第九章 Starless And Bible Black
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魔人のぼくは北海同盟において嫌われている。マリー・リー・ユニカだからではなく、魔人全体を嫌っているのだ。
ディアーガやゾグ酋長夫妻なんかは力量差を弁えていることや、帝国人でありながら北海同盟のために命を懸けたマイナードおじさんのことを知っているからか柔和な対応を取ってくれているが、彼らのような賢人の方が圧倒的少数なのは間違いない。
理由はいくつもあるけれど、一番の問題は帝国を温暖な気候にするため大規模な熱量操作魔法を恒常起動し続けることによってこの世界全て――北海ではとくに大きな環境変化が起こっていることが彼らを怒らせている原因になっているらしい。
氷床と流氷を溶かしたことでここ二百年ほど、ずっと海面と海水温度が上昇しているらしく凍てついた氷海の環境を謳歌していた凍人たちにとって、ずいぶんと暮らしにくくなってしまっているようだ。
実際、帝国が興ったはるか昔にはあったとされている世界各地の沿岸都市は水没してしまったり、衰退したのはぼくもこの目で見ているから知っている。
この世界規模の環境変化を起こした元凶が帝国であり魔人であるという事実を知っているのは、凍てつく大地で先祖代々暮らしてきた北海同盟の住民くらいだけだ。
けれど、ぼくら帝国の魔人たちが、ただぼくたちが暮らしやすい環境を得るためにやっていたことが、結果的に世界規模の侵略と破壊活動を二百年もの永きの間行い続けていたことになるわけで。
とうの昔にぼくら魔人たちは、間接的とはいえ数え切れないほどの命と文化と文明を奪っていた。ぼくが帝国に生まれた時には、もう完全に取り返しのつかないことになっていた。
だから悪魔の帝国だと糾弾されても、まぁ、認めよう。実際魔の法に依って生きることがぼくら魔人の誇りだし。
でも、だからどうした。
ぼくはお祖父様からもお祖母様からも、使用人頭の婆やに従事長の爺やからも、父上からも母上からも叔母上からも、お兄ちゃんやマイナードおじさんからすらも、聞いている。
魔法帝国が興った原因を。なぜ、熱量操作魔法を常に起動し続けなければいけないほどの、人間が本来住める土地ではない島を永住地としたのかという理由を。
ぼくら魔人は、魔人になりたくて魔人になったわけじゃない。そうしなければ、生きていけなかっただけだ。もう平人の領域を魔力的にも倫理的にも越えてしまった存在になったことを、悲嘆ではなく誇りにするしかなかった。
始原の魔人と言える、ぼくの小さな可愛いソーニャと出会ったことで、自分を頑なに魔女だと固持し続けるソーニャの生い立ちを断片的に聞き続けることで、ぼくらのご先祖様がどれほどの苦労と苦難と苦渋と屈辱と恥辱と陵辱の日々と道を歩み、太陽すらも狂う極北の果てに追いやられたのか、よく理解した。
ソーニャはよく言う。人間に生きる価値はない。罪を持って生まれ、生きることが罰であり、贖罪の機会は世界が滅んだ後であり、ならばもういっそ全ての人間は死んでしまえと。
ぼくは主人として、魔人として、下等人種を導き守り慈しまねばならない貴族としての義務と誇りから、そう言うソーニャを毎度たしなめて諌めることにはしている。呆れるくらいに絶滅的思想だとも思う。
でも、本当にやってしまいたい気持ちはぼくにもある。
こんなに可愛いぼくのソーニャに、これほど癒えない心の傷を負わせてしまった世界が、これ以上ぼくらを糾弾して攻撃し排除しようというのなら、もう情けも容赦も躊躇いも愛も無い。
死ね。滅びろ。お望み通り、悪魔の軍勢を率いる魔王にでもなんにでもなってやる。
「それはちょっと極端すぎないかしら?」
「やりたいなりたいってだけで、具体的な方法は何も考えてないよ。ぼく、そういうの苦手だもん」
船の甲板上で、ぼくはさっき獲ってきた海亀を捌きながら、隣に座る旅装用ドレスに身を包んだメルセリーナと同年代くらいの令嬢へと、今の自身の意志を伝え終えた。
癖のある黒髪は少し茶色がかった色合いで、ソーニャともドロテアとも違う。肌の色は令嬢らしくなく結構焼けており、好奇心旺盛そうな大きな碧い瞳で呆れるようにぼくを見つめている。
「クラリッサは、ぼくが本当に世界を焼き尽くすために暴れ回ったら敵になるのかい?」
「そうね。悪いけれど、その時はヘルマート夫妻との同盟も切って、わたしは、セッテフィウミ海運はマリーや帝国と戦うことを選ぶ。でも、そもそもわたしたちの目的はそんなことにならないようにするわけだから……マリーの意見は、今言ってもらって助かったわ」
