外譚 スーサイドパレヱド
1
気がつくと、私たちは地面を踏みしめていた。
右手には主人であるマリーの握り慣れた手の感触がある。
視界が拓けていて、目の前にはコンクリート製の大きな建物があって、武装や荷物をまとめた人々がまばらにいて、私たちを凝視している。
既視感。
確か、マリーと一緒にこの冒険者の島という場所に降り立った時も、同じ場所で同じような視線を浴びた。
いや、そもそもマリーと私は共に目立つ格好をしている。いつだって恐れと好奇の視線を浴びている。
ただ、今日この時に限っては、私たち二人だけじゃなく、周囲一帯が注目されていた。
「あー……。どーもこりゃあ、地上に帰ってきたってーことで、いいのかよう?」
「そうダナ。久しく浴ビテおらヌ太陽の明カリダ」
さっきまで――マリーに拾われて保護されたホテルの一室で雄獅子の頭をした巨大な蛆虫と話をしていたはずなのだけれど、その場にはいなかった、迷宮最深層に入るのを拒んだはずの鱗人、リィズズグまでもが、なぜか、迷宮の入り口へと私たちと一緒に立っていた。
少し顎を引きつらせて、立ち耳を落ち着きなくパタパタさせて、ハウドが周囲に視線をやり、頭を掻いた。
「……もしかしてオレら、いきなりここに現れたみたいに、見えている?」
「…………おう」
抜き身の大剣を肩に担いだ平人の男が、呆気に取られながらもハウドの言葉に頷いた。
帰り道の心配は不要だったらしい。あとはホテルに戻って、アトラがせっかく願ってくれたドロテアの様子を見に行けば――
『遺跡は踏破された』
男とも女とも子どもとも老人ともつかない声。
さっきまで会話していた、あの蛆虫の声。
そうだ、マリーの願いが、たった今、約束通りに成就されようとしているのだ。
空を見上げる。
そこには、蛇のとぐろを巻いた雄獅子の頭の紋章が浮かび上がっていた。
『マリー・リー・ユニカ。ソーニャ。アトラ。ハウド。グラーム。クリステラ。カラス。そして彼らを引き合わせたハゲタカ。
この者たちの足により、遺跡は踏破された。
証を残す』
紋章はぼんやりと消えていった。
太陽が燦々と私たちを照らしていた。
静寂が訪れていた。
いや、ギルド本部という建物からは逆に喧騒が聞こえ、こちらへと殺到してきて、入り口から何十人もの人種も格好も様々な人々が湧き出て来る。
その時、右手に握っていたマリーの手の感触が、私を抱き寄せるモノへと変わった。
マリーは手にしていたブローチを掲げ、気流操作魔法を展開しその声を大きく広く周囲へ響き渡らせるようにして、口を開いた。
とても、楽しげな声だった。
「ごきげんよう、冒険者とやらの皆様方。お聞きのようだね。
そう! たった今! 君たちが三十余年の年月を重ねて挑んできた遺跡は、ぼくたちが、踏破した!
