第十一章 贖罪の羊と魔女
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紅みがかった霧に沈んだ街は静寂に満ちていた。
連邦王国首都マインステルは【霧の都】と呼ばれるくらいなので、冬が近づいてきた今、この気象現象自体は珍しくない。
しかし昼日中から、列強国の中でも指折りに繁栄している首都がまるで廃墟か遺跡のように静まり返っているのは明らかにおかしい。
まぁおかしくしたのはぼくなんだけど。
「やぁ世界に名立たる都、マインステルにお住まいの皆様方、ごきげんよう。ぼくの名前はマリー・リー・ユニカ。本日中継魔法で皆様の安寧な暮らしをお邪魔した正真正銘本人だ。お邪魔ついでに観光旅行に足を運んできたよ。
意識ある者は聞くと良い。魔力抵抗が強い者は聞かなければいけない。
ぼくは家族と料理と平穏を愛する怖くない魔人だ。だから、ぼくの訴えによってもし善良たる市民の皆様方が混乱し、暴動を起こし、ましてや傷つけあうなど大変、大変に、ものすんごく大変に不本意なんだ。
だから少々強引だったのは申し訳ないが、ぼくの魔法で市民の皆様方の大半には眠っていただいた。
もしこの魔法で眠らなかった者は、魔法使いか、魔法使いに成り得る素質を持つ者だ。
約束通り、君たちの保護にやって来た。この街から逃げ出したい者は今すぐ身一つでいいから疾く来たまえ。あ、うーん。アレだ。あのおっきな橋のあたりに来たまえ。
残りたい者は残ればいい。強制はしない。ああそれと――」
寄生干渉魔法と電気操作魔法を併用した、ラジオを乗っ取ってぼくの声を遠距離広範囲に気流制御魔法を使って伝える独自に創作開発したいわば演説魔法で、都市中にぼくは呼びかけを行っていた。
けれど観測魔法の恒常起動を切ったわけではない。
橋の真ん中に立つぼくを狙って、小銃を向けていた者がいるなんて準備行動に入った段階で気づいていた。
ぱぁんっ! という発砲音をわざと都市中のラジオを介して伝え、ぼく自身は腕を構造変化魔法によって盾にして銃弾を弾き飛ばし、傍に控えているソーニャが狙撃者に向けて指を向けた。
小銃の弾倉に電熱魔法が加えられ、弾薬が薬莢内で発火し小銃が暴発を起こす。
ぼくはその間に、盾にした腕から触手を伸ばし、発砲した狙撃手の手から小銃を弾き飛ばしていたので、たぶん、無事だろう。多少怪我したところで、ぼくを撃ち殺そうとしてきたのだ。あまり心配する義理はない。
「ぼくを攻撃するのも自由と言えば自由だけど、相応の報いを受ける覚悟で以って挑むことをお薦めする。
言っておくが、ぼくは寛大で怖くない魔人だけれど、弱いとは一言も言っていない。そして有り難いことにこんなぼくに賛同してくれる同志や、愛し合う家族もいる。ぼく一人や仲間を殺せばなんとかなるなどと思っているのなら、それこそぼくの逆鱗に触れる行為であることを知れ。
重ねて言うが、保護しに来たとはいえぼくの下に来るかどうかは君たち一人一人、個人の自由だ。好きにすればいい。
勤勉なるマインステルの市民の皆様にあまり長いお昼寝を強制するのも夜の生活に支障をきたすだろう。待つのは一時間だけ。
では、橋の上で待っているよ」
演説魔法を切り、かわりにぼくは観測魔法の範囲と精度を上げた。
傍に佇むソーニャが、さっき暴発させた小銃を指差している。
「あの銃って、最新式のものじゃない? 眠った警備兵とかから奪ったの?」
「たぶんそうじゃない? ぼくも演説中にそこまでしっかり観測していたわけじゃないから。それにしても、ただの銃や大砲の攻撃は、あれはあれで怖いね。魔法式の展開を見てから対処ってできないから――この待機時間から船に乗せるまでの時間、常に警戒し続けることになる」
「大丈夫、マリーは私が守る」
「ソーニャもぼくが守るよ」
無策で来なくて、ソーニャと一緒に来て本当に良かった。
確かに、大人の言うことには耳を貸すべきだ。全部言うことを聞くつもりなんてさらさらないけれど。
ツェズリ島から出発したぼくたちは鉄骨を魔法の箒とする【砲雷】で連邦王国本土の、キリールが魔法教導官を務める陸軍基地付近にまず移動した。
ジラルドと合流するためである。
