第十一章 6:因果
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ぼくが連邦王国の主要都市に中継魔法を送ってから五日間の船旅に加え、家に帰ってからは陛下直々の命令なので一晩休んだ。実にあれから六日間経過したことになる。
この間、船旅での期間は光学操作属性と電気操作属性の魔法使い同士でしか遠隔情報共有ができなかった。船上ではぼくは常に消耗していたし、ソーニャにはまだ情報交換用の電気操作魔法を教えたばかりだったので、船に乗った者たちに情報共有は完全に任せていた。
『大人を頼れ』というお兄ちゃんたちの意見をちゃんと聞いた結果だった。
「でもお兄ちゃん……だからって、これをぼくに黙っていたっていうの?」
「ドロテアさんが瀕死状態になっていたのを俺にだけ伏せられていたのと、事情は同じです。すぐさま教えたところで、今すべきことが果たせなくなるだけ。状況が整ってから報告する。
また、こう言ってはなんですが、マリーお嬢様の観測魔法で盗み聞きできなかったことが、今お知らせする何よりの証左となっています。万全のお嬢様なら情報を勝手に盗んでとうの昔にポール都に向かっていたでしょう」
家族水入らずに割って入るわけにはいかないから、という理由でお兄ちゃんは昨夜ユニカ邸にいなかった。ぼくはそれを素直に信じた。
ところがどうやら、お兄ちゃんはぼくが連れてきた保護した魔法使いたちと情報交換と交渉をしていたらしい。
朝食を終えてから、そろそろ出発しようかと家族みんなで話していたところにお兄ちゃんが報告書を片手に割って入ってきてから、ぼくはようやく陛下の真意を知った。
「ミシェル・グリッター准尉――もう軍籍を剥奪されていましたか――とジラルド子爵は現在、キリール・ピーソーク中佐が率いる混成部隊に追われています。こちらは実質的な戦力はキリールのみで、機動力のあるジラルドと観測能力に優れたミシェル女史がいるので、まず殺害されないでしょう。しかし二人が自分の身を守るために、本来の作戦行動を妨害されていることが問題です。おそらくキリールもそう割り切ったうえでの、必死の強行出撃かと思われます。
問題は、先ほども申し上げましたが、ポール都です。復興途中で政情がやや混乱していたところを、コーディ・ピーソーク大尉に付け込まれたというところですか。現在あの街にまともな市民は残っておらず、武装市民と、コーディとその私兵に占拠された状況です。
連邦王国軍はこの父子を一度は拘束したようなのですが、魔法使いを止める手段なんて延々気絶させるしかないわけですからね。事情聴取しようとしたら、まんまと脱走されて父子揃って暴走しており、どうやら王国軍自体も対処に困っているようです。とくに息子のコーディの方は一刻も早く排除したい状況のようで」
感情を押し殺しているけれど、隠しきれないほどに拳を強く握り締めて怒っているお兄ちゃんの事情説明する声は低く、淀んでいた。
ぼくは真っ先に気になったことをたずねた。
「あの馬鹿父子より、そのピーソーク家の他の人間の状況の方がぼくは知りたいよ。ぼくがさんざん脅しておいたのは、キリールの良心を信じていたからなんだ。家族を守るためなら武器を置くって、もう戦わないって信じていたからだ。あの父子が暴走してしまったら、残された家族は……どうなっているの?」
「ご心配なく。結論から先に言うと無事です。マリーお嬢様の懸念は、キリールの部下であったグリッター女史が真っ先に気づいたので、ジラルドが保護して現在ツェズリ島に向かわせています。
マリーお嬢様がドロテアさんに、例のブローチを渡していたのが効きましたね。ドロテアさんがツェズリ都議長代理の権利を使って、船中でピーソーク一家が不当な扱いをされないよう監視命令を出しましたから」
「……つまり、陛下は、他のことはなんにも気にせず、ぼくとソーニャにポール都で起こした事件の落とし前をつけてこい、っておっしゃっているわけか」
「おそらくは」
お兄ちゃんはそう言ってから、一息ついて、自分の頭をいきなり一発殴りつけた。