ぼくの名前はマリー・リー・ユニカ。魔法帝国ユニカ伯爵家長子の、魔人だ。
ギルド職員の方々は一階の【石の広間】を確認したまえ。これらのことが紛うことなき真実だと直ぐにわかるだろう。
そういうわけで、ぼくたちは明日まで、もうなんにもしない。言わない。放っておいて」
「…………え、えーと、なぜ、ですか?」
「疲れているからね! お腹が減っているんだよ! いっぱい食べてたっぷり眠ってから、詳しい話はさせていただこう。では失礼させてもらうよ」
マリーの一方的な宣言で、困惑したようなギルド職員の質問に、やっぱりマリーは一方的に自分の言いたいことを言って返した。
そして髪の毛を翼状に構造変化させ、腕をいくつも増やしてリィズズグ以外の仲間たちを抱きかかえ、上昇気流を発生させて跳躍し、飛翔した。
実際のところ、いくらマリーでも自己申告通りに消耗しているのでこの大人数を抱えて飛行するのは無理だと私は判断した。主人の腕に抱えられたまま、私の魔法でマリーの飛行補助は最初から実行し続けている。
マリーの性格を考えると、今のは魔人の威容を誇示するための格好つけだ。
怖がられたくないくせに怖がらせるのは大の得意で息がぴったり合ってしまうのが、結局私とマリーなのである。
2
疲れていると言ったくせに、マリーは拠点にしているホテルに戻ると厨房を笑顔とお金と魔法で説得して支配――もとい貸切り、迷宮踏破に参加した仲間たちと、健康体に戻ったらしいドロテアに、トンビの分まで数々の料理を勝手に作り始めてしまった。
打ち上げの宴ということでマリーは張り切っていたけど、アトラだけはドロテアの無事を見届けるとホテルの外に出て、状況説明を求めている連中の相手をしてくれていた。迷宮の中での様子もそうだったけど、アトラはバカだと自認しているようで本当は状況判断に長けて責任感も強い、尊敬できる大人だと私は思っている。
――アトラみたいな大人が、一人でも私の故郷にでもいたら。
マリーが仕度する宴の手伝いをしながら、一瞬思い浮かんだ妄想を私は振り払った。
奴らに魔女と呼ばれ、だから魔人のマリーに拾われて、正真正銘の魔法を操ることができるようになった私はもうとっくに本当の魔女で、外行きする時は必ず三角帽子を被ることにしている。
私を魔女ではなく一人の家族として、人間として、ソーニャとして認識していいのはマリーだけだ。
だからマリーと二人きりの時だけは帽子を脱ぐことにしている。
「よし! じゃあみんなご苦労様! ドロテアも回復したみたいだし、めでたしめでたしだ! そういうわけで、かんぱーい!」
当のマリーもマリーで、たぶん魔人伯爵令嬢としてのマリー・リー・ユニカと、ただ一個人としてのマリーを見せていい相手を選んでいる。
十人以上が着席できる大きなテーブルに所狭しと料理を並べ、ワイングラスを手に乾杯の合図を取るマリーは、口調は軽いようでやはり令嬢としての権威と佇まいをどこかに漂わせている。
その証拠にテーブルマナー――という私には今もってなお完全に理解しきれていない行儀作法を完璧にこなしており、骨付き肉を手掴みで齧りつくハウドやカラスに、子どもみたいにフォークでぶすぶすと料理を突き刺しまくっているトンビとはまるで違う。
かく言う私もこういう賑やかな席は苦手だ。大体、私はマリーと違っていつまでたっても小食で、大きくなれないと何度注意されてもすぐに訪れる満腹感には勝てない。スープをゆっくり一皿平らげてパンを少しずつちぎりながら食べればもうお腹いっぱいになってしまう。
その間に何皿もの料理をいつのまにやら片付けてしまっていたマリーは、私の様子に気づいた様子で席を立った。
「ごめんみんな。一応ぼくがみんなの代表ってことになっているのに悪いけど、一番乗りで退席させてもらうよ。いやぁまだこの年齢でワインなんてガバガバ飲んじゃダメだね。みんなも気をつけて、いい所で切り上げなよ。じゃ、ドロテア。病み上がりのところ申し訳ないけど、あとは任せたから」
「はい、ごゆっくり休んでくださいね」
寄生干渉魔法で他人の二日酔いですら治癒できるマリーに、酒精で酔うなんてことは絶対に無いのだけれど、そんな軽口を叩きながら私の手を繋ぎ、借りている部屋へと移動する。
