終章 3:どんな暗がりに居てもぼくが君を照らす星さ
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「……ドロテアがお妊娠た?」
年が明け、ユニカ家姉妹のマリーとメルセリーナに家族の私は、陸路を主に使ってのんびりと神聖皇国まで向かった。マリーたちが鉄道というものに乗ってみたかったそうである。
そうした頃には長い冬も終わりが見えてきた。正確には気候が共和国や連邦王国に比べると温暖な土地だからこそなのだけれど、ともあれ私たち魔人と魔女というとてつもなく目立つ一行は、無事にクラリッサの実家であるセッテフィウミ邸に到着できた。
やたらと振る舞いが大仰な青年――クラリッサの兄らしい――に大歓迎され、ヘルマート夫妻と客室で再会して挨拶もそこそこに、ドロテアが喜色満面に報告してきたのである。
『ヘルマートさんとの赤ちゃんができました』と。
マリーは、固まっている。夫婦同士なのだからいつかはこうなってしかるべきだと私は考えていたのだが、マリーはそうではなかった。そしてそんなマリーの反応も私は予想していた。今はそっとしておこう。
メルセリーナはティーカップに口をつけた後、にっこりと微笑んだ。
「おめでとうございます。それで、お名前は決めてあるのですか?」
「いえ、あの、その、メルセリーナ様、マリーお嬢様、これはただの報告でして。ドロテアさんは身重ですし、これから俺たちは自分たちの家庭を持つわけなので、なんと言いますか、ええとですね……」
「あのさぁ、お兄ちゃん。しっかりしなよ。ぼくたちだって別にお兄ちゃんしか頼れる大人がいないわけじゃないんだから、お兄ちゃんは胸張ってお父さんしなよ。ここは神聖皇国だけど、お兄ちゃんは帝国の貴族の血筋としてそこはちゃんとしてほしいかな」
穏やかな微笑みを浮かべるドロテアを横に、あまりにも情けない様子で慌てふためいて説明だか言い訳だかをするヘルマートに、マリーが気を取り直してまともなことを言った。
そして、息をついて、天井を仰いだ。
「もう、いい加減お兄ちゃんって呼ぶのはやめよっか。ヘルマート、ドロテア、おめでとう。貴方の弟子として心から――祝福できないなぁコレ。なんなんだろこの気持ち。すっごいモヤモヤする」
むすっと子どもじみた声色で呟くマリーの本心は、おそらく。マリーは素直で独占欲が強すぎる本心と、貴族として世話になった教師であるヘルマートの幸せを祝わなければいけない義務の間で揺れ動いているのだろう。
私としては、ヘルマートに味方したい。マリーはいい加減この男から少し距離を取るべきだ。
だから私は、はぐらかした。
「ヘルマートとドロテアは結婚して一年くらい、このお屋敷で暮らしていたんでしょう? その間に子どもができなかったことは、不可解」
「わたしも、ヘルマートさんも、いつ死ぬかわからない活動をしていましたから」
「もう物騒なことはやめるってこと。それで、これからどうするの?」
私がマリーに拾われて魔法を教えてもらいながら可愛がられていた一年間、この夫婦は世界各国の亡命魔法使いたちと接触と交渉をする日々を続けていたらしい。
彼らは夫妻に協力する姿勢は見せず、それどころか交戦に至った件も両手の指以上あったらしいので、ドロテアの返答は予想していた通りだった。
ただ、この夫婦が事前に動いてくれていたおかげで、帝国が開国した今、亡命した魔法使いたちは暴走じみた行いはあまりしていないらしい。
とにかく、そういった話に私は持っていった。マリーには後でなんとでも言って誤魔化しておこう。
ヘルマートは、苦笑いを浮かべながら舌を出した。
「菓子職人として働こうと思っていたのですが、俺はどうも舌がなっていないらしいです。レシピ通りに作れはするけれど、新しいものを作る才能が無い。結局どこまで行っても俺は調理器具にしか過ぎなかったわけでして。雇われ職人が限界ですね」
