33「お前、騙されてるなあ」
「レオには感謝してます」
おもむろにヴィートが言った。
「智恵を授けていただいたおかげで、うまく物事を進めることができるようになりましたし」
「吸収が良すぎてあっという間に色々なところに顔が利くようになってたよな」
「あなたが望むものをくれたので、今度はこちらがレオのために生きようと思いまして」
「ふ、お前重いな」
「失礼な」
二人の声を聞いていると、ブランカは不思議な心地になった。
この二人の間には時間がある。
信頼を作った時間。それはとても、尊いもののように思えた。
「すごいね」
素直にそう口にすると、レオが笑う。
「男同士っていう単純さのせいだよ。お互いに孤立していた身だしな」
「ふうん」
「おや、アリス。羨ましいですか?」
「ううん。あんまり」
「でしょうね」
「俺たちはそうならなかったからだろ」
「うん」
ブランカが頷くと、レオは「慣れてきたわ」と言い、ヴィートは「まあそれが摂理ですしね」と言う。
「なあ、アリス」
呼ばれて隣を見ると、レオはいたずらっぽく目を細めてブランカを見下ろした。
「お前、やっぱり忘れてるだろ。十一年。俺とヴィートに時間があったように、お前とも一応あったんだよ。それはどうやったって覆らないからな」
意味深に見つめられる。
確かに今「時間」というものの尊さを知った。
レオと話すごとに、忘れていた記憶のようなものが戻ってきているのは確かだが、それよりも大切なことをブランカは唐突に思い出した。
「あ」
そうだ。次に来たら言わなければ、と思っていたことがあったのだ。
「アルマがね」
「おう、あいつの話か」
「うん。そう、それで」
「アリス、お前、あいつのこと怖くないのか」
レオの言葉に、ブランカは思わず言う予定だった言葉を飲み込んだ。代わりに、何言ってるのかと書いた顔でレオを見る。
「だから、アルマが怖くないのか」
「……レオは、怖いの? アルマが?」
「おー、あいつは色んな意味で怖いな」
「どこが」
「全部。お前への執着とか」
「なにそれ。アルマは優しい人だよ」
執着という言葉を知らないわけではないが、しっくりこない。
ブランカは一言で伝わるようにもう一度「あんなに優しい人には会ったこともない」と言ったが、胡散臭そうな顔が返ってくる。
「優しい、ね」
「うん。すごく優しい」
「そういうやりかたもありますからね。我々が使えなかった手です」
「どういう意味?」
「魔女を寵愛し、籠絡する。そういうことですよ」
ブランカが反論する前に、レオが口を開いた。
「衣食住、全部握ってるだろ」
「え? それは、何をしても完璧なだけだね。そして私が何もできないだけ」
「……誰かがお前に近づくのを相当嫌がる」
「守ってくれてるんだよ。アルマはああ見えてタフで強いの」
「……お前をここから出さないようにしてる」
「どこかの貴族にまた酷使されないようにだよ」
ブランカの言葉に一瞬たじろいだレオは、それでも「あいつがお前を騙しているとは思わないのか」と言った。
その言葉に、ふとアルマとのやりとりを思い出す。
ブランカは騙されやすいね。
そうアルマが言ったことがあった。
気をつけなきゃだめだと言われ、じゃあ、アルマに騙されるのを楽しみにしている、とブランカが答えれば、アルマは何とも言えないように笑ったのだ。
とても綺麗に。
「アルマは、私のことを大切に思ってくれてる。だから何も怖くない」
「あいつがお前を殺そうとしていても?」
「そんなことしないよ」
ブランカは笑う。
「おいしいご飯を作ってくれる人が、どうしてそんなことするの?」
「アリスの魔法を自分のものにしたいかもしれないぞ」
「魔法を使うのを禁止されているのに?」
知ってるでしょ、とレオを見れば、わざと聞いてきたことは明らかだった。
諦めたようなどこか悲しげな表情で、それにしては慈しむようにブランカを見ている。
「ふうん。お前本当にアルマがいいんだな」
「うん。レオとヴィートみたいに時間で信頼を重ねていくことができるんなら、私はその相手はアルマがいいなって思う」
「それは」
言葉を飲み込んで、レオがくしゃりと笑う。
「お前、騙されてるなあ」
そういう割には穏やかな顔だ。
ブランカは不思議とそのレオの顔は好ましく思えた。
なんとなく、自分を包んでいた「レオ」というものの認識の薄皮一枚が、ぺろりと剥がれて軽くなったような気がする。
気づかぬうちに笑っていたらしく、レオがほんのり顔を赤くした。
「? どうしたの? 顔赤いけど」
「……はあ? 赤くないし」
「意外とピュアなんですよねえ」
「ヴィート」
「はいはい、黙ります」
「――それで、アリス。さっき言い掛けてたことは何だったんだ。アルマがどうとかって」
レオがぶっきらぼうな口振りで聞いてくるので、ブランカはようやく「次にレオが来たら伝えなければいけない大切なこと」を再び思い出した。
「そうそう、アルマがね、次に来たときにはお仕置きするって言ってたよー」
今までの軽快な会話が不自然に途切れた次には、レオとヴィートは黙って立ち上がっていた。
「お前……」
「そういうことは先に言いなさい、アリス」
「言おうとしたよね?」
「してたか?」
「いいえ、していませんでした」
「……レオとヴィートってそういうところがあるよね」
「帰るぞ」
「ええ、帰りましょう。では天使によろしくお伝えください」
「いや、むしろ来たこと黙ってた方がいいんじゃねえの」
「そうでした。余計なことは言わないでくださいね」
じゃ、と手を挙げた二人がくるりと背を向けた瞬間、その場に美しい声がそっと響いた。
「もう帰るの?」
アルマだ。
いつからいたのか、まるで最初からそこにいたように、三人から離れた背後で、アルマは涼やかな笑みで立っていたのだった。




