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魔宵子たちの北極星  作者: 水越みづき
第八章 それは銀の弾丸かヤドリギの矢か
48/93

第八章 3:簡単魔法習得の方法

 3


 胸がむかむかする。吐きそうだ。

 凍人(トド)用のジョッキみたいな大きなカップからドロテアが持参していた携帯カップにお茶を移して、何杯も飲んで少しはマシになったけど、天幕(テント)から出て半端な色合いの朝陽を浴びた私は、冷えた空気を吸い込んで体調を元に戻すよう試みていた。


「すーはー……すー……うぷっ」


 やっぱり胸の中が気持ち悪い。

 理由は単純。北海同盟でゾグお爺ちゃんの天幕(テント)に匿ってもらってから、振る舞ってもらった食事のせいである。

 アザラシの肉を煮込んだシチューなのだそうで、本来この島に住まう凍人(トド)を始めとした住人たちはアザラシ肉を生で食べることが多いらしい。でも客人でありまだ子どもの私に合わせて、食べやすいようシチューにしてくれた。気の利いた話である。

 だが脂がたっぷり浮かんで、肉の臭み消しもロクにしておらず、パンなどの付け合わせもないこのシチューは、とても、本当にとても、食べるのが辛かった。食べさせてもらえるだけ有り難いということは重々承知しているので我慢して食べたが、身体は正直だ。


「マリーの料理に慣れすぎちゃったな……」


 ひもじく貧しい食生活を送っていた私は、マリーに拾われてからこの一年間、ほとんど主人の作る美食生活に付き合うことになっていた。

 拾われてすぐにわかったことだが、私の元の食生活は劣悪で、マリーのお手製料理は絶品すぎる。落差が激しすぎて中間を味わう経験が少なすぎた。

 そもそも、私はマリーほどたくさん食べられない。ちゃんとした身体を作ってマリーに食べてもらうことが目標だったけれど『無理は駄目。ぼくはフォアグラを食べたいわけじゃない』と言う主人に徹底した食事管理を送らせてもらっていたのが、ペットになってからの私だった。


「ソーニャちゃん、辛そうだね? 肉体強化魔法で体調調整する治癒魔法、使えないのかな?」


 同じように天幕(テント)から出てきて白い息を漏らしながら朝の体操を始めたドロテアは、軽い口調でそんなことを言ってきた。

 残念ながら、肉体強化魔法は制限解除と筋肉や血管、骨の断裂などを急速治癒する簡易なものしか習得できていない。骨が身体の外まで飛び出したり、四肢欠損、内臓破壊などされたら、マリーのような寄生干渉属性の専門治療魔法使いの施術を受けなければいけない。


 ドロテアは一枚の紙切れを私に渡してきた。朝の風に揺れるそれをしっかりと掴むと、複雑な紋様が様々な色のインクで描かれた代物だとわかる。法式札だ。


「効き目が低い替わりに、誰が使っても副作用が少ないように調整した肉体治癒法式札だよ。二日酔い用や胸焼け対策のモノは有り難がられてたくさん打ってきたから、安全保証はばっちり。ソーニャちゃん用にちょっと調整し直して打ったから、使ってみて?」

「……わかった」


 寝起きに、ドロテアがじろじろ私の身体を見下ろしていた原因が理解できた。その瞬間は気味の悪い女だと思っていたが、ようするにマリーが寄生干渉魔法で施術する時に相手を裸に剥くのと理由は同じなのだ。

 それにしても、私がお茶を飲んでいる間に何か机の上でペンだか筆だかを動かしているなと思ったが、まさか法式札を打っていたとは。思い返せば霊脈活性していたので、事情を知っていたら感づくことができただろう。


