第九章 4:世界は月夜のお祭り騒ぎ
4
「あらあら。【魔人殺しの矢】を平人、それもドロテアさんが受けるなんて。……ずいぶん興味深いですわね。いったい、あれから何がありましたの?」
アトラという本命の後ろ盾がやって来たので、ぼくたちはさっそくトンビという名の魔法具技師をホテルに呼び寄せた。
そして、ベッドで上半身を起こした姿のドロテアを見た途端に、大きなフレームの眼鏡をかけ、様々な動物の血と死と脂と油の臭いを纏わりつかせた不穏な姿の中年女は、ぼくらが説明するまでもなくいきなりそう口にした。
ぼくはトンビを電話で呼び寄せたアトラに視線をやったが、彼はそもそも何もわかっていないのかドロテアを心配そうに見つめるだけである。
「寝人の殺し屋さんが持っていました。それよりも、どうしてトンビ姐様は【矢】のことを御存知なんですか」
「わたくしは魔法具職人ですわよ? 【矢】も広義の意味ではそうですから知っていて当然ですわ。それに、魔人のお嬢様がいらっしゃることですから、そろそろわたくしの正体も明かしてしまいましょうか」
ドロテアの珍しく敵意が明確に混じった詰問と視線を受けて、トンビは一瞬ぼくに視線をやった。
そしてトンビは「お見苦しいものを、ごめんあそばせ」と前置きしてから、身につけている作業着のボタンを外していく。
ぼくたちに背中を向けて、裸の肩甲骨が露わになった時、納得がいった。
トンビの背中からは、植物の枝のような蔓のようなものが生えており、作業着の中に押し込められていたその器官は羽根のように伸びてゆく。
「樹人か。よくこんな都会にたった一人で暮らしているもんだね」
「どのような種族でも、はみだし者、世俗の法に沿えぬ者、己を曲げられぬ者はいるということですわ」
そう言ってから作業着を着直し、トンビは空いていた椅子へと許可なく座って、ぼくらを見渡す。
「ここにいる皆様、身に覚えがあるのではなくて?」
「御託はいいよ。知っているならもうこの際説明が省けて楽だからいい。トンビ、君はこの状態のドロテアを治せるのか? 延命するための魔法具を造れるのか? 何かできるのか?」
「そうですわね。案はいくつかありますわ。ただ、平人が受けた例、【矢】を受けて生き残った例はわたくしも初見ですの。……大変、大変興味深いですわ。ああ、どれから手をつけたら良いのでしょう?」
「安全なので頼むよ」
「では、平人を食べて魔力継承するのが一番ですわね」
ぼくは右手の身体構造を変化させ、指先を触手のように伸ばしトンビのうなじに当てて寄生支配を始めた。
「貴様。何者だ。どこまで知っている。ぼくはあまり使いたくないけど、無理矢理お前の記憶を読み取ることもできる。正直に答えろ。魔人に虚言は通用しない」
「一言で済ませると、わたくしは自分の好奇心に素直なだけなのです。わたくしも樹人ですので、寄生干渉魔法については心得がありますわ。――ふふっ、マリー・リー・ユニカ様? あなたも素直になってはいかがですの? 可愛い可愛いペットの魔女……」
「殺すぞ」
寄生支配を解き、ぼくは指を刃状に変化させた。
この女、ぼくに逆干渉をしやがった。
魔力量ではぼくの方が圧倒的に上のはずだ。相手は樹人なので抗体魔法も何重に組んでいた。それを突破して、ぼくの記憶を読み取ろうとしやがった。
なるほど、底の知れなさはドロテアの保証通りだ。倫理も道徳も無いという評価も違いない。
でも、どうやらこのトンビというあからさまな偽名を名乗る魔法具技師は、ドロテアやお兄ちゃんと同類だったらしい。
目的のためなら自分の命を道具に使える人間だ。
「マリー。落ち着いて」
ソーニャの一言で、ぼくは落ち着いた。落ち着いたということを自覚した。
焦燥と恐怖に、間違いなくついさっきまでのぼくは衝き動かされていた。そもそも考えてみれば、寄生干渉支配を仕掛けようとした時点で既にぼくはトンビの話術に嵌まっていたのだろう。
一呼吸して、ぼくは刃を引っ込める。改めて、問いかけた。
「なんだお前は」
「……三十年以上前、この島に一人の男が訪れましたわ。帝国から。その男は当時海流と暴風に守られて侵入できなかったはずのこの島に魔法を使って命からがら到着しましたの。その男の名前は、フォレス。今ではツェズリ都都議長をしており、尊称として冒険王と呼ばれていますわね」
