第九章 9:Providence
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なんだここ。
ぼくはいつの間に、実家のユニカ邸に帰ってきたんだ?
空を見上げればオーロラが揺らめき、庭園には花冠が置かれ、極夜の頃合いだと直感してわかった。
「……メルセリーナと花冠を交換した時じゃないの? コレ?」
「マリーにはそう見えるの?」
隣で手を繋いでいるソーニャの一重瞼の目は、いつもより大きく開いているようだった。
「私はマリーに拾われたホテルの部屋に見えている」
「おいらぁ実家だなぁ。実家ってーもなんもねー田舎だけどよう」
「オレは普段拠点にしている宿に見えるぜ」
「ボクもハウドと同じ」
「これ自己申告しなきゃなんねーの? あたしは言いたくない」
「我、同意」
最後の方のクリスとカラスはちょっとズルいんじゃないのか。
それともぼくの口が軽いのが良くなかったのか。
ともかく、ツェズリの大迷宮とかいうよくわかんない遺跡の最深部に到着してみたら、実家の――まだ何も知らなくて楽しかったあの頃だというのは、なんだか、ちょっと、怒ってみたくなる。
『此処はお前たち個人個人の思い出の領域。そのため観測者次第で視え方も変わる』
オーロラの向こうから、何かが落ちてきた。
べちゃりっ、という生理的嫌悪を催す着地音をさせ、ぼくんちの庭園の芝生を汚すかのような異様なモノが、そこにはいた。
頭は、南方王国で見たライオンのオスにそっくりだ。猛々しい鬣と勇ましい面構えは肉食獣の王者の風格を漂わせている。
問題は、胴体だ。
一言で済ませると、巨大な蛆虫。
はっきり言うと、ライオン並みに巨大な蛆虫の先端に雄獅子の頭がくっついている、冒涜的な姿をしたナニかがそこで這っていた。
「なんだお前」
観測魔法で詳細を調べようにも、そもそも魔法式をなぜか物理世界に出力できない。
いや、さっき聞こえた言葉を信じれば、ここは思い出の領域なのだから物理世界では無いのかな? いやにはっきりとした夢と解釈すれば良いのか。
うぞうぞと気持ちの悪い動きをして、獅子の頭部を持ち上げたナニかは、男とも女とも子どもとも大人ともつかないよくわからない声で話しかけてきた。
『我を定義するならば、名はヤルダバオート。この世界の観測者であり仕組みである』
「いやさっぱり意味わかんねー」
『仕方あるまい。本来この領域に踏み込む認識者が出現するのは、文明がさらに進んだ時代の予定だった。この世界は現実改変に対して脆弱に作りすぎたようだ。次回の課題となるだろう』
「勝手に納得して勝手に話進められても困るんだけど。まぁいいや。君が何者だかよくわからないけど、迷宮を踏破して遺跡の真実に触れられたってことでいいのかな?」
『然り』
見た目は気持ち悪いけど割と普通に人間っぽいなこいつ。
ともかく、早いところ話を進めよう。ぼくはさっき流血魔術を使ったせいでお腹が空いているし、ドロテアを放っておくのも心配だし、グラームが考えた悪企みをやりたくてうずうずしているし、何よりがんばったソーニャを思いきり褒めて甘やかしてあげたい。
「じゃあ迷宮踏破の証みたいなことをしてくれたり、証拠品を貰えると助かるんだけど。聞いた感じ、君ってこの遺跡の管理者みたいなんだよね? そういうことできそうじゃないか」
『然り。望むのであればそうしよう。――他に望みは無いのか?』
「ん?」
『我を定義するならばヤルダバオート。この世界の観測者であり仕組みである。お前たちが魔法と呼ぶ現実改変の極地を行使できる者と言えば、理解できるか』
「なんとなく理解できるけど……。迷宮踏破ってそういうもんだったの?」
ぼくはせいぜいなんかよくわかんない朽ち果てた遺跡の成れ果てが転がっているくらいしか思ってなかったのだけれど、現実は思ったより奇妙な事態になっているし、そしてうさんくさいくらいに都合の良いことを言ってきている。
グラームが言った。
「じゃあハウドのお母さんを生き返らせて。集落の連中はみんな生きているのを後悔するほど不幸にして」
おっかないこと言うなこの垂れ耳。
