第十章 終:あなたにはなれない
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「トンビさん」
「はい?」
わたしたちのやりとりに興味など無いらしく、勝手に適当な椅子に座ってまどろんでいたトンビさんに声をかけると、彼女は議長室ではっきりと目を覚ました。
「ズゥクジャーンさんは、もうこの都議庁の玄関に到着していらっしゃって、状況説明を求める方々を諌める役割についてくださっています」
「説明されなくても、把握しておりますわ。ちなみにウーヤー・ジウクゥシン君も気配を殺しているだけで、ずっとわたくしを見張っておりますわよ」
「……それって、もしかしてカラス君の本名ですか?」
東方系の平人らしき名前だということしか判断材料は無かったのだが、トンビさんは頷いた。
「彼をハゲタカさんに紹介されて一年も経過しておりますのよ? 元々生国では有名な悪童。わたくしが調べてないとでも?」
「そうですね。……正直なところを言いましょう。わたしは貴女の扱いに困っています」
カラス君が見張ってくれていたというのは心強いけれど、それでもまだわたしの不安は消えていない。
この女性は危険すぎる。
はっきり言って、殺したい。けれど、状況がよろしくない。
今仮にこの場で交戦を開始すると、カラス君はすぐに――それこそわたしより速く先制攻撃を仕掛けられるだろう。でも、この都議庁で働いている、この島の政治中枢を担っている方々を巻き込むことになる。少なくとも今この部屋にいるマリーちゃんの協力者の何人かは人質に取られてもおかしくない。
マリーちゃんは常に観測系魔法を展開し続けており、退出したばかりの今交戦すれば状況を把握して帰って来る可能性が高い。彼女たちにはこんなことに構ってもらう暇は無い。
材料は少ないけど、交渉――というよりお願いをするしかないか。
「トンビさんは、人間の可能性を見たいとおっしゃっていました。ギィジャルガさんも同じようなことを言っていましたが、明らかに種類が違います。貴女は正負どちらの可能性も見たい。違いますか?」
「ふむ。正負? プラスとマイナス? お金に関してなら、まぁわたくしも理解できます。しかし、わたくしにとって可能性を正負どちらかに分けて、どちらかを善悪に定義するという考え方は理解不可能なのですわ。
東方の考え方ではプラスの中にもマイナスの要素があり、その逆もまた然り。正負に善悪は無く、ただただこの宇宙はそうあるというだけのこと。わたくしはこちらの考え方を支持します。
よって、ドロテアさんたちが慌てふためいて止めようとなさっている戦火も戦禍の可能性も、わたくしには人間の可能性の一つとしてしか受け止められません。何が悪いのですか? 今やわたくしたちの生活に便利な缶詰は、元々軍が長期遠征用の糧食として開発したものです。大砲や銃身は火薬の反動に耐え得るために金属の加工技術を上げました。戦禍は巡り巡って市井の生活も豊かにし、教訓までも与えてくれる。
わたくしから言わせていただければ。人間とは相食み殺し合うことこそが本性の獣。その欲求を無理に長く抑えつければ抑えつけるほど、反動は大きくなります。ドロテアさんたちのなさっていることは撥条の力を蓄えるだけに過ぎません。ですから、機会があるのならば、ぱーっ! と気楽に明るく殺し合えば良いのです。かくも人間とは素晴らしい生き物ですわ」
困ったな。
全くもってその通りだとしかわたしにも思えない。
唯一反論できるところがあるとすれば、あまり素晴らしい生き物だと思えず、ただただそういう動物なのだと諦観するのがわたしの感想でしかない。
わたしも技術屋だ。なら、その視点でお話をしよう。
「なら、トンビさんが持つ技術を誰かに提供してしまえば、かえってトンビさんが見たいという可能性を狭めるかもしれませんよ?」
「なるほど確かに。わたくしの天才的技術で造りだした魔法具は強力すぎます。かえってわたくしの創造性を妨げるほどの力を、提供者側に与えてしまう。ごもっともと認めるところですわ」
「結局、トンビさんが造った魔法具にほとんど頼らず、マリーちゃんたちは迷宮踏破しちゃいましたしね。トンビさんの今までの半生は、無駄でしたね」
「無駄なものですか。それこそ人間の持つ可能性なのですわ。マリーお嬢様やあなたの旦那様のヘルマートさんの生い立ちはご存知かしら? 魔女と自称し続ける始原の魔人たるソーニャ嬢も変わりありません。彼女彼らは生まれ持った力が、生まれ落ちた地では弱いか強すぎるか異質かで人間として不当に扱われ、だからこそ開花した異能です。実に素晴らしい。
