第九章 終:太陽と戦慄
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男女区別なく混ざった兵服を着た若者たちを前に、黒板に魔法式を書き、教鞭を取っていたキリールの元にその報告が告げられたのは、連邦王国に冬の足音が聞こえてきた頃だった。
夏が終わる頃、軍の許可なくマリー・リー・ユニカの暗殺を独断で決行した挙句、彼女の反撃に遭い失敗し、ポール都に未曾有の被害を出したキリール・ピーソークは軍法会議にかけられた。
銃殺刑は覚悟していた。そもそも、生き残ることなど考えていなかった。
だがキリールを軍人としてではなく魔法教導官として評価した場合の重要性と貴重さを、有り難くも軍上層部は理解していた。
軍事指揮権は剥奪。第一魔法小隊の魔法兵たる部下たちは一名を除いて重傷を負い、三名が戦死。残りの七名も戦線復帰は生涯不可能と判断されたため、第一小隊は解隊。キリールは監視付きで魔法教導官として教鞭を振るう毎日を送っていた。
そして、たった今、唯一軽傷で済んだ元部下の名前をキリールは告げられたのである。
「グリッター准尉が行方不明……?」
「はい、教官殿。昨夜兵舎で就寝すると確認されたのを最後に、今朝から姿を見た者が一人もいません」
「……残念ながら、私には彼女の逃亡先に心当たりがありません」
今のキリールに指揮権は無い。よってこの報告は、グリッター准尉の動向を元上官であるキリールならわかるかもしれないと判断されたものなのだ。
キリールの返答に嘘偽りはない。帝国からの亡命者同士という共通点はあれど、グリッター准尉は『騎士』ですらない光学操作属性の魔法使いであり、まだ二十代と若く、女性であり、軍人として部下としての評価はあれど、一個人としての彼女のことは全く知らない。
だが、連邦王国軍を裏切ったという確信だけはあった。
「彼女は軍人としてより、諜報員として優秀です。そのため帝国から亡命した――だからこそ、私の失態に巻き込まれ出世が見込めないことを機に、他国へさらに亡命する動機はあります」
「追跡は――」
「諦めた方が良いかと私は判断します。光学操作はとくに観測魔法に優れており、その補助を用いた彼女の諜報員としての能力は高く、無計画に動くわけがない。最後に確認されてから十二時間前後経過している現状、捕捉は最早不可能かと、元上官として判断致します」
軍人にはなりきれず、諜報員でも無かったキリールは今教鞭を取って改めて思う。自分は本来、勉学の徒の人間であったのだと。
だから現代の情報戦により適応しているであろうグリッター准尉が逃亡したのなら、もうこの老いぼれには手に負えない。
せめて無駄足を踏ませないよう、最悪グリッター准尉に篭絡されてさらなる裏切り者を出す危険を冒すくらいなら、捨て置く方がマシなのではないかと消極的な考えに至っている。
――だから父上は軍人として半端なのです!
息子の叱責の言葉が脳裏に過ぎる。まったくもってその通りであり、もっと早くにこうして教導官を専務とするべきであった。
そう悔いたキリールの遠くなりつつある耳に、講義を中断させられていた生徒たちのざわめきが聞こえ始めた。
彼らは魔法の才を優先して見込まれ、兵卒としての訓練は最低限しか積まされていない、中身は学生同然の若者たちだ。気の緩みを叱責しようとした時、ガラス窓の向こう――外から年端もいかない少女の声が聞こえた。
『えぇ? もう繋げちゃったの? うわっ、これ映っているの? もーこれじゃあ格好つかないじゃないか』
甘い、箱入りで育てられたような能天気で無邪気な少女の声。
だが、その声の主の恐ろしさを、キリールは文字通り脳髄に叩き込まれた。
「マリー・リー・ユニカ……? 一体、何が」
反射的にガラス窓を見て、キリールは絶句し、硬直した。
光学系魔法式が確認できる。
それは遠方で観測した光学情報を送る魔法使いと、受け取り手の魔法使いが観測された光学情報を大気中に投影することで、二人組みで成立する情報交換魔術の一種。
だが、それに音声は付いてこないはずだ。
何が起きているのか理解できないキリールの前で、窓ガラスの向こう、大気をスクリーンとして投影された風景では、豪奢な調度品と長大なテーブルが置かれた議会室が見える。
その議会室は広さに反して、たった二人の人物しかいなかった。
慌てた様子で議長席に座り、足をテーブルに乗せて傲岸とした笑みを浮かべて手を組む、羊のような髪と角を持った魔人、マリー・リー・ユニカ。
