第十一章 4:家族会議(前)
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「……今、なんて言ったの?」
連邦王国首都マインステルから帝国までの五日間に及ぶ船旅の中で、結局匿った魔法使いたちは大人しく暮らし、複数隻の船をぼくとソーニャが行き交ってそれぞれ話を聞いていたら平穏に到着した。
そもそも、連邦王国に残って偏見に晒される恐怖心とぼくに下るかの二択で、後者を選んだ人間たちしかいないのだ。諍いや小競り合いは避けられなかったけれど、魔法を使った血を見るような事態にまで至らなかったので当然と言える。
このあたりはぼくだけじゃなく、連邦王国内で有名人だった方々の説得も大きい。ぼくを怒らせず、また体力も魔力も余裕さえあれば航海は安全で美味しい料理を船内に行き届けることができる。一方で、ぼくを怒らせると全てが海の藻屑と化す。これはぼく本人より他人が言う方が効く。
なので、あまりにも遅い船足に――それでも魔法を使っているかこそ強行できた船旅だったのだけれど――次の都市への魔法使い保護へと向かわなければいけないと焦っていたぼくは、帝国に到着するなり港で待ってくれていた妹のメルセリーナが伝えてきた言葉に、思わず二度聞きしたのだ。
メルセリーナは、ぼくの傍らにいるソーニャに何度か視線をやった後、もう一度その青い瞳でぼくを見つめて横笛のような声色を少し震わせて、今度は共和国語で語った。
「陛下が、おっしゃられたのです。『マリー・リー・ユニカは休息を取ってからポール都に向かえ。他の都市には他家の魔人たちを送らせて同胞の保護をさせる』と」
「……陛下が!? たかだか伯爵家の出来損ないのぼく如きに!?」
メルセリーナはもちろんユニカ家の使用人や配下の男爵家の魔人たちを連れて待っていてくれたので、保護した魔法使いの扱いは彼らに任せて、ぼくはさっそく次の都市に向かおうとしていたのだ。
けれど、様子がおかしいメルセリーナに止められて、その理由を聞いたら、こうだったのだ。
周囲でぼくたちの話を聞いていた者たちも唖然としている。ぼく自身同じ気持ちだ。
ぼくのそばでただ一人、事態が上手く呑み込めていないのはソーニャだけだ。彼女は三角帽子を脱いでメルセリーナに少し頭を下げて挨拶をしてから、帽子を被り直して率直に言った。
「陛下って、帝国で一番エラい魔人?」
「そうと言えばそうなんだけど……そんな、生易しいものじゃないよ。正直、伯爵家程度の魔人なんかじゃみだりに陛下のことを口出しすることすら不敬なんだ」
メルセリーナも動悸が少し早まった様子で頷き、ぼくも現実が未だに受け入れられない。
帝国を統べる魔王皇帝陛下。あらゆる魔人の頂点。政治決定におけ最高権力者。このあたりは、ソーニャに言わずとも知れているだろう。
でもぼくはソーニャに、陛下が帝国において、魔人にとっても如何なる存在なのか、そして個人能力も全く教えていない。だからソーニャが冷静なのも仕方ない。
メルセリーナが冷や汗を拭い、帝国本土の北部はるか彼方へと視線をやる。
「……つい、先ほどなのです。莫大な魔力反応があちらから――帝都の方角から向かってきたと思ったら、わたくしの脳内に先ほど姉様に伝えた言葉を、伝言するよう命じられました」
「なんで……妹様に? 直接マリーに言った方が早い」
「あれは寄生干渉魔法で極細の触手を帝都から伸ばし、わたくしを干渉支配したことで伝言したモノです。僭越ながら……同じことを姉様がされてしまっては、体調に影響を及ぼします。陛下は恐れ多くもそれを慮ってくださったのかと」
「……マリーが?」
ソーニャもさすがに陛下の凄まじさの一端が伝わったらしい。
