第九章 2:怖くない魔人だよ
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ツェズリ島に到着しても、ぼくたちはすぐに上陸することはできなかった。
「マリーとソーニャはこの島でもう顔が売れているわ。後ろ盾になる人間を連れてくるまで、船で待っていて」
ヴォスという名の吠人が船に残り、クラリッサと鱗人のギィジャルガだけが船を降り、結構な時間が経過していた。
船の中に設えたベッドに寝かせていたドロテアが目覚めたので、ぼくは現状をそんな風に説明した。
ドロテアの周りには迂闊に顔を出せない魔人であるぼくとジラルド、そしてソーニャがいる。
ぼくが説明を終えると、ドロテアは頷いた。
「なら、安心です。……ヘルマートさんは、この島で、ハゲタカという名前で結構名が売れていましたから」
「悪名じゃないか。アトラって奴にちゃんと説明されたけどさ。……お兄ちゃんはああいう性格だから仕方ないけどさ。ぼくは、やっぱり腹立たしいよ」
「……大丈夫ですよ。アトラさんは所長さんと逆にこの島では一流の冒険者として名を馳せていますし、他にも腕の立つ方に恩を売っています。そういった方々の名前を、ちゃんとクラリッサちゃんには伝えましたから」
「ドロテア。辛くないなら、教えてほしいんだけど。お兄ちゃんは、どうしてこの島で死体漁りなんてやっていたの?」
「それは……」
口にしかけたドロテアを手で制したのは、ジラルドだった。
「無理をするなドロテア殿。揺れぬよう気をつけているが、船上はその身では辛かろう。マリー様も、今その話を聞く必要は無いかと、進言させていただきます」
「それもそうだねジラルド。ついでに聞いておきたいんだけど、君の今後の予定は?」
「マリー様たちを船から降ろしたなら、クラリッサ殿たちと共に帝国へ帰る予定です。私はヘルマート殿とメルセリーナ様の活動に、微力ながら力を貸したい。――この身がたかが平人と鱗人に負けたという恥を、今こそ現実的な危機として祖国に伝えねばなりません」
「……いやジラルド。君の姿勢は立派だけど、なんでクラリッサたちも連れて行くの?」
ジラルドは何かを諦めたかのように、深い、とても深いため息をついた。
「彼女たちに負けた時の約束なのです。いつか帝国へと観光旅行へ赴く際、案内役として付いて来いと」
「観光旅行」
「はい」
……クラリッサは友達になったつもりだったが、どうやらぼくは彼女のことを全然理解していなかったらしい。
ドロテアがベッドに寝そべったまま、くぐもった声でぼくたちの話に割り込んできた。
「貿易商のご令嬢ですから。……何か、商談があるのかと」
「……ジラルド。前々からぼくは思っていたんだけど、いい機会だ。ぼくの個人的な意志を、帝国に帰る君に伝えておきたい」
「はい」
「ぼくは、帝国はいい加減鎖国を解くべきだと思う。お兄ちゃんたちが奔走して世界の現状を教えなくちゃいけないのも、せっかく外国に放った末端の情報を全然ぼくたち魔人が耳に入れないのも、元を正せば外交していないせいだ。ぼくは政治のことはよくわかんないけど、人間同士、ちゃんと話し合いをしないからこんな面倒なことになったんだと思う」
「同意します。故に、クラリッサ殿は商談という形でまずは外交の扉を開けるつもりなのでしょう」
どうやらジラルドはぼく以上にクラリッサのことがわかっているようだ。
そこで、くいくいっ、とぼくの袖を引っ張るソーニャに気づいた。
「どうしたの? ソーニャ」
「マリー。もうこれ、ジラルドに渡してもいいと私は思う」
ソーニャは、ぼくの荷物鞄を開けて紐で綴った書面の束を取り出していた。
なるほど、それは全く考えていなかった。
ぼくはソーニャを抱きしめて、頭を撫でてあげる。
「ありがとう、ソーニャ。いい案だ。確かに、ぼくにこれはもう必要ない」
「あの、マリー様。どうかなされたのですか?」
戸惑うジラルドに、ソーニャは書面の束を手渡した。
「マリーがお話して協力してもらっている、国外で活動している帝国の諜報員や、裏切り者から売国奴の名簿。マリーは忘れっぽいから、外見の特徴も添え書きしている」