一応マリーと私だけの部屋になっているけれど、ドロテアの看病をするのもあってここの所二人きりになれる時間は少なかった。
ドアを閉めた途端、マリーの身体が脱力しベッドへと一足飛びに飛び込み、手足をはしたなく伸ばしきって寝そべった。
私は廊下を歩く時にだけ被っていた帽子をコート掛けに引っ掛け、ベッドに腰掛ける。
「お疲れ様、マリー」
「いやー……ホント。今日は疲れたよ。こんなに魔力と体力を使ったのなんて久しぶりだ。父上と母上に猛特訓させられて延々治癒魔法を使い続けた時以来かな」
「ごめんなさい。食事、あれだけで足りた?」
「いざとなったらこの部屋に常備している食糧と調理器具だけで何か作って食べるからだいじょーぶ。ソーニャこそ、もっとたくさん食べないと魔力も体力も回復しないよ? まぁゆっくり丁寧に味わって食べてくれるソーニャは愛らしいからそれはそれで嬉しいんだけどさ」
ごろりと転がって、マリーは天井を見つめた。
「これでこの島の支配者はぼくになった――はずだ。それを証明したり、支配権譲渡のための話し合いや、政治諸々についての面倒くさいやりとりを明日からはしなくちゃならない。食べるのも大切だけど、眠って休息を取るのも大切だ。だからどっちみち早めに退席するつもりだったよ」
「……そういう難しいこと、手伝えなくって、ごめんなさい。マリー」
「いいんだよソーニャ。そのかわりソーニャはぼくの知らないことをたくさん教えてくれるし注意もしてくれる。――こうして、ぼくの身の回りの世話もしてくれるし、ね?」
私が話しながら寝巻きをマリーの下にまで持ってきたのを受け取って、主人は朗らかな笑顔を浮かべる。
迷宮に潜る時に着ていた少年用の旅装着のまま眠るわけにもいかない。マリーは寄生干渉魔法でいつでも身体も服も清潔にできるけれど、寝心地の良し悪しまではどうしようもない。
二人で寝巻きに着替え――私はこの間にマリーの寄生干渉魔法で身体を洗浄してもらった――ベッドに腰かける。
そして疲労が出たのか、あくびをしたマリーは突然目を見開いた。
「あ」
「どうしたの?」
「メルセリーナに連絡しなきゃ。事後報告になるけど、ドロテアが回復したってこともお兄ちゃんに伝えておきたいし」
「うん。そうした方がいい」
ヘルマートにはそもそも、妻のドロテアが瀕死の呪術を受けたことを知らせていない。
けれどその秘密を抱えるマリーの妹であるメルセリーナの負担を減らすに越したことはない。
マリーは右手をだらりと下げて、手首から先が消失したかのようになった。実際のところは肉眼では見えないくらい極細の無数の糸となって地中に潜り、帝国付近にまで伸ばしているらしい。
姉妹だからこそ、姉妹間でしか使えない通信魔法。
そこに割り込むことができない時間は、なんだか、少しだけ寂しい。
「――繋がった。メルセリーナ、そっちはどう? そりゃ良かった。せっかくだから全員集めてくれる? その間に、ちょっとさ、新しい魔法を思いついたから試してみようよ。魔法式をそっちに今から送るね」
マリーの妹に対する気安い態度はかなり私に対する態度と似ている。ただ、言動の端々に次期当主という自分より格上の妹という複雑な立場から、私より気遣いが取れる声色になっている印象を覚える。
魔力継承という魔人が魔人であり続けるための儀や、当主という責任の重さを妹に押しつけてしまっている罪悪感を、マリーは私に漏らしたことがある。
良い姉妹仲だと思う。もっとも、メルセリーナがマリーをどう思っているのかは、写真で見た顔つきから察することしかできないのだけれど。
そんな風に、遠くにいる妹の姿を虚空に見つめるマリーの横顔を見ていると、突然その滑らか肌の頬が裂けた。
唇が形作られ、横笛のような声色が裂けた頬から漏れ出す。
『姉様? これでよろしいのでしょうか』
「うん。上手くいったみたい。でしょ? ソーニャ」
「…………寄生干渉魔法で、妹様の『口』を造ったの?」
いたずらが成功したような笑みを私に向けて、マリーは裂けた頬を指差した。