「うん。隠し事無く正直な意見を言い合うのは大切だ。ぼくだって、もう本当にめちゃくちゃ怒っているけど、アトラにディアーガやクラリッサみたいな話のわかる人間だっていることもわかっているし、君たちを殺すのは嫌だよ」
「魔法使い、とくに魔人はそういう所、ある意味では哀れね」
クラリッサは、本心からそう思っているようで、ぼくを物憂げな表情で見つめていた。
全く揺れない甲板の上でぼくは捌いた海亀の肉でスープを作り始めている。鍋は熱量操作魔法で直接熱することができるし、その他の調理器具もぼく自身の身体や髪の毛を肉体構造変化魔法で代替できるから不自由はない。
連邦王国のホテルでも、よくこうして勝手に料理をしてソーニャと一緒に食事を摂ったものだ。
「なんで? 誤解しないでもらいたいんだけど、君たち下等人種はこういうことできないよね? 不便じゃないの?」
「不便と感じないわ。だって、絶対にできないんですもの。羨ましいとか便利そうとか思ったら、技術で代替する手段を考える。わたしは技術屋じゃなくて多少口達者で家の財産と人脈に恵まれた小娘だから、そういうのが得意な人間に仕事をぶん投げるだけ。それで十分だってわたしは思っている」
「まどろっこしいのによく我慢できるなぁ」
「そこ。可哀想だなって思うところ」
この娘、さすがにアールベルク子爵家の跡継ぎに勝ったというだけあって物怖じしないお嬢様だな。
当のジラルドは今もこの船に同乗して、気流制御と海流制御魔法を使うことで安定高速航行に集中している。魔法を使えば外輪船とかいう最近流行の船より帆船の方が速く安全に航行できるものなのだ。
クラリッサ嬢は、北海同盟でドロテアの治療方針が決まってから翌日に突然、なんの連絡もなく、いきなりこの船で押しかけてやってきた。
いわく
『こんな面白いことになっているのにわたしを混ぜないなんて、同盟している意味が無いじゃない!』
だそうだ。お兄ちゃんと同盟を組んだ【共犯者】だそうで、変人なのも仕方ない。
可哀想に、一度負けたからかアールベルク家の跡継ぎともあろう誇り高き魔人のジラルドはクラリッサに顎でこき使われて、船の動力源として引っ張り出されたようだ。
ただ、ドロテアをどうやってツェズリ島まで安全に安静に運ぶか決めかねていたところに、クラリッサとジラルドが魔法動力船でやって来たのは幸運としか言いようがなかった。
『幸運じゃなくて、ヘルマートなら絶対に北海同盟に「魔女」の保護を頼むってわかっていたから来たのよ』
とクラリッサは言っていたので、必然だそうである。お兄ちゃんの考えはビシニアとかいう殺し屋にもバレていたので、なんというか、選択肢が他に無かったのだ。
なので、これらの一件は全部お兄ちゃんに黙っておくことにした。
昔っからお兄ちゃんは弱いくせに、自分の能力以上のことをやろうとして、できなかったらものすごく悔やんで誰にも弱音を吐かずに小さな努力の積み重ねをする人間なのだ。そろそろぼくらが勝手になんでもかんでも済ませてしまい、事後報告でびっくり安心を一緒に届けてもいい頃合だと思う。
ともあれ、そういうわけでぼくたちは今、ジラルドの私有船でツェズリ島に向かっている最中であり、ぼく個人と言えば不本意ながらドロテアの療法食を作っているわけである。
そんなぼくを、クラリッサは可哀想だと評した。
「なんでもかんでもやろうと思えば本当に自分一人の力でできる。自制心と責任感を両立させていないと、あっという間に取り返しのつかないことになるし、それがわかっているからなんでもかんでも本当はできるのに、出来ない。最初っから出来ることに限界があるわたしたちより辛いことだって、わたしは思うわ」
「ぼくにも出来ることの限界はあるよ」
「でも都市の一つや二つを焼き払えるって、マリー自身が言ったことよ。ジラルドもできるらしいけど。わたしだってそれくらいやりたいくらいむしゃくしゃすることなんかしょっちゅうよ。でも出来ないから、色々と根回しと手回しをして嫌がらせと意趣返しついでにお金を引き出させて、我慢するしかない。本当に焼き払える手段を持っていたら、はっきり言って、重すぎるわ」
「……ぼくはソーニャに悪いことをしたのかな」
珍しいことだけれど、今、ぼくの傍にソーニャはいない。クラリッサが嫌いなのだそうである。
またドロテアの現状や、ぼくの知らない間に一晩語り合って殺し合った仲のビシニアという寝人について、必要以上に責任を感じているのか、ドロテアの身の回りの世話を今はしている。
