第一章 終:羊たちの出立
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放棄された小さなワインセラーが、私の魔法訓練場だ。
共和国首都レフィーエには、たくさんのワインセラーが地下にある。しかし掘って造ったはいいものの、立地条件や時代の流れで使われなくなってしまった所をマリーが借りて、私に使わせてくれている。
家具屋を営んでいる貸主の紳士に、私用で外出する時はいつも被っている愛用の三角帽子を下ろして挨拶をしてから、階段への扉を開ける。数段下はもう真っ暗闇で何も見渡せない。
私はしかし、手にしている携帯電灯を使わず目を閉じて頭と脊髄に意識を集中する。
魔法式を脳内で構築し、頚椎から脊髄に流すイメージ。そうしてから魔法式を私の身体の周囲全てに放射し、脊髄の中にある火を灯す感覚で、物理世界に投射した式に魔力を込める。
微弱な電磁波が私の身体から放たれ、周囲の物質で反射され、私自身の身体に返って来る。霊脈を活性化させた私の身体は自分自身が放射し続けている電磁波の反射状況から眼には見えない『視界』を確保する。
まるで全身全てが『眼』になったような、この異質な感覚。
電気操作属性における探知魔法【索電】は、シンプルな魔法だ。マリーが無学な私にわかりやすく言った「ずっと手探りして視る魔法」という説明が私にはしっくり来る。これくらいは恒常並列で、それこそ眼を開くのと同じくらいの感覚で即時起動展開できなければ話にならない。
私は暗い階段を淀みも躊躇も無く下りていった。前方の限られた角度しか見えない視覚より、電磁反射探知による魔法の『視界』の方が、慣れてしまえば対象物の形状も距離も上下左右前後関係なくよく視えて安全なくらいである。最初は視えるモノがあまりにも多すぎて酔ってしまったけど、実際に眼で見る視覚と同じように焦点を絞って視ることで、不要な情報は『見えているけど注意しない』ことで克服できるようになった。
『魔法』とは、自然に起こり得ることを不自然に、そして自由に起こす技術だ。マリーが教えてくれた魔法の初歩の初歩、根元概念である。
元々物質世界で起こり得ることを『式』で好きなように書き換えて、本来起こらないことをその場で起こす。
水は勝手に沸騰しない。動物の持つ生体電流は微弱で体内でしか作用しない。あらゆる生物は肉体を健全に保つため抗体を持っており、外部からの干渉を拒むようできている。
そういった当たり前を、当たり前にさせなくする。水を沸騰させて氷にし、電流を高圧放射して雷として撃ち、抗体と同化して生物の肉体を好き勝手に弄くる。
こういった技術を、魔法と呼ぶ。
ワインセラーだった空っぽの地下室の真ん中まで歩き、電磁波による視覚の中で黴や埃の匂い、湿気や足下の床の触覚だとかを感じ取る。魔法で得た第六感は便利だけど、万能ではない。通常の五感と併せて使うのが正しい。
私はさらに別な魔法式を脳内に構築。こちらは物理世界に投射せず、私自身の体内、眼球神経に展開起動。電磁反射で得た『壁と天井に囲われた通路のように長細い部屋』の向こうや私自身の腕を見れば、微かな生体電流が走っている様が見て取れる。壁向こうにいるのは、おそらく下水道管を通っている虫やネズミなどだ。
こちらの生体電流を眼を通して感知する魔法【走電】は、障害物を透過して視ることができる。私は眼に頼らなければいけないから死角があるけれど、マリーは【走電】も全方向に向けられる。マリーは寄生干渉属性魔法との併用でちょっとズルをしている気もするが、魔人の彼女と私を比べる方がおこがましい。
「さて、と」
私は息をつき、今まで手荷物にしていた鞄を床に置いた。
とんとんっ、と爪先で床を叩き、ニ、三回垂直に跳ねて両腕を回し、腰を伸ばすなどの準備運動をしてから、私は脚を振り抜いた。
前方にステップ、着地と同時にターンをして腕を伸ばし、土壁のギリギリを爪先で掠める。距離感はばっちり計算通り。
腕を伸ばしたことで身体のバランスが崩れるのを無理に戻さず、倒れこむに任せてもう片方の左手で床をつき、側転。脚が壁に当たってしまう軌道だけれど、これも気にせず足裏を壁にしっかりとつけ、魔法式を起動。
脚を辿って靴裏と壁にそれぞれ物理世界に投射された魔法式は、式に従って電磁力を発生させて壁と私の靴を密着させ、壁に着地するような形にした。