今マリーが行使している魔法は、姉妹間だから成立する、互いの神経を絡ませる通信魔法という理屈らしい。寄生干渉魔法の性質と、血を分けた姉妹同士だからか身体の構造も似ているかもしれないという憶測を合わせれば、マリーの身体で妹の身体の一部を再現することも不可能ではないのだろう。
不可能ではないけれど、従者として家族として主人にこれは言っておかなければいけない。
「その魔法、見た目がものすごく畏怖い」
「ん? うーん、そうかな? メルセリーナ。そっちの反応はどう?」
『……ええ、ヘルマート様も、クラリッサ様も、心拍数が高く怯えています。ギィジャルガ様は……あ、笑ってます』
「そっか。見た目に問題アリか。会議に便利だから思いついたんだけど、改良しなくちゃ駄目みたいだね。でもまぁ今日はこれでみんな我慢してね!」
どうやらメルセリーナも身体のどこかに『口』を作ってマリーの言葉を届けているらしい。彼女の周りには、ヘルマートやクラリッサにギィジャルガもいるようだ。――名前を忘れたあの使用人吠人もたぶんいるのだろう。
マリーの髪の毛の一部が肌のように構造変化し、さらに『口』が二つ増える。
『そ、それでメルセリーナ様。マリーお嬢様はどのようなご用件で連絡を?』
ヘルマートの成人男性の声を上手く再現できないのか、髪の毛から生えた『口』はマリーが声を無理に低くしたような、記憶の中にあるヘルマートの声とは似ても似つかないものだった。
わたしはそういう意味も含めて、主人に対して首を横に振る。この魔法は試作案であって、完成型ではない。
マリーはがっくりと残念そうにうなだれながら、自前の口を開いた。
「今から話すよお兄ちゃん。以前から相談して話していたことだけどね。今日、ツェズリ島の大迷宮っていう遺跡を踏破した」
3
『遂にやってしまいましたか……』
「なんだよお兄ちゃん。ぼくのこの案はこの前は受け入れてくれたじゃないか。今さら文句あるの?」
『いえ、文句も何も、お嬢様が本気になってしまえば俺は止められませんので。どの道、帝国の諸侯たちの意見を聞いてもやはりツェズリ島は真っ先に制圧する対象に入っていました。これを鑑みれば、無血で合法的にマリーお嬢様が侵略支配してしまうのは利には適っています。
ですから、後はマリーお嬢様がどれほどツェズリ島の一般民衆に対して信用を得るかという話です。何せ真実はともかくポール都の惨劇を起こした張本人扱いですからね……』
『しかし恐怖で支配するうえでは好都合ではありませんか?』
メルセリーナの声だけは、おそらく完全に再現できているのだろう。横笛のような美しい少女の声が、ヘルマートらしき低い声に意見を述べた。
即座にヘルマートの反論が返ってきた。
『ツェズリ島は百戦錬磨の冒険者たちがいる島です。魔法具で無学な者でも危険な攻撃魔法を使うこともあり得るのです』
『姉様なら、下等人種の使う魔法もどきなど一蹴せしめるでしょう』
『だから! そうしたら駄目だって話ですよ! 防御だけに留めてください! まぁ幸いアトラとズゥクジャーン師はあの島での人格者扱いですから、奴らがマリーお嬢様に手を出すなと声明を出せば大分マシではありますが。お嬢様自身も暴れる気が無いから無血で合法に支配したという旨を民衆に伝えてください。こればかりは真実ですから』
「わかった。ぼくは怖くない魔人だからね。素直に魔法具兵器とか人命の犠牲で成り立った繁栄とかが許せなくて支配したって言うことにする」
『しかし……たったそれだけの理由で、名声も栄誉も何も求めず、目的ではなく手段としてあの迷宮が踏破されてしまうとは……。なんとも皮肉な話ですね』
ヘルマートの感慨深げな声に、沈黙が降りた。
クラリッサはドロテアの弱った姿を見ている。メルセリーナはマリーから聞いて知っている。
ヘルマートだけが、唯一妻が瀕死になっていたことを知らないのだ。
私はマリーに言う。
「マリー。教えてあげて」
「うん。あのねお兄ちゃん。今まで黙っていて悪かったんだけど、実はドロテアが死にかけていた」
『またまたご冗談を。ドロテアさんが造ってくれたこの結婚指輪なんですが、お互いの生死確認のための魔法具なんですよ。仮に瀕死ともなれば反応が起こると――』