「おに――ヘルマート。左手、ちゃんと動かなくなったから、って理由もあるんでしょ? だからぼくはお菓子職人なら手は大事にしろって言ったのに……メルセリーナ、神経ちゃんと繋ぎ直せる?」
去年の夏、ヘルマートはマリーを脅迫するための交渉材料として自分の命を賭けるという狂気の行動を取った。それが可能である、という事実を披露するためだけに、左手の指を全て炭化させたのだ。
マリーがすぐに指を再生させたし、ヘルマートは平気そうにしていたけれど、やっぱり後遺症はあったらしい。
声をかけられたメルセリーナは、首を振った。
「姉様の頼みと言えど、嫌です。左手の不自由さは、ヘルマート様が生涯付き合っていかねばならない、戒めとしてわたくしは残すべきかと考えています。ユニカ家は治癒と浄化こそが本領たる家。それは、身体の治癒のみでなく精神の浄化も意味します」
「はい、弁えてます。まぁ生活に支障が出るものではないですし、菓子職人を表稼業として、裏稼業は陛下から直々の命令も下っているので、俺は今後そっちを本業にしていこうかと」
「え? 何それ。初耳なんだけど」
「……お嬢様たちには、魔法式をお見せしません。今から言うことだけで、習得したいなら自分で編み出してください。俺は魔法を破壊できる魔法式の開発をしています。これを見込みのある人間に教えて、広めて、これから起こり得る魔法の悪用に対する抑止力とします」
……魔法を破壊できる魔法式?
そんなこと、可能なのか。何をどこまでできるのか。
私の困惑と好奇心は、私たち全員同じものだった。ドロテアだけは知っているようで、相変わらず何も言わずに微笑み続けているだけである。気持ちが悪い。
「これは従来の魔法と違い、魔法式の観測さえできるなら――霊脈制御の修行を終え、魔法式を脳内構築し、物理世界に投射、展開することさえできるのなら、誰でも実行可能です。ようするに魔力も、物理化学の理解も必要がない」
「……ヘルマート、今からぼくは、ちょっと魔法を使う。いやいつでも観測魔法は恒常しているけれど、それも含めて何を使うかは教えない。できるなら、全部止めてみせろ」
言うや否やマリーの霊脈が活性化し、魔法式が物理世界に展開され――砕け散った。
主人の唇が震えている。私も、未知の現象に慄いている。
「う、嘘だ。原理はわかったけどぼくは自己生体電流操作魔法の【自電】まで使ったんだ。それも、無効化できるの?」
「直死魔術も、【自電】を他人にかける【糸電】も相手の肉体に魔法式を混ぜ込みますからね。この破魔術は肉体強化した人間から魔人の身を守るためのものでもあります。
とりあえず、今は鱗人のギィジャルガと、このゼナに呼びつけた吠人のハウドとグラームの三人に教えている最中です。ディアーガの奴にも教えておきたいところですが、そっちはギィジャルガに伝授してもらう経由を考慮しています」
「……恐ろしいことを」
メルセリーナは口元を手で抑えて、ヘルマートの言葉に怯えていた。
魔法は、魔力的に平人と樹人しか使えないものというのが、今までの、私たちの常識だった。肉体強化魔法に限っては別だけれど、あれは鍛えれば誰でも使えるものだから例外だ。
けれど、嗅覚の鋭い吠人や生まれ持って屈強な身体に恵まれた凍人や鱗人に牙人までもが、ヘルマートの使った破魔術なる技を習得してしまえば、私たちは無力な平人の小娘と変わりない存在になってしまう。
ドロテアが優しげな声色で、怯える私たちを落ち着かせるように言い聞かせた。
「心配しなくても大丈夫だよ。今ヘルマートさんがやったくらいに使いこなせるのは、ヘルマートさんだけ。物理化学の知識が必要ないって言ったけれど、あるに越したことは無いし、勉強することはたくさんあるから。ただ、魔人も魔法も無敵じゃないってことを、貴女たちには知ってもらいたいし、教えてもらいたいの」
「……帝国の世界征服を止める、っていうのがヘルマートとドロテア夫婦の目的だったわけだしね。この世界は、多くの人種がいる。魔人や平人の暴走を止められる人間たちを増やして仕上げってわけか」
