11「気をつけなきゃダメだよ」
「なんだったんだろう」
森から姿を消したヴィートをぼんやりと見送ったブランカは、アルマに腰を支えるように抱き寄せられた。いつものように、ブランカの肩に頭をことんと預けて、真っ直ぐ射貫くように見上げる。
「ねえ。あいつが来たら、どうするの?」
ブランカはほんのり濁った瞳をしたアルマの頭をぽんぽんと軽く撫でた。
「んー。どうにもしないよ。どうにかなるだろうし」
「……ブランカって」
「うん?」
「あまり悩まないタイプだね?」
「そうだね」
「ふ。即答だ」
アルマがくすくすと笑う。
ああ、可愛い。
ブランカがアルマの額を指先で撫でれば、その手はすぐにアルマに捕まった。頬へ導かれるので、その白い肌に優しく触れる。ふわふわした金髪がくすぐったい。
腰を抱いていたアルマの手が、さらに力強くなり、ぐっと強引に引き寄せた。
正面から向き合う。
アルマは頬を撫でるブランカの手をしっかり握って、顎を上げた。同時にさらに引き寄せられて身体が密着し、顔の距離が一気に縮まる。
「? なあに?」
ブランカが無邪気に笑えば、アルマはぴたりと止まって、じいっとブランカの表情を見ていた。ブランカはその頬を撫でて、顔にかかる髪をさらさらと流しながら聞く。
「アルマ? どうしたの?」
「……あいつとこういう距離になったことは?」
「えー、ないよ」
「本当?」
「うん。あ。そういえば、私に触る人なんていなかったかも」
いなかった。
なにしろ、金の成る魔法を使う身だからだ。
粗末な扱いはされなかったけど、同様に誰からも踏み込んだ扱いもされなかった。一応丁寧な扱いをされていたが、十一年同じ屋敷にいても、誰も彼もブランカを「人」として扱っては居なかった。あくまでも「機嫌を損ねてはいけない魔女」だった。
損ねたことなど一度もないほど従順だったはずだが。
「……それも、本当?」
「うん。嘘ついても仕方ないもの」
「なるほど。そっか、ふうん。そっか」
「長かった髪もね、自分で結ってたんだよ」
アルマが切ってくれて助かったなあ、とブランカが言えば、ブランカを掴んでいたアルマの力がふっとやわらいだ。自然に離れる前に、アルマの唇がブランカの顎をかすめる。
「ブランカは、騙されやすいね」
「そうなの?」
「そうだよ」
そう言って、アルマが手を離す。
「気をつけなきゃダメだよ」
「アルマとしか一緒にいないのに?」
「……うん、だからだよ」
「じゃあ、アルマに騙されるのを楽しみにしていようかな」
それはそれで楽しそうだし。
ブランカがそう言って屈託なく笑うと、アルマは一瞬驚いたように目を見張って、眉を下げるように笑んだ。少し悲しそうに、それにしては噛みしめるように。
何とも言えない笑顔が、また綺麗だった。
ブランカは衝動的に、アルマの髪をぐしゃぐしゃっと両手で撫でる。
混ぜるように撫でれば、そのふわふわな髪がぼさぼさになってしまった。
「ふ!」
「ブランカ?」
「んー、なあに?」
「なにこれ」
「甘やかしてるの。ダメ?」
「……だめじゃない。もっと」
アルマの要望に応えて、さらに髪を撫でる。少し乱暴に、お互い笑い出すようなふざけかたで撫でれば、アルマの笑みがようやくいつもの無邪気なそれに戻った。
目を合わせれば、透き通った琥珀色の目が優しく細くなる。
その時、二人同時にパッと顔を上げた。
「――あ」
顔を見合わせる。
どこからともなく、川のせせらぎが聞こえてきたのだ。
突然やってきた水浴びタイムに、二人は急いで家に戻ると支度をして、森へと川探しに出かけるのだった。
着替えはもちろんアルマが縫ってくれたワンピースで、優しい深緑色のものだ。
そういえば、アルマが仕立ててくれる服は緑寄りの色が多い。
「アルマ、緑が好きなの?」
森の中を着替えを持って歩きながら聞けば、隣のアルマはすぐにブランカを見つめた。
「ブランカに似合うから、好きかな」
「そっか」
「あまり深く聞いてこないところがブランカだよね」
ご機嫌なアルマが言う。
森の中は大きな木がひしめきあっているが、不思議と圧迫感はない。足下は背の低い草があって、なんなら草原の中に無秩序に木がぽこぽこ生えてきたような奇妙さがあったが、不思議とブランカはこの森を「かわいい」と思う。
なんというか、歪なようでいて、けれど寛容な、照れ屋な何かが自分たちに居場所を与えようとしてくれている気がするのだ。
こんなに木があっても、足を取って転ぶような根っこも岩もない。
廃水の捨てる場所に詰める石や砂だって、川が出没たときに手早く二人で運んだのだ。ここはとにかく静かで、気温もいつも一定で過ごしやすいし、天候が悪くなることもない。
そこはかとない思いやりで溢れている。
いじらしくて、なんて可愛いのだろう。
ここが天国じゃなければどこが天国なのだろう、とブランカは思う。
そう思えば、レオに言ったことは嘘ではない。
「誰のことを考えてるの」
隣からほんのり冷たい声で意識を引き戻される。
それだけでなく、きゅっと手を握られた。
思わず立ち止まる。
「わあ」
「……なに?」
「いつも思ってたけど、アルマの手、大きいねえ。男の人の手って感じだけど、怖くないし、安心する」
「……」
ブランカが握られた手を目線の高さにしてしげしげと見つめれば、アルマは少しだけむっとした目で見つめてきた。
「ブランカってさ、すごく狡いよね」
「なんで?」
「僕の扱いがうますぎる」
「そうなの?」
「そうだよ」
アルマが屈託なく笑う。
この笑顔が好きだ。
自分だけを映す瞳が星のように瞬いているのを見ていると、内側をあたたかいもので優しく包まれているような感覚がする。
それは、ブランカが今まで感じたことのないものだった。