「それドロテアが嘘だって言っていた。お兄ちゃんの指輪からドロテアへの反応は、確かにその通り。瀕死の重傷を負ったりすれば知らせてくれる。でもお兄ちゃんに渡された指輪は、本当にドロテアが死なない限り反応しない」
『…………真実ですか?』
「うん」
間の抜けた声の後、マリー本来の声質に近い甲高い声でヘルマートの担当『口』が叫び出した。
『ドロテアさんどうなってんですか!? え!? ちょっ、なんでメルセリーナ様も、嬢も――ああ!! まさか!?』
「うん。だから黙っててごめんって」
『俺だけ秘密にしていたんですか!? ああもうだからもうあの女性は!! 自分の命と夫の俺をなんだと――』
『ヘルマート様。貴方が言っても説得力がありません』
『うん。クリスから聞いたしマリーからも聞いたけど自殺魔法を何度も使うようなヘルマートが言う資格は無いわ』
「全くだよお兄ちゃん。だから黙っていたんだよ。普段の行いのせい」
「少しは周りの気持ちもこれで思い知ればいい」
『ギィジャルガ様が『奥方の苦労が偲ばれる』と言っています』
私も含めて、ヘルマートに味方する者なんて誰もいない。だから全員口をつぐんで黙っていたのだ。
鼻声になったヘルマート担当の『口』が情けない声を出す。
『あ、あの、この連絡が、この連絡があるってことは! ドロテアさん無事なんですよね!? 死んでませんよね!?』
「お兄ちゃん、親友のアトラに感謝しなよ。あいつのおかげでドロテアは健康な状態に戻った。そもそもなんで死にかけたのかはもう面倒くさいからそっちでメルセリーナやクラリッサに後で聞いて」
「あの」
投げやりでぶっきらぼうで苛々したマリーの言葉に、私は口を挟んだ。
途端にマリーは優しく私に微笑みを返し、頭を撫でてくれる。
「どうしたの? ソーニャ」
「ヘルマート。詳しいことは、時間の無駄だけど。……私が悪いの。ごめんなさい」
『…………今ので大体事情は察しました。ソーニャ様は悪くありません。たぶん第三者か、俺が悪い』
なぜそこで自分を悪者扱いしたがるのか。ついさっき私たち全員で『自分を大切にしろ』と言ったばかりなのに、全くこの男には伝わっていない。いっそマリーの寄生干渉魔法で脳みそに施術した方がいいのではなかろうか。
ただ、そう怒りを覚える私と同時に、ビシニアを殺してドロテアを傷つけたのは全部私が悪いと――たった今ヘルマートに否定されても――強い罪悪感を覚える私もいる。
クリステラと議論した時に私は、人間は自分が可哀想なだけで愛を知らない生き物だから隣人を愛せないと言った。あれは故郷の村の連中たちが貧しさに文句ばかり言い、改善策をロクに建てていない時からの聖句解釈だった。
ただ、北海同盟での不毛で無意味な殺し合いをしてから、私自身奴らと何も変わらない生き物なのだと考えるようになってしまった。
もしかしたら、私はマリーを愛してなんかいないのかもしれない。
ただただ無条件にどこまでも私に優しくしてくれるマリーに甘えて利用しているだけの、卑劣な魔女。それが結局私なのかもしれない。
私は生まれながらに呪われていると何度も言われた。そんなものは原罪を抱えて生まれてきた人間も一緒なのだと知った時は胸が空くような気持ちだった。
私のせいで災いが降りかかると何度も言われてぶたれて石を投げられた。だが最終的に全ての人間は災いの下で苦しみ息絶えると知った時は光が見えた。
私は、どこまでも、誰かを呪い、誰かに愛し愛される資格などない災いと呪いの魔女だ。
マリーに抱擁され、幼子のように撫でられながら、限りない無上の幸せと自分自身の薄汚さに嫌気が差してマリーを汚すような罪悪感が、一緒に並んで私の胸の中に、同居している。
「ってなわけで、よくわかんないけど蛆虫は約束通りぼくらの願いを果たしてくれた。ドロテアが回復したのもそのおかげだよ。ああ、そういえば。グラームだけは、願いの権利をお兄ちゃんに譲り渡すことにしたんだよ」
『あの垂れ耳が? 俺に?』
「あの様子じゃ誰かを呪わずにはいられなかったからじゃないかな。そもそも、ぼくたちはお兄ちゃんという繋がりで集まった者たちなんだ。それは蛆虫だって認めていた。お兄ちゃんは現場にいなかったけど、お兄ちゃんこそが本当の迷宮踏破者なんだとぼくは思っている」