ぼくに提案してきた悪企みの内容の時点で気づいていたけど、グラームは純朴で臆病な少年のようで、心の奥底にとんでもないドロドロしたものを抱えている。たぶん、これがもっと賢しく捻じ曲がったらドロテアみたいな化け物になってしまうのだと思う。
ぼくの心配と同調するように、巨大蛆は獅子頭をグラームの方に向けた。
『忠告しよう。過ぎ去りし事象への干渉は現在のお前自身にも影響を及ぼす』
「どういうこと?」
『その事象が在ればこそ今のお前が此処にいる。それを否定しても良いのか』
「……普通に説教臭いし正論言うなこの蛆虫」
ぼくは思わず横から正直な感想を言ってしまった。
グラームが口にした望みの背景を、ぼくは知らない。興味もない。
でも仮にぼくが出来損ないでなく立派なユニカ家嫡子として生まれることを望んでしまえば、今のぼくをぼく自身が否定することになる。
お兄ちゃんに教えてもらったことで強くなり、ぼくより嫡子としてずっとふさわしいメルセリーナを愛し、何より劣等感と怒りから帝国を飛び出したことで出会えたソーニャとの仲も出来損ないのぼくだからこそ得たものだ。
それを自分自身の意志で踏みにじってもいいのか。
たぶん、この蛆虫はそう言っているのだろう。
「……グラーム。母さんのことは、もう、いい。お前が気に病むことじゃない」
「もういいとか言ったら駄目だろハウド」
「良くないけど、オレは区切りをつけられたよ。たった今」
ハウドは蛆虫を見て、そう言った。
「なぁ、オレは――たぶんここにいるみんな、お前を信用できない。言っている意味がほとんどわからないし、結局この迷宮や遺跡ってなんだったんだ?」
『遺跡ではない。認識者を迎え入れられるか否かを確認するための施設である』
「遺跡じゃない? 迷宮踏破できる者がいるかどうかを試すためにそもそも造られたってことか?」
『然り』
「なんでそんなことしたのさ。っていうか、そういうのを遺跡って言うんじゃないのかな」
先人が何か目的のために造った施設が、目的を忘れ去られて遺った跡。
それと、この蛆虫が言ったことの違いがぼくには今一つよくわからない。
蛆虫は、初めて少し戸惑うようにうじうじと身体をくねらせた。気持ち悪い。
『何故。それは我らにも定義し難い』
「無責任だなぁ。っていうかいきなり『我ら』って複数形になったし、本当にお前なんなの? なんかこう神サマっぽいのに見た目は気持ち悪いし、その割に妙にぼくらと同じ目線で会話できるし。全然神サマっぽくない」
『この姿は、この仕組みは人間による人間のための人間のモノである。その戒めと自嘲を以って、我らは我らを我らと定義し、神ではなく偽神にして悪神たるヤルダバオートと定義した』
「え? 君、悪い奴なの?」
お兄ちゃんを見る限り、自分を悪者だと言ってしまう奴は真実どうしようもない悪党にはなれない半端者だというのがぼくの持論だ。
ソーニャも魔女だと自分を悪者扱いしているし、考えてみればぼくの周りの人間そんなんばっかかもしれない。
「……光あれ。すると光があった。神はそれを見て良しとされた」
当のソーニャが、いつものように聖句を口にした。さすがにぼくでもこの有名な一節は知っている。
「お前は蛇?」
ソーニャの問いかけに、獅子頭は目を瞑った。
『違う。我こそが「光あれ」と唱えたものであると定義されている』
「主よ、主よとみだりに唱える者が天国に行けるわけじゃない。聖句にそう書いてある。私もそう思う。なぜならそういう連中は主の御手ではなくお金で助かっても満足する。お金持ちは牛が針の穴を通るより天国に行くのが難しいとも書いてあるのに満足してしまう。いや、満足なんかしない。どこまでも浅ましい。そういう生き物だから、そういう人間はこう言う。『この世界に神様なんかいない』って。『いたとしたら、それは無能な神か悪神だ』って。私は違うと思っている」
『然り。だがこの世界はお前の望むようではなく、人間の人間による人間のためのヤルダバオートが観測する世界である』
「お前のような蛆虫が光あれと唱えたのなら、土くれに息を吹き込んだのなら、私は人間がこんなにもどうしようもない塵だという事実には納得できる。人間の人間による人間のための世界? 塵が造れるのは塵だけ」
『然り。故に我はヤルダバオートだと定義されている』
「ちょっと待ってソーニャ」
ぼくだって、あの有名な聖句は知っている。
