第十二章 2:おしまい
2
先に行った面々に続き、俺も部屋を出るために立席し、ソーニャ様に声をかけた。
「ソーニャ様、まずはユニカ邸で働く使用人や従者の方々に今決まったことを伝えなければいけません。ご一緒していただけたら、助かるのですが」
「ヘルマートは」
席を立って、俺を見上げたソーニャ様は年頃の子どもらしい、心の中で暴れる感情を隠しきれない混乱しきった表情だった。
「かなり、長い間ドロテアと離れ離れになっている。寂しくないの?」
「寂しいというより心配ですね。あの女性おっかないから……」
「お前の方がよほど周りに心配かけている。ドロテアも、平気そうだった。お前たち夫婦はお互いのことより、ずっと、いつでも、他人の私たちや周りのことばかり気にかけている。今だってそう。なんで?」
「マリーお嬢様の暴走を止めようとして止めきれなかったことを悔やむことができるソーニャ様に、もうそれをお教えする必要はないかと思いますが」
「……わからない。私はマリーが一番大事」
「それで構わないんですよ。何度も言いますが、俺たち夫婦は反面教師です。こんな大人になっちゃいけませんよ」
まだ幼いソーニャ様の目から見れば、俺たち夫婦は自分たちのことを投げうってでも世界のために奉仕する大人に見えているのかもしれない。
でも俺は、そんなものより自分の大切なものを大切だと言いきって、守りきれるマリー様たちの方がよほど立派に思える。
俺の動機はいつだって怒りだと、ドロテアさんにいつだか言われたことがある。
そう、俺は怒っている。
魔法帝国を興らせここまで狂わせた三百年も前の人間たちに。
理想郷に浸って三百年も外の世界と向き合わなかった魔人たちに。
互いに銃を向け合って、帝国という敵に怯えて狂乱しようとする世界に。
だから、全員、みんな頭をどつき回して知らしめてやりたい。
馬鹿かお前らは、と。馬鹿ならせめて自覚して馬鹿をやれと。
こんな感情を抱いて生き続けるくらいなら、マリー様と戯れて微笑むソーニャ様たちの在り方の方がよほど尊い。
ソーニャ様は覚ったような諦めたような表情で立ち上がり、俺はヴォスとギィジャルガに手を振って部屋を出た。
すると、このちょっとした会議や茶会のために使われる部屋のドアの傍で、既に目的の人物が控えているのを横目にした。
「従事長殿?」
「旦那様からもマリーお嬢様からも、もしユニカ家の者が全て出払った場合は、ヘルマート様より事情をうかがうよう、言いつけられておりました。一体如何なる事が起こっているのですか?」
額から短めの一本角を生やした五十代ほどのこの男は、ユニカ家分家筋から選ばれた魔人であり、代々本家に仕え続けている家系の長であり、使用人たちを統率する役目を担っている。
ここ数ヶ月、この従事長から畏まった態度を取られ続けているが、どうにも慣れない。家庭教師の時分には声をかけられることすら無かったが、今の俺は帝国の内政を変えるためにユニカ家が抱えた顧問となっているので、本来の爵位を無視して上下関係が逆転してしまっているのだ。
しかしともあれ無駄な手間が省けて助かる。俺は先ほど決まった話を従事長にかいつまんで説明した。
「そういうわけですから、マリーお嬢様の帰りはそう遅くならないかと思われます。行き道は平人一人を連れて神聖皇国まで向かうので、瞬時に帰宅とはならないかと思いますが」
「委細承知しました。私めが屋敷の者にもそう伝えておきましょう。ただ……ヘルマート様、ソーニャ様。お願いしたいことがございます。お時間をいただいてもよろしいですか?」
「俺たちは留守番組なので、できることがあるならお手伝いします」
いくつもある客室の一つに目を向けた従事長は、少し迷いやためらいがあったらしく、言い出しておきながら間を置いて、しかし毅然とした口調で話し始めた。
「今朝方行われたマリーお嬢様とソーニャ様の奮戦の賛辞に来たお客様方に、お待ちしていただいたままなのです。そして、ユニカ家の者が全て出払ったことに、先方はもうお気づきでしょう。お手数ですが、このうえはソーニャ様ご本人と、ヘルマート様と二人で事情説明していただきたく存じます」
「わかりました。緊急事態のため仕方ないですが、礼節を欠いた扱いであることは事実です。ソーニャ様、お願いできますか?」
「マリーの家のためなら……」
口調も目つきも不服そうではあるが、了承はしていただけた。
夏の終わり頃に初めて出会った時に比べて、ソーニャ様はずいぶんと棘が抜けたかわりに気力のようなものも失われたように見える。
無理も無い。咎も無く主人諸共に命を狙われて、望まぬ殺しもしたそうだ。挙句暴走するマリー様を止めるか止めないかの狭間で迷い続けていた心理的負担は察するに余りある。
「ご安心ください。話は俺が片づけます。ソーニャ様は、付き添っていただけるだけで良いので」
「私だって言いたいことがあったら言う」
「……では帝国語ではなく、連邦王国語か共和国語で話すようお願い致しましょうか」
移民船団に乗船するための条件項には、他国言語の習得がある。だから魔人は列強国の言語なら嗜む程度には喋られる者も多い。末端に至っては、外国での活動のためにより精通している。
俺は従事長に案内された部屋のドアを開けた。