ぼくは珍しい分割属性の魔法使いだけれど、適正が一番高いのはやはり寄生干渉魔法であることは間違いない。そしてぼくの魔力量は子爵級程度である。
一方でメルセリーナはもうお祖父様とお祖母様の魔力継承を終えているので、魔力量で言えば完全な伯爵級だ。平人並みのお兄ちゃんを基準にすると、メルセリーナは五百万人分くらいの魔力量になる。
それくらいが、陛下にとって最低基準なのだ。
「この帝国の領土は、確かに侯爵様や公爵様によって環境維持されている。けれどその土台を全て――国内全てに、常時、一定の熱量操作魔法を張り巡らせて気温維持しているのが、陛下、なんだ。帝国の領土はもう連邦王国全土並みにはなっているんだっけ……」
「ちょっと待って。妹様は寄生干渉魔法で接触されたとおっしゃられた。でもマリーは今、熱量操作魔法を常時使っていると言った。……どういうことなの?」
「陛下に適正属性なんて概念は存在しない。あらゆる属性の魔法をその膨大で莫大で計り知れない魔力で以って永久不変に行使し続けられる御方なんだ。もしかしなくても、今ぼくたちの会話や様子も絶対に観測魔法で陛下はご覧になられている。というか、たぶんかなり前から――様子を見られていたんだと思う。陛下はこの星全土の様子を観測魔法でうかがうことくらい可能だ」
ぼくは帝都に何度か行ったことがある。
そして、陛下がおわす帝城も遠目に見たことがある。
初めて見た時、恐怖で身体が動かなかった。
城全体が陛下の霊脈で覆われていたのだ。
魔力を作り出し貯蔵する肉眼では見えないもう一つの身体とでも言うべき霊脈は、保有魔力量が多ければ多いほど密度が高くなり持ち主の身体に沿って末端霊脈も太くなっていく。
けれど、メルセリーナ自身がそうなのだが、伯爵級くらいにもなるともう発達しすぎた霊脈は持ち主の肉体の中に納まりきらなくなる。メルセリーナの霊脈は、メルセリーナの肉体自身より二回りほど大きい。最早ここまで行くと霊脈というより霊体だ。
つまり、その極致の極点が魔王皇帝陛下なのだ。抑えたうえで、住まわれている城を飲み込むくらいの個人霊脈。そこから生まれる魔力量はもう何人分かどうとかいう次元の話ではない。
「……家に帰ったら、ものすごく叱られることは覚悟していたけど……もう、これは陛下御自身が意志を示すくらいの、帝国の未来を懸けた話になっちゃっていたのか」
「わたくしとヘルマート様、最近ではクラリッサ様も含めて交渉の場を毎日のように設けていたというのもあるかと……。ともかく、陛下直々の御命令です。姉様、お休みになってください……ソーニャとも、一度、ゆっくり……ゆぅっくりと……お話してみたかったですし、家に帰りましょうね?」
「…………マリー、言うことは聞こう?」
ソーニャは船上で何度もぼくに休めと言ってきたけれど、今の言葉は意味が違った。
メルセリーナが怖い。
お兄ちゃんを連れてやって来て、久々に再会した時はこうじゃなかった。
ソーニャを見つめる目の色が尋常じゃない。ただ事じゃない。あらゆる感情の坩堝となっていて、大抵のことは物怖じせずに聖句の一つでも唱えるソーニャが、正に怯えた仔犬のように、あるいは観念したウサギのようにメルセリーナと距離を取っている。
「ソーニャ……今から言っておくけど、覚悟はしておいて。命の保証はするけど、覚悟はしておいて」
「二度」
「うん。じゃあ、メルセリーナ……難しいことは大人に任せて、帰ろうか」
「はい姉様」
実家に帰るのは何年振りくらいだろう。確か二~三年くらいか。
面倒くさいことになるんだろうなぁ……。
果たしてぼくの不安は的中した。