「うん」
自分の思考に深く沈んでいる間に、マリーの説明は大体終わっていた。
そしてマリーの意見に私も同意する。あの気の良いアトラや、ハチャメチャな三人をリーダーとして纏め上げるハウドに、人種すら違う鱗人やトンビにすらヘルマートは一目置かれて、名前を出せば協力してもらえるほどの人望を持っている。
思えば北海同盟でも、ヘルマートは凍人の酋長に期待を寄せられていた。
そして、私の主人であるマリーも、ヘルマートをそれこそ兄のように慕っている。伯爵令嬢としての態度を微塵も出さないほど、マリーもヘルマートに気を許しているのだ。
それほどの男が、なぜドロテアのような破滅的で狂って壊れた女を伴侶に選んだのか。
……今の私は、なんとなくその気持ちがわかる。
私は、たぶんビシニアが好きだった。
もっときちんと、もっとくだらない話を、マリーと一緒にお茶でもお菓子でも並べて、話してみたかった。
でもそんなビシニアを殺したのは私だ。
マリーを殺そうとしたから、ドロテアを傷つけようとしたから、私はビシニアを殺した。
「だから、もしグラームと会ったら好きなように願いを言えばいいよ。今からグラームに出会うまで考える時間という特権がある分、やっぱりお兄ちゃんは特別なんだよ」
『そう言われましても……。特別と言えば、まぁ確かに出来損ないの子爵家末子という意味では特別ですが』
「ヘルマート」
どこまでも卑屈な自己評価を頑として曲げない、自爆が趣味みたいな狂った男に私は話しかけた。
マリーが目を丸くしている。私自身、ちょっと驚いている。
「私は――ドロテアが気持ち悪い女だって思うけど、お前がドロテアを選んだ理由が、なんとなくわかる」
『えぇと……ソーニャ様? どういうお話なのでしょうか?』
「お前が帝国から亡命した原因はマリーに教えてもらったから知っている。お前も、私の魔力量を見て察しているだろうし、ドロテアの件を聞いたら、わかるはず。――私とお前は、もっとも殺したい奴が、きっと、一緒」
私は電気操作属性なので、流血魔術と相性が悪い。魔力量が低ければ放電の媒介に血を使うかもしれないが、私の魔力量ではその必要性が薄い。
でも仮に他の適正属性であったのなら。私の魔力量では目的を果たせない事態が目の前にあったのなら。
私は間違いなく、喜んで自分の手首でも首でも掻っ切る。
自分の死に意味を持たせられるから。誰かを救えるんだって甘ったれることができるから。
死にたいのだ。私たちは。
「呪っていて、嫌っていて、災いあれと願う者。罪悪感から逃げ出すために、十字架を背負って磔を選ぶ者。――ヘルマート。私は、お前の気持ちがわかる」
『……ソーニャ様。この話はやめましょう』
「やめない。私はマリーが私を愛してくれていると信じているから、死にたくない。死んじゃいけない。お前はドロテアが死にそうだって知った時、すごく慌てた。だったら」
『……そうは言われましても、俺に使える切り札は』
「だからさ、お兄ちゃんこそが真の迷宮踏破者なんだよ。ぼくらはお兄ちゃんや先人たちが切り開いて結んだ道を歩んだだけに過ぎない。お兄ちゃんの本当の、最強の切り札はさ。自分の命なんかじゃない」
「お前が築き上げてきた、信用と信頼。人間同士の絆だ」
呪われて生き抜いて、罪を犯して生き抜いて、嫌われても疎われても誰かに手を差し伸べ続けてきたヘルマートは、この男にしか出来ないことを本人が知らない内に成し遂げた。
きっとこの男は、呪われた魔女である私よりずっと価値のある人間だ。ヘルマートもきっと、私をそう評価しているはずだ。
でもどちらが死んだとしても、きっとマリーは泣く。壊れる。そんなのは、それだけは嫌だ。
「お前はマリーの大切な人間だ。死ぬことなんて――許さない」
私は、私自身に、そう言い聞かせた。
今回のサブタイトルはユリイ・カノン氏の楽曲「スーサイドパレヱド」からお借りさせていただきました。
https://www.youtube.com/watch?v=7awIdGqyr40&pp=ygUb44K544O844K144Kk44OJ44OR44Os44Ox44OJ
明日からは「第三部」を開始予定です。




