第十一章 3:後悔航海
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船という乗り物はただの乗り物ではない。それは生活空間であり一つの町や街にも比肩し得る社会の営みが行われる場所である。
移民船団という、他国の民を帝国の民に迎え入れる制度が発足してから子爵家以上の魔人には必ず教えられることだった。
多くの人種も文化も民族も言語すらも違う民たちと共に帝国へと向かう船旅は、簡単なものではない。魔法を使ってでも、だ。
本来船旅で真っ先に懸念となるらしい食糧や海流に気候といった問題を、魔人は魔法で解決できる。
海にはたくさんの生き物が暮らしているので、それらを獲って船上で調理し民たちを飢えさせないようにするのはさほど難しいことではない。帝国本土で積み上げた食糧類も寄生干渉魔法と熱量操作魔法を使えば鮮度を保つのは容易であり、そしてそれらの属性魔法は航行の面でも安全を約束してくれる。
逆に言えば、それほどの魔法を扱える魔人が移民船団には幾人も乗せられる。だから船旅について勉強させられるのだ。
ぼくはまぁ、まだ幼いということや性格面に問題有りということで栄えある移民船団の船員魔人として選抜されたことが無かった。
魔人たちの間でのぼくの評価は概ね『短気で我儘、魔人同士との協調性が無い。長所は料理の腕だけ』というモノだった。大体間違っていない。
そんな奴、閉鎖された船という社会の中に放り込めば不和が起きて当然である。ぼくは外の世界に興味があったけれど『それならマリーはもう少し他の魔人と仲良くする努力をしなさい』と父上と母上と今は亡きお祖父様とお祖母様全員に叱られた。
まぁいいもん。それなら勝手に一人で家出してやる。ぼくはそう思って帝国を飛び出した。正に短気で我儘で協調性が無い。
今、ぼくは、船上で、その意味を噛み締めている。
「お前の勝手な言い訳のせいで、僕たちは今――」
「やめなさい! 相手は本物の魔人よ! 私たち全員殺されたっておかしくないんだから!」
「そんな魔人に付き合ってられないから亡命したってのに、せっかく王国で築いてきた生活を全部ドブに捨てられた気持ちがわかるってのか!?」
「魔人の怒りに触れた者の行く末は皆同じ、そっちの方こそわかりきっているでしょう!」
「ならこのまま泣き寝入りしろってのか!」
こんなやりとりが、乗船した人々の間でずっと行われている。
マインステルで保護した魔法使いたちを船に乗せ、帝国へと向けて出航し、しばらくしてから起こったことだ。
厳密には魔法使いではないけれどぼくらが保護すると保証した人々の家族なども混じっているため、小さな子どもの泣き声や老人たちの不満や苦痛を訴える声なんかも観測魔法を使っているのでぼくの耳には入っている。
ぼくは疲れている。
携帯食糧の堅パンでお腹は満たしたけれど、それだけだ。せめて睡眠を取って体力と魔力を回復をしなければいけない。
でもぼくの目の前にいる人々は、そんなことを全く許してくれない殺気立った、余裕の無い、不安と怒りと悲哀に満ちた者たちばかりだった。
朦朧としてきた頭の中では、なんでこいつら皆殺しにしたら駄目なんだっけと考えて、無意識の内に構築していた攻撃用魔法式を慌てて眠気と共に振り払うといったことを、先ほどから何度か繰り返している。
このままじゃ、駄目だ。
「ソーニャ、ごめん。ちょっと今から無茶する」
傍らにいるソーニャに話しかけたものの、ぼくは家族の返答を待たずに脳内に構築した魔法をそのまま脳と肉体内に走らせて起動した。
眠気が一気に吹き飛び、疲労感を感じなくなった。
脳内で分泌される成分を弄り、身体が『休め』と言っているのを無視して無理矢理覚醒状態にしたのだ。