ヘルマートは頷いた。
「俺は、魔法とはその名の通り魔の法に則った、人間の手に余る、本来手を出してはいけない技術で領域だと考えています。ですが技術体系として成立して多くの人間が原理を知っている現在現実において、魔法を根絶することは不可能です。
魔法は暮らしを豊かにしますが、魔力量によって個人ごとに上下関係を生みます。魔力継承が真実であることを察している人間も必ず多数いるでしょうし、人間を傷つけるために俺では想像もできないような悪質な運用方法や新たな魔法を思いつく人間も現れるでしょう。
想像できる未来は、はっきり言って、暗い。恐ろしいです。そのための愚策ですが……申し訳ありません。こんな未来しか用意できなくて」
「ヘルマートが気に病むことじゃない。なるべくしてなった。なるようにしかならない。かくあれかし」
魔女と呼ばれるだけで、魔法という力を持たず虐げられていた期間が長い私は、マリーやメルセリーナよりも開き直りがしやすい方だと、思っている。
私たちが大人になる頃には、もっと世界は混沌として、私たちは魔法という武器で身を守ることができない相手と相対する日が来るかもしれない。
でも人間は愚かで塵だ。元々そうだったモノを、改めてヘルマートは私たちに教えただけに過ぎない。
マリーも少し落ち着いたのか、椅子の背もたれに深く体重を預けた。
「……トンビが暴いた魔力継承が事実だ、ってことは、いずれ必ずわかっちゃうことだしね。帝国民たちは事実だと明かして、世界ではデマだってことにしたんだもん。今は落ち着いているようだけれど、実際のところは変革と混乱までの時間を長引かせている猶予期間でしかないんだよね?」
「はい」
その最低限の返答に眉を寄せたマリーは、テーブルに身を乗り出した。
「はっきり言いなよ。ぼくたちのようなまだ若い魔人は、その猶予期間内に魔人を受け入れられるような世界情勢にするために動く必要があるんだって」
「…………お嬢様たちは、自由に、自然にもうそうなされていらっしゃるはずです。改めて言うべきことではないかと」
「そうかもしれないけどさ。今はまだ無理だけど、帝国がなぜ魔法帝国でなければならないのか、魔力継承がなぜ必要だったのか、そこまでぼくたちを追い込んだ普通の人間たちにぼくたちのことを知ってもらわなきゃいけない。それはヘルマートじゃなくて、ぼくたちがやらなきゃいけない役目だ」
全ての人間は罪を持って生まれてくる。
それは善悪を知る存在になったからだそうだけれど、なら私たちはあらゆる人間が潜在的に抱えている悪意を、その結果の果てにある帝国と魔人に魔法という脅威を、教えてやらねばならない。
私のような魔女を、これ以上増やさないためにも。
「ヘルマート。私は魔女。なぜ魔女になったのか、それをいつか色んな人間たちに教えて行く。でも帝国や魔人について、私は詳しくない」
「わかりました。じゃあ俺はそのあたりに詳しいジラルドと一緒に、演説用の原本やら草稿やらを、用意しておくとします」
「お願い」
マリーは、そういうのが苦手だ。即興で演説させても淀みなく堂々とできるけれど、どうしても高圧的になる。
理と情に訴えるような主張は、どちらかというとメルセリーナの方が向いている気がする。だから少し視線を横に流したら、メルセリーナと目が合った。お互い考えていることは同じだったらしい。マリーには、任せられない。
当のマリーは私たちのやりとりに気づいているのだろうけれど、自信満々な口調で言ってのけた。
「まぁ任せてよ。どんなにお先真っ暗だって、ぼくはソーニャやメルセリーナに、君たち夫婦の未来を明るく照らしてみせるよ。それこそヘルマートが破魔術でぼくらを驚かせたように、ぼくだって想像できないようなびっくりを用意してみせるさ。もちろん、とびきりの嬉しくて楽しいヤツをね」
「ええ、期待していますし、これからも何かあったら……出来る範囲で頼ってください。マリーお嬢様」
「うん、そうする」
