28「私もそうだと思ってたよ」
「はい、どうぞ」
アルマが四等分に切り分けてくれ、一番にブランカの前に置かれる。
白い皿の上で、ふわっふわのほんのり黄色いパンが、少しふるっと揺れた。
「……美味しそう」
「ごめん、意外と素朴な味だよ」
「こんなにいいにおいしてるのに?! 絶対美味しいよ!」
ブランカがフォークを握る。
それぞれの前に置かれたあと、なんとなくアルマが最初の一口を食べるのを待ってから、ブランカはフォークをそっと突き立てた。
「ふ、ふわふわだ……」
「ん。まあ、失敗はしてないね」
「……うまっ!」
「なんですかこれ……美味しいですね……」
「だろ」
ブランカが目で見て楽しんでいる間に、みんなさっさと食べてしまっている。
しかも、何ともいない幸せそうな顔で味わっているし、目がきらめいていた。
ブランカもようやく口に運ぶ。
「……!」
おいしい。
甘くて、卵の優しい味がして、なによりふわふわだ。
あまりに感動して、大きく、何度も頷いた。
アルマはびっくりしたようにブランカを見ると、その後にまたあの「喜び」を沸き上がらせてくる笑顔を見せて、今度はなんとも幸せそうに笑ったのだった。
最高のおやつを終えて、ヴィートはなぜかアルマの手伝いを買って出た。
アルマはじろっとヴィートをにらみ上げていたが、やがて「いいけど」と了承し、ここで待つようにブランカに言い残すと、二人は洗い物をするため家へ戻って行ってしまった。
つまり、今はテーブルにレオとブランカの二人きりだ。
「それで?」
レオが何もないテーブルに頬杖をついて言う。
ずいぶん行儀が悪い。
そういう姿をブランカは目にしたことがなかったので、まじまじとレオを観察する。
「……それでって、なに?」
「なんでアルマと一緒にいるんだよ」
「それはここが天国で」
「アルマが天使だからな」
はいはい、その設定に付き合うわ、とレオは苦笑混じりに軽く目を伏せる。
それを守ってくれるのならば、とブランカは正直に答えた。
「天国への道の途中でね、会ったの」
「……」
ブランカが話し始めたことに驚いているレオを見てほんの少し笑えば、どうしてか軽く睨まれた。しかし、気にせずに話を続ける。
「私を助けてくれた。別に、平気だったんだけど、それでも助けてくれたの。目があった瞬間に、なんて綺麗な人なんだろうってびっくりしちゃった」
「……まあ、あの顔はな」
「え? 違うよ。そりゃもう美しいけど、なんていうのかな、中身? が、目にこぼれてたの。宝石みたい。私が咲かせる花よりも遙かに綺麗でしょ」
「……」
「なに、じっと見て」
「俺は」
「レオがなに?」
「俺の目は」
ぶっきらぼうに聞いてくる。
ブランカは素直にレオの目をじいっと見た。
バランスの整った顔に、疲れた目元。そして、黒い瞳。
ブランカだけをまっすぐに見つめる目には、以前のような意地の悪さも鬱陶しさもなかった。ただ、昔のような、自分の重責に誇り高かった頃と同じ目がある。
「……なんか……よかったねえ」
「は? どういう意味だよ」
「そのままの意味。よかったね、なんか疲れとれた?」
そう聞くと、レオはため息を吐き、頬杖をついていた手で髪を乱暴に掻いた。
「おう、取れたわ」
「うん、だからよかったね、って」
「お前が言っただろ。恨んでないって。そのとき、目が覚めたんだ」
レオが言った通り、その目に曇りはない。
ブランカはどうしてかその懐かしい目から視線を逸らすことができない。
「恨まれていないとわかったとき、頭が真っ白になった。俺は自分のしたことはわかってるし、愚かじゃない。お前にした扱いを正当化などしない。最低なことをしていた。けど、どこかでお前には好かれていると思ってた」
「どうして?」
レオは初めてここに来たときからそうだった。
どうしてか「アリス」に好かれていると思っているところがある。
本人も無意識だったらしく「ああ、うん」と気のない返事で再び頬杖をついた。少しだけ考えを巡らせるように黙って、それから口を開く。
「よくわからない。けど、なんかずっとそう思ってた。お前に好かれてるって」
「それはどうしてだろうね」
「さあ……お前を助けたつもりだったしな」
「そういえば、言ってなかったね。ありがとう。あの孤児院から助けてくれて」
「――いや。結局俺のところで酷使したんだから、礼はいらない」
「わかった。じゃ、言わない」
ブランカが頷くと、レオは目を細めて笑った。
「俺はお前を助けたつもりで、お前が尽くしてくれるのを当然だと、それが好意なんだと、だから、嫌われてはいないんだろう、と思ってた。恨まれていないと聞いて、そうじゃなかったことを初めて知ったくらいだよ」
「どういうこと?」
「お前、俺のこと恨んでないんだろ」
「そうだよ」
「嫌われてすらいないって言うのは、キツい。どうでもいいってことだ」
「そうなるね」
ブランカは真面目な顔で肯定する。
レオは笑った。
「恨んでるって言われた方がマシだ」
「言おうか?」
「適当なこと言うな、バカ」
「はあい」
ブランカはくすくすと笑う。
昔のやりとりに似ている。
レオも、どこか眩しそうに二人の間のテーブルを見ていた。
「お前、すごく小さかった。六歳で、魔女になんか見えなくて。拾った日から、俺は馬鹿みたいに、勝手に、お前はいつも一緒にいて、ずっと一番近くにいてくれると思ってたらしい」
「私もそうだと思ってたよ」
アリス、ここがお前の家だ。
確か、そう言った十二歳レオの顔は、何かに打ち勝って勝利を手にした達成感と、ほんの少しの疲れと、それから安堵を背負っていたように思う。
ここが自分の家なのだと、ブランカはそう思えた。
脱走した日だって、ちゃんと帰るつもりだった。
けれど、死んだのだ。
アリスは、死んだのだ。
もし、それでも帰りたければ、きっと大慌てで帰ったのかもしれない。
でもそうしなかった。
それが全てだった。




