表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/52

30「優しく聞かないで」



 レオが帰った後のアルマは、至って普通だった。

 裁縫をして、隣のブランカを時折撫でて、夜は卵でオムレツを作ってくれた。

 ベッドに入るまで普通で、二人で並んで寝ている今も普通だ。

 後ろから巻き付いて、ブランカのおなかのあたりでゆるく手をつないでいる。


「あの、アルマ?」


 ブランカは恐る恐る声をかけた。


「んー。なあに」


 声もいつも通り。

 それでも、ブランカは落ち着かない。

 きっと、そうだから落ち着かないのだ。


「アルマ」

「どうしたの?」

「その、あの」


 言いよどむブランカの首筋に、アルマがすり寄って「ふ」と笑った。


「……大丈夫、怒ってないよ」

「どうして?」


 どうしてわかったのか、とか、どうして怒っていないのか、とか。

 ブランカはぐるっと後ろを向いて、アルマと向き合う。

 薄暗い寝室の中で、アルマの目をじいっと見つめれば、その瞳はじわりと輝いた。


「……もしかして、怒ってるの?」


 と、目を丸くしたアルマが聞く。

 ブランカは思わず髪で顔を隠した。


「なにそれ。かわいいね」

「レオと二人きりにしたのはどうして」


 髪をきゅっと握る。

 アルマは少しだけ黙った後に、ブランカの頭をそっと撫でた。


「……少し、二人で話す時間が必要かと思って」

「そんなのいらない」

「ブランカ」

「だって、昔のことを知ったってどうしようもできないのに」

「――何を聞いたの? 君を揺らすこと?」


 確かに揺れた。

 ブランカの知らない場所が、小さく軋むように揺れた。


 レオの中身を知ったのは初めてだったのだ。

 ヴィートにも言えずに、婚約について罪悪感を持っていたらしいことも、必死でお金を稼いでいたわけではなく、身動きのとれない中でそうするしか道がなかったことも、死んだと聞いて悲しんでくれたことも。


「知らなくてもいいことだった?」

「……レオが言いたいなら聞くって言ったし、聞いたけど」

「うん」

「でも、どうしようもないでしょ。それは変わらないもの。いくら好きだと言われたからって、レオとはどうにもなれない」

「どうにかなりたかった時があるの?」

「優しく聞かないで」


 ブランカは苛立った。

 勢いのままに、アルマにぐいっと頭を寄せて首筋に顔を埋めるように抱きつく。


「……かわいい」


 アルマが笑う。

 それも、とても幸せそうに体を揺らしながら、ぎゅうっと優しい力で抱きしめ返してくれている。

 その心地のいい揺れは、ブランカをようやく安心させた。


「ブランカ」

「……なあに」

「怒らないで聞いて。君の言うように、レオの本心を聞いたって、もうどうしようもないし、戻れもしない。だから、それを知った上で彼を拒否してほしいんだよ」


 甘ったるく言われて、ブランカは目が覚めたような気がした。

 それなら、すでにしてきた。

 ブランカはアルマに抱きついたまま、ちらりと顔を上げた。

 輪郭の美しいラインの先で、唇が薄く笑んでいる。

 

「い、言ったよ?」

「そう。なんて言ったの」

「婚約破棄をしたいって」

「いい子だね」


 アルマが顎でブランカの額をくすぐるように撫でる。

 

「アルマ以外と結婚はしないって、ちゃんと言ったから」

「うんうん」


 アルマの手が、そうとブランカの背中をとんとんと叩く。

 まるで子供に言い聞かせるように、耳元で優しく「ねえ」と言った。

 

「受け入れればいい。ブランカは得意でしょ? 流されたんだよ。レオもレオの流れに流されて生きてきたんだ。君には無関係なことだよ。彼が自分でどう流されるかを決めてきた。その結果が今。それをそのまま受け入れてあげたらどうかな」


 ブランカは目をまるまると見開いて、アルマの顔を見上げる。

 そう言えば、下からアルマの顔を見るのは初めてだ。

 顔を覆うふわふわな金髪が垂れ、隙間から見える通った鼻筋や、伏せた睫、その全てが内側から輝いているように見えるほど美しい。

 そして何より、見たこともない男の人に見えた。

 思わず、ぼんやりとその顔を見つめてしまう。


「……ブランカ?」


 そうっと目を開けていくその美しい目元に、ブランカは見入りながらどうにか「うん」と絞り出した。


「うん。そうする。うん」

「? どうしたの」

「ううん。アルマの言う通りだなって思って」

「ふふ。本当に君は」


 アルマがそう言って、深く抱きしめるようにして笑う。

 その声の響きを身体で感じながら、ブランカは安堵した。


「……よかった」

「ん?」

「アルマ、普通だったから」

「普通って?」

「レオと二人きりでいたのに、全く気にしてなかったから、寂しくて」

「そっかあ」

「なんで嬉しそうなの?」

「だってうれしいから」


 くすくすと笑う声は、天使の囁きのようだ。


「僕に妬いてほしかったんでしょう。それがうれしくないわけない」

「……視界から消えるのは、怖いことだから」


 今までこちらを見ていた人が、突然こちらを見なくなった瞬間から、まるで自分が存在していないような気がする。

 

「レオにされてもどうにもなかったけど。アルマがそうなるのはイヤ」

「そっか。ごめん。でも、やっぱりうれしい。ブランカがくれる言葉なら、どんなものでも嬉しい。だから、何でも話していいんだよ」


 背中をとんとんとリズミカルに叩かれて、ブランカは安心感から身体の力が抜けていった。ついでに、張りつめていた感情がそっと解かれて眠気までやってくる。

 それでも、アルマと話がしたくて口が動いていた。


「……レオが」

「うん」

「忘れてるって言うの」

「何の話?」

「……別に忘れてないもん」

「何を忘れてないの?」

「……十一年、一緒だったこと、忘れてなんかない」

「ああ、なるほど」


 アルマの声が一段低くなって、それが妙に心地がいい。

 睡魔に襲われるブランカが聞いた最後の言葉は「ふうん、生意気なことをしていったんだね。お仕置きしなくちゃ」だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