「なるほど。帝国末端の逃亡者がこの島の開拓者だったってわけか」
「お察しのとおりですわ。そして当時のわたくしは、まだ小さく――でも自分の好奇心を抑えられない、一族の中でもやっかみ者でしたの。他所者のフォレスとはすぐ仲良くなりましたわ。一族が秘密にしていたことを調べて、全部バラしてしまったりして、楽しかったですわね。挙句の果てに、この島にこんな遺跡があっただなんて!」
トンビは腕を広げて、大迷宮と呼ばれている遺跡の方角に身体を向けた。
「あまりにも面白すぎることがこの世界には溢れている! 生物の構造、文化、歴史、そして遺文明の遺産! フォレスとは意気投合しましたわ。遺跡を調査して、何度も死ぬような目に遭って、島を拓き、入植者たちを招き、力と意志ある者たちと結託し、彼らと魔物を何度も何人も何匹も何体も数え切れないほどに解剖し、彼らが持ち込んできた道具と組み合わせ、わたくしたちは強くなり、そして――負けました」
恍惚と朗々と演説するかのようなトンビの言葉は、あまりにも冷めた一言で終わった。
「五十九階を守っている竜。想像上の、空想の生物であるはずの、鱗人たちの神話に依ればこの星の創世神。まさか本当にあんなものがいるとは。それまでの魔物たちとは比べ物にならない強さにわたくしたちは現実を思い知り、フォレスは諦めこの島を治める道を選びました。わたくしはさらなる性能の魔法具を造り出し、いつか誰かがあの竜を倒し、遺跡を踏破することを夢見て、今、こうしてここにいるのですわ」
「……だから竜還魔法具工務店という名を、看板に掲げたんですね」
「その通り」
ドロテアの一言にトンビは頷き、改めてぼく見つめた、
「マリー・リー・ユニカ伯爵令嬢様。あなたのことも、この島のことも、わたくしはたくさんたくさん調べてよく知っていますわ。【魔人殺しの矢】はその過程で知った内の些細な一つに過ぎませんこと。わたくしは、そんなものより、おそらくこの世界で最強の魔法使いでありそれに次ぐ魔女である貴女たち二人に、とても、とてもとても、とてもとてもとても期待していますの」
「言われなくたってそのつもりだよ。もう知っているんだろう?」
「ええ、ええ。わたくしはずっとこの日を待ちわびていた。貴女たちには、わたくしの今までの持ち得る限りの全ての技術を詰め込んだ魔法具を用意致しますわ」
「いらないよそんなの。そんなものより、ドロテアを治せ。治せないなら、せめて、十年、五年、一年でも。ドロテアが望む形で生き延びる術こそが、ぼくの欲しいものだ」
なんでこんなに気に入らない女のために、なんでこんなに狂った女へ頼まなければいけないんだ。
トンビが言うように、この世界は確かに面白いもので溢れているとぼくも思う。でもそれと同じくらいに、どうやら狂気が満ちていたらしい。
帝国も狂っていると外に出て知った。結局のところ、ぼくたちは理解できないものを狂っていると恐れることしかできない生き物なのかもしれない。
でも、そうであったとしても、ドロテアはぼくの大切なお兄ちゃんの大切な奥様なのだ。
お兄ちゃんがマイナード叔父さんを喪って、泣くことすらもできずに自分の無力さを呪って、ぼくには理解できない狂った化け物に成り果てた現状を、もう二度と繰り返したくない。
あれ以上お兄ちゃんが壊れると、たぶん、お兄ちゃんは生来の弱さ故にとんでもないことをやらかす。
無力なことは幸せだとクラリッサは言ったが、お兄ちゃんは無力なくせにその幸せを甘受できない人間だ。ドロテアもそうなのだろう。
この世の人間の大半は無力だ。その無力さを武器にすらできるお兄ちゃんは、ぼくやソーニャとは正反対のやり方で、たぶん、世界に未曾有の災厄を振り撒くことができる。
ぼくや、この場にいる多くのお兄ちゃんを慕う子どもたちがいい証拠だ。お兄ちゃんがその気になれば、ぼくたちと正反対の誰かを傷つけ殺すことを厭わない子どもたちをいくらでも育てられる。
「ドロテアさんの症状は、平人を食べるだけで解決できる問題ですのに? わたくしの手など、必要ではありませんでしょう?」
「魔人のぼくだからこそ言わせてもらう。ぼくら魔人は好きで平人を食べているわけじゃない。愛する者たちのため、弱い民たちを養うため、自分たちの次の世代のために、食べて、食べられるんだ。
