4「それって」
『幸せな人生を。ヴィート』
手紙につづられていた言葉はそれだけだった。
察したブランカは、大きなため息を吐いてベッドに倒れ込む。
「……あー。やっぱり、そういうことかあ」
「ねえ、これって、さっき話してた、いけ好かないレオの親友の魔法使いなの?」
「うん。そうそう」
「ブランカ大丈夫? 殺してこようか?」
不穏な言葉をさらりと言っているが、ブランカは気にしない。
彼女の心には感動のようなものが広がっているからだ。
「ヴィートは昔から私に外の生き方を教えてたんだよね。いつか私に自由をくれる気だったんだ……」
「そうかな」
「この木の中の森のことだって、見ればわかるって言ってたもん。昨日だって」
「きのう?」
「家出する瞬間に会って、外で息抜きをしてきたいって言う私に――」
では、少しお小遣いを上げましょう。
そう言って、ヴィートはやや大金をブランカに握らせた。
屋敷から安全に出る方法や、町に下りたときの宿の取り方と、そして買い物の仕方を早口で教えてくれた。
そして、こうも言った。
少し、のんびりしてきてもいいですよ。私がどうにか誤魔化しておきますから。
「……少し?」
「そうなの。それでね」
ああ、でも、いきなり帰ってきて、花を咲かせろと言われたらどうしましょうか?
と、ヴィートがにこやかに聞いてきたので、ブランカは花を咲かせるコツを教えた。
魔法は、どこに何を与え、どんな指示を出すか。
それが大事で、魔女も魔法使いも、自分が気づいた法則は基本的には誰にも教えない。同じ魔法も、使い方と性質は人それぞれ違うのだ。
「魔法ってコツなの?」
アルマがベッドに腰掛けて、だらけるブランカの後ろ頭を撫でる。
気持ちがいい。
「コツだねえ。花を咲かせるにはね、頼むんだ。咲いてって、花にお願いするの。そして根に、命を送る」
「……命?」
「うん。花が咲くにはエネルギーが必要でしょ。私の命を譲る代わりに咲いてもらうんだ」
「それって」
「大丈夫だよ」
ベッドに伏せたまま、ブランカはゴロンと転がって仰向けになる。
自分のことのように苦しげに眉を寄せた天使は、今度はブランカの額を遠慮気味に指先で撫でた。くすぐったさに目を閉じる。
「ふつうの魔法使いは、元々の生命力が強くて魔力を膨大に持って生まれてくるらしいんだけど、私は違うみたいなの。魔力を持ってないんだよね」
ヴィートに魔法のなんたるやを教え込まれたが、ブランカは一つもピンとこなかった。内側にある魔力を駆使して、対象をねじ伏せて指示を出すのが魔法らしいが、駆使などできるものは持っていない。昔から、自分の命のエネルギーを分けて「頼む」ことしか知らない。
貴族に拾われたブランカは、どんな魔法ができるのかやってみろ、と言われてしたのが、この魔法だった。
ヴィートは魔法の才能がないブランカを「これしかできないのはもったいないですが、魔力はほどんどないのなら仕方ないですね」と許して、それ以上に無理強いをしてこなかった。今の今まで、彼らはブランカの本質を知ることはない。
「私の命は分けるけど、私も分けてもらってるから、大丈夫なんだよ」
裸足になって地に足をつければ、なぜか応えてくれた。
気づいたのは孤児院にいたの頃だ。
みんなで裸足で走り回って遊んでいたとき、雑草のつぼみを付けた花を踏みつぶした。どうしてかそのとき、ブランカはひどくショックを受け、一人しゃがみ込んで花に詫びた。
ごめんね、ごめんね、どうかきれいに咲いてね。
そう心の中で呟いたとき、自分の何かが足から花の根の方に引っ張られていくのを感じた。花は咲き、少しだけ息苦しくなったブランカに、今度は何かが流れ込んでくる。足の下。地のもっと下。どこまでも広く続く大きな流れの一部が、ブランカに何かを与えた。息苦しさが消え、ブランカは初めて魔法を使ったのだった。
「私にとって魔法って、何か指示を出すとかそう言うことじゃなくて、分けてお願いするものなんだ」
「ブランカは」
「うん?」
額をくすぐる指が止まって、ブランカはそうっと目を開ける。
感情を押し殺した冷たい目がじっと自分だけを映している。
「どうして自分を削って魔法を使ってきたの」
その虚無とも言える瞳を受け止めて、ブランカは手を伸ばす。
「理由なんてないよ」
天使の頬は、冷たい。
「できることを、必死でしてただけ。言われたことをしてただけで、理由なんてない。でも、喜ばれるのは嬉しかったんだ。最初だけだったけどね」
空っぽであったことは自覚している。
言われたままに、言われたことをしていた。
けれど最初は嬉しかったのだ。ブランカはまたいつか「よくやった」と言われるのを、諦めたようで、諦めていられなかった。だからあの日、どこかの令嬢の言葉でキレた。今となってはあの令嬢に感謝したい。
恵まれた潜伏先と家まで手にしたが、これからどうなるかは全くわからない。それでも、アルマが現れたことは天からの祝福に思えた。
ふと、ブランカを見つめるほの暗い目がじわりと滲む。
ブランカの指先は、それがこぼれる前に拭った。
アルマは無表情で、ここを見ていない。
どこか遠く、ブランカの知らない場所にある絶望を見ているようだった。彼が帰ってこれるように、ブランカはその頬を撫でる。
綺麗な琥珀色の瞳が濁っていても、ブランカにとっては美しかった。
「綺麗ね、アルマ」
「……」
「あなたはとっても綺麗だね」
そのままゆっくり抱き寄せて、ブランカはアルマの背中をとんとんと叩き続けた。