ソーニャが言ったことも、なんとなくわかる。
そしてそれは、肯定されてしまった。
……それ以上は、ちょっと考えるのが怖い。
ソーニャを止めるだけで、ぼくが黙ってしまったので、蛆虫は自分の話を続けることにしたようだ。
『魔女と己を定義せし者よ。お前が唱える聖句は、あの本は、本来この世界に持ち込まれる予定ではなかった』
「裏切り者はいつだってどこにだっている。銀貨ちょっとで売りつけて、首をくくる」
『お前が聖句を心の拠り所とするように、我らはヤルダバオートだと己を定義しながら、しかしだからこそ、この世界にあの本を持ち込んだ者がいた。この世界に合わせて翻訳した者がいた。
調停者として鱗人を創った。多様な可能性を試みる様々な亜人を創った。だが人間はこの世界でもやはりほぼ同じ歴史を辿ったようだ。そこにあの本がどれだけ影響しているのか、それは我にも定義できない。次回への検討案だが、おそらく何度でもやはりあの本を持ち込む者が現れるのであろう。故に我らはヤルダバオートなのだ』
「……違う。お前は人間だ。その蛆の姿も、名前も、全部借り物だ。聡い者は知恵を隠し、愚かなる者は己の愚かさを示す」
『然り。我らは愚かだ』
……卑屈だなぁ、この蛆虫。
『自らの住まいを自ら汚した。寄る辺無き我らは自ら造り上げた箱庭に逃げ込み、二度と同じ過ちを犯さぬよう、箱庭のお前たちにも宿る魂の輝きが未来を変えることを願った。それが認識者であると願った』
「で、ぼくたちは君のお眼鏡に適う存在なの?」
『それは我らが決めるべきことではない。お前たち次第だ』
「そうなんだけどさぁ。いやぼくはまぁいいけどさぁ。何年もこの島で冒険者やっていたアトラとか、それぞれ理由あって命懸けで挑んでいたハウドたちとか、今までの人生全部この遺跡のために費やして狂っちゃったトンビとかは、たぶん、肩透かし食らっちゃうと思うよ」
ぼくはこの遺跡を踏破することは、この島を合法的に無血で頂戴するためのただの手段でしかない。
でもそんなのはぼくとソーニャくらいで、他のみんなは究極的にはこんなよくわからないことをぐだぐだのたまうだけの蛆虫と出会うためだけに、数え切れないほどの屍を積み上げて死ぬような苦労をして生涯をかけて挑戦していたということになってしまう。
ちょっとそれってあんまりなんじゃないのか。
『故に我らは認識者の望みを叶えると裁断した。認識者の望みを知りたいと思った。人間とはいかなる生き物なのか。教えてくれ』
「ええ……それって総意で一個? 個人個人で決められるものなの?」
『お前たち一人一人が認識者だ。各自望みは一つだけ。保留権は無い。お前たちが認識者であるのは今この瞬間でしか無い。その限られた中で、たった一つだけ望み得るモノ。それを我らは知りたい』
なるほど。
今まで話してわかった。
この蛆虫は、ソーニャが看破したところによると蛆虫の皮を被っただけの、ぼくたちと同じ普通の人間だ。そしてぼくたちの方が自分たちより価値があって優秀な人間だと思っているのだろう。
クラリッサは言った。無力なことは幸せであると。
卑屈にも蛆虫の姿をしたこの人間は、自ら無力であることを選んだ生き物なのだろう。
沈黙が降りた。
長い。
誰も喋らず、互いに目配せし合っている。
ぼくはもう答えは問われた瞬間に出ていたのだけれど、みんなに遠慮して何も言わなかった。だって、ここまで来られたのはぼく一人の力ではないから。
ここにいるみんながぼくに協力してくれたのはお兄ちゃんのおかげなので、ぼくから言わせればこの迷宮を真に踏破したのは今この場にいないお兄ちゃんだ。ぼくはお兄ちゃんの信頼や、名も知らぬ先人たちが命と引き換えに得た知識の上であぐらをかいているだけの魔人に過ぎない。
ぼくはソーニャの金色の瞳を見下ろした。
三角帽子の鍔を少し持ち上げて、ソーニャは何も言わずにうなずく。
やっぱり、ぼくのせいだよね。
「ねぇ蛆虫。君はさ、最初に『予定より早く迷宮は踏破されちゃった』って言っていた。……それってさ、ぼくが、魔人のぼくが原因?」
『然りにして否である。お前だけが原因ではない。現実改変能力者が現れること、それもこれほど多く出現することは想定外だった。――とくに魔人と称される者たちが統べるお前の祖国は完全なる異端だ。我らはこの世界の人間の可能性をあまりに低く見積もっていた』