――ああそうさ。ぼくはドロテアのためなら、お兄ちゃんのためなら、見ず知らずの誰かを殺して食べさせてやってもいいと思っている。でもそんなことをしたら、お兄ちゃんもドロテアも壊れる。やろうと思えばできるけど、やっちゃいけないことなんだ」
「ふむ。結局、いつもこうなのですわ。なぜ人間は、己で己を束縛するのでしょう? わたくしには理解できませんわ」
「自分で決めたことだからこそ、ぼくはぼくで、お兄ちゃんはお兄ちゃんで、ドロテアはドロテアで、ソーニャはソーニャなんだ。トンビ。君も同じだ。他人の決めた倫理や道徳に縛られない生き方こそ、自分で決めたことだからこそ、君もトンビなんだろう」
ぼくたちはそういう生き物だ。
トンビは肩をすくめた。
「不合理ですが、この手のことは慣れてはおりますの。そして合理性で言えば、わたくしが強情を張るまでもなく、元よりマリー様は遺跡を踏破するつもりでいらっしゃいますから。不本意ですが、ドロテアさんの治療を優先することを約束致しましょう――それはそれで、興味深い実験ですし」
「支払いはどれくらい必要なの?」
「必ず遺跡を踏破すること、ですわ」
支払いも何もない。
けれど、代償はもう十分以上に支払ってしまったかもしれない。
ぼくはこの場にいるみんなを――ソーニャを、ドロテアを、トンビを、アトラを、ハウドを、グラームを、クリステラを、カラスを見渡す。
「聞いての通りだよ。信じてもらえないかもしれないけど、ぼくはまだ誰も平人を食べたことがない。でもソーニャとはそういう関係だし、ぼくもいつかぼくの産んだ子どもかその子どもに食べられる。それが魔人だ。気持ち悪いよね。怖いと思う。狂気の沙汰だ。……だから、無理にぼくらについて来なくてもいい。君たちの自由だ」
ぼくとソーニャは迷宮に関しては素人だ。聞く限り、最奥にいる竜とやらはかなり苦戦しそうなので、仲間がいないと不安ではある。
でもぼくは恐怖で無理矢理彼らに協力をさせたくはない。そういうのはいけないことだと、メルセリーナにも、お兄ちゃんにも教えられて、今のぼく自身も納得している。ぼく自身の本心だ。
「マリーはさ」
クリスがソーニャとぼくを交互に見て、真っ先に口を開いた。
「たぶん、魔女を殺せないし、誰にも自分を殺させないんじゃねーの? 顔にそう書いてあるし」
「そういうわけにもいかないんだよ。これが魔人の誇りであり生き方だ。ソーニャとも約束したんだ」
「いや、マリーさっきさ。自分で言ってんじゃん。『自分で決めたことだからこそ、自分なんだ』って。魔人がなんでそんな気色悪いことしてんのか理解不可能けど、気色悪いって自覚あるってことは、生理的嫌悪ってー話っしょ? じゃあそれでいいじゃん」
「よくないよ。ソーニャとの約束を破るわけにはいかない。そうだよね? ソーニャ」
「うん、私はマリーが辛いなら、マリーとの約束を破ってもいい。マリーと一緒に生き続けたい」
「ほらソーニャも――ん?」
あれ? ソーニャ今何言った?
「ソーニャ? え? どゆこと?」
「マリーこそ、まだ約束、できるつもりだったの?」
つぶらな金色の瞳で、ソーニャはぼくを見上げている。
そうだ、ソーニャは、慧眼の魔女だった。
ぼくの本心なんかとっくにお見通しだったんだ。
今まで感じたことのないくらいの解放感が、目の前に広がった。
ぼくはソーニャを抱きしめる。
「無理! ぼくはソーニャと一生遊んで暮らしたい! 魔人として、貴族としての誇りはあるけれど、縛られるのはうんざりだ! 好きでもない男と結婚なんかしたくない!」
「よくできました」
ドロテアが嬉しそうに拍手をした。こいつ本当に腹が立つ女だ。なんでぼくこんな奴のために苦労しているんだろう。
オマケにアトラも拳を手の平に叩きつけ、大声を上げた。
「ってーことだからよう! 鷹の字はいねーけど、ハゲタカ同好会のおいらたちで、迷宮踏破しちまおうぜい! おいらもいい加減つまんねー仕事ばっかでムシャクシャしてたしよう!」
その声に呼応するかのように、他の者たちも立ち上がり始める。
「よし、じゃあやってやるかグラーム」
「うんハウド。やってやろう」
「あたしが焚き付けたんだから、もちあたしもやってやる」
「竜、死闘。滾る」
全く、本当に、この世界は想像以上に面白くて狂気に満ちている。