当然、身体にいいわけがない。ドロテアはこの手の肉体強化魔法の法式札を他人用に打てるらしいけれど、あの狂った女ですら『出来たら打ちたくないし、使ってほしくもない』と言うくらいで、ぼくにとって数少ない同意できる意見である。
でも、ぼくはその覚醒魔法を自分自身に行使した。
今使わなければいけない時だと判断したからだ。
外套で身をくるんで座り込んでいたぼくは立ち上がり、纏っていた布をばさりと大仰に払う。
「話を聞こうじゃないか」
「な……なんだ」
「だから、話を聞かせてくれたまえよ。ぼくに、このマリー・リー・ユニカに、連邦王国を混乱させ君たち在野の魔法使いたちに多大な迷惑をかけた魔人に、文句があるんだろう? 言いたいことがあるんじゃないのかい? なら、ぼくは魔人として貴族としてそれを耳に入れる義務がある。
心配しなくてもいい。ぼくは寛大で怖くない魔人だ。例えどれだけの侮蔑罵倒を受けようと、決して君たちを傷つけるような真似はしない。ソーニャも、そうするように。
ただし、君たちが愚かにもぼくに――ましてや無関係な同胞たちやぼくの可愛いソーニャに攻撃しようというのなら、相応の対応はさせてもらう。ぼくがしたいのはあくまで話を聞くことだからね。血が流れるような事態は避けたい。
そして、もう一つ条件がある。話を聞くのは一人ずつ順番に、だ。何、帝国まで到着するには時間があるからその点に関して心配する必要はない。だから――同胞同士、人間同士傷つけあうようなことは止そう。この件の責任者はぼくだ。恨み言は全てぼくが受け止める」
ソーニャがぼくの外套の端を掴んで、首を横に振る。
目前で今まで揉めていた人々は呆然としている。
けれど、さっきぼくに文句を言ってきた青年が進み出てきた。
「話を聞く? 聞いてどうしてくれるっていうんだ。平人食いの化け物め」
「名乗りたまえ」
「は?」
「話は聞くよ。けれど、名前も名乗らない相手の話なんて、聞いたところでぼくは謝辞も保証も約束できない。だから名乗りたまえ」
ソーニャが鞄の中からメモ帳と万年筆を取り出した。
全く、ソーニャはぼくより幼く小さいというのに、この所業に付き合う気なのか。
でも今ぼくはソーニャを叱れない。頼りにするしかない。ぼく自身がいくら話を聞いたところで、魔法で無理に覚醒状態にした今は、記録をしてくれる誰かがいないと忘れてしまう可能性が高い。
先ほどのソーニャの様子を見る限り、ぼくの可愛いソーニャはぼくを心配して、止めろと言外に言ってきたのは理解している。
けれど、今だけは、今回だけは、ぼくのやらかした始末は無茶や無理をしてでもぼく自身がつけなければいけない。
ありがとう、という一言すら魔人であり貴族としての威厳を保つためには言えない現状がもどかしい。
「……僕の名前は、ギュンター。フローレッツェンヅ家の……出来損ないだ」
「ふむ。ギュンターか。申し訳ないけれど、家名を聞いても覚えがない」
「ああ、電気操作属性の下級男爵家だからな。そのうえそこの出来損ないだ。伯爵家のご令嬢様が覚えていらっしゃらなくても仕方ないだろうよ」
「そうだね。で、言いたいことはそういうことじゃないだろう?」
ぼくはぼくに敵意を持つ相手との話し合いを始めた。
「そういうことだ。僕は帝国にいる限り、無能で役立たずだ。だから連邦王国で、発電能力を生かして細々と暮らしていたんだ。発電所と契約するより僕と契約した方が安上がりだからな。魔法式なんてロクに教えられなかった。魔法使いとか言っても、僕にできることは限られていた。それでもそれなりに、飢えずに済んだし勤め先では感謝もされたよ。人間らしい暮らしができた。
でも! マリー・リー・ユニカ! お前の演説魔法を聞いた途端! 工場で働く同僚たちの僕を見る目の色が変わった。怖かったよ。僕はお前たちみたいに強い魔法使いじゃない。もし解雇になったら魔法使いを疑うようになった王国で何処に勤めればいい? 帝国からの亡命者だってバレた僕は身を守る術なんてロクにない! 下手をすれば相手を感電死させてしまう! そんなことになったら本当に犯罪者だ! 僕は……ただ、静かに普通に暮らしたかっただけだったのに」
