31「悪くないもん」
縫っていたワンピースが完成した途端、アルマはご機嫌に出かけていった。
次の布を買ってくる、と言って、ブランカが新しいワンピースに袖を通しているときに「じゃあいい子で待っててね」とマントを羽織って颯爽と行ってしまったのだ。
お買い物には行かなかったんじゃないの、としょんぼりするブランカは、とりあえず黄水晶に向かった。
泉の水の上を歩く。
アルマの作った鮮やかな黄緑色のワンピースは今回は裾の部分がひらひらとしていて可愛らしい。摘んで縫ってあるので、腰のあたりからふわっと広がってあるのがこだわりだと言っていた。
アルマの裁縫技術は日々向上しているらしい。
彼はとても凝り性で、しかも楽しそうにする。
次のワンピースのアイディアでも浮かんだのかもしれない。
「おじゃましまーす」
ザクザクと生えた水晶に「よっこいせ」と足を上げて進む。いくつか乗り越えて中央まで進むと、開けた場所があった。
ブランカは座ると、正面にある大きな剣のようにそびえ立つ水晶に触れる。
アルマの瞳のような澄んだ黄色い水晶だ。
赤毛の髪が、ゆっくりと海の中で揺らめくようにゆらゆらと持ち上がる。
目を伏せて、その体温のようなあたたかさのなかで力を抜いた。
繋がった。
ぽっと熱くなった手のひらを水晶から話して目を開ければ、その水晶にアルマの頭が映る。金色のふわふわした頭から、全身へ。
隙のない歩き方で、まるで森に同化するように歩くアルマの後ろから眺めている形だ。
森を出て、川を石に軽々飛び乗って渡り、人のいる場所まで来ると、今度はフードを被って旅人のようにとけ込んで歩く。
ブランカは膝を抱えて、アルマが驚くほど自然に街に入る様子を眺めていた。
布を置いている店に行けば、深くフードを被って顔を見せないようにしているというのに店の娘にはぴったりと張り付かれて色々な布を勧められていたし、糸を買うときも、飾りのボタンを買うときも、ついでになにやら調味料を調達しているときも、アルマにはそれぞれの店の看板娘がついて離れなかった。
ブランカはそれを少し高いところから見下ろす。
「早く帰ってこないかなあ」
そんなことを呟いても、アルマには届かない。
アルマがふと小さな路地へと入る。
その正面に、同じくフードを深く被った人物が立っているのが見えた瞬間、水晶はアルマを映さなくなった。
そこまで、と言われたように、ただの水晶に戻る。
ブランカは再び試すこともなく、その場にごろりと横になった。
魔女だった。
アルマが会っていた相手は、同族を見抜けるブランカが初めて見たヴィート以外の魔女だったのだ。
○
「おい、不細工だぞ」
「そうですね。どうかしました?」
むすっとしているつもりはない。
けれど、二週間ぶりの来訪のレオとヴィートは、泉の前でじっと座っているブランカの顔を見るなりそう言った。
「そもそもあなたここで座って何をしているんです」
「……別になにも」
「機嫌悪いな」
「悪くないもん」
「暇なら水晶の中にいればいいじゃないですか。魔力を分けてもらえますよ?」
「こいつ魔法使わないからいらないんじゃねえの」
「そうかもしれませんが……水晶の中は、魔法を使う者にとってはものすごく心地いい場所なんですよ。一度入ったら出るのが相当億劫に感じるほどで」
「何しにきたの」
レオとヴィートの和やかな会話をブランカがばっさり途切れさせれば「機嫌悪いな」やら「機嫌悪いですね」という声が頭上から降ってくる。
「悪くないってば」
「アルマはどうした」
レオの言葉に、ブランカは口を閉ざして睨み上げた。
アルマは不在だ。
ここ二週間、久しぶりに布を買いに行って以来、二日に一回ほど出かけている。
いつもおみやげを持って帰るので、最近の食卓はちょっと豪華だ。
サラダやパンやスープも、どれも素朴な味を脱してしまっている。
確かに美味しいのかもしれないが、ブランカはちょっと寂しい。
野菜を塩だけで炒めていたり、スープもトマトを頼りに味を付けていたり、パンも膨らみが悪くたって美味しかった。ジャムを使った隠し味も好きだった。
けれど、アルマは「ごめんね、用事があって」と悲しそうな顔でここを出て行くものだから、ブランカは何も言えない。
帰ったらかなり甘やかしてくれるのも、何も言えなくなる理由だ。
「これはあれですね、我々のせいでは?」
「ここ二週間忙しかったもんな。順調なんだろ」
「ええ、まあ。仕事が速くて助かります」
「じゃ、俺もそれ以上働かなくちゃなあ」
「無理をなさらず」
ブランカは黄水晶をじいっと見つめる。
あれから、ブランカはアルマを待つときに黄水晶に入ることはない。
きっと、追いかけて見ていても、途中で切られることがわかったからだ。
そんなものを目の当たりにするのは一度でよかった。
「これ、本当に大丈夫ですかね?」
「アルマの奴、フォローしてないのかよ」
「そうは思えませんけど」
つん、と頭をつつかれ、ブランカは自分をつついた犯人を見上げる。
「アリス。大丈夫か」
「レオ」
「おう。ほら、おやつもってきたぞ。しばらくこれなくて悪かったな」
「ううん。気にしないで。来なくていいから」
ブランカがしらっと言えば、レオは目を合わせて幸せそうに微笑んだ。
思わずぎょっとしてしまう。
「……なんだよ」
「だって」
「レオ、幸せがダダ漏れなんですよ。こっちが恥ずかしいです」
「黙れヴィート」
顔をほんのり赤くして、口が悪い割には照れた顔をしたレオは、どかりとブランカの隣に腰を下ろした。今日もずいぶんラフな格好だ。
「ほら。うまいぞー、クッキーだ」
と言って、先にバスケットの中からクッキーを摘んで食べる。
さくっと軽い音がして、ブランカは隣に手を差し出すのだった。