「俺は、できればマリーお嬢様と共にポール都について行って、そのコーディとかいうウチの奥さんを殺しかけた挙句にビシニアさんまで捨て駒に使ったド阿呆のこん畜生のクソ野郎をなんとかしてやりてーです。しかし残念ながら、お嬢様とソーニャ様の連携移動魔法に俺を相乗りさせることはできない。翼を使った飛翔魔法ではあまりに時間がかかりすぎる。……つまり、やはり、マリーお嬢様とソーニャ様のお二人のみで、鎮圧に向かってもらうしかありません」
どうしてこんなことになったのか、なんてことはもう聞かなかった。今から目的地に行って本人の口から聞けばいいだけだからだ。
ただ話を聞いていたメルセリーナが立ち上がった。
「わたくしも一緒に――」
「駄目です。メルセリーナ様は、ユニカ家の跡継ぎであり戦闘慣れもしていません。一方でピーソーク父子は爵位や魔力量を無視して魔人殺しという術がいかなるものか、理解しています。対処できるのは、それを体験したことのあるマリーお嬢様とソーニャ様くらいです」
「ジラルド子爵は現場にいるのでしょう!?」
「ジラルド子爵は外の世界を自分の足と目で良く知って、敗北経験も経た魔人です。分を弁えている。こう言ってはなんですが、箱入り娘のメルセリーナ様は、本当の殺し合いの場では、足手まといです」
相変わらずお兄ちゃんは自分から嫌われ役を駆って出る。
肩を震わせるメルセリーナの握り締められた拳に、ぼくは手を置いた。
「メルセリーナ、ぼくはソーニャと行って来る。ぼくの家はここだ。帰って来る場所に、愛する家族がいるのなら、ぼくはちゃんと生きて帰って来る。……お兄ちゃんと違ってね」
二人して、黙った。ただお兄ちゃんには黙ってもらったら困る。
「お兄ちゃんの方がぼくより本当は戦い慣れているし、色々知っているはずだ。弟子のぼくに注意すべきことは?」
「【魔人殺しの矢】には注意してください。あれは樹人の製造品ですが、おそらくもうピーソーク父子はなりふり構っていない。持っていても全くおかしくない。それから……皆殺しの覚悟はしてください」
「いーや、絶対にピーソーク父子は死なせない。ぼくたちをどれだけ怒らせて、どれだけ守るべき王国の民草たちに迷惑をかけたのか、生きて思い知らせてやらないとぼくの気が済まない」
「同感です。ただし命の優先順位は忘れずに。まずご自身とソーニャ様の命が最優先です」
「うんわかった」
わかりきっていることだけれど、改めて家族全員に言い聞かせるためにお兄ちゃんはそう言ったのだろう。
黙って事態を見守っていた、父上と母上、そして縋るような目でぼくを見ていたメルセリーナの額にぼくは口づけして回った。
「じゃっ、すぐ帰って来るから。行くよソーニャ」
「うん」
隣国である共和国との玄関口の一つ、観光都市でもあったポール都は今や惨憺たる有様だった。
賑やかだった市場には血走った目の男たちがわずかにたむろするだけで、街の通りを行く人々などおらず、かき集められた銃器や鈍器にナイフなど、武器になりそうなものなら構わず放り込んだ箱を運ぶ者たちが歩むくらいである。
「ザマァないな。大尉殿」
「そうだな」
占拠したホテルで変わり果てた街を見下ろすコーディを、塹壕コートを室内でも羽織ったままの野卑な言葉使いをする三十代ほどの男が、噛み煙草を口にしたまま話しかけてきた。
返す言葉も無い。つい七日前までコーディは、連邦王国軍の栄えある実験第二魔法小隊の隊長であり、少なくない直属の部下と多くの指揮できる手駒を揃えている、選ばれし俊英軍人だった。
だが、六日前のマリー・リー・ユニカの中継魔法で動揺した軍部に連行され、最悪なことに新月婦刃との契約書の写しがあちこちにばら撒かれていたことで、コーディの独断行為は明るみに出てしまい、今まで築き上げてきた功績も信用も地位も何もかも失った。
今のコーディに付いて来た部下はたったの三名である。他の連中は軍の命令を忠実に守る者が大半で、中には魔人の虚言に惑わされて売国奴と成り果て逃げ出した者たちすらいる。
もっとも最悪な者は、コーディを連行すれば多少の汚点も濯げると考えた元部下たちであった。それなり以上に信頼し重用していた者に裏切られ、銃を向け合うしか無かったことには空しさしか覚えない。
「確たる証拠など何もない。あんな写しはいくらでも捏造できる。魔人の魔法は市井のそれとは次元が違う。全てわかりきっていることだ。この生涯を祖国のために捧げてきた自分と、魔人の魔を用いた虚言。どちらを信じるか理性的な人間であれば自明の理だと考えていたのだがな。人間とはかくも愚かで浅はかだ」