 ともあれ使ってみよう。この胸のむかむかを取れるのなら、多少怪しい札にも縋りたい気分だ。

 法式札を胸に抱え、少しだけ魔力を込める。


 ――未知の魔法式が霊脈を勝手に走り、身体を弄くり回す異様な感覚。


「……すごい」


 胸のむかむかは一瞬にして消え去り、朝の冷たい空気が爽やかに感じられた。


 マリーには何度も治療魔法で傷を治してもらったけれど、それとはまた別の感覚だ。

 寄生干渉は、あくまでもどこまでもマリーが魔法式を組んで治療する。


 でも、ドロテアの打った法式札は、魔法式そのものはドロテア手製のものなのだけれど、まるで私自身が脳内構築した魔法式を肉体に流したような錯覚を覚えるほど、ごく自然に作用した。

 身体に直接流れ込んだ魔法式だからか、同じ魔法式を組める。()()()()()。微調整する必要はあるだろうけれど、今後は私が自分で胸焼け対策用の肉体治癒魔法は使える気がした。


「どう? まだ気分は悪い?」

「……ドロテア、頼みがあるんだけど」

「え? 何?」

「貴女が持っていて副作用のない肉体強化魔法系等の法式札、片っ端から使わせてくれない? 一回使ったらもうそれだけで習得できそう」

「あ。あー……」


 ドロテアは白い呼気を半端な色の北海同盟の空に浮かばせて、天を仰いだ。


「ソーニャちゃんは確かに魔女だね。今の一回だけで覚えちゃったか……」

「むしろあれだけ自然に他人の肉体に魔法式流せる法式札を打てるドロテアがおかしいと思うんだけど」


 しかも即興で。私の身体を裸で見たことも触ったこともないのに。

 おそらく、他人の霊脈を観察する眼がいいのだろう。そこから肉体構成を逆算して予想し、基本の魔法式をそれぞれ個人用に微調整するセンスや、手先の器用さも伴っていなければ無理な話だ。

 マリーやヘルマートはすごい魔法使いだが、ドロテアはドロテアで異端の才覚を持つ法式札職人なのだと今理解した。ある意味、この女は私より魔女かもしれない。


 ドロテアは少し悩んでいたようだけれど、膝を曲げて私と視線を合わせて黒い瞳で私の目を真っ直ぐに見つめてきた。


「後でね? ソーニャちゃん用に微調整しないと、危ないから」

「それって、ビシニアと戦うまでに用意できる?」

「北海同盟と帝国の時刻はほぼ一緒。マリーちゃんとヘルマートさんが帝国に到着してから、一晩で事態解決して最速で帰ってきたら……お昼頃かな? マリーちゃん、それだけ休み無しで動いているから体力魔力消耗も激しいし……でも上空から戦闘中の状況を見てもらえたら、遠距離攻撃魔法で安全圏から支援して貰えるかもしれないし……どう思う? ソーニャちゃん」

「マリーは私たちがビシニアと戦っているのを見たら、空の上からじゃなくて降りてきて私を守る。これは絶対」

「よし、お昼までに決着をつけよう」


 マリーは自分の肉体を弄くり回すことが得意な寄生干渉属性の魔法使いだ。身体を文字通り盾や壁のように構造変化させられるし、心臓付近を刺されたにも関わらず戦闘続行が可能なくらい頑丈なことに自信を持っている。

 でも、ビシニアについては何も知らない。マリーの反応速度はとんでもなく速いけれど、それはビシニアだってポール都での暗殺失敗の件で知っているはずだ。絶対に策を用意していると考えるべきだ。

 ペットは主人を守るものだ。主人がペットを守って危険を犯すなんて、あってはならない。


「取り急いで、お昼までに用意できそうなのは……最低三つで最高六つくらいかな」

「六つもいらない。とにかく絶対に必要なのは神経系強化。ビシニアの俊敏さに付いてこれないと瞬殺されるかもしれないから」

「あれ危ないよ? 神経強化をするっていうことは、痛覚も強化されちゃう」

「じゃあ痛覚遮断も追加で。この二つだけでいい」

「嫌だなぁ……その組み合わせ。ソーニャちゃん、自覚している?」

「何?」


 視線を合わせたままの姿勢で、ドロテアは私の肩を掴んできた。


「私とヘルマートさんがマリーちゃんに捕まった時、ソーニャちゃんもマリーちゃんも私たちにドン引きしていたよね?」

「わかっててやってたんならなおさら最悪なんだけど」

「そうだね。でも自覚していないのは、マリーちゃんに悪いから。忠告させて。ソーニャちゃんが覚えようとしている組み合わせは、()()()()()()()()何かを成し遂げようとする魔法。()()()()()()()()()()()()()()()人間が使う魔法」