「……ありがたい。よし、私はいったん帝国にクラリッサ殿たちを送りヘルマート殿に預けた後は、この者たちを説得します。国外活動こそやはり私の得意分野だ」
「色々忙しいだろうけど、頼んだよジラルド。あと、もう君には言う必要もないだろうけれど、くれぐれも油断しないように」
「ジラルドさんみたいな常識人の【共犯者】さんは、わたしたちの中では貴重なので」
ドロテアが病床のまま余計なことを言うから、ジラルドの顔が歪んだ。
この子爵家跡継ぎも、聞けばよくもまぁ魔人としての誇りを何度もへし折られる目に遭いながら、それでも祖国のために働いているのだから苦労人で見上げた男だと思う。恋愛対象としては残念ながら見られないけど。
ぼくも本来ならそろそろ結婚相手を探さなければいけない年頃なのだけれど、生涯添い遂げたいと思うような男性には全く出会えていない。お兄ちゃんはドロテアに取られたのが悔しいけど、ぼくがまだ五つか六つの頃から家庭教師をしてくれた相手だ。ぼくの中でお兄ちゃんはお兄ちゃんでしかない。
「おイ。キュルルが協力者ヲ連れてキタ」
今やらなくちゃいけないことからうっかり思考が外れかけていたのを元に戻すかのように、船室の扉を開けてギィジャルガが蜥蜴のような頭をひょっこり出した。
ぼくは観測魔法で船室の外に、複数の人間がいるのを確認してちょっと驚く。
「船の方に連れてきたの? ぼくたちがそっちに行くんじゃなくて?」
「ドロテアと会いたいらしいわ。いいですこと? あなたたち、相手は病人なのですから礼節と分は弁えるようになさい」
続いて顔を出したクラリッサが、令嬢らしい言葉遣いで呼び寄せた者たちに注意した。その前置きをしてから、船室に入ってきた人間たちをぼくは肉眼で確認する。
吠人の少年が二人。片方は灰色の狼顔で精悍な顔つきをして、もう片方は白毛で垂れ耳――あれ? こっちの垂れ耳は見覚えがある気がする。
続いて入ってきたのは、東方のゆったりとした衣装に身を包み黒髪を三つ編みにした平人の青年とも少年とも言える年齢の男だ。一目見てわかったけど、こいつは相当やる。ぼくでも今から真正面から戦うと絶対に苦戦する。
最後にクラリッサと手を結びながら入ってきたのは金髪を二つに結わえて、自分の身長より大きな魔法杖を手にした平人の女の子だ。ジラルドの顔を見たとたんに、明らかに嫌そうに表情を歪ませている。何やったんだよジラルド。
「ド、ドロテアさん……?」
「お久しぶりですが、身体の方は、その……」
「みんな、ごめんね。忙しいところ、来てもらっちゃって。……自己紹介、し合おうか?」
吠人の少年二人に話しかけられて、柔和な笑顔を浮かべたドロテアは周りにいる者たちを見渡して、そう提案した。
まぁ確かにその通りだ。クラリッサとギィジャルガはもう省略していいだろうけれど、ぼくたちはお互いのことを知り合わなければいけない。
代表者として、ぼくは真っ先に足を踏み出して胸に手を当てて、もう片方の手で角を指差しながら名乗った。
「ぼくの名前はマリー・リー・ユニカ。見ての通りの魔人で、お兄ちゃん――ヘルマート――でもなくて、ハゲタカの弟子だよ。で、こっちがぼくの可愛い大切な」
「ソーニャ。マリーの家族。魔女」
「私も魔人のジラルド・アールベルクだ。言っておくが、私は子爵だがこちらのマリー様は伯爵家長子の令嬢だ。こう見えて本気になれば――」
「強い。説明不要」
間違いなく四人の中で最強の、東方衣装の男が前に進み出て、しかし狼頭の吠人の少年に顎をしゃくった。
「あ、オレはハウドです。ハゲタカ先輩に世話になりました。一応、みんなのリーダーをさせてもらっています。で、こっちの垂れ耳が」
「グラームです。ハウドとは幼馴染で……あの、その、ドロテアさん。ハゲタカ先輩との結婚、今更ですけど、おめでとうございます」
「ありがとう、グラーム君」
惚気るな、なんかイラってする。
ぼくが不機嫌なことにも気負わず、さっきからずっと注意している東方衣装の男は訛りの強い連邦王国語でやっと自己紹介を始めた。
「我はカラス。ハゲタカ、何故、不在」
「帝国に里帰りしていてね。お兄ちゃんにしかできないことをやっているんだよ」