議長席の傍らで目を閉じ佇む、魔女のような三角帽子を被った黒髪の小柄な少女。
このたった二人にキリールは敗北し、手塩にかけた部隊は壊滅させられたのだという事実を言えば、事情を知らぬ者は冗談だと受け止めるだろう。
『やあごきげんよう連邦王国の皆様。ぼくの名前はマリー・リー・ユニカ。極北の魔法帝国でユニカ伯爵領を治めるユニカ家長子の、魔人だ』
羊のような捻くれた角を自分の指でつつき、テーブルに乗せた踵を揺らしている。
『本日は連邦王国に住まう民草の方々をお騒がせし、ポール都を瓦礫と死の街に変えた一件についてお話があって、こうして魔法でお知らせさせていただくことにしたよ。見ている方々は知らないだろうけれど、後で確認すればわかることかもしれないけれど、今現在この中継魔法は連邦王国首都のマインステルを始めとして主要な都市各地にお送りしている。まぁ、たった一人? 特別に? 都市でもなんでもないただの陸軍基地に中継させていただいているけどねぇ』
明らかに怒気の込められた魔人の声に呼応して、魔女がテーブルに伏せられていた額縁を立ち上げた。
どこで手に入れたのか、キリールとその息子の証明写真を引き伸ばし、それぞれに収めたものだった。
魔人マリーは議長席に置いていた新聞を空中にばら撒き、テーブルに散らばせた。
『こちらの老紳士、キリール・ピーソーク中佐殿は、ポール都で暴れ回ったぼくたちを撃退した英雄殿らしいじゃないか。いやぁ実際死ぬ思いをしたよ。不意討ちで後ろから刺されたら魔人でも普通は死ぬよ?』
こつこつと、新聞を踵で踏みしめていた魔人マリーの足が大きく振り上げられ、振り下ろされた。
十代半ば頃の、まだ手足も伸び切っていない少女の、たったそれだけの一撃で、テーブルに皹が入り、木片が飛び散り、新聞に火が点き一瞬で灰化する。
『ぼくは寛大で怖くない魔人だ。でもさすがに、ペットと一緒にお腹を空かせて買い物していただけなのに、周りにはたくさん善良で無辜の市民の皆様がいたというのに、いきなり後ろから刺されたら、正当防衛の一つくらいするさ。ましてやこちらの老紳士ただ一人ならいざ知らず、魔法兵十人も投入されたら、ぼくとぼくの大切なペットの命を守るために、不本意ながら反撃せざるを得なかったという次第なんだよ。うん、つまり、ぼくの言いたいことはわかるよね?』
テーブルに拳が叩きつけられ、今度こそそれはもうただの木材の屑となった。
『先にぼくらを殺そうとしてきたのは連邦王国だ』
議長席で足を組み、頬杖を突きながら魔人マリーは冷めた声で淡々と演説を続けた。
『よって、お返しに、このように連邦王国領土であるツェズリ島は、ぼくが支配させていただいた。もちろんぼくは野蛮なことは嫌いだから、この島の流儀に則って、迷宮を踏破したことで都議会議長の座を前議長であるフォレス御本人の同意の下、譲っていただいた。直、ぼくが支配者になったことを恐れて逃げた避難民たちがそちらに到着し、証明書の写しを持たせたのでぼくの言葉と今の立場に嘘偽りが無いことをお判りいただけるだろう』
マリー・リー・ユニカは指を一本立てた。
『ぼくが連邦王国に望むことは二つ。一つは、このツェズリ島で採れた資源で武器や兵器を造ることを許さない。二つめはぼくたちにもう手出しをするな、ということだ』
二本目の指を立てたその手で、キリールの息子であるコーディの写真を摘み取り、ぶらぶらと雑に振る。
『こちらの息子さんのピーソーク大尉に至っては、殺し屋を雇ってぼくじゃなくて、ぼくの愛する大切な小さな可愛いペットを殺そうとしてきた。殺ろうとするだけでもうぼくは怒り心頭なのに、国家を守り民草の盾となるべき軍人ともあろうものが、自分で動かず殺し屋に依頼するとはどういうことなのか、ぜひ弁明していただきたいね』
魔女を抱き寄せて、コーディの写真を放り投げ、魔人マリーは真っ直ぐに、その金色の瞳を爛々と輝かせて、スクリーン越しにキリールを睨みつけてきた。
いっそ冷淡な声で彼女は言う。
『ソーニャはぼくのものだ。ぼくだけのものだ。ぼくだけの愛する家族だ。ピーソーク男爵殿。君にも愛する家族はいるだろう? ぼくは寛大で怖くない魔人だ。今すぐ連邦王国を捨てて、この島に一族郎党連れて逃げて来たら、今までの無礼は許してあげよう。魔人として、貴族として、ユニカ家長子としての誇りと名誉にかけて約束しよう。
