13「無理」
役立たずではない、と、いくらアルマから自分を卑下しないように言われていても、アルマを自分の為に働かせるのは話は別だ。
自分がアルマを理不尽な目にあわせていると気づいてしまったのに、アルマの言うように、離れていたくないと強く思っている自分が恐ろしくすらある。
「まだ気にしてるの?」
バシャ、と水音がブランカの背中から聞こえる。
ブランカの髪をある程度乾かしたアルマは、軽い足取りで水浴びに向かってしまったのだ。
ブランカは石に腰掛けたまま、足をぶらぶらと揺らしてアルマの穏やすぎる声に耳を傾ける。
「ねえ、ブランカ。気にしなくていいよ」
アルマはそう言うが、ブランカは「はい、そうですね」などと簡単には言えない。
なので、声を張り上げて反論させてもらう。
「アルマをこれからも酷使し続けるって言ってるんだよ?」
「言ってないよー」
「言ってる。だって、私魔法以外になにもできないのに」
「僕ができることをしてるだけだし」
「私だって、できることあるよ! 魔法を使わせて」
「無理」
ダメ、ではなく、無理、と一刀両断された。
パシャッと水音がして、徐々に岸に上がってくる気配がする。次いで、濡れた服を脱いで絞り、下に落とす音、布で体を拭いている音。
「ブランカ。魔法を使うのは自分の命に危険が迫ったときだけにして」
アルマの声は、ブランカが言い返せるほど軽いものではなかった。
「僕はブランカに使われてるなんて思ってないよ。僕が君のためにしたいんだ」
「それは、私だって」
「でも、魔法はダメ。それがブランカの存在意義だとしても、この生活を便利にするために使ったりしないで。絶対。そんなことされたら、僕が苦しい」
後ろからアルマが近づいてくる。
石を踏む音に混じる、説得しようとしているやわらかな声が、ブランカを揺らした。
そんなことを言われては、なにもできない。
「……わかった、魔法は使わない。アルマを苦しめることはしたくない」
「うん。ありがとう。それにね、ブランカは勘違いをしてるよ」
アルマが後ろに立っている。
けれど、どうしてか振り返ることができない。
後ろ髪を一筋、アルマが掬う。
「ねえ、忘れたの?」
囁くような声が、ブランカの体温を強制的にあげた。
「僕がブランカに望んだこと、忘れた?」
「……な、なに?」
「ブランカ、前にさ、なにかできることはないかって、僕に聞いたでしょ」
「う、ん」
「僕、言ったよね?」
アルマの手が、後ろからそうっとブランカの首に回った。
人差し指で、カリッとゆるく首を引っかかれる。
「――僕がいなきゃ生きていけないようになって、って。それが僕の望みだって、そう言ったよね? 忘れたの……?」
「思い出しました!」
ブランカは元気よく返事をした。
アルマの指先が、鎖骨を撫でていったからだ。
「ふ、ふふ。よかった。くすぐったかった? ごめんね」
機嫌よく笑って、アルマが手を離す。
ブランカは勢いよく振り返って、真っ赤な顔でにらみあげた。
「顔から火が出るかと思った!」
「へえ」
「なんでびっくりしてるの?!」
目を丸くしているアルマに詰め寄るように言えば、アルマは突然子供のように無邪気に笑って「そっか。そっかあ」と嬉しそうに頬を染めた。
そんな顔をされてしまったら、抗議の言葉など無意味だ。
仕方なく、軽く俯いてにこにこしているアルマの頭を布でぐしゃぐしゃと拭く。
「……魔法は使わない」
「ブランカ」
「私と、アルマが危険なときにしか使わない」
「僕は大丈夫だよ?」
「それでも使う。アルマを守らせて」
「……うん」
目がきらきらと輝く。
負けてはいけないのだ。
この天使の笑みに。
ブランカは、ふにゃっと「綺麗ね」なんて言ってしまわないように、顔に力を込めてこの問題の解決策を提示する。
「でも、でもね、私にできることを増やしてほしいの。何でもアルマがしちゃだめ」
「ブランカ? 人には向き不向きが」
「わ、わかるけど! 頑張るから」
「なんでそこまで気にするの」
「アルマが私に疲れて、ここからいなくなってしまうことが怖いからだよ」
「そんなこと」
「ないって言えないでしょ。私だって、あの家から出るつもりなんてなかったんだもの。でも、そういうのって、突然来るんだよ。私はもうアルマなしじゃ生きていけないから、アルマの望みは叶えてる。だから、アルマも私がいないとダメだって思えるように何かさせて。安心したいの。ずっと一緒にいたいんだもの」
真剣にそう伝えれば、なぜかアルマが赤くなった。
長いまつげが伏せられて、ぱしぱしと美しく瞬く。
恥じらう天使は、ブランカを引っ張ると正面からやわらかく抱きしめた。
「……あの、アルマ?」
「うん」
幸せそうな頷きが返される。
「アルマさん?」
「ふふ。プロポーズされちゃった」
「え」
「え?」
違うの、と言いたげな瞳が悲しげ見上げてくるので、ブランカは逆に戸惑う。
「ち、違わないのかな……?」
「ふふ。ブランカって」
「また子供みたいって言うつもりだね」
「ううん。そっちじゃない」
「……どっち?」
「うーん、どっちかなあ」
アルマが嬉しそうに微笑めば、細かいことは全てどうでもよくなった。
自分はきっと単純なんだろう。
そもそも、全て受け止めて悩めるほどの繊細な心など持ち合わせていなかった。そういうものにいちいち傷ついていたら貴族に飼われてなんていられない。ブランカはブランカなりに、逞しく生きてきたのだ。
それもあの日までだったが。
色々なことにへとへとになったあの日が実は幸運だったと、ブランカは迷わずに言えた。