外譚 かわいそうな先生
1
「さぁ魔人マリー・リー・ユニカ伯爵様。貴女ほどのご令嬢がわからないわけがないわよね? そう! 貴女はこのわたし、クラリッサ・セッテフィウミの前に跪くことになるのよ!」
「ぐぬぬ……」
北海同盟で負傷したというドロテアさんを、ツェズリ島まで連れて行く船上でわたしは羊のようなもっこもこの白髪に捻れた角を生やした魔人令嬢、マリー・リー・ユニカに完全勝利を確信して宣言した。
傍らでマリーの腕に抱きついている、彼女の従者にして魔女と名乗る黒髪の女の子ソーニャも悔しそうにわたしを睨むだけで、これといって反論しない。
そう、これだ。このどのような絶対的強者であったとしても悩み、迷い、惑わせ、それでも最終的に頷かざるを得なくするまでの過程、それこそがわたしに、貿易商を営むセッテフィウミ家に生まれたわたしに筆舌に尽くし難い充足感を与えてくれる。
「クラリッサ……君は、なんという平人だ。この、このぼくに、このマリー・リー・ユニカに、帝国で卑しくも魔王皇帝陛下から伯爵領地を預からせて頂いたユニカ家長子に、そうとわかってこそ、こんな……こんな……!」
「マリー、落ち着いて」
「嫌だ。ソーニャ。見るといい。最近は肉体強化魔法の五感強化も使えるようになってきたそうじゃないか。その練習も兼ねて、今、ここに提示された現実を、ちゃんと、受け入れるんだ」
「マリー、落ち着いて。……ただのハーブとスパイスの買取取引なんだから、落ち着いて」
「無理だよ! ぼくこれ欲しいもん!!」
だだっ子のように腕をぶんぶん振り回して、わたしが持ってきたハーブやスパイスの前でマリーは全身で悔しさを表現していた。ふふふ……そうだ、魔人と言えど所詮は人間。物欲からは逃れられない!
けれどそれはそれとして、ソーニャが抱きついている方の腕は動かさず、むしろ彼女を抱きしめるようにしているあたりがマリーの理解できない所だ。この二人、仲が良いを通り越して……いや、これ以上はわたしが足を踏み入れていい領域の話ではない。商談と恋路は別だ。
なので、わたしはわたしの得意な舞踏場でマリーを踊り狂わせる!
「今この場にある物だけを買い取るだけで満足できるのなら、そうしていただいて構わないのよ」
「こ、このぉっ! て、帝国じゃこんなに香りも保存状態も良いクローブやカルダモンが手に入らないんだ! 共和国でやっと出会えて、ぼくの料理がより美味しく幅広く可能性を拡げられるようになって、ソーニャだって喜んでくれて! メルセリーナにも食べさせてあげたいんだ! 父上や母上にぼくは自慢したいんだ!」
「そう、そうよ。その通り、マリーが自分に正直になってくれて、とても嬉しいわ。さぁさぁさぁ、我がセッテフィウミ海運の築き上げた交易と信頼と商船があれば、あなたたち魔人が諾とすれば、協力してくれたなら、鎖国を解いてくれたのなら、ユニカ家へ優先的にこのハーブや香辛料のみならず色々な食材の融通を利かせてあげていいのよ……?」
「クラリッサ! 君は悪魔か!?」
「そうよ! この船上は魔人に魔女と悪魔の集会! さあ契約なさい! 悪魔との取引を!」
「ぐぐぬぬぬ……」
拳を握り締めて悔しがるマリーの姿が痛快だ。これがあの死ぬ覚悟を決めて倒したジラルドが無条件で恐れ慄き平伏する、世界でも最強かもしれないと彼が評価する魔法使いだというのであれば、今、わたしは、彼女をこの小さな手の平の上で転がし弄ぶ悪魔だ!
優越感に笑みが止まらない。魔人は美食家が多いとジラルドから聞いていた時点で、わたしはもうこの勝負に勝ったも同然だったのだ!