もっとも、留まるも自由だ。――このぼくの主張を信じてくれる人間が、貴方方の非道を許さない人間が、貴方個人ではなく貴方の家族を狙う人間が、いるとすれば。ぼくは知ったこっちゃないけどね。貴方方父子がやった行いは善悪どちらに取られるにせよ報いで以って応えられなければいけない』
キリールの足の力が抜け、床に、膝がつく。
『もう一つ、これは提案だ』
駄目押しのように、マリー・リー・ユニカは三本目の指を立てた。
『もうこの中継魔法が繋がっていることからお察しだろう。連邦王国本土には、ぼくに従うことにした魔法使いたちが何人もいる。君たちの助力には感謝しているよ。今すぐ帝国か、このツェズリ島に逃げ帰れば、やっぱり身の安全はユニカ家長子としての権限と誇りにかけて保証しよう。もちろん、なんにも知らずに今この中継魔法を見聞きしている魔法使いの皆様も例外なく、だ』
魔人マリーは魔女を抱き寄せたまま、微笑んだ。
『三度も言うけどぼくは寛大で怖くない魔人だ。ぼくたちに手出しをしなければ、ぼくも君たちに何も危害を加えるつもりはない。連邦王国の食事は実に不味いけどお茶菓子は中々のモノだし、樹人の薬草などは質が良くて気に入っている。
ポール都での惨劇はお互いに不幸だった。ぼくも殺し合いなんて不本意なんだ。ぼくが愛するのはソーニャと料理と笑顔を交えた語らいだ。でも、それでも、ここまで言っても、なお武器を向けようというのなら――覚悟はしているんだろうね?
ぼくから君たちに言いたいことは、以上だ。お互いに、血ではなく紅茶でも交えて語らえるよう賢明な判断を、ぼくは望んでいる。それでは皆様、ごきげんよう』
空気中に投影されていた映像は途切れた。
そこで、キリールは我に返った。今の光学通信魔法の受信、投影を担っていたのはグリッター准尉だ。
彼女はまだこの基地付近に潜んでいる。今ならまだ確保が間に合うと、報告してきた士官に伝えようとした時、そこにはもう彼はいなかった。
キリールが呆けている間に、とっくに彼は行動に移っていたのであろう。
「教官殿」
一人のまだ少女と言ってよい年齢の生徒が立ち上がり、机に手を置いて猜疑の視線を向けてきた。
「今の中継通信魔法についてですが」
「講義中です。席につきなさい」
「ピーソーク教官殿」
「つきなさい」
霊脈を励起させ、キリールは暗く淀んだ数十の視線を浴びながら、それでも立ち上がり、屹然と姿勢を伸ばした。
「間もなく私については呼び出し、いえ、捕縛するための兵たちがいらっしゃるでしょう。ですがそれまでは講義の時間です」
「先ほどの――」
「良いですか皆さん」
キリールの腹は決まっている。
息子はどうだか知らない。思えば意見が噛み合う日などここ数十年無かった気がする。
しかし、キリールは息子もまた行ってたいらしい独断行動について問い詰め、話し合い、己の意志を伝えなければいけない。
「私は逃げも隠れもしません。発表は公からのものが全てであり正しい。私語は慎みなさい」
「私語? 自分たちの立場上、教官殿の意志をお聞きできる機会はこれが最初で最後のわずかな時間です。教官殿はご家族について――」
「ピーソーク魔法教官。貴官に出頭命令であります」
教室のドアが開けられ、困惑と怯えの混じった表情の兵たちがキリールを取り囲み、そう告げた。
「ご覧の通りです。では本日の講義は、中断させていただきます。行きましょうか」
キリールは兵たちを視線で促し、教鞭を置いてドアへと足を向ける。
その背中に、金切り声に近い叫びがぶつけられた。
「卑怯者!」
これがキリールの、いやピーソーク家のこれから受ける扱いだ。
そしておそらく、連邦王国の――いや、隣国の共和国やライン連邦帝国の魔法使いたちも、猜疑と恐怖、蔑みと憐れみの視線を大なり小なり受けてゆくことになるだろう。
だからこそ、キリールは逃げつもりは無い。
マリー・リー・ユニカはこの老体を殺そうと思えば簡単に殺せた。だが孫のために長生きしろと見逃し、そしてたった今キリールの所業をあらん限りの怒りをぶつけて糾弾した。
厳格で高潔、そしてその場の感情任せで幼稚な、実に帝国貴族らしい有り様である。
屈服してはならない。それこそ、孫のためにも。
今回のサブタイトルは「King crimson」の「Larks' Tongues in Aspic」の和訳から借用させていただきました。
今回で「第二部」の区切りとさせていただき、明日からはまた「外譚」を挟みます。




