50「――僕も、同じだよ」
ハーブティーを飲んで、もちろん片づけもして、レオとヴィートは帰って行った。
けれど、泉の前にヴィートが出した豪勢なテーブルセットは置いたままだ。
テーブルにも椅子にも脚に蔦が絡まり、ぽこぽこと花が咲いていて、しばらく四人で無言で見つめた後、ヴィートが「ここに置いておきましょうか」と切り出したからだ。
この素朴な場所に似合わない装飾のテーブルだ、とあんなに思っていたのに、花だらけとなってしまった敷地内の中では不思議とその装飾が全く気にならない。
むしろ、控えめにすら見えた。
「じゃ、またな、アルマ」
「次までにレオを特訓させておきますね」
「絶対に嫌だ。本気でするのかよ」
「はい。レオのためですから。では、アルマ。その時に」
そんな軽快な会話で二人は帰ったが、ヴィートがアルマを「天使」と呼ばなかったことがくすぐったくて、ブランカは元気よく手を振って見送った。
畑は結界でも張っているように花に浸食されておらず、夕食はサラダを少しだけ食べた。
二人で野菜を切って、適当に作ったドレッシングで食べたのだが、それが今までで一番美味しかったので「分量覚えてる?」とあれやこれやと言いながらメモを書いてみた。とりあえず明日、再現にチャレンジすることになっている。
「はー、つかれた」
珍しくアルマがそんなことを言い、ベッドに先に転がる。
ブランカはちょこんと座って、その額を撫でた。
「お疲れさま」
「……ううん」
「レオたちと仲良くなったね?」
「ごめん、どこがそうなのかわからない」
真顔でそう言うアルマに笑いかければ、徐々にむっとした照れた顔になった。
「可愛いなあ」
「別に仲良くないから」
「うん、わかった」
「絶対わかってないでしょ」
「ふふ」
「ねえ、ブランカ」
アルマに呼ばれて隣に寝転がると、同じ目線になる。
指先で頬に触れれば、同じようにアルマが手を伸ばしてきた。
まるで同じ生き物のように動きが合う。
「僕と一緒にいてくれる?」
ゆるやかな夜の薄明かりの中で、恐れも不安もない穏やかな目をしているアルマに、ブランカは頷いた。その目がゆっくりと微笑む。
「どうしようもないね、僕は。全てに感謝したい気持ちになる」
「うん」
「そんなことできる立場じゃないし、これから全部背負っていくけど、それでも君に会えたことに感謝したくなる」
けれど、決してしない。甘えない。
アルマの目はそう言っていた。
ブランカはアルマの手を取って祈るように手を包む。
「じゃあ、代わりに私が感謝する。アルマと出会えたことに」
「……本当?」
「本当。初めて会ったときからそう思ってるけど、これからはアルマの分も、ね」
「ブランカは」
「ん?」
「ブランカはどうして僕にそこまでしてくれるの。理由はないって、知ってるけど、でも」
疑っているわけではない、と必死に伝えようとしてくるアルマの手を、上からとんとんと指先で叩く。大丈夫、わかってるよ、と。
確かに、どうしてアルマの全てを受け入れられるのか、一度きちんと考えてみてからブランカは口にした。
「愛おしいからかな」
好きだとか、大好きだとか、そうだけど、それだけじゃない。
ただただその存在を勝手に心が受け入れてしまうこの感情は、愛おしいと思う気持ち一つのような気がした。
「アルマだから。全部ぎゅーっとしたい感じがあるんだよねえ」
「……なに、それ」
「だめだった?」
「そう見えるの?」
「ううん、全く」
ブランカがへらりと笑うと、アルマは眉を下げて息を吐くように笑う。
「もう、君って」
「アルマは?」
「――僕も、同じだよ」
アルマがこつんと額を合わせた。
ブランカは目を閉じる。
「じゃあ、これからもここで、楽しく暮らそうね」
「うん」
「そうだ、私ね」
ぱっと目を開けたブランカが、冠の魔法使いになったらしい、と話すと、アルマは澄んだ目で相づちを打った。もちろん知っているらしい。
その夜、二人は、子守歌のような小さな声で色々な話をした。
明日の朝ご飯は何にしよう、とか、ドレッシングは再現できるだろうか、とか、水浴びのことや、そろそろ出てくる果樹はなんだろう、とも。
日常の話を、声がふにゃふにゃになって、そうして静かに眠るまで。
○
「アルマ」
畑の手入れをするアルマの後ろ姿に呼びかける。
草を抜きながら「んー?」と返事をするふわふわの頭は、しばらくたってゆっくりと立ち上がった。
カゴの中に野菜を詰めて立っているブランカと、同じ目線だ。
「背、伸びたね」
「うん。これからもっと伸びるよ」
爽やかに笑うアルマは、いつの間にか青年へと変わりつつある。天使の雰囲気を残したまま落ち着きを持って成長すると、一言で言うと恐ろしく美しくなった。
声が少しだけ低くなり「ブランカ」と名前を呼ばれると落ち着かない。
じっと見つめる目も、なぜだか全てを見透かされているようで、そこはかとない慈愛に溢れているし、そしてなにより、桁外れの包容力で視線一つでブランカを簡単に抱きしめる。
「だめ」
ブランカは無意識に呟いていた。
顔がほんのり赤い。
「これ以上大きくならないで。私がもたない……」
アルマは笑って「何言ってるの」と言おうとした。
が、光の粒がどこからか降り注ぐようにやってきて、アルマの身体の輪郭を縁取る。ぽわぽわと光って、どうしてかアルマの身体も内側から光った。
「え」
二人が驚いていると、突然背後から「あー!」という絶叫が聞こえた。
「なにしてるんですか、アリス!」
ヴィートだ。振り返ると、あれから何も変わらないヴィートと、少し逞しくなったレオが、まるで自分の家のように、枯れない花に包まれる景色の中を歩いてきていた。