「キュルル。面構えが悪すギル」
「ふふふ……ギィはさすがね。平人の機微がよくわかるようで、頼もしい親友だわ」
船室の片隅で巨体を丸めてこちらを伺っていた、わたしの親友であるギィことギィジャルガは呆れたような声色で注意してきたが、そんなものは知ったことではない。
それに、わたしがこれほど自分の本心をさらけ出して商談ができるのもギィの睨みがあってこそだ。わたしを殺してしまえば商談は破談になるのは当然だけれど、マリーが感情的になって暴れ回った結果、うっかりわたしが死んでしまうことも有り得る。
けれど、地上最強の人種と名高い鱗人のギィはわたしに何かあれば必ず守ってくれる。聡く、鱗人としてはとても珍しく厭戦家なギィは戦いや殺し合いにならぬよう必ず諮ってくれる。わたしにとって最高の相棒で親友と言えるのが、ギィだ。
「……さすがに、帝国の鎖国を解くことは、ぼく如きの一存で決められることじゃない。陛下は国政にあまり口出しするお方じゃないらしいけれど、鎖国を解くとなると……」
「ねぇねぇなら、ねぇ? こうしない? マリーはね、交易に適した沿岸領を持つ貴族を説得してくれたらいいわ。伯爵様ともなれば、それくらい融通が利くでしょう? ウチの商船はジラルドが抱えている協力者を乗せていれば、帝国との貿易も穏便平和に互いにお得な取引となるんじゃないかしら……?」
「ぐぐぐ……あ、悪魔め。その取引、乗ってやる! 魔人は美食のためなら妥協はしない! それも矜持で誇りの一つだ!」
「御利用ありがとうございまーす」
勝った!
「……マリーがあんなに悔しそうな顔するの、初めて見た」
「ぼくだって食欲という弱点を突かれてこうまでいいようにされたのは初めてだよ……」
ふふふ、悔しがるがいい。自らの欲望に負けてお互い幸せになる取引の甘受に溺れ浸るがいい!
わたしが勝利の余韻に浸っていると、がっくりうなだれる魔人と魔女の二人に対してギィがくぐもりながらも柔らかい口調で声をかけた。
「キュルルの悪い癖ダ。気を悪くシタのなラ、親友ヲ咎めらレヌ、ギィジャルガにも責がアル。恨み言の一つヤ二つくライは、受けヨウ」
「……ギィジャルガ、君はとくになんにも悪くないよ。というか、この取引、悪くないんだよ。なんかクラリッサの態度が気に食わないから無意味に悔しいだけ」
「うん。意味がわからない」
「わたしの趣味よ」
本心からの言葉だけれど、もう一つ理由はある。
わたしは小娘で、相手も見た目は小娘だけれど、その角が示すようにたった一人で都市を一つや二つ余裕で焼き払い滅ぼせる力を持つ、恐るべき魔人なのである。
そんな相手に公正な取引を公正な態度で行えば、舐められる。
いかに物流が、物欲が、人間を狂わせ動かすかということを思い知らしめ、それを牛耳る貿易商がどれほど強いのかということを知らしめなければ、公正な取引は瓦解する。
わたしが求めるものは、相互円満な商談だ。それがもたらす世界平和だ。
そうすると結果的に、わたしは演劇や小説に登場する意地悪な令嬢みたいな役回りをすることになることが多い。楽しいから別にいいけど。
「……キュルルの悪い癖ダ」
「ギィだって、そんなわたしに付いて来るのが面白いから一緒にいるんでしょ?」
「そうダガ。……それ以上、何も言えなイガ」
「……ねぇ、ちょっといいかな?」
わたしとギィの会話に、マリーが手を挙げて割り込んできた。
呆れたような目でわたしたち二人を交互に見つめて、首を傾げる。
「どうして貿易商の平人のご令嬢と、鱗人がこんなに仲が良いの? 愛称同士で呼び合うくらい打ち解けた平人と鱗人なんて初めて見たよ。というか、クラリッサも大概変人だけど、ギィジャルガは鱗人としては輪をかけてもっと変人だ。
なんかこう、ぼくの知っている鱗人って二言目には『戦士としての誇りがー』とか言う高潔だけど頭が堅い連中で、そのくせ殴り合いと殺し合いが大好きな困った奴らだ。ギィジャルガはちょっと大人しすぎる。まるで平人だ」
「その理由ハ、後で魔女にデモ聞け。ディアーガが、伝エテいるだロウ」
ソーニャは目を閉じて頷いていた。ディアーガって見た目の割にお喋り好きでお人好しだものね。
そうするとマリーはわたしの方を向いた。
「じゃあ、クラリッサだ。そもそもジラルドとなんで戦うことになったりしたのさ。ぼくが言うのもなんだけど、お互いもうそろそろ婚約者を探さないといけない年齢なのに、こんな風に遊び回る――いや、仕事ばっかりしていていいの?」