「褒められているんだか呆れられているんだかよくわかんないけど、じゃあ一足早くぼくの望みを言うよ。というかもう言っていた。この遺跡を踏破した証が欲しい。誰にでもわかるように。それで十分だ」
ぼくの望みは、たくさんある。だってぼくは甘やかされて育った我儘なお嬢様だもん。
ソーニャが幸せになること。誰にも嫌われず恐れられず、ソーニャ自身も誰かを何かをたくさん数え切れないくらいに好きになってもらうこと。
メルセリーナにも、お兄ちゃんにも、不本意だがドロテアにも、今までぼくが出会ってきた大切な人間や、下等人種なんて呼びたくない尊敬できる人々に幸あれかしとぼくは願う。
もちろん当然、その中にはぼく自身も含まれている。ソーニャとぼくは一緒に面白おかしく毎日を生きていきたい。
でもそれを、こんな卑屈なうじうじしたヤツに叶えられたって、あんまり嬉しくない。
きっとこれからの人生で幸せを噛み締めるたびに、喉にリンゴの芯でもつっかえたかのような、釈然としない気持ちを味わうことになる。
大切な人々の笑顔を見るたび、その笑顔をぼくの手で汚したような気分になる。
ぼくはぼくの愛する人間たちと、胸を張って対等に接することができなくなってしまう。
結局のところ、ぼくの個人的な自己満足を満たすために、ぼくはせっかく目の前に降って湧いた大切な人たちを守る機会をゴミのように捨てるということになる。
でも仕方ない。だってぼくは甘やかされて育った我儘なお嬢様だし。
何より、ソーニャだけはきっとぼくの考えていることを見抜いてくれているだろうから、一番大切なソーニャの幸せだけは絶対に願えない。
「私はどんな形であってもマリーと一緒にいたい」
ぼくが願いを口にした途端に、ソーニャは続いた。
堰を切ったかのように、各々が願いを口にし始める。
「じゃあオレは、無難に無病息災長寿安全ということで」
「あたしも同じ。でもキュルルも一緒で」
「我は無い」
「おいらぁドロテアちゃんの体調元に戻してほしいかなぁ。鷹の字も、もちっとマシになってもらいてーんだけどよう、望み一個限りだし、しゃーねー」
うわぁ、アトラが立派すぎる。というかその手があったか。
最後に、黙っていたグラームが顔を上げた。
「その、世界平和とかは。駄目なんですか」
『然り。観測者たるヤルダバオートの定義を逸脱する故に』
「じゃあ……ぼくの選択権は、ハゲタカ先輩に譲渡します」
「え? そんなことできるの?」
その発想は無かったの連続だ。
蛆虫は獅子頭をグラームに向けている。
『ハゲタカ。ヘルマート。その者がこの場に集った認識者を引き合わせたことは観測している。依って彼の者が認識者と定義しよう。権利の譲渡は、お前が直接彼の者に話し、当人が認めたならば諾とする。但し、拒めばお前の望みは何も叶えられない。良しとするか?』
「うん、それでいい」
あーこれ絶対お兄ちゃん拒否するやつだ。
グラームに悪いけれど、彼の望みは霧散するだろう。でもぼくが口出しする権利も無いから黙っておく。
蛆虫が改めてぼくの方に向き直り、虚空からブローチが出てきた。
蛇がとぐろを巻き、雄獅子が前面に出た形の、素材がよくわからない真鍮色のブローチである。
『マリー・リー・ユニカ。お前の望みは物的証拠と証明だ。お前たちを今から地上に戻した後、その紋章と同じ紋を空に投影し、お前たちが迷宮を踏破したことを物理世界のあの島にて宣言しよう。迷宮の入り口となる石にも、この紋とお前たちの名を刻んでおこう。お前はそれを物的証拠として所持すればいい。よろしいか』
「……なんか恥ずかしいけど仕方ないや。それが望みだし」
『よろしい。ではお前たちの苦難多き未来に幸あれかし』
言わなくてもいいことを言い残し、雄獅子の頭をした蛆虫はオーロラの向こうに飛び立って行った。
……やっぱ苦労するよね。この先。絶対。
世界は狂っているからこそ面白い。だから絶対に思い通りにはならないのだろう。
今回のサブタイトルは「King Crimson」の「Providence」から借用させていただきました。
https://www.youtube.com/watch?v=ViRg4byBA3Y




