3「じゃあ、仲良く暮らしていこう。ね」
ブランカは少年の後ろ黒い姿を見送りながら、その場に座り込んでいた。
なんて可愛らしくて、頼もしい背中なのだろう。
勢いで出てきたにしては、まるで導かれているように順調に進んでいる。そこに、魔女とも知らずに助けてくれた天使まで現れた。何かから逃げているらしい自分と同じ脱走仲間は、きっとあの美しさのせいで監禁でもされていたのかもしれない。
「……私が守らなきゃ」
そんなことを呟く。
家だって魔法でどうにかするつもりだったが、まさかこんなことになるなんて。
やっぱり、家を見に行かないと。
そう思うが、ブランカは中々立ち上がれなかった。
怖がっているつもりはないが、身体が動かない。
「あっ。もしかして、縛られてるのか」
ここで待ってて、と言い残したアルマの声に従っていることに気づくと、ブランカは、おお、これが噂の、と立ち上がろうとしない身体を感動気味に見下ろした。
不思議な感覚だ。
思考は「立とう」としているのに、身体が「立てない」と言っていている。これが魔女を縛るということらしい。ブランカには初めての経験だった。
「ブランカ、ごめん、お待たせ。あのね、ちょっと来て欲しいんだけど……ブランカ?」
家から無事に出てきたアルマに声をかけられても、ブランカは動けない。
彼がブランカの異変に気づくのは早かった。
たたっと俊敏な動きでやってくる。
「どうしたの? 気分でも」
「ううん。アルマ、悪いけど、動いていいって言ってもらっていい?」
ブランカが頭を掻いて言えば、アルマはハッとしたように「ごめん。動いていいから」と焦って口にして、地面に膝を突いた。
「ごめん、ごめんね。痛くなかった?」
「……わあ、天使」
心配そうに見上げてくる金色の髪に琥珀色の瞳は、どうみても天使でしかない。ブランカの言葉に、アルマは眉をひそめた。
「……怒ってくれなきゃダメだよ? どんな罰でも受けるから、怒って」
「何言っているの、物騒だなあ。わざとじゃないでしょ」
「でも、危ないからここで待ってて欲しくて、強く言った。ごめん」
「謝らないで」
ブランカは俯く天使の頬を両手でむぎゅっと包んでむにむにと揉む。
「ふふ」
「……ブランカ? 怒らないの?」
「怒らないよ。私の名前を呼ぶ人っていなかったから、初めて縛られてちょっと感動したくらいだもん」
「……」
「アルマの頬、しっとりもちもちだ。可愛い。こんな風に人に触れたのも初めてだなあ」
「……次から気をつける。だから、これからも名前を呼んでもいい? 一緒にいても、いい?」
「いいよ」
ブランカは先に立ち上がって、アルマの手を引いた。
とろりとした心酔するような甘い視線が注がれるが、ブランカは気づかない。
「よいしょ。アルマ、立ってよ」
「……ふ。ふふ」
「なあに」
「……うれしくて」
「嬉しい?」
「僕を許してくれる人がいるなんて、知らなかった」
アルマの目がキラキラと輝く。
にっこりと笑う笑顔は、無垢なようにも、そうでないようにも見えるが、ブランカは前者として受け取った。
「可愛いなあ、もう」
「……僕、かわいい?」
「うん。天使」
「ずっと、かわいがってくれる?」
ほの暗い目の光りを、森の健やかな気配が薄める。
ちょうど、そこにさあっとどこからともなく風が吹いた。
アルマのふわふわな髪が顔を覆う。
ブランカはその髪をちょいと摘んで、じっとりと見上げてくるアルマに微笑んだ。
「アルマ。たぶん、私可愛がるなって言われても可愛がると思う。だって天使なんだもん」
「……今日会ったばかりなのに」
「だねえ。私もよくわかんない。でも、受け止めて助けてくれたでしょ。魔女だとも知らないただの私を。だからだと思う。私もただのアルマを受け止めるよ。脱走仲間だもの。楽しく暮らしていこ」
「たのしく」
「うん。喧嘩もしてみる?」
「それはいや」
「じゃあ、仲良く暮らしていこう。ね」
ブランカが座り込んだままのアルマの手を引けば、軽々と立ち上がり、勢いのままに抱きしめられていた。
壊れ物を包むように、それにしては強い指先がブランカを抱き留める。
「……なかよくしてるだけ」
「別にだめだって言ってないよ」
「言われるかと思って」
「ふふ。どーしてー?」
ブランカはぎゅっと抱きしめ返して、左右に揺れながらアルマの背中をぽんぽんと叩いた。なんて可愛くていじらしいのだろう。どこまでも甘やかしたくなる。
そういえば、今まで自分はある意味守られてきたけれど、誰かを守ることはなかった。意外と悪くないどころか、癖になりそうだ。
「……ブランカ?」
「んー」
「僕からしておいてなんだけど、そろそろ、家、見に行こう?」
「そうだった、そうだった」
ブランカがぱっと離せば、アルマは照れたように見上げる。
潤んだ瞳や、染まる頬がなんとも天使だった。
思わずもう一度抱きしめたい衝動を押し込め、ブランカはアルマの手を取って「家」へと入ったのだった。
不思議なことに、その家には妙に生活感があった。
ドアを開けた時からどこかあたたかくて、居心地がいい。家具の一式が揃っているせいかもしれない。開けた一階は、壁には本棚。部屋の真ん中に小花柄のソファに、テーブル。ロッキングチェアーにはモザイク柄のブランケット。キッチンもあって、どっしりしたクッキングストーブに、丁寧なことに薪までもまとめられている。
二階には広々とした部屋が二つ。一つは寝室で大きなベッドがあり、もう一つの部屋は空っぽだった。
「……なんだろう。意志を感じるね」
ブランカがそうこぼせば、後ろをついてきていたアルマが袖を引っ張る。
「これ、ベッドにあった」
と出してきた手紙には、見慣れた文字がつづられていた。