「貴女たち二人みたいに、愛し合っていいと思う相手が見つからなくて。商談が面白すぎて。あちこち世界中を飛び回るのが楽しくって」
「……ぼくとソーニャはそういう関係じゃないよ」
「勘違いしないで」
冗談で言っただけなのに、本気で睨まれてしまった。それはかえって認めていると宣言しているも同然にわたしは思えるのだけれど、これこそ突ついてはいけない所だ。
「信頼できる相手と一緒に世界中を遊び回るのが楽しいのはわかるよ。ぼくもソーニャとそういう毎日をついこの間まで送っていたんだけど、なんか色々面倒くさいことになっちゃってさ」
「ふうん。わたしたち、そういう所では似ているわね。平人と魔人。商人と貴族。そういう違いはあるけれど、自分の好奇心に正直なお嬢様で、一つ所に収まりきれない落ち着きの無さは一緒」
「ぼくが帝国を飛び出した原因は話したよね? じゃあ、クラリッサのお話も聞かせてくれる? 一応、ぼくたち友達同士になったわけだしさ」
いつか殺し合ってもいいという約束を交わした、およそ余人には理解し難い関係ではあるけれど、確かにわたしは本心からこのマリーという年齢が近い令嬢を好ましく思っている。
この娘は見た目より精神的には幼稚だが、だからこそ却って貴族としての本物の誇りと矜持、高潔さを持ち合わせている。正直、マリーが男だったら良かったのにと思わなくもない。色恋うんぬんはともかくとして、政略結婚相手としてはものすごく面白そうなことになりそうだから。
まぁでも、隣にくっついている魔女が絶対に許さないだろう。ソーニャは怖い。わたしが苦手とする、物欲がほとんど無い、殉教者のような人間だ。この手の人間に商談は通じにくい。
「そうねぇ。じゃあ、マリーの生まれた帝国にも関係ある話を、少ししましょうか」
商談も終わったので、交友を深めるのもいいだろう。
「あれは二年前で、まだわたしが十三歳だった頃のこと――」
2
わたしは新聞とか雑誌とか小説とか、読むの結構好きなの。語学の勉強にもなるし。
見聞きしただけの土地を自分の足で踏みしめて、自分の目で街を眺めて、肌で風を感じるのも新鮮で楽しいけどわたしは小娘だから、あんまりそういうのできなくて。小さい頃は身体が弱くて許してもらえなかったし。
で、わたしも世界中あちこち見て回りたいって駄々をこねて、ギィを護衛に連れて行くこと、一年で絶対に帰って来ることを条件に、商船に乗ってまずは共和国のラプラダムに行くことにしたの。
ん? 理由? そりゃさっき言った通り、わたしは文字を読むのが好きだし書くのだってそれなりに得意な方だわ。クリスと文友になったのもそれが原因ね。
だから、お気に入りの小説の作者に会いに行くことにしたのよ。その作者の住所がラプラダムだったってわけ。
歌劇も悪くないけど、わたしは文章だけの方が好きだわ。
楽しむのに時間も場所も選ばないし、歌劇は役者や楽団に劇場のせいで印象が変わりすぎるのがどうもね。それがいいっていうのはわかるんだけど、わたしはわたしが文章を読んでわたしの頭の中で描いたモノこそを信じたいわ。
うん、たとえ作者本人が「そうじゃない」って言っても。わたしの中ではそれが真実なのよ。
そうよ? わたしは傲慢で押しつけ屋の我儘お嬢様。気に食わないモノがあればコネとお金と口八丁でやりこめる。腕力でしかどうにもならない場合はギィに任せているわ。わたしたちは互いの得意苦手を補い合って意気投合できたからこそ、親友なのよ。
まぁとにかく、わたしは憧れの作品を書いた先生とお会いできたわ。そこはもう生家と社名の雷名に感謝ね。相手も本心喜んでいたようだし、中々楽しいお喋りができたわ。
うん、楽しい。
へぇ、マリー、あなたよくわかっているじゃない。大当たり。
わたしが楽しいって思う時は、悪企みを練って、実行している時よ。
そうなのよ。わたしはね、別に筆者がどう思おうと、読んだ文章はわたしのものだって思っている。
だから別に、作者に会いたいだなんて思わない。魔女のソーニャ、あなたとも気が合うわね。
ええ、わたしも同じよ。別に聖句を書いたり翻訳した方と会いたいとは思わないわ。信仰ってそういう所にあるものじゃない。結局自分の中にしか無いものだもの。
信仰と、ただの低俗な娯楽小説を一緒にするのも罰当たりな話だけどね。
罰当たりついでに続けちゃうけど、あの本もそれぞれ著者が違うじゃない?
