第十一章 5:家族会議(後)
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「メルセリーナ。マリーは帰ってきたばかりではないですか。そのような先のことは後で良いでしょう」
「そうだぞメルセリーナ。姉想いのお前らしくもない」
父上と母上はやっぱり気づいていなくて、メルセリーナだけが気づいている。
ぼくを、明らかにメルセリーナは睨みつけてきている。ソーニャに、藍色に染まった瞳を向けている。
だからソーニャを抱き寄せて、ぼくは家族に宣言した。
「ぼくはソーニャを食べない。絶対に殺さない。誰にも傷つけさせない。ソーニャはぼくのものだから、ぼくが好きなようにする」
「……マリー?」
「やっぱり。姉様、魔人の誇りと義務をお忘れになったのですか」
呆ける父上と母上を置いて、ぼくはメルセリーナと対峙した。
「魔人の誇りと義務は、弱い民草たちを守り慈しみ養い共に暮らしてゆくことだ。もしそれを違える魔人がいたとすれば、諌め合うことだ。それが魔の法に則る生き方だ」
「ええその通りです姉様。ですがその魔の法に則る生き方の中に、魔人が魔人で在り続けるために、愛しい者を愛しく想うからこそ、その命を尊び殺めて内に取り込む義務が在ることを、お忘れではありませんか」
「そんな魔の法、ぼくは知ったこっちゃない。そんな法より、ソーニャと一緒に生きていく方がぼくにはずっと大切なんだ!」
誰にも渡すもんかと、ソーニャを抱きしめる。
ソーニャも少し戸惑いがあったけれど、ぼくの身体に腕を絡めてくれた。
「姉様! それは家族との約定を破ることになります!」
「ソーニャもぼくも同意の上で、そうするって決めたんだ」
「姉様が伝統を軽んじ、その行動力を以って数々の事を成してきたこと、始原の魔人をも家族に迎え入れたこと、わたくしは、メルセリーナは尊敬しています。
ですが! いくらなんでも、姉様、それは勝手が過ぎます! 魔人が魔人であるために繋いできたことまでも断ち切るのであれば――姉様、その意味を、理解なさっているのですか?」
メルセリーナが家族だけで話し合いの場を設けてくれたのはこういうことだ。
ぼくの妹は本当に、よくできた跡継ぎだ。自分勝手なぼくと正反対で、責任と家々との繋がり、そしてこれから繋げていくことをよく知っている。
ぼくを守ろうとしてくれているから、今、この場でぼくと姉妹喧嘩を始めてくれたのだ。
「わかっているよ。こんな自分勝手なぼくは魔人じゃないと言われたら、その通りかもしれない。でも後に、未来に、子孫に残すための義務を果たすことを、ぼくは放棄する。婚約相手なんて、勝手に決められたくない。ぼくが好きになる男が見つかるまで、そんなの放り投げる。もし見つかったって、ぼくはぼくが産んだ子どももその子どもも、魔力継承するかどうかは本人に任せたい」
「姉様。そんな勝手がまかり通ってしまえば、帝国は滅びます」
「そうかもね。でも、ぼくはぼくのやりたいようにやる。……できたら、メルセリーナもそうしてもらいたい」
「今更です。わたくしはもう魔力継承を済ませた正式な跡継ぎなのですから……義務を果たさねばなりません」
「でも、ぼくはメルセリーナがいつか産んだ子どもに、父上と母上が食べられるなんて、もう耐えられないんだよ!」
通例で、正式な跡継ぎは祖父母から魔力継承することになっている。
だったら、いつかメルセリーナが結婚して、跡継ぎを産んで、その子がしっかりと育てば――今目の前で、滅多にしない姉妹喧嘩に口を挟まず事態を見守ってくれている父上と母上は、殺される。食べられる。
愛するからこそ愛している者を殺める。それが正しいことだと、ぼくはずっと信じてきた。その行為は尊く、無理に止めようとまではぼくも思わない。
でも、ソーニャと出会って、話し合って、一緒に笑い合って、ぼくは気づいてしまった。
「どんなに言ったって! 愛で取り繕ったって! 死んだ人間とはもうお喋りできないんだ。こうやって、喧嘩することも、間違っているって言われて正すことも、大好きだよって言い合うことも、何もかもできなくなっちゃう! そんなのあんまりだ!」
