38「わかった」
「僕が言うのも変だけど」
アルマはブランカを抱きしめたまま、少しだけ力をゆるめて見上げてきた。
その顔は真剣で、それから複雑そうだ。
「レオは君のことが好きなんだと思うよ」
そう言いながら、アルマは自分の言葉に不快感を持ったように顔をしかめた。
ブランカは首を傾げる。
「そうかな?」
「いや……うん、そうだと思うよ。普通にブランカのことが好きだと思う。確かに、ブランカの言うように、昔の自分を取り戻したいのかもしれないけど。だけど、ちゃんと、男として、ブランカを好きなんだよ」
「私が死んだからだよ」
「……」
アルマが黙った。
どうしてか、悲しそうに眉を下げている。
「私が死んだから、そう思ってるだけじゃないかな。通り過ぎた景色が思い出の中で綺麗になっちゃうアレだよ。レオの近くにいたときの私が好きってこと。今の私じゃない。だから、違うと思うんだけど、違うのかなあ」
ブランカがそう言うと、アルマは今度は目を丸くした。
ぱしぱしと長いまつげが瞬く。
「……うん、そっか、うん」
「そうだよ。それに、私なら、気にしないなんて言えない。アルマがほかの誰かとこうしてくっついていたら速攻で間に割って入るし、その人から離すために飛んでアルマを連れ去るもの」
「そっかあ」
先ほどとは違う「そっか」が嬉しそうにアルマの口からこぼれた。
「僕を連れ去ってくれるの? 本当?」
「もちろん。魔法だって使うよ」
「……うれしい。でも、僕はブランカ以外の人とくっついたりしないからそんな機会は一生ないけど、ブランカは気をつけて」
アルマがぎゅうっとブランカにしがみつく。
「もし、ブランカが誰かとこんなことしたら、相手を殺しちゃうからね」
たとえレオでも、と言われたので、ブランカはあっさり頷いた。
「うん。わかった」
「……わかっちゃうんだ?」
「だって誰も死ぬことになんてならないから、いいかなあって」
ここからは出ないし、そもそもアルマ以外とこんなことはしない。
そう伝えると、さらにアルマの抱きしめる力が強くなった。よしよし、とそのふわふわな髪を撫でる。
「それにレオはこんなことしないよ」
「……わからないよ?」
「アルマだってそう思ってるから、本気で追い返さないんでしょ」
アルマはくすくすと笑う。
「レオは腑抜けなだけだよ。それでもあれはちゃんと君を好きだから、気をつけて」
「そうかなー」
「ちょっとレオがかわいそうになってきた。ヴィートの気持ちが分かるくらいには」
何言ってるの、とブランカは笑い飛ばしたが、アルマは心底同情したようなため息を吐いて、それにしてはご機嫌に笑う。
さっぱりとした、優しい笑顔だった。
○
「よお」
その一週間後、レオはヴィートとともにやってきた。
アルマとブランカが、泉の前でうつ伏せに転がっているときだった。
「……なにをやってるんですか?」
ヴィートが聞くので、ブランカはうつ伏せのまま肘で体を起こす。
「え? 腕立て伏せ。アルマに教えてもらってるの」
「なんでだよ」
「僕の女神さまに不埒な輩が近づいたときは、魔法じゃなく腕力で捻り潰せるようにだよ」
アルマがにこっと笑うと。
レオは少しだけひきつった顔でアルマを見た。
「……そうかよ」
「そうだよ」
攻撃的とも言える笑みを振りまいたアルマは、ブランカには優しい笑みを向けて「あと十回ね」と声をかける。ブランカは気合いを入れて腕でしっかりと状態を持ち上げた。隣のアルマは片手でやっているのだが、まるで重力などないようにふわふわと上下に動く。
その美しい腕立て伏せを見ながら、ブランカも、よいせ、よいせ、と繰り返す。
とりあえず、レオが変に覚醒でもしてアルマの排除対象にならないように、基礎体力を付けることになった。
それをアルマが提案してきたことが、ブランカは少しばかり嬉しい。
十回を軽く終えると、アルマが手を引いて立ち上がらせてくれる。
「大丈夫?」
「平気。ありがとう」
ブランカがにこにこと笑って言うと、アルマは褒められた子供のように表情をゆるめた。そういう顔を見ると、ブランカはたまらなくなって、アルマの頭をぎゅっと抱きしめる。
「可愛いなあ、もう」
「――可愛がっているところすみませんが」
アルマはおとなしく頭を抱きしめられていたが、ヴィートが割って入った途端に素早く腰に手を回し、何かを投げた。
わかっていたように、手のひらをかざしたヴィートがナイフを止める。
「邪魔しないで」
「失礼しました、天使。申し訳ありませんが、少しあなたに用がありまして」
「僕に? 今ここでそれを言うの?」
腕の中のアルマがぴりついたので、ブランカは「よしよーし」と頬を寄せて頭を撫でた。アルマの機嫌が戻る。見計らったように、ヴィートがもう一度アルマに声をかけた。
「お願いします。二人で話を」
「……見返りは」
「自由です。あなたに自由を約束します」
ヴィートの言葉は、アルマに中々届かなかったようだった。
「……何言ってるの」
「そういう算段がついたので」
ブランカの中でアルマが固まった。
そっと腕を放すと、信じられないという顔をしたアルマがヴィートを見て、それからレオを見る。
頷いた二人を見て、アルマは「本当に?」と呟いた。
「本当だ。その代わり、俺たちの話を」
「わかった」
アルマが頷く。
アルマに「ごめんね」と言われる前に、ブランカはつんつんとその肩をつついた。
「あのね、レオに話があるの。少し二人で散歩してきていい?」
「……うん」
眉を下げたアルマが泣きそうに笑うので、ブランカはその頬を掴んで、かすめるように唇を重ねた。驚いている顔に微笑んで「じゃ、少しだけ離れるね」と言い残して、レオを連れて森へと散歩に向かったのだった。