「今更そんなことに気づいたってのかィ? 坊ちゃん大尉様よ」
噛み煙草を室内だというのに躊躇無く吐き捨てた男の口内は、口内炎で真っ赤に爛れていた。麻薬成分もある葉を調合しているので、そんなものを常用していたらこうもなる。
「有り難いことに、人間ってぇ生き物は馬鹿と間抜けと気違いしかいねェんだなこれが。おかげで俺たちみたいな野良犬は細々喰っていけている」
「お前たちのような法も市井も汚す輩を取り締まりきれぬ祖国が、栄えある列強国の筆頭だとはな。なるほど自分の憂国の志も伝わらぬわけだ」
「なるほどさすが坊ちゃんだ。アンタ自身が馬鹿で間抜けで気違いだってェ目の前で言ってやったのに気づかないとは、こいつァ本物だ。大尉サマほど人間らしい人間はそうはいねぇ。いやいや誇っていいぞ」
懐から出した缶から、もうこの男は次の煙草を取り出し噛み始めている。
このような屑と組まざるを得なくなるとは、落ちぶれる所まで落ちぶれることに底など無いらしい。
「連邦王国で上層階級として生まれ育った坊ちゃんに、坊ちゃんのお嫌いなお父上と帝国生まれの俺が授業してやろう。俺ァ大尉殿が真実で殺し屋雇ったのかどーかは知らねー。だがその『ボク何も悪いことしてないもん』ってぇ態度が腹ァ一物抱えているってのァ誰が見てもわかる」
「この身は潔白なれば正々堂々とするべきだろう」
「じゃあちゃんと軍部にいなきゃ駄目じゃあねェか」
「自分の志が理解できぬとあれば、強行も止むを得ぬ」
最早コーディが生涯積み上げてきたモノは全て失われた。残るのはせいぜい小銃と銃剣に百発にも満たない弾丸、いくつかの【矢】、そして培い鍛えた魔法――後は協力関係にある男の秘策だけである。
ならばその全てと利用できるモノ全てを使い、せめてあの悪魔だけでもこの世から消し去らねばならない。コーディはとっくにマリー・リー・ユニカと刺し違える覚悟くらいはできている。
それこそ、新月婦刃に悪魔の従者である魔女の殺害依頼をした時からだ。
マリー・リー・ユニカはおそらく単独戦闘能力や破壊工作能力に関しては最強の魔人だ。だが精神性は幼稚極まる。
ならばペットなどと怖気も走る理由で可愛がっている魔女を殺せば、冷静な判断能力を失って暴走する。その状態でコーディの部隊が迎え撃てば刺し違え覚悟で討てる確証があり、それをするだけの戦略的価値があった。
だが現実はこうである。新月婦刃は殺し屋風情が身を弁えずに何度も『どうせ自分を雇うなら、父の作戦に投入して機を見て討つ方がいい』と言っていたが、魔女と悪魔をいっぺんに相手取るような真似をしたから父は失敗したのだ。一人一人排除せねば勝てるわけがない化け物だというのに。
ようするに、殺し屋の腕を信用した自分の見通しが甘かったのだ。祖国どころか世界の存亡がかかった化け物退治だというのに、その恐ろしさを理解できる者が連邦王国でもあまりにも少なく、動かせる戦力に限りがあり、結果が、この玉砕前提の作戦とも言えないポール都を乗っ取った迎撃である。
「ハハハッ! こいつァいいな。父上様より坊ちゃんの方がよほど魔人に近ェや。魔人同士の殺し合いに立ち会えるたァ、くだらねェ渡世で生き延びてきた価値があるってもンだ」
「自分が平人食いの化け物と同じに見えるとはな。屑の目は節穴か。大体お前は、以前は何か、別の理由で自分に協力すると言っていたではないか。あれは虚言か」
本来なら、このようなヤクザ者と手を組むなど言語道断である。
しかし現実として今のコーディには戦力が無い。毒喰わらば皿まで。使える戦力が多いに越したことはない。
後ろから刺される可能性もあるが、その時はその時だ。どうせ成功などほぼ見込めぬのだから、選択の余地は無い。
「頭堅ェなァ軍人サマは。今ァ言ったのはやり甲斐ってーヤツよ。俺ァユニカ家の澄ました顔した魔人サマが泣き喚いて苦しんで死ぬ様を、万一見れたら御の字ってーだけだ」
下衆が――そう返そうとしたが、最早時間の猶予は無いようだった。
観測魔法を用いずともわかる、巨大な魔力反応が信じられない速度で迫ってきている。
悪魔退治の時間だ。




