそ。あれから一度もここから出てないんだろ」
「そうだね。なんか、出る必要もなくて。冠の魔法使いたちとは水晶越しでたまに話すくらいかな。みんな面白い人たちばっかり」
「困ったことはないんだな?」
「ないよ。ヴィートから小麦粉とか卵とか、色々と魔法で差し入れされてるし。そっちは、家のことは大丈夫なの」
「ああ。こっちも、ヴィートがうまく立ち回ったおかげでな」
「じゃあ、心配ないね」
「幸せか?」
レオの声が、ブランカに向けられる。
「幸せだよ」
淀みなく答える。
しっかり届くように、レオを見て。
「ふーん。そっか」
レオが穏やかに目を細めた。
「それなら、よかった」
「そっちも幸せにね。ヴィートがいるから大丈夫だろうけど」
「お前のヴィートへの絶大な信頼感はどこからくるんだよ」
「わかんない」
全くわかんない、ともう一度言うと、レオは笑った。
レオも「確かに俺もわからないけど、そうだわ」と言いながら、珍しく子供っぽく笑う。
ブランカはふと、レオが婚約破棄を言い、自由をくれた、二人だけで見たあの光り輝く小さな開けた場所に立っているような心地になった。
置いてきた背中を覚えている。
光がレオを縁取っていたことも。
あのときはレオの横顔すら見なかったが、もしかして、こんな風にすっきりした顔で笑っていたのかも知れない。
そう思うと、あの広場の中心で花が咲いたような気がした。
そこにはきっと二度と行けないけれど、きっとこの森のどこか隅でひっそりと照らされて、その花もまた、枯れずに咲き続けるのだろう。
静かに、まっすぐに。
○
「ブランカ。散歩に行こう」
声をかけられて、振り返る。
無意識の魔法でアルマの時間をつい止めてしまってからしばらく経つが、やはりアルマはブランカ以上に背が伸びなかった。
レオとヴィートが来る度に、二人から何か言いたげな視線を受ける。しかし、アルマはと言うと、これ以上成長しないことをあっさりと受け入れたし、むしろ全力で喜んだ。
「……アルマは」
ブランカがぼそりと呟けば「ん?」と甘く微笑みながら手を取る。
「なあに?」
恐ろしい。
あどけない風貌は変わっていないのに、持っている雰囲気はもう大人のそれだ。余裕があって、包容力のある落ち着いた紳士そのものだった。
「アルマは私に騙されてないかな?」
「……」
「アルマ?」
「あ、僕? 僕が、ブランカに騙されてるの?」
アルマはハッとして、それから天使のように微笑んだ。
駄々をこねる子供を諭すような目だ。
ブランカが「うん」と頷くと、さらに優しい目になる。
「ふ。僕が、かあ。考えたことなかったな」
「騙してるかもしれないよ?」
「ふうん。可愛いね」
「か」
かわいい、と言われ、ブランカは顔をほんのり赤くする。するとまた「ああ、可愛い」と本音がこぼれたように言われるので、さらに顔が赤くなった。
「だ、騙してるかも! 気をつけた方がいいんじゃないかな?!」
「ブランカ。騙してる人はそんなこと言わないよ」
「……はい」
「散歩に行こうか」
「はい」
アルマには敵わない。
手をつながれて、引かれて、散歩とやらに出かける。
まるでそうすることが当然のように、アルマについていく。今や身体はアルマの言うように動くようになってしまった。それが全く嫌ではないことが、ブランカは嬉しい。レオやヴィートに言うと「寵愛と籠絡が完了している」とげんなりとした顔で言われたが、二人とも「幸せならいいんじゃないか」と言ってくれた。遠い目をしていたような気もするが、ブランカは言葉通りに受け取っておいた。
さわさわと足首をなでる草の上を、優しく踏みしめる。
アルマの沈黙が心地いい。
時折鼻歌を歌うので、それを黙って聞いていると、なんだか胸の内が凪いで、ぽかぽかした。心の深い場所が明るくなる。眩しくて、目を閉じたくなるほどに。
「あれ」
本当にうっすら目を閉じていたブランカは、足を止めたアルマの声で目を開けた。
風が吹き抜ける。
二人は花畑の中心に立っていた。
どこまでも広がる青。
ずっとずっと奥まで続く花畑が、撫でられているように揺れている。
「……ブランカ、ここって」
アルマの手をきつく握って、ブランカはその景色の中で立ち尽くした。
広大な景色の中、青い花だけが地面を覆い、境界線を溶かすような空が二人を見下ろしている。
後ろを振り返っても、青い花は続いていた。
「魔法?」
アルマから聞かれ、ブランカは首を横に振る。
「違う、と思う。私じゃない」
「ああ……じゃあ、ここか」
「うん」
森の仕業だ、とわかると、アルマは空を見上げて悪戯を許すように笑った。
手をつないだまま、二人で空を見上げる。一羽の白い鳥が頭上でくるくると回っている。
「――私の、記憶の中の景色」
「ブランカの?」
「うん。初めて魔法を見せたときに咲かせたのが、青い花だった。小さい花。その時に、ヴィートに仕方なさそうに褒められて、レオにはすごいなって言われて、その夜にこんな風に想像したの」
ベッドに一人。
与えられた自室の中は―暗く、まだ気配も馴染んでいないくて冷たく感じる部屋の中で、ブランカは丸まって想像した。
青い花が沢山咲いて、空は青く広がって、その花畑の真ん中で、誰かに褒められる光景を思い浮かべて幸せな心地で眠ったのだ。
「綺麗な景色だね」
アルマが手を握って言う。
「君に会えてよかった」
「……私に騙されてるかもしれないのに?」
「まだ言ってるの」
「うん。ヴィートに言われなかった? 魔女には気をつけるようにって」
聞けば、アルマは視線だけを向けて瞳で笑んだ。
「さあ、どうだったかな」
「魔女は人を狂わせる。だから誰とも関わらないように、って私はよく言われたなあ」
「レオと関わらなくてもいいよ」
「家族だからいいの。アルマだってすっかりレオと家族じゃない」
「そう見える?」
「見える」
手をつないだまま、二人で笑う。
「ねえ、ブランカ」
「なあに」
「君に騙されているのなら、僕は幸せだよ」
「……アルマは甘いんだから」
「そっちこそ、まだ騙されていないつもり?」
「いつ騙してくれるの?」
「……ブランカも甘いね」
「ずっと、この先も楽しみにしてるもの」
「僕をずっと可愛がってくれる?」
微笑まれて、ブランカは同じ目線になったアルマを見つめ返す。
その美しい透き通った瞳には答えなど分かり切っているようだった。
悔しいので、そっと頬にキスを送る。
「うん。ずっと、大好きだよ」
頭上の白い鳥が消えて、花々がふわりと浮き上がる。
蝶のように舞っていくその光景を、ブランカとアルマは手をつないで眺めていた。
初めて会ったときを思い出す。
初めて目があった、奇跡のような瞬間を。
完
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
これでいいかのだろうか、三角関係とは??と悩みながらではありますが、 無事に完結できてほっとしています。
それもこれも、読んでくれた方のおかげです。
読んでくださり、本当に本当にありがとうございました。