家の玄関で、既に父上と母上はぼくたちの帰りを待っていた。仕事どうしているんだろう。大体ぼくのせいだけど、今遊んでいるような暇は無いくらいにユニカ家はあっちこっちの家々とやりとりして、それらを片付けるのは大変なはずなんだけど。
ぼくとソーニャは連携した飛行魔術を解いて、メルセリーナがぼくたち二人を抱えて玄関前に着地する。すると父上と母上の目は涙ぐんで、ぼくとソーニャを見比べていた。
とっさにぼくはソーニャを庇うために前に出たけれど、駄目だった。母上はぼくごとソーニャを抱きしめてしまった。
「嗚呼! マリー! お帰りなさい! こんなに愛らしくて素晴らしい家族を拾ってくるだなんて! ソーニャ、もうメルセリーナから名前は聞いているわ。私は貴女の主人の母なのですから、貴女も私を母のように想って、接してくれていいのですよ」
「待て待てお前。ソーニャが戸惑っているではないか。だがね、私も同じ気持ちだ。平人から生まれながらにしてその魔力量……本当に、言われていた通りだね。始原の魔人、ソーニャ。さぞマリーに拾われるまで辛い日々を送ってきただろう。でき得ることならば、このユニカ邸を君の家と想ってもらえたら幸いだ」
母上を諌めるようで、父上はいつの間にか片膝を着いてソーニャと視線を合わせ、手を握り締めていた。
ソーニャは先ほどから完全に呆然としている。聡明なソーニャのことだから、頭の中では色々と考えているのだろうけれど、たぶん、これは考えすぎて動けなくなっているヤツだ。一応主人の両親なのだから、立場をよく弁えているソーニャはどう対処したらいいのか迷っているのだろう。
だからぼくはソーニャに目配せして、頷いた。
即座にソーニャは放電魔法を展開し、父上と母上とぼくを丸ごと三人感電させた。
うわー最近喰らってなかったからこの痛くて痺れるのも懐かしい感じがする。
「んなっ?」
「あら、あらら……」
「はい父上と母上も落ち着いて。これはね、ソーニャが照れたりぼくたち魔人の常識は非常識なんだって、諌める時にやる甘噛みみたいなものなの。繊細なのソーニャは。あとソーニャに帝国語は教えてないから、言っていること全く通じてないよ。共和国出身なのソーニャは。連邦王国語も最近は嗜めるようになったけどね」
ぼくは父上と母上をソーニャから押し退けて説明してあげた。
父上は少し縮れた髪の毛を魔法で直毛に戻して共和国語で話し始めた。
「そうか……。ふむ。ソーニャは主人を諌めることができる家族だと確かにマリーは言っていたな。本当に良い出逢いをしたものだ」
「さてソーニャ。先ほどは感極まってごめんなさいね。改めて言いますが、私たちは貴女の主人の両親。この家も貴女の主人の家。始原の魔人たる貴女は外の世界では苦労も多かったでしょうが、私たちを両親、この家を貴女の家と想って、心安らいで受け入れてくれたのなら幸いだわ」
ソーニャは抱擁の勢いでズレた三角帽子を被り直し、金色の瞳に暗いものを宿らせている。
「両親も……家も……嫌い」
「くう……っ」
あー父上が胸を抑えて、母上は目元に手を当てて一緒に泣いちゃった。
ソーニャの目は困惑しかない。一応、ぼくに尋ねてくる。
「正直に言ったら、駄目だった?」
「いや……違うのだ、ソーニャ。始原の魔人たる君の苦難や辛さを、子孫たる我らは伝え聞いているだけなのだ。我々の祖先がどれほどの迫害を受けたのかと、改めて今思い知り……」
「始原の魔人って何?」
始原の魔人については、ソーニャにはあえて教えてこなかった。もう十分以上に辛い生い立ちを送ってきたことをうかがえるソーニャに、重いものを背負わせたくなかったからだ。
けれど実家に帰ってきて、父上と母上がこうも連呼してはいい加減教えないとだめなのだろう。