うん、主の啓示に依って書かれたから主が書かれたというのは知っているけど。でも、こうも写本と翻訳が繰り返されちゃったら、ねぇ?
ともかく、どうもね。わたしがお気に入りの作家もそうだったのよ。
発表作品ごとに、文章の癖が少し違う。
作風が多彩なのは多才なおかげなのだと思うけれど、同じ作者の作品ってこう、根っこの考えに何か通じるものがあるじゃない? 亡くなった著者の作品なら、その根っこの性質が変わっていくのが作者の人生の移ろいを反映していて、面白いって思うわ。
でも彼、まだ若いのよねぇ。当時まだ二十六か八くらい……だったかしら? 今思えば自分の人生の半分しか生きていない小娘とよく面会してくれたわね。助かったわ。
直接作者と対面して、作品のことを細々と聞いて、わたしは確信したわ。
だから直接その場で言ってあげたの。
『盗作は止めなさい。それは盗作された方々のためにも、貴方自身のためにもならないわ』って。
まぁうろたえて、勝手に『どこの誰から聞いたんだ』って言ってくれたから、簡単に言質が取れたわ。
うふふ、マリー、そうよ。そう言いやすいように、漏らしやすいようにちょっと工夫したわ。
でも別にわたしは彼を糾弾するつもりなんか無かったわ。今も全然、そんなこと思っていない。
むしろ彼には感謝しているわ。全て自分名義の作品にしたことは愚かだとは思うけれど、彼のような名のある貴族の御曹司でもなければ、出版社も大々的に取り扱ってくれなかったはずだし、わたしの目にも止まることも無かったでしょうから。
盗作は良くないわ。でも彼が、名も無き才ある文筆家たちの文章を取り上げて世に発表してくれなければ、それらは埋もれて消えてしまっていたというのは、あまりにも惜しい。
わたしのこの意志がきちんと彼に伝わったのは僥倖だったわ。
うふふ。まぁ、確かに? 後ろに地上最強の人種と畏れられる鱗人のギィがいたらそれだけでかなり正直にお話してもらえるというのは、わかっていたことだけれども、ね。
ともあれ、彼自身、文章に対する熱意が本物だったのは本当に幸いだったわ。
そうじゃなければ、たかだか十三歳の小娘の言うことになんて耳を貸すものですか。
『名のある者が発表しなければ、誰にも見向きされない名作というものはある』
彼のみっともないと言えばみっともない言い訳だったけれど、ある種の真実も含んでいるわ。
ええ。わたしもそう思う。とても悲しいことだって。
いつか、自分の実力だけで世に文章を発表して誰にでも目に留めてくれる機会や場所が与えられる日が来ればいいって、わたしだって願っているわ。
ともあれ。
わたしはね、確かに彼の発表する作品が好きなのは間違いないのよ。
複数の人たちから盗作しているんじゃないかしらって感づいた時も、別にだからって作品そのものは嫌いにはならなかったし、知った後も別に何も変わらない。いいモノはいいモノよ。
盗作は駄目。でも作者への偏見を取り除いて良い文章を取り上げることができる彼の眼とセンスをわたしは高く買っている。
だから、わたしは彼にこう提案したの。
『貴方は編集者になりなさい。出版社を立ち上げましょう。会社経営に経験が無くて不安なら、ウチの社員を貸してあげる。貴方の家の財力なら、会社の一つや二つを立ち上げることは難しくないでしょう?』って。
あら? そんなに変なことかしら。
人間、得意不得意は誰にだってあるわ。平人は手先が器用で弱いからこそ群れることに慣れている。鱗人は強靭で屈強な身体に、丈夫な胃袋と長く深く眠れば消耗を抑えられるとても水夫向きな人種。寝人は夜目が利いて俊敏だし、個人主義者ばかりだから組織に束縛される者も少ない。
みんなで手を取り合って、共存共栄。