「わたくしだって、わたくしだってそうしたいです! うらやましい! 姉様をここまで変えることができたソーニャ! わたくしはあなたが憎らしくてうらやましい! わたくしはいつもそう! ヘルマートが姉様を変えられた! ソーニャが姉様を変えられた! 変わっていく姉様は素敵で、わたくしには無いものをたくさん掴み取って、いつまでも変われないわたくしを、いつまでも変わらず愛してくれる! いっそ、いっそ、いっそ姉様が本当に嫡子であれば……」
ユニカ家の、家訓だ。
家族で話し合う時は、誰かが喋っているのを遮らない。喋り終わるまでちゃんと待つ。
だから、ぼくはメルセリーナが涙を零しながら嗚咽に変わっていく言葉の続きを、ただ、黙って、待ち続けた。
父上と母上も目を伏せて、沈黙している。
この家訓は、相手を尊重しすぎるがゆえに、時に重すぎるとユニカ家のみんなは誰もが一度は思い味わうことだ。
「わたくしが、姉様に殺されて、食べられる栄誉を得られたのに」
「……ごめんね、メルセリーナ。いつも自分勝手なお姉ちゃんで」
「そんな姉様だからこそ、わたくしは……姉様を愛していて、許したくなってしまうんです」
メルセリーナは両手で顔を覆い、言葉もなく泣き始めてしまった。
ぼくはどう声をかけたらいいのか、わからない。
父上も母上も、きっとぼくに言いたいことがあるのだろうけれど、メルセリーナが落ち着くのを待って沈黙を保っている。
その時、ソーニャがぼくの身体から腕を解いた。
三角帽子を脱ぎ、ぼくに手渡す。
帽子を受け取ったぼくはソーニャから手を離したことに、ソーニャが立ち上がってから気づいた。
「家族だっていうのなら、この場に居ることを許してくれたのなら、私にも発言権がある。それでいい?」
「うむ。もちろんだ。何かねソーニャ」
現当主として父上は即座にソーニャの言葉に頷いて話を促した。
「私は死にたかった。ううん、今でも死にたい。でもただ死にたいんじゃなくて、生きていて良かったって思いながら死にたい。……マリーに家族に迎え入れてもらえるって言われた時は、最高に愛された上で殺されるんだから、とても素敵な契約だと思った。その日が来るのが待ち遠しかった。
私は魔女。なぜ魔女なのか、今でもよくわかんないけど、とにかく魔女で、呪われていて、私がいるから何もかも悪くて、死ぬべきだと言われた。それなら殺せと思っていたけど、生かさず殺さずの毎日だった。川に身を投げたり、ナイフで首を掻っ切ったり、首を括ったらみんな納得するのかなって考えていた。
でも、そう思いながら教会に通って少しでも呪いや生まれ持った罪を濯ごうとした。村のみんなに受け入れてほしかった。だから色々覚えた。人間は贖えない罪を犯し、主じゃなくて犬でも誰にでもいいから救ってもらいたいだけで、せっかくの救世主を自分たちの手で磔にして、最後の日には皆苦しみもがいて自分の罪と直面しながら滅びる。結局わかったのはそんなことだけだった。
だから、呪った。ずっと呪っている。今も呪い続けている。死ね。滅びろ。塵は塵に。灰は灰に。土は土に。無価値な土くれから生まれた塵は塵に還らなければいけない。
……でもマリーだけは、マリーだけは絶対に、そうじゃない。私はマリーに殺してもらう日が来るまで、人間という塵からマリーを守って、マリーが自分自身で塵から心を守れるようになってもらいたくて、一緒に色んなことを教えて、教えてもらった。
それがマリーをおかしくした呪いだって気づいたのは最近のことだった。もう遅い。私は自分の幸せを、マリーごと自分からいつのまにかぶち壊していた。だからやっぱり、私は呪いの魔女。
なぜなら、もう、私はこの家で、たった今、呪いを唱えている。魔人の、マリーの家族の、私にはよくわからないけど大切な何かを壊す呪いを唱え続けている」
ユニカ家の家訓を守っている以上、ソーニャの言葉を誰も止めない。
こんなに長く話を続けるソーニャは今までぼくは見たことがない。
止められないからソーニャは止まらない。
「さっきから聞いていると伝統だとか、法だとか、決められたことだとか。魔人だって人間。人間は塵。塵が決めたことが塵でないわけがない。