客室の席について、めいめい話し合いをする魔人の方々の視線が、一気に俺へと集中する。頭部をじろじろと遠慮なく見る目は『なんだこいつは』という意図が込められた蔑みに満ちたものである。
まぁ慣れている。嫌われ侮られるのは逃げ足と嘘に並ぶ俺の得意分野だ。
「お待たせ致しました皆様方。大変不躾失礼を承知のうえで申し上げますが、たった今帝国に緊急事態が起こっているため、ユニカ家の方々は全て出払っており、内政相談顧問の私、ラガーフォイア家のヘルマートが説明させていただきます」
「お前が最近メルセリーナ様の笠を着て、あちこちで囀っているというスズメか」
ハゲタカと呼ばれていた時期は長かったが、今度はスズメか。つくづく俺のあだ名は鳥に縁があるらしい。
ともあれ帝国語で話しかけてきた、尖った二本角を生やす――電気操作属性家系の――魔人に対し、俺の傍らに入室してきたソーニャ様を紹介するよう手を伸ばす。
「申し訳ありませんが、共和国語か連邦王国語でお話していただけませんか。こちらのマリー様の家族であるソーニャ様は、共和国出身ですので」
「さ、左様でしたか。ソーニャ様、私はボル――」
「黙れ」
俺に話しかけてきた魔人に対し、ソーニャ様は視線だけでもう攻撃用魔法式を相手に突きつけていた。
いやちょっと待て刺々しさが無くなったと思ったのは完全に勘違いだったようだ。この娘やっぱ危険い。
「何を話していたのかは私にはわからない。けど、お前の態度を見ればわかる。ヘルマートは頭のおかしい自殺主義者だけど、私の敬愛する主人が、尊敬する数少ない男だ。嘲るな、侮るな」
「いえ、多少の戯れでありまして」
ばぢっ、とソーニャ様の金色の瞳の目前で小さな放電が起こり、言い訳を口にしかけた魔人は沈黙した。
霊脈が仄暗い励起光を見せ、ソーニャ様は十人はいる伝令たちを見渡した。
「弟子はその師以上ではなく、しもべはその主人以上の者ではない。弟子がその師のようであり、しもべがその主人のようであれば十分である。ヘルマートは、マリーの師だ。私はマリーの家族だ」
「あ、あー。えーとですね。確かに俺はマリーお嬢様の魔法の師ではありますが、それは脇に置いて、緊急事態をお話したいのです。いいですか?」
伝令にいらっしゃった魔人の皆様方は、頷いた。そりゃそうだ。こいつらの仕事は、マリー様とソーニャ様のご機嫌を取って、今後ユニカ家とより一層懇意になれるよう立ち回ることである。
それが逆にソーニャ様を、マリー様が大層可愛がっている家族の機嫌を損ねたのなら、下手をするとこいつらはそれぞれ仕える本家に帰った後、物理的に首が飛ぶ。
「実はですね。帝国中の村や集落で、魔人が平人を喰っていることバラされちゃいました」
「……何?」
「ユニカ家の皆様があなた方を放置して出かけられたのは、そのためです。今すぐ、暴動や混乱を起こしかねない民たちを落ち着かせるため、そしてこの事実を各領主に伝えるために動いているのです」
「待て! なぜ、そんなことが!?」
「とある樹人の仕業ですが、詳細は後に通信魔法で一括で共有しましょう」
一から説明するのは面倒だし、明らかに混乱しているこいつらには今すぐ理解してもらえないだろうし。
俺は、目の前にいる魔人たちを嘲るように唇を吊り上げ、肩をすくめた。
「俺は出生こそラガーフォイア家ですが、末端の、角無しの、出来損ないです。伯爵家に賛辞を伝えに来るあなた方とはもう、比べようもないくらいの屑です。
今回、魔力継承の実態を暴露した人物はある種の化け物みたいな人間です。しかしですね、考えてもみてください。俺たち末端の魔法使いたちは、結託すればいつだってこのような暴露は起こせたんですよ」
いい機会なので、現実を教えてやることにした。
「俺たち末端が、爵位も無い魔法使いたちが、どれだけいるのかあなた方は理解していますか? 任務の成果の良し悪しも気にされず、命懸けで入手した情報の報告書はゴミ箱に捨てられ、一方で外国では魔法使いというだけでいくらでも食っていけるし、巨万の富や名声を得る機会だってあるのが、俺たち出来損ないなんですよ。
今の今まで、このような事態が起こらなかったことがむしろ奇跡なんです」
「な、何を言っている? お前が首謀者なのか?」
「っるっせーなァもう終わってんだよ帝国はよ」
いい加減苛々してきたので、素の口調が出てきた。
「俺たち末端が結託して魔力継承の実態を暴露してこなかった理由はな、結託した時点で本土から刺客が送られて皆殺しにされるかもってェのが怖くてできなかったのが一つだ。
もう一つはな。外国に比べると、この帝国はやっぱり豊かでいい国だって認めざるを得ないからなんだよ。魔力継承がどんなに気っ色悪ィモンだってわかっていても、ガキが身体ァ売って日銭稼いだり、死病と事故と仲良く隣り合わせに穴掘ってはした金貰ったり、そんな日々がお辛くてせっかく手にした金を麻薬に使ってなんもかんも失ったり、治外法権であるのをいいことに好き勝手殺し合いと奪い合いをするクズどもで潤った掃き溜めみてェな街を見てきたりしたらなァ! 平人が平人食うからってなんだってんだよ! 故郷の幸せぶっ壊したくなるくらいにブチギレてイカれた奴は、今までいなかったんだよ!
