5「おかえり」
黄水晶の中で、ブランカはごろりと寝転がっている。
湖の中心に生えてきたあの水晶の中は、ザクザクとしているが、入ってみればなんとも快適だった。見た目からは冷たい印象をしていても、入って寝転がると妙にぽかぽかして、ほっとする。
ブランかはだらだらしながらも、目はひとつの水晶をずって見つめていた。
少年が映っている。
木々の間を黙々と歩く姿をら少し上からずっと追っているのだ。
ようやく帰ってきた。
アルマは今日は町に行っていて、肩には袋を担いでいる。
ブランカがアルマと暮らし初めて早いもので一ヶ月。
脱走したのが嘘のような快適生活が続いている。それはもちろん、アルマの生活力は恐ろしく高かったからで、キッチンの食料庫に小麦粉や砂糖や塩を見つければパンを焼き、森の中に果実を見つければジャムやドライフルーツを作ってくれた。一週間前には、とうとう野菜の苗を買ってきて、家の横に畑を作ったばかりだ。
アルマは頻繁に町に出ては、この暮らしを豊かにするものを買ってくる。
最初は、アルマとこの森を散策していたことがきっかけだった。
二人で澄み切った森の中を、どこまであるのかと探検していたのだ。ここから出られないと思っていたし、暮らしに必要最低限のものは家の中に準備されていたが、なにか落ちてるような気もした。
しかし、果実はあっても野菜はなく、二人以外の生き物の気配もしない。
鳥も、地中にいる生物も、もちろん獣も。
だからこんなに静かなんだね、とアルマが言った。
ここはとても安心する。殺すものが何もないから、と。
ブランカは、そうだねー、と答え、でも、と付け加えた。
ベーコンが食べたいね、アルマのパンに挟んだら絶対に美味しいもの。
じゃあ買い物行けたらいいなあ、とアルマが呟くと、突如静かだった森が騒がしくなり、気づけば「木」から出ていたことに気づいた。川のせせらぎや、鳥の羽ばたく音、においまで変わっていたのだ。
川の方に歩いていけば、間違いなくブランカが渡った川だった。
二人は慌てて森に戻って「木」を探したが見つからず、どうしようかと思ったときにひらめいた。
家に、帰りたいよね?
アルマにそう聞くと、また森は「木の中の森」変わっていたのだ。
よくはわからないが、望めば外に出て、望めば帰ってこれる。
それがわかってからは、アルマはこの暮らしを快適にするために森歩きを厭わない。けれど、ブランカの外出は禁じられていた。
「ブランカー? 帰ったよー」
アルマの声が黄水晶の外から聞こえ、ブランカはびょんと跳ねるように一歩飛んで水晶を出ると、泉を歩いて渡った。
「おかえり、アルマ」
ブランカのエメラルドグリーンのワンピースが揺れる。
黒いマントを脱いだアルマは、ブランカと同じ色のシャツに身を包んでいる。少々大きめのシャツを着て腕を捲っている天使は、なんかもう美しかった。
けれど、その表情は少しばかり厳しい。
不思議とアルマは外に出て帰ってきたときはいつもこうだ。どこか怜悧で、ほんの少し近寄りがたい雰囲気をしている。
それすらも美しいのだから、ブランカはいつも「綺麗ねえ」と思わず呟いていた。
「ブランカ? 魔法の使いすぎは……」
「使ってない、使ってない」
「本当に?」
疑うような目に、ブランカはにこにこと笑った。
「うん。ここにいて一ヶ月だけど、魔法はほとんど使ってないよ。なんていうのかな……ここ自体が魔力を溜めてるからか、使わなくても、水の上を歩けるんだよね。こう、押し返されてるっていうか」
「使ってないならいいけど」
「心配ありがとう」
「ブランカの命はブランカのために使ってね」
アルマの口癖だ。
「ブランカ?」
「はあい」
ブランカが嬉しそうに返事をすれば、アルマは仕方なさそうに眉を下げて、いつもの穏やかな表情に戻った。
どこか無邪気で、透明で、そして美しいブランカの天使。
畑も耕す、たくましい天使。
「今日は布も買ってきたんだ。ブランカに新しいワンピースを作るね」
裁縫もできる、器用すぎる天使だ。
「私って、役立たずじゃない?」
調理台で、アルマが買ってきたトマトをつぶしながら、ブランカは呟いた。
隣では素早い包丁さばきで、人参とタマネギとセロリ、なすがみじん切りにされている。
「えー、なに言ってるの」
くすくすと笑うアルマの手は止まらず、全て切り終えた野菜を、クッキングストーブの上でベーコンを炒めていた鍋に入れられた。じゅうっと美味しそうな音とにおいが広がる。
火だって、ブランカが「頼んで」つけることもできたが、いつもアルマが火打ち石とやらでぱっぱと簡単にやってのける。一度教えてもらったが、残念ながらブランカには才能がなかった。
潰し終えたトマトのボウルを渡すと、鍋を木べらで混ぜながら、アルマは天井から吊された明かりを指さした。
枯れた蔓で作った籠の中に、小さな水晶が入っている。
水晶はふわりと柔らかく光っていて、この家の明かりは全て、ブランカが作った水晶灯でまかなっていた。
「綺麗な光だよね。優しくて」
「黄水晶に分けてもらっただけだよ」
「籠作ってくれたでしょ」
「……アルマだって、絶対作れるよね?」
なんせ器用すぎる天使なのだ。
「ふふ。ブランカが作った灯りに包まれていることが幸せなんじゃないか」
うっとりと笑うアルマはどう見ても本気だ。
ブランカが「そうかなあ」と言えば、アルマはうっとりするほどの笑みで「そうだよ」と甘く肯定する。
この一ヶ月、こうして甘やかされ、肯定され、そして褒められる日々が続いている。おいしい食事にだってありつけている。
一言で言うと、なんか幸せすぎて怖い。