「そうか。ギュンター。申し訳ないことをした。まぁ、出来損ないって呼ばれるのは腹立たしいよね。ぼくもその点だけはわかるよ。で、話は終わりかい?」
「……終わりだ」
「じゃあ次」
保護した魔法使いの人数は多く、さらに彼らが連れ込んできた身内も含めてしまえば、いちいち何かを約束する余裕はない。ぼくはもう十分以上に、勝手にユニカ家の名前を使って無茶苦茶をしでかしている放蕩娘である。
だから、本当に話を聞くだけだ。覚えておくだけだ。
ぼくたち魔人が今までないがしろにしてきた、末端魔法使いの名前と言い分を。
「次は、私が、リーン・アコナイトが話していいかしら?」
「どうぞ。リーン。君の話を聞かせてくれたまえ」
挙手してきた中年婦人、リーンの話をぼくは聞くことにした。
そんなことを十人も繰り返すうちに、少しずつ船内の喧騒が収まりつつあるのを観測魔法で確認する。
十五人目くらいで、最初に話を聞き始めたギュンターやリーンといった者たちが、気まずそうな表情で順番待ちの列を並ぶ者たちと、ぼく自身に声をかけた。
「今回はこのへんで解散にしないか? いっぺんに聞いてもどうせ頭から抜けていくし、順番待ちしている時間がもったいない」
「私たちは帝国に帰ったらやるべきことを考えなきゃいけないし、家族連れの連中は放っておけないだろ。順番は私たちが話し合って決めて、伯爵令嬢様には次の謁見時間を決めてもらおうじゃない」
「ぼくとしては結構いやかなり疲れているからそれは助かるけど。君たちはそれで納得できるのかい?」
船室に集まっていた人々はぼくの質問に答えず、互いに目配せしあい、安堵とも諦観とも言えないなんとも言えない雰囲気が漂っていた。
一人の、まだ名前も聞いていない、順番待ちの中年紳士が挙手する。
「私は、それが合理的だと受け入れる。それに、私個人の意見だが、マリーお嬢様が意味もなくポール都で暴れたという王国からの発表は、嬢自身の人柄を見て疑問を覚えた。そのせいで何を話せばいいのか、整理がつかなくなってきた。一度頭を冷やしたい」
「うん。なら、一時解散だ。次の時間は、翌朝の朝食を摂ってからにしよう。君たちの建設的な意見に感謝を」
そうぼくが言うと、人々は船室のそれぞれ割り振られた場所に戻っていった。中には別の部屋からやってきた者もいるので、いつの間にか狭苦しくなっていた部屋に余裕が戻ってくる。
なるほど、確かにこれじゃあぼく以外の人間も眠れやしない。
脱力したぼくを、ソーニャが支えてくれた。
「マリー。今日はもう休もう。……今までで一番無理している」
「竜と戦うより、人間と話し合いをする方がしんどいなんてね……。ありがとう、ソーニャ」
ツェズリ島で迷宮を一気に踏破した時は、背中を守り警戒してくれる仲間がいたからぼくは楽も安心もできる時間が得られた。
けれど、今日あの島から飛び立って以来、ぼくを守ってくれているのはソーニャだけだ。そのソーニャをぼくは守らなくちゃいけないので、お互いに心身は限界が近い。
「せっかく作ってくれた時間なんだ。休まなきゃ、ね」
ぼくらように割り当てられたハンモックに飛び乗り、外套をシーツ替わりにして横たわったぼくはソーニャを手招きした。
大人用のハンモックなので、まだ身体が小さなぼくたち二人は無理をすれば一緒に眠ることができなくもない。
それに、こうして一緒に眠るのは毎日のようにしていることだし。
ソーニャはいつものようにぼくの髪に顔を埋めて、いつものように角に口づけした。
「マリー。私は負けない」
「うん……ありがとう」
ソーニャを抱き寄せて頬に口づけすると、睡魔が襲い掛かってきた。
今日は色々なことがありすぎた。