「……何が実験ですかマリー様。多少大きなことをなさる覚悟はしていましたが、よもやこれほどとは」
鉱物干渉属性で掘った地下洞穴で、数人の魔法使いを既に保護していたジラルドはぼくを出迎えるなり文句を言った。
この地下洞穴は、計画を建てていた段階で、ジラルドが選出した協力者の鉱物干渉属性の魔法使いと共同して用意していた秘密基地であり緊急避難所である。
キリール自身に直接文句を言うために抱え込んだミシェルは、今回の中継魔法作戦においてもっとも危険な役目を担ってもらうことになった。だからこそもっとも腕利きの光学魔法使いとして彼女を選んだし、そんな優秀な同志を失うわけにもいかないのでぼくが自由に動かせる最高戦力の手駒であるジラルドを付近に待機させて保護させる段取りになっていたのである。もっともぼくはそんなことは全然考えていなくて、全部ソーニャとグラームの発案だ。
「でも音声中継魔法でぼくらの会議は聴いていただろう? ジラルド。ぼくだってやらかしちゃったって気づいたからこうしてやって来たんだ。ともかく、ご苦労だった。そしてたった今からも働いてもらう」
「その意に反するつもりはありません。ただ、貴族と貴族の間で交わす約定において、詐称があったことに私は魔人として屈辱と怒りを覚えているのです。伯爵家であるユニカ家長子のマリー様がいくら子爵家跡継ぎ程度の私より立場も強さも上と言えど、約定は約定。それを違え嘘偽りを述べるなど、言語道断。魔人として恥ずべきことです」
「もっともだジラルド。申し訳なかった。今後このようなことは二度としないと、ユニカ家の名にかけて誓おう」
魔法を下手に使うと魔法式が基地に駐屯している軍人たちに観測されて見つかる可能性があるので、この洞穴の中ではランプで明かりが灯され、ラジオや保存食糧に寝袋などが用意されている。
その真ん中で洒落た外套を羽織って立つジラルドは、声色通り本気で怒っていた。お兄ちゃんたちとは違う理屈での怒りだけど、魔人であり貴族としてのぼくとしてはジラルドの怒りの方が理解しやすい。
確かに、ぼくはいくら格下とはいえジラルドの誇りを踏み躙る行いをした。だから素直に頭を下げることにした。
それを見て納得したのか、ジラルドの寄っていた眉根は少し和らぎ周囲にいる保護してくれた魔法使いたちを腕を広げて示した。
「このように、あらかじめこの地下洞穴の場所を教えていた者たちはこの場にいます。そして、王国軍基地への中継魔法の受信役を担ったミシェル・グリッター准尉が個人的にマリー様とソーニャ様のお二人と話がしたいとのこと。彼女の話を聞いていただけますか」
「許可する。ミシェル、君の勇気と覚悟と協力にまずは礼を。どうもありがとう」
「滅相もございません。ユニカ伯爵様」
暗い洞穴の中で、王国軍服姿のミシェルは地面に膝をつき頭を垂れていた。声色も心拍数も高揚感が混ざっている。
……ちょっと予想外の展開だな。ミシェルが腕利きの魔法兵で――ポール都でキリールの部下として作戦参加していた一人でもあり、それでもなおジラルドは信用できると推奨してきたのでぼくは彼に采配を任せたのだ。
つまり、今の今までミシェル本人と顔を合わせて話す機会がほとんど無かった。正直、単に王国軍で冷遇されるくらいなら古巣に戻るだけの人間なんじゃないかと疑っていた部分もある。
それが、この完全なる平伏した態度だ。
「このたびは――このたびの作戦において、慈愛深きことで高名なユニカ家の、それも本国で雷名を轟かすマリー様にもっとも重要で危険な配置を任されたことは、出来損ないの角無しの私には身に余る光栄。ポール都においての無礼もご容赦いただき、なんと寛大な処置かと……僭越ながら直々に礼と謝辞を述べたかったのです」
「ちょっと。ちょっと待ってミシェル。君――キリールの部下、だよね? いやもちろん今はぼくに協力してくれているのはわかっているんだけど、その……ぼくは君の態度が理解できない」
ミシェルは唇を噛み、苦々しいものを噛むかのようにぼくの質問に答えた。
「私は、祖国を見限るつもりは毛頭ありませんでした。ただ忠実に諜報の任をこなすため、裏切り者の売国奴たるキリールとピーソーク家の監視をしていたのです。