わたくしは自ら磨き抜いてきたわたくし自身の技術屋としての力で、貴女方に関わることができました。あの迷宮の深奥に何があるのかこの目で見ることは叶わなくともお話を聞くことができました。実験検証としては十分ですわ。満足行く結果です」
「ではこのあたりで満足して、大人しくしていただけたら嬉しいのですが」
「そうですわねぇ」
会話をしてから、トンビさんは初めて悩むように口元に手を当てた。
「次の実験検証をしたいのですが、わたくしもそろそろ弟子や後継者にあたる者を育てて、次代にわたくしの技術や検証結果を残さねば、託さねばならない年齢になりつつありますわ」
「わたしは自分の持つ技術の大半はお墓の中に持っていきたいので、考え方が正反対ですね」
「そう、そこが悩み所なのです。ドロテアさんは才覚だけならわたくしの後継者に相応しい。でも性格が沿ぐわない。大変無念で残念なことです。わたくしばかり問いかけられるのは不平等というもの。わたくしの質問にもお答えいただきたく存じますわ。ドロテアさんは、なぜ高い技術屋としての才覚を持ちながら、利他と自滅の道を選ぶのですか? 贖罪とかいう概念のつもりなのですか?」
トンビさんは、どういうわけかわたしたちの過去についてはもう全部調べきっているようだ。
話が省けて楽なので助かる。
「わたしの持つ技術は危険です」
「危険? 危険とはどういうことですか? 力は制御すればいいだけのこと。無制御の力はそれはそれで新たな可能性を提示することもあります」
「わたしはそう楽観的にはなれません。まぁわたしの旦那様があんなに悲観的な性格でなかったなら、わたしも同調できたかもしれませんが……」
「どういうことですの?」
「わたしはあまり自分というものが無いんです。意思薄弱。流されるがまま。他人の言うことを聞く。目指すは善良なる小市民。誰かの都合の良い人形。それがドロテアです」
トンビさんはますます困惑したようで、首を傾げる。
「そこまで己を強固に定義している人間は、意思薄弱とは言えませんわ」
「そうなんでしょうか。どうなんでしょう。ともあれ、わたしは甘い甘いヘルマートさんの妻です。あの旦那様の理想の伴侶となることこそがわたしの理想。よって、トンビさんとは色々対立せざるを得ないのです」
「ふむ。…………――――。
ああ、わかりましたわ。わたくしが人間全てを愛しているのと同じように、ドロテアさんはハゲタカさん個人を愛している。それに殉じている。ただ対象が違うだけの話ですのね」
トンビさんが熟考の末に到達した結論は、そういうことらしい。
困ったことにトンビさんの理屈がわたしには理解できてしまった。
ともあれ。
「トンビさんは弟子や後継者が欲しいんですよね?」
「アテがあるのならご紹介していだけると嬉しいですわね」
「いえ、トンビさんは樹人じゃないですか。【森】に帰ってしまえばいいだけの話じゃないんですか?」
樹人は植物に対しての寄生干渉魔法に特化した種族だとわたしは考えている。
生まれ育った【森】の樹木と一体化し、記憶や魔力や霊脈を植物を通じて一つの土地に留める文化が彼らにはあり、このため生まれ育った【森】からは出ない排他的な種族になってしまったのが樹人だ。
大陸――とくに連邦王国では交流や交易が多少なりとも行われているし、平人知れず寝人とは交友関係であったようだけれども、とにかく。
トンビさんは平人の社会に紛れ込んでいた樹人なのだから、【森】に記憶を託せばそれだけで彼女の望みは果たされるはずである。
「平人のドロテアさんに樹人が【森】と接続する感覚は、理解し難いのでしょうね」
トンビさんは、天井を見上げた。
「『わたくし』が希薄になるのです。膨大な祖霊たちと同族たちの情報に呑み込まれ『わたくし』が【森】になる。そうなってしまえば、技術屋トンビの技術は残れどこの世に魔法具技師トンビはいなくなる。それが嫌で、わたくし【森】を飛び出しましたの」
「根っからの冒険者ですね。自我と好奇心がとても強くて、わたしとは正反対」
「自我の強さはドロテアさんには敵いませんわ。しかしわたくしもやはりそういう意味では冒険者の多くと同じ。故郷の【森】はこの島にありすぐにでも帰れますが、【森】はもはや異端のわたくしを受け入れるつもりはないようですの。わたくしの技術や知識は彼らにとってもはや毒、穢れ、忌まわしきモノ。かくなるうえは寿命を延ばす技術を模索するべきか、技術や知識を十全に継承する技術を開発すべきか」
