49「ううん。それがいい」
「レオ? 自分で避けたら?」
「遠慮する。俺、戦闘派じゃないんで」
「ふうん。恐がりだね」
「なんとでも言え」
「ああ……でも、そうですね。これからは常に一緒にいられるわけではありませんし、新しい事業も始まるので、レオも身を守るすべは知っていた方がいいかも知れません」
「は?」
ナイフがひゅんっとテーブルの上を飛ぶ。
今までヴィートが翳していた手が、下ろされた。
次の瞬間、ナイフはレオが咄嗟に手にした皿に当たる直前に、ぴたりと止まった。ブランカが「止まって」と声をかけたからだ。
「遊ぶのはそこまでにしてね。お皿が割れちゃう。はい、アルマのところへ戻って」
ナイフはふんふんと頷くように、ふわりとアルマの手に戻る。
「あー、おいしかった。ごちそうさま」
ブランカのご機嫌な言葉を皮切りに、三人は同じ顔で次々立ち上がった。
「だなー、ごちそうさん」
「あ、片づけ手伝いますよ」
「お茶飲もうか。ハーブティーいれるね」
アルマがそう言って立ち上がり、ナイフを腰にしまう。
三人が皿を片づけて家に戻るのを、ブランカはのんびりと見送った。
すっかり仲良しだ。
ブランカは笑う。
そのままそっとテーブルに伏せて、腕に頬を預ける。
その顔は幸福に満ち、長いまつげがふるりと震えた。
唇が柔らかに笑みを浮かべ、微笑むような鼻歌が自然とこぼれる。
ブランカが目を閉じて歌うと、その周りの空気がぱちぱちと瞬きだした。
小さな光の粒がふわふわとその舞い上がるように煌めいていく。それが集まって透明な玉がいくつもでき、音もなく弾けると、そこから花びらがもろっと出てきて降り注ぐ。
音もなく、気配もなく、ブランカの小さな歌に呼応するように、いくつもの光の粒が集い、透明に透き通って、色とりどりの花びらが生まれる。
花びらがゆらゆらとゆっくりと地に降り立つと、そこから芽吹き、緑色の茎がするすると伸びていった。その先で、花が内側からほころぶように咲く。
ブランカの周りだけではなく、テーブルから広がるように、円状に花が次々と咲いていった。そうして、敷地内一帯が花で覆われ、泉には水草が、黄水晶には蔦が絡まり小さな花がつき、家の屋根までぽんぽんと花が咲いていく。
ブランカの足は揺れていた。
ふ、と微笑みながら、思いつくままに歌う。
気持ちが良かった。
心がどこまでも広がって、誰かに手を引かれているような気持ちになる。そうして、手をつないでくるくると回って、喜びと幸せに歌っているのだ。
「うわっ」
「なんですかこれ」
ふいに、そのイメージが途切れる。
次いで、肩をぐいっと引かれた。
アルマだ。
顔を蒼白にして、ブランカの眠そうな目を見ている。
「大丈夫?」
「え?」
「これ、君がしたんだよね」
聞かれ、ようやくブランカは花だらけになった光景に気づいた。
「えっ」
「魔法、使ったの?」
「いや、そんなつもりは……」
唖然としているブランカの様子に、アルマはほっとしたように小さな声で「苦しくはない?」と確認する。あわてて頷いた。魔法を使っている意識もなければ、いつものように代償を命で払うこともない。身体は平気だった。むしろ気分がよかったくらいだ。
ふと、あちこちを見渡しながらこちらに歩いてくるレオと、ティーセットを持ったヴィートが見えた。
ブランカがアルマの安堵した顔に向けて首を横に振ると、ぎゅうっと頭を抱きしめられる。
「わかってる。あの二人には言わない」
「……うん」
「君のことをこれ以上知られたくない。罪悪感なんか持たせた日には、あの二人の頭の中には常に君がいることになってしまうから」
「それは微妙だね」
「そうでしょ」
と、笑ってはいるが、その身体はひんやりとしていた。
きっと、相当驚かせたのだ。死んだとすら思われたのかも知れない。
「ごめん。びっくりしたよね」
「天国かと思った」
「……んー、でも、もしかしたら本当に天国かも。今度はアルマが死んだんだって?」
アルマの背中を抱きしめ返しながら聞けば、冷たい身体は小さく震えた。笑っている。
「ふ。うん、僕死んじゃった」
「そっかあ、じゃあ、あれだね」
「?」
「アルマはきのう死んだんだね」
――アリスはきのう死んだの。
アルマに出会った日に、ブランカはそう言った。
思い出したらしいアルマが笑う。
ブランカは体温の戻った背中を撫でながら、何かを察して足を止めたレオとヴィートに目で「大丈夫」だと合図した。それでも、二人は物凄くのろのろと歩いているのが見えて、おかしくなる。
「えーと、どうする? 名前変える?」
「なまえ?」
「うん。本当の名前とかあるならだけど」
「……ううん、このままでいい」
「そっか。綺麗な名前だもんね」
「綺麗じゃないし、女みたいな名前だけど、それでも君が呼んでくれたときから特別だから」
抱きしめられた頭を、くしゃくしゃと撫でられる。
ブランカはそっと放して、アルマの顔を見上げた。
「綺麗だよ。アルマって、魂って意味でしょ? 私はアルマの魂は綺麗だって思うもの」
アルマが目を見開く。
言葉を詰まらせるように、一瞬息を飲んだ。
「違う、よ。僕の名前の意味は、武器って意味だって」
「そう言われたの?」
「……」
「じゃあ、武器のアルマがきのう死んで、今日からは魂のアルマになったことにしよ」
「え?」
「あれ、駄目だった?」
ブランカが首を傾げると、アルマは泣きそうに目を細めた。
「ううん。それがいい」
「よかった」
ブランカは精一杯腕を伸ばして、目の前に立つアルマの頭をぽんぽんと撫でながら、ようやくテーブルに戻ってきた二人を見て尋ねる。
「ねー、アルマってどういう意味だったっけ?」
ティーセットを置いたヴィートもレオも、即答だった。
「魂って意味ですよ」
「魂だな。他にあったっけ?」
「ふふ。だよねえ」
ブランカがにこにこ笑っているのを見て、アルマの目からぽろっと何かがこぼれた。それは一粒だけだったが、ブランカもレオもヴィートも、見なかった振りをした。
アルマが、笑っていたからだ。
自分を受け入れるような、穏やかな笑みだった。




