第十一章 2:SIN リストカット案件
2
連邦王国首都のマインステルに到着してから真っ先にぼくらが行ったことは、実際のところ派手な魔法の行使でも演説でも無かった。
ミシェルの提案通り、船を持ち動かすことのできる魔法使いとの接触と交渉である。
さすがに王国軍の魔法部隊に所属していただけあって、彼女の所持している情報は詳細だった。相手の名前、写真、住所、適正属性と魔力量、簡易な略歴などが書き込まれており、それも一人ではなく五人もいた。
極めつけ、ぼくらがマインステルに移動するまでの時間も無駄にしていないという素晴らしい援助っぷりだった。
最初に接触することにした相手は、クラリッサん家ほどの大手貿易会社では無いものの魔法駆動船舶を何隻か持つ海運会社の女性副社長だった。
けれど会社であるビルディングの中は人払いされており、ぼくらの中継魔法のせいで混乱して詰め寄ってきているらしい市民を、締め切った玄関口で警備員たちが押し留める形になっていた。
ぼくとソーニャはそんな彼らを見下ろして、飛翔魔法を解いて屋上の出入り口から建物の中にお邪魔させていただいたので別に関係は無かったのだが。いやぼくがやらかしたせいなので無関係とか思っちゃ駄目なんだろうけど、市民らが文句を言うなら王国軍やせめて政治家であって、海運会社になぜ殺気立った勢いでやって来るのか理解に苦しむ。
「お待ちしておりました。マリー・リー・ユニカ様」
屋上から観測魔法で社長室らしき開けた部屋に何人か人間がいるのが確認できたので、そちらへ向かうと四、五十代と思しきご婦人がぼくを出迎えてくれた。
どことなくご婦人と雰囲気が似た、少し魔力量の高い青年と女性が一人ずつ傍らにいて、他にも三名ほどの男女がいる。
「我が社の社長である夫は現在、伝手を持つ先生方――政治家の方に事態の詳細を尋ねに出かけております。代理として妻の私が伯爵嬢との話し合いをすることになりました。ご容赦を」
「ぼくとしては、君の方が同じ魔法使いとして話がしやすいよ。それにしても、ずいぶんと手際がいいお出迎えだね? 実に助かる」
「貴女方に協力した光学魔法使いの方に連絡をいただきました。『すぐそちらにマリー・リー・ユニカとその従者が船舶を借りに向かうので、相応の用意をしろ』と」
ミシェルのおかげだろう。
彼女は【鏡影】の送受信どちらも可能で、あの洞穴から首都マインステルまでの距離程度なら自前の光学観測魔法で視るくらいはできるのだという。
だから、首都マインステルでぼくの中継魔法作戦の受信役を担っていた光学魔法使いと魔法で連絡を取ることなんてたやすい。この光の速さで行われる情報のやりとりこそが光学魔法のもっとも恐ろしい所だ。
光学情報――目に視えるモノだけでも、文章ならば詳細に情報伝達が可能だし、光の明滅だけで信号を送ることも可能である。そこに魔法という不自然が加わればやりたい放題だ。
「この歓待の様子を見る限り、船は貸してもらえるっていう話でいいのかな?」
「はい。既に同業者とも連絡をつけており、近隣を航行中の船は呼び戻し停泊中の船は準備中です」
「素晴らしい手際だ。賞賛に値する。君は確か、ヤーレスツァイト伯家の血筋だったかな? 本国に戻ったらぼくが良くするよう口利きしておくことを、約束するよ」
ちなみに最近ぼくはこのようにあっちこっちで恩を売ったり売られたりをしまくっているので、今ソーニャは傍らでメモに走り書きしている。ぼくは貴族として約束したことを忘れるつもりなんて無いのだけれど、ソーニャに『マリーの大丈夫はあんまり大丈夫じゃない』と言われたので、たぶんうっかり忘れていることもあるのだろう。
ただ、ご婦人は残念そうにぼくの約束に対して頭を下げ、傍らにいた若い男女の肩に手を置いた。
そして毅然とした声色でぼくに話しかけてきた。
「それは私の息女と息子に与える保証としてください。私は夫と共に、この首都に残ります」
「……親子で、家族みんなで一緒に行かないのかい? 君にとって、帝国は一度捨てたとはいえ故郷のはずだ」
「いいえ。私の故郷はもはやこの北方諸島連邦王国。夫と共に育ててきた会社と、社員を捨てて逃げることはできません。