……しかし、キリールと奴が育てた魔法兵たちは大変練度が高く、隙も無く、私自身常に監視下にありました。言い訳でしかありませんが、マリー様の暗殺計画を知らされたのも、決行直前になってからのこと。
キリールが軍で失墜し、私への監視の目が緩やかになった故、ようやく本来の任を果たせる立場に戻れたこと、それを信頼していただけたこと……望外の喜びであります」
「……でも君、グリッター家の出身だよね? ぼくユニカ家の魔人だよ? ちょっと、その、やりすぎだ」
「いいえ! 私はピーソーク家の監視の任についていながら、結局キリールの暴走も、彼奴の愚息であるコーディの卑劣で軍人としての風上にも置けぬ独断も止められず、マリー様たちにお教えできなかった無能者! 本来ならば命をもってしても償いきれぬ失態を犯しながら、そのうえ重用していただけるなど」
「もういい。もうわかったから。今この場に君ほど帝国に忠義を持った、前線を知っている光学魔法使いがいることにぼくはむしろ喜んでいる。下手に動かず機が訪れるまで耐えた君は立派だ」
「なんと勿体無きお言葉……! このミシェル。差し支えなければ生涯ユニカ家に仕えることをここに誓わせていただきます」
「ええ……」
今まで帝国の末端魔法使いや、亡命した魔法使いと少なからずぼくは接触してきたけど、ここまで愛国心――というより魔人に対する忠節に満ちた人間は初めて見た。
諜報員として優秀なのならば、ぼくを油断させるための演技という可能性もある。けれど、軍に観測されることを覚悟でこっそり観測魔法を複数使ってミシェルの様子をうかがってみたところ、どうも本心からの忠義を抱いているらしい。
平民に平伏されるのは慣れている。けれど、仮にも魔法使い――それも他家の者にここまでやられるのなんて、初めてだ。困惑しかない。
そう思って返答に困っていたぼくに気づいたのか、ソーニャが口を開いた。
「貴女は王国の軍人……だった。見た感じ、私たちより十は年上。大人。マリーのラジオを使った魔法で会議内容を聴いていたなら、もうわかっているはず。私たちは強いけど、知識も見通しも甘い。忠節を尽くしたいのなら、まずは行動か知恵で以って示せ」
「ごもっともであります。始原の魔人たるソーニャ様。それならば、まず首都のマインステルを落とす――いえ、失言でありました。ともあれ、王国首都には多くの魔法使いが務めています。彼らの保護、もしくは牽制のためにまずはマインステルの鎮圧に向かうことが良いかと具申致します」
「道理だけど、保護するとなったら船が必要だ。マインステルにはゼメシス河があるからそういう意味じゃ楽だけど、船の略奪までやったらなぁ。ぼくらの正当性が薄れちゃう」
「いえ、幸いと言うべきか、ジラルド様のように魔法を船の動力とすることで糧を得ている魔法使いがあの都市には幾人もいます。中でも私有船を所有している者がいるので、彼らを現地で協力させられたのなら略奪は避けられるでしょう。こちらがその者たちの名簿と住所になります」
「用意がいいじゃないか。もう作戦立案済みというわけだね」
ミシェルが恭しい態度で差し出してきた書面をぼくは受け取り、さっと目を通してソーニャに預けた。
ぼくはジラルドに視線をやる。
「よし、じゃあここもいつまでも安全というわけにはいかないし、もし船の持ち主が協力を拒めば、ぼくらは強制できない。ジラルドはここにいる者たちを連れて、君の船でマインステルに向かってくれ。ぼくら二人は先行する」
「承りました」
「それと、急いだ方がいいのはわかっているんだけど、ミシェル・グリッター。ちょっと君に質問がある」
ポール都で殺されかけた時、ぼくはこの女魔法兵の持つ小銃を暴発させて退けた。観測魔法で顔も霊脈も確認しており、負傷した彼女は他の魔法兵と違って自分の傷の手当に専念して動く様子が無かったので放置していただけだ。
今思えば彼女は格好だけ作戦参加しているのみで小銃でぼくを狙撃できる位置にいなかった。だからまぁ、そういう点でも信用していい材料にはなっている。
「こういうのもなんだけど、君が帝国にそこまで熱く忠誠心を抱く理由がちょっとわからない。ぼくたちの祖国は君のような末端に見限られても、仕方ないところもある」