正直、この電磁力系魔法は式を丸覚えしただけで原理を私はちゃんと理解していない。だから無駄が多く、構築と起動にも慣れた魔法より発動が遅く不安定だ。でも、それを慣れるための訓練なのである。
電磁力魔法【歩電】を使って、壁でターン、タップ、ステップ。脳内の式が乱れ始め、重力に引かれて危うい体勢が続く。それでも足裏に力を込めて、ジャンプと同時に【歩電】を一度解除。天井に向かって私の身体は引き寄せられ、宙返りして再び【歩電】を起動。天井に着地。
髪の毛が逆さまになり、頭に血が上り、いよいよ魔法式が怪しくなり何度か落ちそうになるけれど、それでもダンスは止めない。
くっつける作用をもたらす【歩電】と正反対の作用で反発力を生み出す【反電】を床に置いたままの鞄と床に投射。鞄が魔法式に従って宙に浮き、私はダンスの腕を振り抜く動作に合わせて鞄の持ち手をキャッチし、中から木製のグリップを掴み取る。
【歩電】を解除。頭から床に着地しないために宙返りしながら、グリップを握った右腕を【走電】で感知した大きめの生体電流三つに向けて、照準。同じ魔法式を三ついっぺんに脳内構築し、魔力を点火。
私は床に足から着地した。額から汗が玉となって浮き出て、雫になって頬を伝わる感触がある。荒い呼吸を少しずつ深呼吸に変えて、身体の運動と魔法の発動を同時に行う訓練の成果を、【走電】で感知していた生体電流が感知できなくなったことで成功と自己判断した。
「――きっつ……」
鞄の中からハンカチを取り出して、額の汗を拭う。反対に、右手に握っていた拳銃のような形をした【魔法杖】を鞄の中に戻す。
最後に落下しながら撃った【閃雷】は狙った箇所に高圧電流を発生させる攻撃魔法だ。水道管に傷をつけない程度に出力を絞り、なおかつ狙ったネズミ――と思しき生体電流を持つ動物を殺すのに十分な威力で発射するためには、投射する魔法式の精度と射程距離を伸ばす杖がどうしても必要だったので、道具の力を借りざるを得なかった。
マリーなら視線だけで魔法式を精密投射できる。こちらに関しては、魔人や平人という種族差によるものではなく、魔法式をどれだけ理解し無駄なく構築して霊脈に素早く正確に流し、物理世界に投射できるかという経験と技術とある種の才能によるもので、今の私では腕を使わなければ魔法式の指向投射ができない。
ぱちぱちぱちっ、と拍手の音が地下室の入り口である階段の方から聞こえてきた。
「大分上手くなったね。今まで魔法を全く学んで来なかったのに、一年でここまで上達できるようになるなんてソーニャはすごいよ」
「マリー……」
指を弾く音が聞こえたと思ったら、私が持ってきていた携帯電灯に明かりが点いた。それでも薄暗い地下室で、羊のような角に雲のような白髪を持つ私の敬愛する主人の姿が浮かび上がる。
「ソーニャは身体のキレがいいね。体力が保たないことが今の訓練の課題として浮かび上がったところだから、そろそろ肉体強化系魔法も学んでもらおうかな?」
「それはいいけど……今日は調べ物で出かけるんじゃなかったっけ」
レストランの休日なので、私はいつも通り魔法の訓練に出ていたわけだがマリーは時折「用事できたから」の一言で、例え営業日であったとしても何処かに出かけてしまう。
そしてマリーの場合、出かける範囲の広さが魔人なので距離感がおかしい。彼女は普通に空を飛べる。もこもこの髪の毛が翼のように長大に伸びて、気流を受けてはばたいて飛翔した瞬間を見た時は唖然となった。
「まぁ、それはちょっとお茶でもしながら話そうか?」
私よりはるかに精密制御された【反電】でティーポットとカップを載せたトレイを宙に浮かせたマリーは手にしていた布包みを私に見せた。
地下室の階段を椅子がわりに腰掛けて、私はお茶をカップに入れてマリーに渡し、自分の分も注ぐ。
一方でマリーは膝に広げた布包みの中のブリキ缶を開け、ただ生地を焼いただけの素朴な赤茶色のケーキを手で割って、私に渡してくれた。
「ありがとう」
「今日のはどうかな?」
行儀作法など気にせず、私はケーキを手づかみでかぶりついた。
優しい甘さと、しっとりとしてふんわりとした食感が心地良い。咀嚼すると、蜂蜜とレモンの香りがわずかに口の中に広がる。
「美味しい」
「うん、言わなくても顔見たらわかった」
「そう?」
マリーは嬉しそうに、蜂蜜ケーキを頬張った。
主人のマリーはレストランで修行しているくらいの料理上手で、お嬢様らしくたくさんお金も持っているけれど、私がマリーの作ってくれるお菓子で一番大好きなのはこの素朴な蜂蜜ケーキだ。