でももう帝国はお終いだ! このまんまじゃやってけねぇ! お前らは帝国の侵略支配の第一歩にマリーお嬢様が貢献なされたとか考えてやがるんだろうが、ンな次元の話は終わってんだ! 帝国は内側からぶっ壊れてなんとか作り直すしかねぇんだよ!」
「帝国は磐石だ! た、民草どもがどうしようと――」
「その平民サマたちのおかげでメシィ食えているんだろうが! また三百年前の共食い時代に戻りたいのか!? わかったらとっとと家帰って、平民サマと話し合いして決着つけるよう本家に伝えて来い!」
いくら俺が怒鳴り散らしたところで、当たり前だが誰も動かない。突然発狂して吠え出した犬でも見るかのような視線が、俺に集中している。大体合っている。
だが、ソーニャ様がテーブルの中心に、突然放電魔法を解き放った。
「マリーと私は、お前たちが褒めたいらしい戦いをしてきた。でも、平人喰いの悪魔だって言われた。自分の命と引き換えにマリーと私を殺したい人間たちが数え切れないくらいにいた。もうあんなのはたくさん。――まだお前たちが私とマリーに縋る気なら、次はお前らを皆殺しだ」
「それはやりすぎですソーニャ様」
俺は口調を元に戻してから、客人たちを睨み返す。
「けど、いい年こいた大人が顔つっつき合わせてこんな小さい女の子にいつまでも縋ってんじゃねぇってーのだけは同感だ。もう一回言う。帝国存亡の危機だ。民と祖国を守るために、平民サマに文句言われて来い」
「この場に限って、ヘルマートの言葉はマリーの言葉と同じと思え」
戸惑いと逡巡と混乱の空気が部屋の中でない混ぜになっていた。
言われただけで、現実を把握できるはずがない。
だから俺は瞼の上に小さな角を複数生やした――光学属性家系の魔人に目をやった。
「この屋敷の近隣の村や集落の位置くらいは把握しているだろ。観測魔法で確認してみろよ」
何か納得できないような雰囲気を見せながらも、俺が声をかけた魔人は腰に下げていた短い魔法杖を窓に向けて伸ばし、魔法式を放った。
途端、目が見開かれ、絶句する有様が見て取れた。……何が起こっているのか俺もわからないから不安になってきたぞ。
そいつは観測魔法を窓に向けたまま、部屋にいる面々に向かって叫ぶように言った。
「真実だ! ユニカ伯爵様ともあろうお方が、下等人種如きに……膝をついて、頭を垂らしておられる」
途端、ざわめきとどよめきが起こり始めたのを、即座に指と極小の放電魔法を弾いたソーニャ様が沈黙させる。
「わかったら早く行け」
「は、はい」
俺たちは退席する魔人たちに道を譲り、静かになった部屋で、どちらともなしにため息をついた。
ソーニャ様は、吐き捨てるようにうなだれて呟く。
「魔人も所詮人間。塵。特別なのはやっぱりマリーだけ」
「前半には同意しますが、後半は違いますよ。ユニカ家の方々は、ちょっと素直すぎてかえっておかしいですが、ともあれ良い貴族であり魔人です。まさか当主ご本人が謝罪の意を示すとは……」
「……ねえ、ヘルマート」
「なんでしょうか」
不安そうに俺を見上げるソーニャ様は、両手で三角帽子の鍔を握りしめて尋ねてきた。
「さっき、帝国はもう終わりだってお前は言った。……本当なの? マリーの、マリーの帰る家は、ここは……」
「俺が守ってみせます。この命に替えてで……いや、これは駄目でしたか」
「うん」
やれやれ、どんな時でも命を賭け札に使えるという開き直りが、すぐ逃げる臆病者の俺自身を踏み留めさせるモノだったのだが、それは違うモノに置き換えられてしまった。
この世に、己自身の中にさえ絶対不変で確かなモノなど無い。そんなあやふやで掴み所の無い不安定なモノを指針に、俺は重要な決断を下すしかない。
でも、行き当たりばったりでも、俺は俺の大切な人々を守りたい。
とりあえず今はそれでいいだろう。