けれど、ソーニャをそんじょそこらの魔人以上に強くなるまで魔法を教えてしまったのはぼくだ。
クラリッサの持論を当て嵌めれば、無力な呪われた魔女のソーニャを災厄と呪いの魔女にしてしまい、『出来るけど我慢しなけばいけない重み』を与えてしまったのはぼくのせいだ。
「そうね。貴女の従者の魔女については調べたし新聞でも読んだ。実際に見た感じからしても――マリー。貴女はあの娘に背負いきれない重いものをプレゼントしちゃったのよ」
ぼくは何も言えなかった。ソーニャが色々覚えてくれるのが嬉しくて、ソーニャが魔法を一つずつ自在に使いこなせるたび仄かに笑うのが愛らしくて、お兄ちゃんの真似事をしてみたくって、限度無く教えてあげられるものは全部教えてあげたし、まだまだ教えるつもりだった。
クラリッサの舌鋒は鋭く、止まらない。
「マリー・リー・ユニカ。無力であることは、捉え方や考え方次第ではとても幸福なことよ。赤ん坊の頃のことを思い出せとは言わないけど、思い出せる限りの昔のことを思い出してみて。何もかも周りの大人のせいにできて、叱られても怒られても泣いているだけで何もできなかった頃のこと」
「……むかっ腹立てていたなぁ。だからと言って何かできるわけじゃなかったけど、だからこそぼくはお兄ちゃんにぼくの可能性や『力』を認めてもらえて、嬉しかった。本当に『力』を得るために、努力した」
「わたしも勉強して、話術や駆け引きを覚えていったわ。でもわたしたちは恵まれた裕福な家に生まれた令嬢だから、できたことよ。貴女の従者の魔女は、ただの迫害されていた田舎娘。とてつもなく不幸だと思うけれど、貴女が拾わなければ、彼女なりに納得した死に方をしていたかもしれない」
「…………そうだね」
ソーニャは家族になるという意味を知る前に、ぼくに『殺してくれ』とお願いした。
たぶん、あの約束を交わしたあの日、ソーニャにとって人生で一番幸福な瞬間が訪れたのだろう。ぼくは死ぬにはまだまだ楽しいことや面白いことが世の中には溢れていることを教えたかったし、何よりもっとソーニャを愛したかったからぼくはソーニャを殺さなかった。
もう殺せなくなるくらいに愛してしまっている。
でも、ソーニャ自身の視点で見た幸福をぼくはどうやら、考えることもできなかったらしい。
「自分は何もできない弱者で、いつか誰かが助けてくれると勝手に信じて、自分は清く正しいと思い込むだけで強い者の言うことをただ頭ごなしに聞いているだけで何も考えない。それはとてもとても幸福なことよ」
「でもぼくらのご先祖様やソーニャは、そんな連中に石を投げられて追われ、磔にされて火あぶりにされて死んだんだ」
「だから」
クラリッサは碧い海のような瞳でぼくを見据えた。
「マリー、貴女はせめてソーニャだけでも幸せにしてやりなさいよ。それが貴女の一生背負っていかなきゃいけない責任だって思う」
「荷物の増えっぱなしだ」
「違うわよ。マリーがソーニャを幸せにしたいなら、いつかわたしはマリーと対決したっていいっていうお話。マリーはマリーの好きなように生きたらいい。それでマリーがもうどうしようもないくらいの悪魔に成り果てたら、わたしの持てる人脈とお金の全てを使って、マリーを殺してやるわ」
ああ、なぜこのご令嬢がお兄ちゃんと同盟を組めたのかわかった。
弱いけれど、自分の弱さを認めて、自分の出来る可能性をずっと探し続けられる人間なんだ。
本当は出来ることを我慢しなければいけないぼくらと対極にいる、希望と可能性を忘れない、忘れられない人間だ。
「クラリッサ、ありがとう。君はぼくの敵になってくれるんだね」
「そういうこと。でも、それまでは友達でいましょうよ」
その友達付き合いすらも、最終的にはぼくの弱点を探る打算なのだろう。
お兄ちゃんが教えてくれたことだからぼくは知っている。
でも、それはそれとして、年の近い令嬢の友達ができたことを、今ぼくは素直に喜びたい。
ソーニャに伝えたらやきもちを焼かれるかもしれないけど。
今回の章タイトルは「King Crimson」の「Starless And Bible Black」から借用させていただきました。本章でのサブタイトルで英字の奴はキンクリからの借用となります。
https://www.youtube.com/watch?v=T0F1jOZpQYQ
私的な話ですが「Starless And Bible Black」では「The Night Watch」がとくに好きです。
この第九章で「第二部」の区切りをつけさせていただく予定です。