「承知。……ハゲタカ、貸し有る。だが、弟子の手前――仲間、手出し、不許」
「おいカラス。失礼だろ」
カラスのぼくに対して臆さない態度に、リーダーであるハウドは嗜めた。
でもぼくは逆に楽しくなって、唇が釣り上がってしまった。さすがにお兄ちゃんが見定めた連中だ。一人一人は未熟だけれど、互いが上手く支えあっている。
そして、このカラスは絶対にお兄ちゃんより強い。なのに、お兄ちゃんをどうやら買っているようだ。そういうところが、お兄ちゃんの強みなのだ。本人無自覚なのが困ったところだけれど。
最後に入ってきた眠そうな顔をした女の子は、杖によりかかって砕けた態度でぼくらを見渡した。
「クリステラ。クリスでいーい。で、いちおー挨拶しておきますけどー。魔人の兄ちゃん、なんでアンタがここにいんの?」
「……その節は申し訳なかった」
「いやあたしも兄ちゃんのおかげで助かったからお互い様なんだけどさー。あとドロテアさん、結婚したって言いもしないで二人で島出て行くとかさー。あたしらなんだと思ってンの?」
「……ごめんね?」
「大人って謝ったら済むもんなの? ねぇどう思うキュルル?」
「最低よね」
「うん最悪」
クラリッサを愛称で呼ぶところからして、クリスはどうやら元々友人同士みたいだ。
それにしてもお兄ちゃん、面倒を見た子たちに何も言わず出て行ったのか。
……お兄ちゃんらしいと言えばらしいけど、ドロテアがそういうところなんとかするべきなんじゃないのか。今のドロテアは不調だからあまり罵れないのが悔しい。
自己紹介を終えたからか、リーダーのハウドがぼくの前まで進み出てきて一礼した。
「悪いけど、オレたちはまだ一年ちょっとしか冒険者をやっていない中堅程度だ。本命はオレたちの師匠、鱗人の戦士ズゥクジャーンと一級狩人のアトラさんなんだけど、今迷宮に潜っていて、とりあえずオレたちが顔を出しにきたって状態」
「アトラとはこの前会ったけど……グラームだっけ? 君、この前、迷宮の前で会わなかった?」
「…………はい」
あの時と同じ怯えた目をしているのが気に食わないけど、でも同時にこのグラームはあの時誰よりも真っ先に現状を受け入れて、ぼくたちの質問に答えてくれた人間でもある。
今まで出会ったことのないタイプの人間だ。お兄ちゃんが目をかけたのだから信用はしてもいいのだろうけれど。
「とにかく、お互いお兄ちゃん――ぼくはハゲタカって呼びたくないからお兄ちゃんって呼ばせてもらうけど、お兄ちゃんの弟子よしみってことで、仲良くしたいんだ。で、後ろ盾の本命が不在で冒険者の皆が来たなら、もう君たちとドロテアのこととは別件の話をさせてもらうけど、いいかな?」
「ええ、まぁ。ドロテアさんのことは心配ですけど、オレたちにできることは限られているから。話って何?」
戸惑いの表情を浮かべるハウドに、ぼくは軽く言った。
「ぼくたち迷宮? 遺跡? ってのに疎いからさ。君たちなら信用できるし慣れているみたいだから、ちょっと付き合ってほしいんだよ」
「……なーんかすげー嫌な予感するんだけど」
クリスが眠そうな目でぼくを見つめてきたけど、そんなに深刻な話じゃない。
「ちょっと迷宮を踏破してこの島で一番エラい奴になりたいんだぼく。迷宮に同行してほしい」
「ハウド、我らは選べ無い」
カラスがぼくの言葉が終わるや否や、リーダーに提言した。
「マリー強い」
「強いって……カラス、お前もめちゃくちゃ強いだろ」
「我? 違う。ズゥクジャーン。リィズズグ。我。全員で戦っても、無理。勝てない」
「……冗談だろ?」
「お前たちにもわかりやすく説明してやろうか」
困惑するハウドに、ジラルドがソーニャに視線を向けた。
「こちらのマリー様の家族は、【砲雷】を十重起動して、百連射くらいなら余裕でできる。マリー様ご本人に至っては……もう察しろ。その主人だ」
カラス以外の三人の顔が凍りついた。
驚かせたり、怯えさせるつもりはぼくには無い。協力してもらわないと困るんだから。
「大丈夫大丈夫。ぼくは怖くない魔人だよ? ちょっとね。この島をね。穏便に征服したいだけ」
「……終わった」
クリスがうなだれて一言、呟いた。
うん、まぁ、この島終わらせる気で来たから正しいんだけど。