マリーお嬢様。もしあの中継魔法に嘘偽りが無ければ、あの場はこのマインステルから遠く離れたツェズリ島での議会場のはず。なのに、あの中継魔法が行われた昼食時からお茶の時間までの現在の間に、お嬢様はこの場にいらっしゃられる。――正に、本当の魔法です。私の常識や学んだ魔法では計り知れない速さと運用方法。本心を打ち明けるならば、未だに現実を受け入れ難い。
誤解を恐れずに申し上げるならば、マリーお嬢様を殺害しようとした軍人のピーソーク殿という方の恐れも理解できます。私は軍事に疎いですが、政治と経済には多少心得があります。それを鑑みれば、マリー様が本気になれば、たった一人の一晩で連邦王国の政治機能を破壊できましょう。
しかし、マリーお嬢様はそれができるのにやらなかった。ですからあの中継魔法で述べたことが真実であり、貴女は本心からこれ以上の血が流れることを厭う方なのだと私は信じることにしました。
それを、第二の故郷である連邦王国に知らせること。これ以上魔人を刺激しないこと。それが帝国で生まれ魔人を知り魔法を学びこの王国の民となった、私にしか歩めぬ最善の道なのです」
立派すぎる。
ぼくは協力してくれた魔法使いたちに音声伝達魔法で聴かれているのも忘れて、ツェズリ島で行った会議でソーニャに謝られて諭され、大人たちに叱られて、泣きべそをかいた。そんな情けない魔人が、マリー・リー・ユニカだ。
後先考えず、腹いせだけが理由でとんでもないことをやらかしてしまった。元々どうせ燻っていた火種なのだから燃えたって構わない、気に食わない奴らはみんな勝手に殺し合えと未だにぼくは思っている。
ぼくがこうして慌てて飛び回っているのは、単にぼく自身の食欲のためである。いくら魔人が美食を大切にする種族と言っても、限度がある。ぼくはあまりにも低俗な理由で今、動いている。
それに比べてこのご婦人の気高さはどうだ。ぼくは自分が恥ずかしくなってきた。
「ご婦人。マリーは貴女を買っている。だからこれを渡しておく」
感動と恥辱のあまり、ぼくはちょっと固まっていたらしい。ソーニャが肩掛け鞄の中から封筒を取り出して、ご婦人に手渡ししていた。
ご婦人のみならず、この場にいる人々に困惑の気配が漂う。
正気に戻ったぼくは封筒の中身を解説した。
「それはコーディ・ピーソーク大尉が、殺し屋にソーニャの殺しを依頼した契約書の写しだ」
「……! そのようなもの、どうやって……」
「殺し屋ご本人が契約書を持っていて、遺書に『自由に使ってくれ』って書いてあったんだよ。だからたくさん写しを印刷して、こうして信頼できると判断した相手には渡しているんだ」
ソーニャはあまり語りたがらないが、回復したドロテアから聞くに殺し屋の寝人に対してずいぶんとソーニャは懐いてしまっていたらしい。ぼくが目を離した隙に仲良くなるなんてちょっと妬ける。
でも現実はぼくがやきもちを焼くような甘さは無く、ソーニャは結局殺したくない殺し屋を殺してしまった。ぼくはソーニャを守れなかった。
ドロテアは『殺し屋は本当に強かった。もしぼくが油断していたら【矢】で殺されていた。結果的には次善』と言っていたけれど、納得できる話ではない。
ともあれ、殺し屋は心底馬鹿馬鹿しいと思う依頼に対して、目いっぱいの嫌がらせを用意していた。
まず依頼内容の曲解。ソーニャを殺すよりぼくを殺す方が戦略的には正しいという現場判断で目標を勝手に変えた。この時点で殺し屋失格のはずなのだけれど、連邦王国の立場として考えればぼくだってそっちの方が良いと思う。ソーニャよりぼくの方が圧倒的に強いけれど、勝算はあったのだから。
そして依頼契約書をしっかりと作成して、遺品の中に入れていたこと。契約書という証拠がある以上、コーディ・ピーソーク大尉は言い逃れができない。
もちろん、大尉も馬鹿ではないのだろうから契約書にはサインしか書かれておらず、捏造だと言い張る余地はある。でもやはりこういうものは有るのと無いのとでは破壊力が違う……とドロテアが言っていた。ぼくにはちょっとよくわかんない。
他にも小難しい書類は色々あったけれど、そういうモノの扱いは全部ドロテアとクラリッサに任せた。そして現在、ぼくらの切り札の一枚になっている。
「持っていると危険だから今すぐ燃やしてくれても構わない。所詮は写し。いくらでも替えはある。動かぬ証拠を私たちが持っているという事実を貴女たちに知ってもらえたらそれで十分」
