第十二章 終:何処へでも行ける切手
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トンビ女史が魔力継承の実態暴露活動を始めて三日目。
帝国は落ち着いた。落ち着かされたと言うべきか。
陛下が直々に、魔人も平民も区別なく帝国民全てに対して、通信魔法を使って公式発表したからである。
『魔人は平人であり、平人を食べることで魔力継承し、それによって帝国の環境は維持されている。魔人は民草を傷つけてはならず、魔人同士の魔力継承以外のそれは今後禁ずる』
とりあえず、これで魔人はみんな大人しくなった。陛下の恐ろしさは霊脈制御ができて、魔力観測できるものにしかわからない。
平民たちについては、あまり変わっていない。召し抱えが今後一切行われなくなるという証明期間、各々の感情整理と都合の悪い記憶は意図的に忘れるまでの時間が必要だろう。
なので、マリー様にようやく心身魔力全ての余裕が戻ってきた。
なお俺の帝都へのおつかいについては駄目出しを喰らった。マリー様のメモ内容がいい加減だったせいではと文句を言っても聞いてもらえなかった。
「じゃあドロテアが乗っている船を待つのも退屈だから、もうこっちから迎えに行っちゃおっか」
マリー様のその一言を拒否する権利は、当然、俺には無かった。
※
「ドロテアさん、お久しぶりです。色々迷惑と手間ばかりかけて、申し訳ありませんでした」
「構いませんよ、あなた。どうせあなたの妻である限りは、そんな退屈しない毎日ばかりだとわかっていましたし」
マリー様とソーニャ様の連携飛行魔術に運ばれ、船の甲板に降り立った俺たちはドロテアさんと、彼女に腕を引かれて連れられてきた垂れ耳の少年吠人グラームと再会の挨拶を交わした。
ドロテアさんは、一時は死に瀕していたとは信じられないほどにいつも通りの笑顔と、優しい声色と、遠慮の無い一言だったので安心した。通信魔法によってやりとりはしていたが、やはり直接対面すると何か欠けていたものが満たされたような気持ちになるものである。
やれやれ、我ながら完全に落とされたものだ。これでドロテアさんに愛想を尽かされたら、俺どうなるんだろうな。
内心そう思いながら、綺麗に梱包された紙袋をドロテアさんに渡す。
「ドロテアさん、これ帝都からのおみやげです。野暮用あったので買ってきました」
「お兄ちゃんは乙女心がわかんないから、ぼくとメルセリーナとソーニャで相談してアドバイスしておいたよ。ドロテアがそれで満足するか知ったこっちゃないけどね」
「みんな、ありがとうございます」
紙袋を両手で受け取ったドロテアさんに腕を解かれたグラームに、俺は甲板を歩いて近づいた。
最後に会ったのは去年の夏になるかならないか頃くらいだったか。背も体格も成長したもので、波飛沫を弾くために装着しているゴーグルも以前見た時のものから新調されている。
「久しぶりと言ったら、グラーム。お前の方がもっと久しいか。どうだ? カラスとクリステラ、上手く馴染めたか?」
「……みんな、ボクよりまともですから。とくにクリスとハウドにはもうさんざん叱られて、港で見送りされる時でも謝るよう言われました。すみません、先輩。恩を仇で返すような真似をして」
「そうでもねーよ。俺も血まみれのマリーお嬢様を見た時は、流血魔術行使したからな。むしろ俺はお前に礼を言いたい」
今の今まで、トンビ女史を完全放置できていたのは、グラームの存在あればこそであった。
全て、グラームが迷宮踏破した時に機転を利かせてくれたおかげである。
「話はもう聞いている。……お前の所持しているヤルダバオートへの要請権利、譲ってくれ」
「わかりました。グラームはヘルマート先輩に対し、迷宮踏破者の権利を譲渡します」
がさついて硬質化した肉球が目立つ手の平をグラームが差し出し、俺はそこに手を置いた。
意識が飛んだ。
目を開くと、カーテンが締め切られた書斎部屋にいた。
セッテフィウミ邸の、ドロテアさんにあてがわれた仕事部屋である。テーブルには薬草茶が入れられたポットと、いつだったか俺が焼いた茶菓子が置かれていた。
なるほど、俺の場合はこういう風景になるか。
「ここは思い出の領域、だそうだな? だからそれぞれ個人ごとに見る風景が変わる。マリーお嬢様やソーニャ様たちから聞いた感じ……この風景は、対象の『帰りたい場所』か?」
『然り』
カーテンを押し退けて、窓から冒涜的な外観をしたモノが這い出てきた。
鬣を生やした雄獅子の頭に、巨大な蛆虫の胴体。話には聞いていたが、実際目にすると実に悪趣味である。