理想論だってわかっているけれど、実行しなくちゃ永遠に理想論のままだわ。わたしは笑われたって、睨まれたって、なんでも一人でできる魔人にだって負けないわ。
……でもここからが、わたしの失敗談よ。
そこで、わたしは手を引いておけば良かった。
仕事でも、お兄様やお父様の付き添いでもなく、ギィと――まぁお目付け役にヴォスがいたけど、とにかく何にも誰にも束縛されず、観光旅行を楽しむ。
それに浮かれちゃってたのよねぇ。
わたしは自分の流儀を曲げちゃっていた。曲げていたことに、あの時のわたしは気がつかなかった。
会いたかったのよ。一番のお気に入りの作品を書いた先生に。
名のある貴族の御曹司が拾い上げなければ無名で沈んでいたはずの方に、わたしは『あなたは素晴らしい。あなた自身の力であなたは多くの人々を感動させることができる。あなたの名前を世に発表することは、あなた自身のためになるはずよ』って、言いたかった。
言っちゃったのよ。
軽率だったわ。
彼女はね、わたしが一番のお気に入りの作品を書いた先生はね、御曹司の家で家庭教師をしていた先生だったのよ。
マリーは帝国生まれだから知らないかしら? 列強国ではどこでも上流階級の女性が働くことは不名誉なのよ。
ソーニャ。そう睨まないで。わたしの意思じゃないわ。そういう常識なの。
父の、夫の、息子の財産で養ってもらい、社交界でパートナーのための人脈を作る。
それこそが上流階級の女性に求められることなの。
まぁわたしは財産はあっても商家の娘だから、こうして働いているのか遊び回っているのか微妙な立場を子どもだという年齢も利用して、好き勝手やらせてもらっているわ。
でもマリーの言うように、そろそろわたしも婚約相手を見つけないとまずいわね。
お互い、いいパートナーが見つかるといいわね。
えぇ? そういうのってとくに考えていないわ。強いて言うなら男だったら良かったのにって――
……ソーニャ、睨まないで。なんだか首筋がビリビリするわ。ギィを本気にさせないで。この船にはドロテアさんも乗っているのよ?
話がずいぶんズレちゃったわね。
ともかく、優れた小説を書くほどの教養を持ち合わせて、でも世に発表できるほどの立場じゃなくなっているような女性。
そういう人間がどういう人生を歩んできたのか。
どういう想いを抱えて生きているのか。
わたしは全く、なんにも、考えていなかった。
だから傲慢なのよわたしは。わたしはわたしの考えが一番正しいって思っている。間違いがあるならちゃんと指摘してみろって思っている。その指摘が正論で正すべきだって思ったら正せばいいと思っている。
拙速は巧遅に優る。商業においての基本よ。
人生においての基本じゃないわ。
彼女はわたしを疎ましく思ったらしく、錯乱しちゃったわ。
本人のその時の言葉と、後々聞いた話を繋ぎ合わせたんだけれど、彼女の家は没落した貴族らしくて。
彼女はご令嬢だったけれど、働かざるを得なくなっちゃって。
家庭教師として、先生として働いている間に、心から湧き出た想いを物語にしてペンを取ってしたためたらしいわ。
それを、御曹司サマが見つけて、自分の名前で発表したってワケ。
彼女はそれでもう満足していたらしいの。
御曹司サマは、自分の筆力を買ってくれている。そのおかげで卑しい労働女性ではなく一人の人間としてきちんと扱ってくれるようにもなった。
女中や家の奥様からの嫌がらせも、教え子たちの侮蔑も、だから耐えられたって。
何より、いつか帝国の移民船団が来たら。
帝国は理想郷というお話。何もかも嫌な故郷から離れて生きていくことができるんだってお話。
そういう希望を持って、彼女は働きながらペンを握っていたんだって。
わたしの提案は、わたしの望みは、彼女のそういうか細く不確かな希望の糸を裁断する鋏となったわ。