ソーニャの言葉に応じるかのように封筒を開いて中身の書類を見回しした後、ご婦人は熱量操作魔法で写しを灰にした。
「確かに確認しました。……殺し屋の依頼契約書とは思えない、ふざけた肉球紋付きの意匠。忘れようにも忘れられそうにはありません」
「……うん」
気落ちしたソーニャの声が胸に痛い。
ここまでぼくの可愛いソーニャを傷つけた殺し屋も憎いと言えば憎いけれど、彼女はクラリッサの実家が保護している牙人の子どもたちを人質に取られていることを示唆されたことから、働かざるを得ず、だから嫌がらせのような仕事をしたそうだ。憎まれ口の一つも言えやしないのでなおさらぼくは怒った。怒っている。
でも悪いのは全部依頼人のピーソーク大尉だ。奴はもう絶対に生き地獄を味合わせてやる。軍人としての誇りも信用も捨てた輩には、相応の報いを。ぼくは食欲には負けたけど、復讐もやっぱり諦めていない。
「さて、それじゃあご婦人たちが船の用意をしてくれたのなら、ぼくは君たちが動きやすいようにこの街の市民の皆様に落ち着いてもらうよう、お薬を処方するよ」
ぼくは社長室から退出し、脳内で魔法式を構築しながらソーニャを伴って屋上へと戻った。
眼下を見渡せば、混乱で喧騒に満ちた街はわずかな霧に沈んでいる。好都合だ。
「ソーニャはこういうことしちゃ絶対に駄目だよ」
ぼくは右腕の骨を刃状に変形させ、服の袖を切らないように注意しながら、ぼく自身の左腕を切り飛ばした。
吹き出る鮮血を熱量操作魔法で熱し、気体へと変化させる。さらにくっつけ直した左腕と右腕をコウモリの翼状に構造変化させ、はばたきと気流制御魔法を併用して血煙を街中に薄く広く拡散させた。
喧騒が静まり返っていく。
観測魔法で今まで騒がしくしていた人々を眺めると、薄い薄い紅色の霧を吸い込んだ途端に意識を失い、その場に倒れてゆく様が見えた。
当たり前だけどぼくも貧血の感覚に襲われた。切り飛ばした左腕を治癒魔法でくっつけ治した後には、造血魔法で失血した分を元通りにしている最中なのだけれど、肉体の損傷は補えても失った魔力はすぐには回復せず、魔力切れの感覚は貧血のそれと似ている。
「マリー。……あんまり、気負いすぎないで」
「大丈夫。一割ほど使っただけ。……ちょっと今日は消費の多い魔法を使い続けているから、無理はしているけどね。でも、少し休んだら戻るよ。全然平気」
ぼくのことを心配そうに見上げながら、ソーニャはぼくが携帯できるお菓子として作った煮出した薬草入りの飴玉を差し出し、口の中に入れてくれた。
魔力回復の効果がとくに強いわけじゃないけれど、爽やかな甘みと何よりソーニャの気遣いが元気をくれる。
「流血魔術をあれほどお兄ちゃんに使うなって言っておいて、ぼくが使うハメになるなんてね。……これは、魔力と体力回復を考えると、今日中に中継魔法を飛ばした都市全部を回るなんて絶対に無理だ」
「うん。まずは身体を大事にして。それに、首都を抑えられたならそれだけで今日のところは十分だと思う。『マリーは無責任な魔人じゃない』って証になるから」
今ぼくが使った流血魔術は、血液に催眠作用をもたらす寄生干渉魔法を付与しておいたものだ。
街中に拡げた希釈率で計算した限り、常人ならわずかでもぼくの血を含んだ空気を吸うと昏倒する。けれど、魔力が高めな人間や霊脈制御に慣れた魔法使いなら魔力抵抗によって眠らない程度に調整した。
あとは、眠りに就かなかった彼らへの呼びかけを行えばいい。
「お兄ちゃんの気持ちがわかってきたなぁ。やっちゃったって思ったことは、なんか自分を傷つけると少しだけ楽になる気がする」
「マリー。それは絶対に駄目」
「ぼくもそう思う」
ぼくはぼく自身のために動いている。
でもそれは、ぼくが楽になるためじゃない。ソーニャと一緒に世界を飛び回って、まだ味わったこともない食材や料理を知って、ソーニャの笑顔を少しでも多く見るためだ。
だから、身や命を削ったりなんかしちゃいけない。そんなことで気を紛らわせちゃいけない。
ソーニャを泣かせる奴なんて絶対に許さない。それはぼく自身だって、例外じゃない。
今回のサブタイトルは乙一先生の「GOTH リストカット事件」のパロディです。