「そんな大切な場所によ、そんな姿で出てくんなよ。配慮ってーもんが欠けてねーか? アトラの方がずっと気ィ使ってくれるぞ」
『然り。故にお前も、アトラも認識者なのだ』
「あー、小難しい話はいいや。俺はもうソーニャ様の話からお前らの、そしてこの世界の仕組みも大体想像がついている。だからとっとと要件を済ませちまおう。俺の願いを言ってもいいか?」
『諾とする』
男のような女のような子どものような老人のような、全く判別がつかない声で蛆虫は端的に答えた。
俺は、三日前から考え、決めきっていた答えを口にした。
「トンビ女史――本名はトルテファーミだったか。あの女性をお前らアルコーンとやらの一員にしろ」
雄獅子の目を見つめ、俺は相手の返答を待たずに畳みかけた。
「お前のその気色と趣味の悪い姿は仮初のモノだとソーニャ様は看破された。お前たちは人間だ。何人だか何億人だか知らねーが、トンビさんもあんな性格だが人間だ。一人くらい増やしたっていいだろ。引き取ってくれ」
『――いいだろう。トルテファーミを今、この思い出の領域に呼び出そう』
俺は書斎机側の椅子を引き、座ることにした。たとえまやかしの部屋と言えど、ここはドロテアさんの仕事部屋であり、この机はドロテアさんの仕事場だ。なんとなくここだけはあの女に絶対に取られたくない。
椅子をテーブル側に向けると、枯草色のぼさぼさの髪の毛に、血と油と脂にまみれた作業着姿のゴツいフレーム眼鏡をかけた、懐かしくもあんまり出会いたくなかった女性が、そこに立っていた。
「よう、もう会いたくなかったぜ、トンビさん」
「わたくしはできれば貴方の奥様を譲っていただけないか、交渉の場を設けたかったですわ、ハゲタカさん」
「嫌に決まってんだろ。ドロテアさんが望む限りはあの女性は俺の女だ。あともうその名前で呼ばないでもらいてーな。アトラだけは別にいいけどよ。どうせあいつバカだから俺の本名ちゃんと覚えねーだろーし」
突然呼び出されただろうに、トンビ女史は全く慌てる素振りも見せず、むしろ待ちわびていたかのような高揚とした余裕の笑みを浮かべていた。
トンビ女史もまた、迷宮踏破の詳細をマリー様たちから聞いたらしい。
ドロテアさんとグラームが乗っている船が攻撃されなかったという点も考えると、おそらく、この女は俺がヤルダバオートに何を願うかもう読んでいた。
頭のイカれた者同士、気が合うところもある。あだ名も奇しくも鳥同士。俺はトンビ女史が苦手だが、トンビ女史の方はドロテアさんを大変評価していたし、俺も仕事人として信用していた節があり、考えを読まれていたところで不思議は無かった。
「トンビさん、あんたの願いは人間の可能性を見る、だったか? そんで寿命やなんやらの問題があって、行き詰まっちまっているとドロテアさんは教えてくれたよ。ならたぶん、お互い悪い話じゃないはずだ。アンタはもうこの世界にいたら迷惑だ。観測者の一員として、俺たちが今後どうなっていくか、手も口も出さずに天から見守ってくれ」
「ハゲタカさんは、お菓子職人になられたと聞きました。去年より、もっと甘さに磨きがかかったようで」
トンビ女史はそう言って、勝手に椅子に座る。彼女が見えている世界はどのようなものなのか俺にはわからないが、俺にはそう見えている。
「全くだぜ。マリーお嬢様には舌がなってないともう言訳不可能に言われているよ。ドロテアさんにはもう諦められているし、メルセリーナ様は理解不可能って完全に線引きされているし。でも甘党のトンビさんなら、納得してくれるだろうと、まぁ、計算尽くでこの願いを考えた」
「お菓子作りもそうして計算したら問題ないのでは?」
「季節や地方の気温とか素材の諸々とかで計算狂うんだよ!」
正直、俺にとっては菓子作りの計算より気流制御魔法の計算の方が楽である。楽というか慣れている。
ドロテアさんがせっかく示してくれた真っ当な生き方と生業だが、俺にはやっぱり魔の法に則る生き方の方が性に合っているのかもしれない。
ただ、そのドロテアさんの仕事部屋に、現実にいるわけではないがそう見えるだけなのだが、そうはわかっていてもトンビ女史が居座っているのが気に喰わなくて、俺は愚痴った。
「大体なぁ、トンビさんがあんな真似してくれなかったら俺だってドロテアさんの夢を叶えたかったよ! 一人一度きりのせっかくの機会、アンタのために潰されて、おかげさまで今まで通りに俺たち夫婦はお先真っ暗な世界と未来で生きていかなくちゃいけなくなったってわけだ」
「好き好んで暗闇の中で生きることを選んだのが、あなた方ではありませんの。実に素晴らしい決断ですわ。かくあれかし、という型の中では生きられぬ人間がいるからこそ、この世には狂気と革新がもたらされるのです。あなた方のような人間がいることに、わたくしは感謝しています」