所詮は田舎娘、貧乏舌が抜け切らず、どうにも見栄えが豪奢だったりクリームや砂糖をたっぷり使ったお菓子は私にはあまり美味しいと思えない。ちょっと胸がむかむかしてしまう。
そんなことをいつだったか口にしたら、マリーはこうして素朴なお菓子をよく私のためだけに作ってくれるようになった。
本当に、最高の主人を得られたと思う。幸せすぎて、どこか怖い気持ちをお茶で流し込む。
「それで、調べ物の話なんだけど」
マリーもお茶で口を湿らせながら、話の続きをした。
「今日はあんまり遠出しなくて済んだから。ぼくと同じような熱量操作系魔法を使ってお仕事している平人をあちこちで調べてもらっているんだけど、今日はそれの確認に行っただけ」
「……ねえマリー。誰を探しているか、聞いてもいい?」
今日のマリーはとくに機嫌が良さそうだ。いつでも私の主人はにこにこ笑っているけど、大抵の場合は私を可愛がっているから喜んでいるのだと、ペットなのだからちゃんと理解している。
でも、調べ物をした帰りでこんなに嬉しそうにしているのは初めて見た。私の訓練成果が出たことにも、手作りのケーキを美味く食べていることにも、もちろん喜んでいるようだけど、なんだかそれはあくまで上っ面のような気がする。
そして、こう口にしつつも私はマリーがどう返すのかもう予想がついていた。
「うん! お兄ちゃんが見つかったんだ! と、言っても去年の夏に連邦王国で見つかっただけだし、絶対本人だって決まったわけじゃないんだけど」
「ねぇ……そのお兄ちゃんって、マリーの家族じゃないんだよね?」
「うん。ぼくの熱量操作魔法の先生。というか、他の属性の魔法式もかなり改良してもらったよ。お兄ちゃんは『自分が使えない魔法式であったとしても、構成式を読み取れば相手の練度がわかる』って言ってたからね。色んな属性の式についてたくさん知っていたから、ぼくの先生になってもらったんだ」
マリーが『お兄ちゃん』について語る時、彼女にしては珍しい尊敬と熱っぽい声色が混じっていることに、私はペットになってからすぐに気づいた。
そもそも、色々と私に教えてくれるマリーだけれど枕言葉に「これはお兄ちゃんの受け売りだけど」が入ることはとても多い。たまに家族の教えも入るけれど、『お兄ちゃん』は間違いなくマリーの人格形成に大きな影響を与えた人物だ。
ケーキを口にする。
最初はどんな魔人なのだろう、と単純に興味が湧いた。
最近は、どうやったらマリーの機嫌を損ねずに殺せるか考えている。
ペットとしてあるまじき思考だ。大体、私とマリーの間に隠し事なんて良くない。正々堂々「私がマリーの『お兄ちゃん』殺してもいい?』と聞くのが一番正しい。
そんなことはわかっている。でも、それをたずねてマリーに嫌われることが怖い。捨てられてしまいたくない。
でも、それでも、だけれども、私の主人であるマリーにここまで追われる男に殺意を抱くのは止められない。
お茶を飲む。
「だから、お茶が終わったら旅支度するよソーニャ。連邦王国でできるのはたぶん確認作業だけだろうけど、ちゃんと自分の足と目で探したいからね」
「……うん。私も、連れてってくれるんだね」
「え? 当たり前だよ。ソーニャがどうしても故郷の共和国から離れたくないっていうんなら、ぼくもソーニャの意思を尊重するけど」
「違うよ。私はマリー以外どうでもいい」
私は嘘つきの魔女だ。
マリーの『お兄ちゃん』に、私は嫉妬している。憎んでいる。私の主人にこれだけ執着心を抱かせる男に、方向性は負だけど特別な感情を抱いているのは確かだ。
昔の私なら、これも仕方ないと割り切っていたのかもしれない。
今の私は、私の知らないマリーを見せる男を目前にした時、仕方ないで済ませられるだろうか。
一区切りの第一話まで読んでくださりありがとうございます。
本作は前回まで連載投稿させていただいた「迷宮遺失物回収業者 ハゲタカ」の続編となりますが、本作から読んでも問題ないよう配慮しているつもりではあります。
世界観設定や用語は提示し直しながら、一話ごとに一人称主人公がバトンタッチしてゆく形式でストーリー進行する群像劇&短編オムニバスシナリオ形式を予定しています。
……なお百合タグを入れましたが、本当にこれは百合なのか書いている私自身よくわかっていません。
「タグ詐欺だ!」と思われたのならごもっともと受け入れる所存ではあります。