「一応言っておくけど、マリーにヘルマート。頼りにするのはいいけど、ヘルマートはもうあまり無茶しないように」
家族の立場としては少し過ぎた言い分だけど、私は主人にも主人の師にも注意しておくことにした。
これからのヘルマートは、世界とか漠然としたものではなく目の前にある家庭を守るべきだと私は思う。……そうあるべきだとドロテアは考えているだろうし、ドロテアを怒らせると本当に怖いから。
「ヘルマートはあちこちに伝手を持っている。それを紹介してくれるだけでも十分心強い」
「はい。わたしの旦那様は恩を売るのが趣味みたいな方なので、是非そうしてください。……ヘルマートさんは今も破魔術を研究し続けていて、さらに強くなります。現状、たぶん最強の魔法使い殺しです。だからあまり、有名になってもらいたくはないんです」
家族がいるなら人質となり、望まない戦いや殺しを強制されることもあるだろう。
私はその例の一人である、ビシニアのことについて問いかけた。
「それで、ビシニアはこの屋敷で居候していたらしいけど……」
「ああ……牙人の子どもたちには、あの件については、伏せています。またフラッと旅に出たということにしています」
「でも、私は……」
「わたしから言わせてもらってもいいかな? ビシニアさんはソーニャちゃんに殺してもらったも同然。ビシニアさんは、自分で自分の死に場所を決めたの。わたしたちはそれに巻き込まれて、あの女性が託してくれたものを受け取った。でも重いものだから、まだわたしが預からせてもらうね? ソーニャちゃん」
ビシニアに懐いていたという牙人の子どもたちに謝っても、それは私の自己満足に過ぎないと、ドロテアは暗に言っているようだった。
ポール都で結果的に私が殺した人間については、未だに私は今一つ罪の意識が湧かない。私を仇だと思って襲いかかって来た市民たちとも敵対したけれど、それもこれも全部マリーを殺そうとしたあの父子が悪いのだと私は考えている。
でも、ビシニアは別だ。私は目の前で寂しそうに微笑むドロテアと、最愛の主人たるマリーの命を天秤にかけて、無意識の内にビシニアを殺していた。
未だに、他の方法は無かったのかと考えている。誰かに裁かれたいとも思っている。
「ええと、いいですかね?」
ヘルマートが気恥ずかしそうに挙手した。
「俺は、叔父さんについては自分が殺したも同然だと思っています。そして五年もかけて『喪われた命は絶対に戻らない。癒してくれるのは時間と忘却だけ』という結論を出しました」
「哀しい」
私はほんの一晩話しただけのビシニアを忘れたくない。
「ならその哀しさを、ソーニャ様の指針にしてください」
ヘルマートは教師をしていたというだけあって、何かにつけて説教臭い。
「俺は叔父さんを、今ではやっと憎むことができるようになりました。『残された者の気持ちを考えろ』という怒りが叔父さんが俺に教えてくれた最後の教訓です。まぁそこに行き着くまで六年もかかりましたが。そしてこれはソーニャ様が教えてくれたことでもあります」
「……なんだか、ビシニアを、私の中で、都合の良い形にしているみたいで、その考え方は、気持ちが悪い」
「ええ、その受け止め方も正しいです。どのような答えを出すかはソーニャ様次第。ただ、ソーニャ様にはマリーお嬢様がいることをお忘れなく」
「うん、ソーニャはぼくのものだからね。ソーニャの抱え込んでいるモノも一緒くたにぼくのものだよ」
マリーは私を抱き寄せて、頬に口づけをした。
食べられるまでも無い、ということか。
私はもうマリーの一部となっている。マリーが落ち込んでいる時や暴れそうな時は私がなんとかして、私の哀しさも憤りも全てマリーが受け止めてくれる。
今まで通り、これからもそうして、少しずつ何かが私たちの中で変わっていくのだろう。
そんなあやふやで不確かなものでも、私にとっては大切な生きる道標になっていくのだとしたら、ヘルマートが教えてくれたことも、悪くはないのかもしれない。