だから彼女は錯乱したの。わたしを憎んだの。
まぁ当然よね。だってわたしは恵まれているうえに、まだまだいくらでも未来がある小娘なんですもの。嫉まれるのも僻まれるのも慣れっこだわ。
あの時はそれがわからなくて呆然としちゃったけどね。
ただ、ねぇ。
それで済んだら良かったんだけど。いや全然良くないんだけど。
ジラルドの馬鹿がねぇ。
魔法具を彼女に握らせていたのよ。
どうも前回の移民船団来訪時に彼女は定員上限に達して、乗らないことを選んだらしいわ。自分の親族に権利を譲ったの。
その心意気がジラルドは気に入ったらしくて、遊び半分で迎えに来る約束の品替わりに魔法具を渡したらしいわ。
おかげで不意討ちの魔法でわたしは撃たれそうになって。
ギィが助けてくれなかったら死んでいたわ。
え? 雷を撃つ魔法よ?
ほら、今も持っている。
ギィは頑丈だから、雷の一発を受けたくらいじゃ死なないどころか魔法具を奪えるくらいの元気があったわ。鱗人ってつくづくすごいわよね。
ああ、渡さないわよ。これは、わたしが尊敬する先生から頂戴した大切な思い出の品。
自分自身を戒めるための品よ。
奪うなら――マリー。ソーニャ。あなたたちを軽蔑するわ。
結局、わたしが不要ないことを言ったせいで、彼女を暴れさせたせいで、彼女は家庭教師としても解雇。
御曹司サマにも顔向けできないからって筆を折って、出版社お抱えの作家としても働く気力も無くなっちゃって。
でもそうしたら生きていけないじゃない?
生きる希望を奪ったわたしが言うのもなんだけれど。
結局、アレコレ裏から手を回してウチの息がかかっているけれど、彼女には悟らせない所に勤めさせるよう、ヴォスを使って社員の皆様に働いてもらったわ。
せめてもの責任ってヤツ。
わたしには彼女の考えが今でも理解できないわ。
待っていたって、辛抱したって、いつか誰かが自分を救ってくれるなんてことはありえない。
自分の人生や幸福は自分で掴み取るもの。わたしはそう思っている。
……そうね。ソーニャ。それはわたしが恵まれているからよ。
別に、そう思って生きている人間を否定しようとは思わないわ。わたしには理解できないってだけのこと。
何より、そんなわたしには理解できない先生が書いた作品こそ、わたしの心に一番強く突き刺さったんだから。
人間ってよくわからない生き物よね。
ともかく、わたしはわたしのせいで、わたしが一番お気に入りの大好きな作品を書く先生を失った。
彼女にはいつかまた一度、ペンを取って欲しいと願っているわ。
だから、ジラルドやマリー。あなたたち帝国の魔人と直接繋ぎが取れた今も、わたしは彼女にそれを伝えていない。
いつでも彼女を帝国で待つ親族の下へと送り届ける伝手がわたしにはある。
でもわたしはそうしない。
3
「結局それって。貴女はまだその先生から逃げているだけじゃないの?」
長い話の間にマリーが魔法調理で淹れたお茶と焼いたクッキーを前にして、ソーニャはわたしを睨んで舌鋒鋭く問いかけてきた。
わたしはお茶を口に含む。悪くない配合だ。マリーは本当に料理が上手だ。
いっそ、本当に魔法でお料理が得意で大好きなただの女の子であったのであれば、マリーはもっと幸せだったのじゃないかと、わたしはわたしが傷つけた先生を思い返して、思う。
無力なことは幸せなこと。
自分の造った夢物語の中で閉じこもっていられるから。
わたしがマリーに語った理由の一端は、あの事件に端を発している。
「まぁ、そうね。いつか彼女には、先生には非礼を詫びなければいけないわ。――でも、わたしの意思は変わらない。どうあったとしても、彼女にはまたペンを取ってほしい。その時先生として働ける場所を、わたしは用意している。……でも、どう彼女にわたしの我儘を伝えたらいいのか、わたしにはまだわからないのよ」