メルセリーナがソーニャの頬を両手で撫でて、横笛のような声で解説を始める。
「ソーニャ。始原の魔人とは、二つの意味を持っています。
一つは、貴女のような、魔人並みの魔力を持って平人の間から自然発生した者のことを指します。出生確率自体が非常に稀であり、また、貴女は身を以って知っているでしょうが……長く、生きられないのです。理由は、話さずともおわかりでしょう。
もう一つの意味は、それでもなお生き延びて我々の祖先であり帝国を興した、偉大なる先人たちを差して言います。貴女ほどの魔力量を持たずとも、常人より多くの魔力を生来持って生まれてしまったが故に、迫害され助け合い苦難の旅路を往き、そしてこの極北の地を拓いた多くの人々……それこそが始原の魔人であり、貴女は現代に生まれた我らの祖と言えるのです」
「私は私。ちびでそばかす魔女のソーニャ」
「正に、その頑なに魔女だと自称することこそ、貴女が始原の魔人である証拠なのです」
「勝手に決めないで。私はマリーの家族の魔女のソーニャ。私が私を魔女だとするのは私の勝手。いくらマリーの本当の家族でも、勝手は嫌い。全ての人々の右手、あるいは額に刻印を押させ、刻印の無い者は皆売買を許されないようにした。この刻印は、その獣の名、あるいはその名の数字のことである」
父上と母上は呆気に取られていた。聖句は帝国でも一応知られてはいるけれど、ソーニャみたいにたびたび諳んじるような人間はぼくだってソーニャ以外見たことがない。
ただ父上は大きく頷いて、どうやらソーニャのことを父上なりに理解したらしい。
「なるほど。ソーニャは魔人だからとて、無条件に仲間とは思わない。いやそれどころか、主人の家族だからとて、いやいや、主人の間違いすらたしなめるという。――感服した。正にこれこそ家族の在るべき姿だ。マリー、本当に父は嬉しい。この出逢いを導いてくれた、星々に感謝を」
父上は空を仰いで祈りの姿勢を取った。一方で母上は、そんなソーニャも愛らしい様子で頬を撫でている。
そんな中で、メルセリーナは一人、家の中へと向かっていった。
「外でいつまでも立ち話に興じるというのも、貴族的ではありません。ソーニャに我が家を案内したいところですが……姉様たちは旅疲れもあります。客室で話の続きは致しませんか?」
「そうね、メルセリーナ。マリー、改めてお帰りなさい」
「はーい。ただいまー」
ぼくはソーニャと手を繋いで、久しぶりの帰宅をした。
ただ家に帰ってきた感慨より、一応豪邸ではあるウチにソーニャが圧倒されて怯えないかの方が心配だ。いくらここを今日から自分んちだと思っていいと言われても、無理がある。
「ソーニャ、大丈夫?」
「マリーこそ大丈夫? なんだか落ち着きがない」
「なんかここんところソーニャにずっと心配されっぱなしだねぼく。主人として格好がつかないなぁ」
「マリーが私のために無理してくれているのはわかっている。……家に帰ってきた時くらい、ゆっくりしたらいいんじゃない?」
そうしたいんだけど、そうもいかない。
陛下直々に休めと言われたけれど、ぼくが心底安心して家で休むためには、絶対に乗り越えなくちゃいけないことがある。
メルセリーナはたぶんもうそのことに感づいている。だから、逃げ場の無い家の中へと案内したのだ。
客室に入ったぼくたちは、ソファに並んで座った。その向かいのテーブル席に父上と母上が座り、メルセリーナは部屋全体を見渡せる位置に椅子を持ってきて着席する。
使用人がお茶を置いていってから、家族だけの部屋になったところで、案の定メルセリーナは切り出した。
「それで姉様。……ソーニャを、幾つになったら食べる気なのですか?」