「まぁその狂気と暗闇の世界を特等席で見下ろせるんだからな。感謝の一つくらいしてくれても、全然割に合わねぇ」
「ならわたくしを殺してしまえば良かったのではないですか?」
「わかりきった質問はやめよーぜ」
俺は肘掛けに腕を預けて天井を見上げる。
「トンビさんを殺すとなると、戦闘になる。戦闘で殺害したのなら、トンビさんの行いに何かしらの正統性があったんじゃないかって誰かが勘繰り出す。勘繰るまでもなく真実しか言ってねーんだから、後ろめたいのは殺した側だ。ただでさえ平人喰いの魔人は受け入れられ辛いんだ。これ以上、不安材料増やしたくねーんだよ。その点、この願いでトンビさんが消えてくれたんなら自主的に辞めたんだなって話に持っていきやすい」
「しかし、魔人と魔法が受け入れられる魔の法に則った世界の方が、より不安と困惑に覆われた世界のように、わたくしには思うのですが。いえ、わたくしとしてはそちらの方が面白いので有難いのですが。ハゲタカさんは、なぜあえてそちらを選ぶのかわたくし、お聞かせきたく存じますわ」
「失われたモノはもう二度と戻らない。俺は不都合な可能性も人間も――自分自身でさえも殺して、誰かの心に埋められない傷痕を残すのは嫌だ。
……俺は叔父さんとは違う。マリーお嬢様も、お嬢様が愛しておられるご家族もソーニャ様も、何より俺のドロテアさんも。アトラのバカやヒヨコどももみんな、そうした傷を負って生きてほしくない」
「その選択が、より大きな傷を負う可能性であったとしても、ですの?」
「ンなもん神のみぞ知る、だ。俺の知ったこっちゃねー」
どうせどんな道を選んだって、道しるべとなるものなんてあやふやで先は見えず、暗い。
俺たちはそんな夜の世界を生きている。
なら、開き直って自分のしたいようにするだけだ。
「トンビさん。アンタは見るだけでもう満足なんだろ?」
「いえいえわたくしとて未練はありますわ。だからこうして最後にこの世界の住人であるハゲタカさんとお話する機会を楽しんでいるつもりですのに、心外ですわ。
そうしたうえでわたくしがこの世界に爪痕を残す機会がこれが最後であるのであれば。ハゲタカさんの先ほどの言葉に反論させていただきたく存じます。
わたくしもまた、失われる可能性の一つですわ。そしてハゲタカさんの――ヘルマートさんの略歴を省みれば、今の貴方は失って負った傷によってこそ可能性を開花させ、ヘルマートに戻ることが出来、わたくしという可能性を消すことを選んだ。これすらも『知ったことではない』と片付けるのですか?」
「ああ。もし今後、トンビさんがいなくなって惜しむ声を聞いたらもちろん俺は責任を感じる。でもそれ以上のことはできない。そして俺の傷は俺とドロテアさんだけのモノだ。トンビさんにどうのこうの言われる筋合いなんかねーよ」
俺は無力で弱い。出来ることも行ける場所も限られている。
だからどうしようもない。これが最善でないやり方だったのだとしても、もっといいやり方があったのではないかと言われても、後悔しても、今この瞬間はこれが俺の望む道だったのだ。だから知ったことではない。
「そろそろいいだろ。俺ァそろそろ現実のこの部屋に帰りてーよ。クラリッサ嬢がまだ居候許してくれるのかどうかは知らねーけど、俺の居場所はもう帝国でもないし、あの事務所でもなくて、とにかくドロテアさんの隣ってことらしい。だから、トルテファーミさん。これで、もうさよならだ」
「やれやれですわね。あなたたちは星を見て夜を歩く。一方でわたくしは、星になりたかっただけのようですわ。……できれば、今後、わたくしという星を導きとして歩む子が現れることを、期待したいですわね」
「しゃーねーなぁ。わーったよ。トンビという名の魔法具技師がどんな女だったのか、ちゃんと記録に残してやるよ。こればっかりは知ったこっちゃねーで済まされないからな」
「うふふ、やっぱり甘いですわね。わたくし、甘党ですので。ヘルマートさんがそうおっしゃるのであれば、安心して、皆さんの行く末を見守りましょう」
そう言って、トンビ女史は手を振ってドアノブに手をかけた。
「それでは、ごきげんよう」
「ああ、さようなら」
今回のサブタイトルは「筋肉少女帯」のアルバム「断罪!断罪!また断罪!!」に収録されている「何処へでも行ける切手」から借用させていただきました。
https://www.youtube.com/watch?v=vNBuC2Vv4BE&pp=ygUe5L2V5Yem44G444Gn44KC6KGM44GR44KL5YiH5omL