「できればその研究に今後は執心していただき、人間の可能性の追求とやらは辞めていただきたいのですが」
「……理屈で言えばドロテアさんのおっしゃることは正しいと、わたくしもわかっているのですが」
トンビさんらしくもなく、悩むように天井を見上げ続けている。
「仮にわたくしの寿命延長や、知識保全の技術が完成したとしましょう。でも前者では、どこまでもわたくし一人。いくらわたくしが天才と言えど、百年二百年と研究し続ければ、きっと柔軟な発想は失われる。そして知識保全に関しては、これは継承する相手がどのような方か、どのように世界が変わっていくのか観測できない。どうにもつまらない。この二つを組み合わせれば思い通りになるのかもしれませんが……それならば結局、今すぐ弟子や後継者を探したくなるのです。この気持ちは、いったいなんなのでしょう?」
「寂しいんでしょう」
わたしは即答した。
「わたしたちは、トンビさんも含めて『かくあれかし』という生まれた社会の枠組みから望んで外れて暗闇を歩んでいます。その道のりは、一人ではあまりにも寂しく不安です。トンビさんは今までは明確な目的がありました。でも今は漠然とした目的しかありません。だから今さら弟子が欲しくなった。あなたは導きの星を見失った暗夜の旅人です」
ソーニャちゃんがした『太陽は嫌いで、暗闇も怖いけど、主人となら一緒に歩いていける』という話はトンビさんも耳にしていたはずだ。
わたしも同じ気持ちだ。例えどれほど謗られ恥知らずと罵られようと、わたしの旦那様が本心から望むことのためならお先真っ暗でもあがいてみせようという気力が湧いてくる。
トンビさんは迷宮踏破という半生を費やして見た夢を叶えてしまい、今は明確な終点が無い目標を掲げてしまった。それは内心不安の種も根づくだろう。
わたしはその種に毒でも肥料でも与えて、彼女の心を引き裂き、この舌だけで彼女を殺してみせる。
「トンビさんのことを理解できる人間なんてこの世にはいません。後継者探しは諦めて、今まで通りご自分のためだけに研究をし続ければいい」
「あら心外ですわ。わたくしは人類全体のことを思って研究をしているというのに」
「それをただの自己満足というのです。わたしと何も変わらない」
「なぜこうも、期待しているドロテアさんに限って致命的なところでズレてしまうのでしょうか」
「違いを認めて、それでも一緒に歩いていくのがわたしたちです。違っていることに諦めて足を止めるのなら、トンビさんはもうトンビですらない。翼がもげた荒野に植わる枯れ行く朽木です」
「そうですの。では、助言と忠言、有り難く受け取らせていただき、ここはお暇させていただきましょう」
トンビさんは立ち上がって議会室の出口に向かっていった。
逃げるか。
できれば、ここで心を折っておきたかったのだが。
だが今暴れられてもそれはそれで困る。逃げるというより、わたしたちは見逃されたと言っていい。
最後に一言、わたしはあがく。
「トンビさんがもう研究は辞めて、わたしを弟子として後継者として育てることだけに専念してくれたのなら、お互い良い関係を築き上げられると思うのですが」
「いえ、今のお言葉でわたくし確信致しましたの。違っていることを認めて歩みを止めないというのなら、わたくしは対立することで違いを認めて歩み続けますわ。それではまた遭う日まで。ごきげんよう」
トンビさんが部屋から出て行くのとすれ違って、カラス君が議会室に入ってきてわたしに話しかけた。
「追わぬ。何故?」
「わたしも、自分勝手だからね。――例えこの場で犠牲が出て失敗してしまうかもしれないとしても、死に物狂いでトンビさんを止めた方が正解なのかもしれない。でも、万全を整えた彼女と対立したなら、もっと大勢の人間が巻き添えになったとしても、わたしとトンビさんは満足するはずだから」
「……肯定。本気の死合、此に勝るもの無し」
そういうつもりじゃなかったのだけれど、そういうことでいいのかもしれない。
さあ、ならわたしはわたしにしかできないことを始めなくちゃ。
今回のサブタイトルは「椎乃味醂」氏の楽曲「あなたにはなれない」から借用させていただきました。
https://www.youtube.com/watch?v=_O0h2WqEFjo&t=0s