「手紙にでも書けばいいんじゃないかな」
マリーはソーニャの口にクッキーを手渡しで運び、慈母のような表情で彼女の頭を撫でながら、わたしには素っ気無い口調で言ってのける。
「クラリッサはさ。言葉に裏がありすぎるんだよ。面と向かって話していると、君の操り人形にされちゃうのが怖くなるんだ。だから、手紙ならちょっとマシになるんじゃないの? ――どう? ソーニャ。美味しい?」
「うん」
「良かった」
わたしのことなどどうでもいいと言わんばかりに、マリーはソーニャに頬ずりしてされるがままの彼女は顔を赤らめている。
この二人の関係についてはツェズリ島に到着して、クリスと対面してみたらあの娘の意見も是非聞いてみたい。
「わたしから言わせれば、あなたたち二人の言葉は素直すぎるわ。マリーはまだ貴族だからか振る舞いや所作を相手で選んで分けているみたいだけれど。……その、目のやり場に困るのよ」
「私だって、本当はこういうのマリーと二人きりの時だけにしてほしい」
「えー、ぼくは我慢するの嫌だなぁ」
ソーニャは耳まで真っ赤にして、私からもマリーからも視線を逸らして、感情を抑えた声で言っているけれど、マリーにしっかりと抱きついたままなのでまるで説得力がない。
ただ、こうして話している間に二人を観察していて気づいたことがある。
この二人は、たしかにそういう関係じゃない。
まるでマリーが聖母のようにソーニャの全てを受け入れて愛し、ソーニャは――自分がそう求められていると理解して振る舞っているように、わたしには見える。
ソーニャはだから、まだいい。主人を諌めることができるし、友のように気軽な態度で接している時もある。この魔女は自分を魔女だと言い張るくらいに、確固たる自分を持っている。
問題はやっぱりマリーの方だ。
わたしがあの家庭教師をしていた先生に、彼女に、自分の理想の作家像を押しつけて傷つけてしまった時と同じように。
マリーは自分の理想の――思うことすら厭うほど気分の悪い表現だけれど――ペットとして、ソーニャを抑えつけてはいやしないだろうか。
いつかその抑圧が、他ならぬマリーがまるで自分の子どものように愛しているソーニャの大切な何かを、壊してしまわないだろうか。
わたしがマリーと友人だというのなら、友を諌めてあげるのが役割だ。それこそわたしがしょっちゅうギィにたしなめられるのと同じように、わたしは今、このことを言ってしまうべきだろうか。
ギィに目配せすると、目を閉じて首を振られた。
まだ言うべきではない、か。
わたしは、多くの友人になり得た同世代の令嬢たちに不用意な発言をすることはしょっちゅうで、手紙で本音を漏らし合うことのできるクリスくらいしか同年代で同性の平人の友人がいない。
手紙か。
マリーが言うように、結局わたしは面と向かって話し合えば相手を恐れさせることしかできない人間であるのなら、手紙で意志を伝えるのが良いのかもしれない。
想いを伝えるのが同じ言葉であったとしても、文章で一方的に押しつけるやり方でしか穏便に済ませる方法が無いというのなら、やっぱりわたしは傲慢なのだ。
傲慢でいいと決めて、自制心の強いギィに世界を見せてあげると約束したのはわたしだ。
ならやっぱりわたしはどんなに同じ失敗をしたって、傲慢で我儘なまま、マリーたちと付き合っていこう。
第二部が終了したため、インターバルとして何本かまた番外編的なお話を掲載させていただきます……が「外譚2」は結構本編と絡んでいます。
今回のサブタイトルは「リチャード・レッドグレイヴ」作の絵画「かわいそうな先生」からインスピレーションをいただいた作品です。……インスピレーションだけなので実態はあの絵画からの解釈からは遠いのですがご勘弁を。




