12「ダメだよ!」
森の中を川の音を頼りに散策すれば、あっという間にそれは見つかった。
密集した木の間を通り抜けると、突然その先の景色が川辺に変わり、石や砂利が転がっている先に、さらさらと川が流れていたのだ。どこからきてどこへ行くのかわからないが、追いかけると消えるような気がして、ブランカもアルマもこの不思議な光景をそのまま受け入れている。
ブランカは服を着たまま、そうっと川に入る。
この川は、不思議と冷たくはない。体温を奪うこともなく、むしろ妙に心地よかった。
ゆっくりと足を進めると、徐々に深くなり、川の真ん中まで来ると深さは腰までになる。川の流れはゆっくりしていて、流れる気がないのではないかと思うほど穏やかだった。それも、キラキラと光っていて美しい。
ブランカは川の水を手で掬い、顔を濡らし、頭から水を浴び、濡れたワンピースのまま川の中をくるくると踊るように回る。ここでの水浴びは、身体を清めるというよりは、心が清々しくなった。頭がスッキリするのだ。
川辺で背を向けて待ってくれているアルマの後ろ姿を視界の端にちらちらと入れながら、ブランカは遊ぶように水浴びを終えた。
川岸に戻って、濡れて重くなった服を脱いで布で身体を拭いた後に、手早く深緑色のワンピースに着替えてアルマの元へ行く。
「アルマ。ありがとう。ゆっくり入ってきて」
絞った服を石の上に置いて言えば、アルマはブランカの濡れた髪を指さした。
「ちゃんと拭かないと」
「大丈夫だよ。ここで待ってるときに拭くから」
「いいから。貸して」
立ち上がったアルマは、今まで座っていた石にブランカを座らせると優しく髪に触れる。
「……ごめんね、切っちゃって」
「髪のこと?」
「うん」
「別に気にしなくていいのに。伸ばしてたのだって、レオに切るなって言われてただけで、私の趣味じゃないし」
「へえ」
ブランカは後ろにいるアルマの機嫌が傾いたことを察知した。
わかった。
わかるようになった。アルマはレオの話になると、スッと温度が下がる。いくらなんでも、ブランカでもわかる。
きっと、アルマはレオが嫌いなのだ。
どこかの家から逃げ出したかった、と言っていたアルマなら、きっと誰かから同じように理不尽な目にあっていたのかもしれない。だから、ブランカの「飼い主」だったレオを嫌ってくれるのだろう。
「アルマは優しいねえ」
「そんな話してたっけ」
髪を拭いてくれているアルマが、毒気を抜かれたような声で小さく笑った。
「で、どうして髪を切っちゃいけなかったの」
「魔力が溜まりやすいからだって。だから、別にレオの好みとかの話じゃないの。レオはね、好みとかないから。手当たり次第、綺麗な女の子に声をかけるんだ。身元がちゃんとしている令嬢ばっかり。しっかりしてるよね」
「特定の恋人は居なかったってこと?」
「いなかったねえ」
「なんで?」
「知らない。興味ないし」
前はそうではなかったが、いつの間にかレオはそうなっていた。
初めてあった頃の十二歳のレオは、跡継ぎとしての誇りとか、重責とか、それを抱えてひたむきに頑張る美しさみたいなものがあったが、なぜだか順調にひねくれる道へ行ってしまったのだ。
ブランカはそのころには、誰にも関心はなかった。
ヴィートもレオといつも一緒だったし、ブランカはいつも後ろで控えて花を咲かせていた。二人がいないときも、あの大きな屋敷の広大な花畑で花に祈りを捧げるように常に魔法を使っていただけだ。
「馬車馬のごとく働いてたし、レオが何をしているかなんてどうでもよかったもの」
「そっか。ブランカはとてもがんばったんだね」
「アルマもね」
「え?」
「逃げたくなるほど、その場所で頑張ったんでしょ? これからは、ゆっくりしようね」
ブランカの言葉に、アルマは何も言わなかった。
けれど、ブランカの髪を拭いていた手がふと重くなって、今度は慈しむように撫でられた。何も言わないが、その手で「ありがと」と言っているような気がする。
「……ん? いや、ゆっくり、させてあげてない気がする……」
ふと我に返って考えてみれば、衣食住を担い、この生活を快適にしてくれているのはすべてアルマだ。
ブランカは愕然とする。
「ちょっと待って……今度は私がアルマを理不尽な目にあわせてない? どうしよう?! あ! 私にしてほしいことがあったら何で言ってね、アルマのためなら」
「……ふっ!」
どうにか役に立たなければ、と焦るブランカの背後で、アルマが珍しく大きな声で吹き出した。
振り返れば、腹を抱えて声を殺して笑っている。
「……ふ、待って。ちょっと待って」
「アルマ、ご、ごめんね。今まで色々と」
「……、あははは!」
「なんで笑うの」
「だって……、ブランカ、」
「なによー」
「ふ……はあ。いや、あのね、僕のことを大事にしてくれるものだから、うれしくて」
「……嬉しそうな笑い方じゃなかったよ」
「うれしいよ。僕を理不尽な目にあわせたくないって思ってくれるのに、僕とは離れたくないんでしょ?」
ブランカはしかめっ面で頷く。
最低な自分と戦っているのだ。レオと同じようなことも、アルマが囚われていたところと同じようなこともしたくない。アルマが自分を嫌いになって出て行くのもイヤだけれど、だからといって「じゃあ好きに生きて」とも言えない。
そう言えば、アルマはどうしてか甘く微笑んだ。
「……アルマ?」
「うん?」
「許そうとしてるでしょ」
「うん」
「ダメだよ!」
ブランカが憤慨すれば、アルマはまた声を上げて笑った。
とても、嬉しそうに。