ならいっそ、やっぱり、塵は塵に。塵なりに考えた、灰みたいに吹けば散る理屈で、汚泥みたいな土くれでも捏ねて、その時その時都合良く決めたことで生きる。元々そういう生き物。
だから、メルセリーナだけじゃない。家が守れないだとか、帝国が滅びるだとか、どうでもいい。
――何事も思い患うのはやめなさい。求めているモノに正直になれば、きっと得られる。マリーは、そういう魔人で、私の主人。私を家族に迎え入れてくれた、この世界でたった唯一の、かけがえのない人間」
そう言い終わり、ソーニャはぼくの傍に座り直した。
長かった。
こんなにソーニャがお兄ちゃんみたく多弁を振るうことができるなんて知らなかった。
本当に、ソーニャは毎日、一瞬ごとに違う姿を見せて成長して行く。
ただ
「あのねソーニャ。何事も思い患うなって、そういう魔人だって……まるでぼくが何も考えていない馬鹿みたいじゃないか。結構、いやものすごく悩んで色々とやっているつもりなんだけど?」
「それは知っている。マリーが悩んで苦しんでいるのを見るのは辛い。支えてもあげたい。でもそれはそれとして、マリーはじっとしていられないし我儘だから、私を拾ってくれたし、こうして家族で角を突き合わせて話している。違う?」
「違わない」
さすがソーニャは慧眼の魔女だ。ぼくの反論は認められたうえであっさりと論破された。
クラリッサも言っていたし、帝国までの航行中に聞いた話で思ったけど、確かにぼくは魔法で色々なことが出来すぎてしまう魔人なのだ。適正属性が分散していることは強みになるとお兄ちゃんに教えてもらったのを鍛えた結果、ぼくはちょっと他の魔人には到達できない別の領域に至ってしまった。
それこそ――恐れ多いが、ぼくのような『何でも出来る』魔人が他にいるとしたら、陛下くらいだろう。
何でも出来ることをやった結果の責任は重く、後始末はこのように面倒くさい。
「マリーが……変わるはずだな。これは」
息女たちの話をずっと黙って聞いてくれていた父上が、重苦しい声で言った。
メルセリーナは泣き腫らした目で父上を見上げ、母上は父上の肩に手を置いている。
「ヘルマート君の話を聞く限り、外の世界はずいぶん変わった。それを直に見てきたマリーが変わるのは致し方ない。そのうえ、このソーニャと毎日仲良くしていれば……魔人のしきたりや伝統などに縛られぬのも、納得した。正に、マリーは我儘だからな」
「父上ぇ……」
「良いだろう。少なくとも、マリー。ソーニャはお前の家族だ。好きにしなさい。婚約者も、このお転婆ぶりではな。見つかりそうにない。諦めよう。というかだな、父さんも母さんもお前が家出している間に許婚になるような男を探したのだが、どいつもこいつも腰抜けでな……。もうマリー自身が決めた相手しか、婚姻を望める道は無い」
「それこそソーニャが男の子でしたらまだなんとかなったのですが、家族は同性でなければ迎え入れてはならないという決まりですしね……」
母上が困った口ぶりでとんでもないことを言う。
確かに異性の家族は迎えちゃ駄目だ。理由は簡単で、愛し合いすぎて子どもができちゃうことがあり、そのせいで家系がしっちゃかめっちゃかになった事例があったからだ。
でも誤解はされたくない。
「ぼくはソーニャをそういう風に見てないし、ソーニャもそうだよ」
「うん」
ぼくは、男の子みたいな口ぶりがいつのまにか身に着いてしまったけれど、別に男になりたいわけでもない。というか、寄生干渉魔法で無理をすれば性別は変えられる。反動がものすごいし、やっぱり男になりたいわけじゃないから絶対にやらないだけだ。
だからぼくとソーニャの関係を、主人と家族なのだから食べなきゃいけないとか、そうじゃなければ恋人同士なのだとか、勝手な枠組みに入れてほしくない。誰にもぼくたちのことをわかってもらえなくてもいいけれど、せめて家族にだけは勘違いされてほしくない。
「姉様は……どこを目指して、歩いているのですか?」
泣き止んだメルセリーナはぼくとソーニャを交互に見つめていた。
ぼくは、ちょっと困惑した。