「何処の列強国も、繁栄は弱者への虐げと搾取と略奪によって成り立っています」
「まぁ、そういう者たちを移民船団でぼくら帝国は自国の民にしたわけだしね」
ミシェルの言葉は多くの魔人の共通認識であり、だから魔人は自分たち以外の人種を下等人種と見下している。ぼくもついさっき『言わない』と決めただけで、心の中では見下している部分も変わらずある。
魔人の心境はどうあれ、結果的に帝国は弱者救済の受け入れ国として機能している部分が少なからずあり、列強国はそうした労働者たちを奪い取られて帝国が目障りなのだという認識もぼくたちは自覚している。
でも魔人であるぼくとミシェルの意見は違うようだった。
「私は連邦王国に限らず、いくつかの国々を見てきました。正に百聞は一見に如かず。帝国がどれだけ豊かな国であるか――そして、それが列強国のような弱者の犠牲の下ではなく圧倒的強者である貴族である魔人様たちの犠牲により成り立っていることに、感銘と憤りを覚えているのです。
手段も犠牲も厭わぬことでしか繁栄できぬというのであれば、それは少数の高潔な者が覚悟を以って行うべきこと。そして、でき得るならば避けるべきこと。私は――ずっと、マリー様のような帝国を内から変え得る高潔な魔人が現れることを願っていました」
「ぼくは単にソーニャと好き勝手に生きたいだけでそんなに大したもんじゃないよ。ミシェルの求めている魔人は妹のメルセリーナとお兄ちゃんの方が近い」
「はい、マリー様の魔法によって会議はこの場で私も拝聴させていただきました。……私の理想はあの場にこそありました。人種、肩書、上下関係。そのようなモノにとらわれず、憎むべき敵であろうと自分のために手を差し伸べる。それを即座に実行するマリー様たちにこそ私は奉仕したいのです」
「そういうことならぼくはまぁ……一応みんなの代表ってことになるんだろうなぁ」
でもなんだろう、この違和感。ミシェルが向けるぼくへの視線の熱と色は覚えがある。
書面を畳んでポケットの中にしまったソーニャが、三角帽子の鍔を上げて金色の瞳でミシェルを見下ろした。
「……マリーは私の主人。お前のじゃない」
「存じ上げております、ソーニャ様。私の主人は今も変わらずただ一人、あの方だけ。もうこの世に骨一片足りとて残っておらずとも、あの方の夢と優しさに応えることが、家族でありながら生き残った私の役目なのです」
「ならいい。……ごめんなさい」
なるほど。
お兄ちゃんみたいな、平人並み付近の魔力しか持たずに生まれた貴族家の出来損ないは、時には家族として他家の魔人に迎え入れられることがある。魔力継承の実態を知っていることや、忠誠心などが好まれるそうだ。
けれど、家族を食べる前に主人たる魔人が、他の魔人に魔力継承されてしまうこともある。そうした場合、残された家族の扱いは主人の意向が尊重される場合が多い。
……ぼく以外にも、家族を結局殺せなかった魔人は少なからずいる。
「わかったよミシェル。色々疑ってごめん」
「いえ、お構いなく。王国軍の数々の狼藉、救ってやることで意趣返しとする。そのためならば、いくらでもこの身を使ってください」
「そういうの重いからやめて」
ぼくがソーニャを食べられなくなった原因の一つが、ミシェルと話していてわかった。
ソーニャはぼくを支えて、たしなめて、守ってもくれる。
それを超克してでもこの手で殺して食べることこそが愛情であり約束であり魔人の義務であり誇りであると思っていたけれど、ソーニャ自身に約束を破ってもいいと言われた途端にぼくは全部放り投げることができた。とっても嬉しかった。
みんなぼくのことを強いと言うけれど、そんなことはない。ぼくは割と泣き虫だし、友達だってクラリッサが初めてなくらいに、人間が怖い。怖いから魔法の技を磨いたけど心は弱いままで出来損ないの自分勝手な性格は変えられなかった。
ソーニャはそんなぼくをちゃんと理解してくれている。だから自分の身やぼくだけでなくお兄ちゃんやドロテアも守ってくれる。ぼくの大切な人間が誰なのか、ぼく自身以上に見抜いているのがソーニャだ。
そんな愛らしい慧眼の魔女たるソーニャを、殺せるわけがない。だってぼくは自分勝手な我儘箱入り娘だもん。
「じゃあ行こうかソーニャ」
「うん」