「ドロテアに言われても説得力無い」

「そうだね。でも何回だってわたしは言うよ。ソーニャちゃんたちは、絶対にわたしたちみたいな大人になっちゃ駄目。それを約束してくれないと、わたしはソーニャちゃん専用の痛覚遮断と神経系強化の法式札を打たない」


 昨日、私自身が口にした聖句を思い出す。

 口から出ずるモノこそ人間を汚す。口約束など信用ならず、何気ない言葉で他人を傷つける。そういう皮肉を込めて、私はあの時あの聖句を(そら)んじた。

 ドロテアは、私がそういう考えを持っている人間だと知ったうえで、それでも口約束だけで私に力を貸すと言っている。

 ――つくづく、自分勝手な女だ。


「貴女みたいな化け物にはなりたくない。でも、私は、私が傷ついてでも、マリーを守りたい。もうマリーは私を食べない、食べられなくなったから、このちんけで呪われた魔女の身体を健全にし続ける理由は、もう、無い」

「……言わなくてもいいことだよ? それは」

「救世主はこうおっしゃられた。『私が貴方方を送り出すのは、狼の群れに羊を放り出すようなものである。だから蛇のように賢く、鳩のように素直であれ』」


 私はマリーのためならなんだってする。だってマリーは私の主人で、この世界でたった一人魔女の私を愛してくれて、私が愛することの人間だから。

 他の気持ちを押し退けてでも、マリーを大好きだという想いだけは正直にいたい。例えそれがどんなに危険でマリー自身を心配させるような手段であったとしても、必要なら、獲得する。

 ドロテアは目を閉じた。


「こうしている時間がもったいないね。ソーニャちゃん、天幕(テント)に戻って。すぐ裸になって。べたべた身体中触るけど我慢して。必要なことだから」

「わかった。でもいきなり素直になったの、なんで?」


 私はもうコートを脱ぎながら天幕(テント)に戻るために踵を返している。

 ドロテアは肩を落として首を横に振った。


「今止めても、きっとソーニャちゃんは自分で優先して痛覚遮断と神経系強化の両方を覚えちゃう。なら必要な今、私が覚えさせてあげる。使うたびに、大嫌いな私の顔を呪いとして刻み込ませるのが、きっとソーニャちゃんの今後のためにもなると思うから」

「本当にドロテアは最悪な女」


 確かに、マリーに教えてもらって自分で努力して覚えた魔法と、ドロテアの法式札を使って即席で身体に染み込ませて覚えた魔法とでは、使う時の後ろめたさが違うであろうということは指摘されたら納得できる話だ。

 でもそれをわざわざ口にする必要はないと思う。


「あ、それともう一つ約束して」

「まだあるの?」

「……ソーニャちゃんの裸をべたべた触ったってマリーちゃんに教えてもいいけど、事情があったんだって、説明して。わたしも誤解で殺されたくは、ないからね……」

「ぷっ」


 思わず吹き出した。

 ドロテアは深刻な表情をしていた。確かにその危惧は正しい。マリーは私の身体を大事にしてくれるけど、それは独占欲の塊だからだ。

 目的のためなら命を全く惜しまないこんな女でも、あまりにくだらない誤解で死ぬのは嫌なのだとわかると、やっと、ドロテアが人間らしく見えてきた。

 人間嫌いの私が、人間らしさを感じて安心できるようになるなんて、自分でもこの感情はよくわからないのだけれど。

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