メルセリーナが、本当は跡継ぎという重責にはまだ耐えられないのだとは気づいていた。だからぼくの自分勝手に怒るのも、ぼくのような奔放で無責任なお姉ちゃんこそがかえって跡継ぎにふさわしいと願う気持ちも、泣いてしまった理由も、わかる。
でも、今の質問は、もうメルセリーナは知っているはずだ。
「どこかなんてて決まってないよ。でもそろそろ神聖皇国に行って、クラリッサの故郷の料理をもっと勉強したいかな。でもそこで別に終わるわけじゃなくて、東にも南にも北にも――西は海を越えたら合衆国があるか。まぁ、色んな料理や食べ物を知りたい。ソーニャと一緒に遊び歩きたい。それで、たまにはこうして家に帰って、覚えてきたことを帝国のみんなに教えたい。移民してきた民草たちにも故郷の味っていうのを振る舞ってあげるのもいいね」
「そう、でしたね……素敵で、優しくて、姉様らしい、自由な夢。なら、わたくしは、姉様の帰りを、この家を守ることこそが、務め、ですね」
「いや、メルセリーナ。マリーの話を聞いて気が変わった」
喧嘩をしていた時には口を挟まなかった父上が、メルセリーナの決断に、次期当主である跡継ぎにふさわしい発言に、現当主でありながら異を唱えた。
母上も少し驚いた様子で、父上の顔を見上げている。
周りの様子も意に介さず、父上はメルセリーナに近づいて肩に手を置いた。
「メルセリーナ。今は帝国も揺らいでいる。だからお前の跡継ぎとしてのその決意は、立派で、有り難い。だが、帝国はこのままでは立ち行かないとこの父に教えたのは他ならぬメルセリーナ、お前だ。
一段落つけば、メルセリーナ。お前もマリーとソーニャと一緒に世界を見てきなさい。お前は真面目すぎる。マリーは奔放すぎる。姉妹併せて良き領主に成り得るかと考えていたのだが、それを成すためにはどうやら今までのやり方ではいけないようだ」
「で、ですが、父上」
「父さんも母さんもまだまだ老け込んではおらんぞ? 心配するな。何、どうせもう今まで通りにはいかないのは、メルセリーナとヘルマート君の報告と、マリーの話を聞いて承知した。なら今から数年、メルセリーナが跡継ぎとしてユニカ伯地を治める下積みをするより、マリーと一緒に数年遊んだ方が後々の十年二十年後のためになるだろう。……何より、マリーが暴れるのを、お前なら理屈と力ずくで止められる」
うわぁ、父上いい話をしてくれると思っていたら、最後の最後でやっぱりそう来たか。
でも考えてみればここ数ヶ月でぼくはもう色々やらかしまくっている。勝手にツェズリ島を支配してユニカ伯地の飛び地にしちゃったし、連邦王国に喧嘩を売ったし、ぼくはもっと父上と母上に叱られても仕方ないことばかりやってきたので、信用してもらえなくて当然だ。
それに、悪くない案だ。
「いいよ。一緒に旅に出ようよ、メルセリーナ。メルセリーナさえいれば、三人の連携魔術でもっと安全快適な高速移動だってできるだろうし、痩せ細った土地を肥えさせたり病気や怪我した家畜を治したりして、あちこちの国に恩を売れる。ぼくたち魔人は怖いけど、怖くない所もあるんだって、姉妹で教えてやろう」
「……ドロテア様の、受け売りですね」
そう、気に食わない奴にかえって手を差し伸べて、救ってやるのだ。
ドロテアらしい実に性格の悪い、痛快な案だった。ミシェルもいたく気に入っていたし、ソーニャもちょっと微笑んだりしていた。
世界が帝国と魔人を恐れて剣や弾を向けてくるのなら、ぼくたちはかわりに鋤と鍬でも向けてやる。どうせ本気で死ぬほど戦いたい人間より、明日食べるおイモや麦にありつきたい方が多いのが人間という生き物だ。
「そうと決まったら、さっそく久しぶりに厨房を使わせてもらうよ! 父上、母上、メルセリーナ! ぼくがどれだけ色んな国の料理を知ったか、思い知るといい! さあソーニャも手伝って!」
「マリー、休めって命令されてなかった?」
「ぼくにとっては楽しくお料理してみんなで一緒に美味しくワイワイしている時が最高の憩いなんだからいいの!」
ぼくはソーニャの腕を引っ張って、厨房へと向かっていった。
愛し合う家族と一緒に楽しい団欒を過ごすために、ぼくは戦う。
みんながそんな易しい世界になってくれたのならば、戦わなくたって済むのだけれど。




