第八章 それは銀の弾丸かヤドリギの矢か
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私の居場所は、マリーの傍だ。
けれど、マリーの傍に居続けるためにはマリーと離れ離れにならなければいけない。なぜなら私は魔女で、何処に行っても特別扱いだから。
そんな状況を変えようとしている、ヘルマートとドロテア夫妻を動かすものはいったいなんなのだろう。
寝人のビシニアとの命を賭けたゲームにおいて、ドロテアは私に合わせて共和国語で注意をしてきた。
「ソーニャちゃん。最初に言っておくけど、ビシニアさんに直死魔術は通用しないと思っておいて」
「【死電】が効かないってこと? なんで?」
直死魔術とは圧倒的な魔力量差にモノを言わせて、対象の体内で直接魔法を炸裂させることで絶対不可避の即死攻撃を行う魔法だと、マリーに教えられたことがある。
電気操作なら、対象の生体電流を暴走させて超高電圧にすることで体内から灼き殺す【死電】。熱量操作なら対象の血液を沸騰させる【死熱】と逆に凍結させる【死寒】。金属干渉なら対象の血液鉄分を全て奪う【死鉄】。
私の魔力量なら平人並み以下の魔力量しか持たない生物には、直死魔術が行使可能だと教えられた。
主に害虫や害獣を駆除するためにしか使ったことがないけれど、ビシニアは見た限り平人並み程度だ。寝人で平人並みの魔力とは高いくらいなのだけれど。
「答えはこれ」
天幕の中で、ビシニアにも見せびらかすようにドロテアは自分の腰鞄の中から卵型の真珠みたいな代物を取り出した。大きさは鶏のそれより一回り小さいくらい。
「これは法珠って言って、魔力を貯蓄できたり魔法式を込められたりする魔法具の一種。わたしは世界でも一番質の良い法珠を製造できる冒険者の島、ツェズリ島にいたからいくつか魔力貯蓄用法珠を持っているけれど、ビシニアさんもたぶん、複数持っていると思う」
「……つまり、貯蓄していた魔力を使って一時的に平人並み以上の魔力量になれるから、直死魔術に魔力抵抗して無効化できるってこと?」
「正解。理解が早いね」
【閃雷】を避けられた時にわかったけれど、ビシニアは肉体強化魔法を使える。あれはいくら俊敏な寝人でも常識外れの反応速度だった。
マリーに最近学ばさせられている肉体強化魔法だけど、魔人で修めている者が少ないらしいのも納得できるほどに、アレは難しい。
まず筋力だけ強化しても、骨格を強化しなければ自分の剛力で骨が折れて自滅する。
筋力と骨格を強化したところで、限界はある。肉体質量を増強して強化した力を支えてあげなければいけない。
さらには、この強化した肉体を制御しきるためには五感強化と神経系強化も必要になる。
十全に使いこなすためには習得要素が多すぎるのが肉体強化魔法だ。魔法式を脳内で構築するのではなく、肉体と霊脈そのものに魔法式を沁みつかせて無自覚に自然習得する人間の方が多いというのも納得できる。
だからマリーは、私に肉体強化魔法を教える時に『優先順位を決めろ』とアドバイスしてくれた。
『魔人は魔法に関しては妥協しない完璧主義だけど、魔女のソーニャがそんなのに付き合う必要はない。神経系強化は自己生体電流操作の【自電】で、五感強化は【走電】と【索電】で代替すればいいから、まずは制限解除と自己治癒魔法を覚えればいいよ。自分の肉体を壊す端から治すわけ。自己治癒魔法は何かと便利だし、とりあえずはこの二つだけで十分』
おそらく、ビシニアもマリーが教えてくれたことと同じく肉体強化魔法の中でも得意不得意があるはずだ。たぶん、神経系と五感強化が得意だと私は見ている。
それゆえの俊敏さは厄介極まりないので、まず出力を弱めた替わりに全周囲へと放射する【閃雷】で感電させて一時的に麻痺させ、その直後に高電圧に設定し直した【閃雷】で決着をつける。
私はそういう作戦を立てていたのだけど、ドロテアの注意を聞く限り、もし実行していたら魔力を一時増強しているのなら感電からの回復自体も速いと思われるビシニアは瞬時に私の首を掻っ切っていただろう。
「教えてくれて助かるけど」
「けど? どうしたの?」
「私はマリーが大事。マリーを傷つけたり殺そうとする奴は絶対に許さない。殺す。でも、ドロテアはなんでこんなに危険でやらなくてもいいことに首突っ込んでいるの?」
気の狂った夫の『自殺を脅迫材料にする』というマリーへの説得に付き合っていた時点で、ドロテアも頭のおかしい恐ろしい女だということはわかりきっていた。
そしてこの夫婦は聞けば、将来起こり得るだろう帝国対世界戦争を止めるために活動しているらしい。
志は反吐が出るほどに立派だ。私みたいな魔女もなぜか助けようとする。無償で。なんの得にもならないのに。
気の触れた人間の答えなど理解できないかもしれないけれど、私は問いかけずにはいられなかった。
「ソーニャちゃん、マリーちゃんが大好き?」
「うん」
「わたしもね、ヘルマートさんを愛している」
「へえ」
「だからね。ヘルマートさんがやりたいことを手伝って支えるのが、わたしのやりたいこと。ヘルマートさんはマリーちゃんのことを敬っている。だからソーニャちゃんを『ソーニャ様』なんて呼んで畏まった態度を取っている。帝国へ行ってご家族を説得するのはあの男性にしかできない。私は別に、いなくてもいい。なら、その間ソーニャちゃんを夫の代わりに守るのが、私の役目」
でも主人とペットである私たちと、夫婦のヘルマートとドロテアの関係は意味が違う。
私は暗く濁った感情が胸に渦巻くのを覚えた。
「旦那様の手助けをするのが妻の仕事? 馬鹿みたい。旦那の肋骨から生まれた女は男より劣っているって?」
「うーん、ちょっと違うかな。わたしはね、単に自分のやりたいことが見つからないだけ。マリーちゃんやソーニャちゃんみたいに、自分のやりたいことを見つけられる女性は誰であっても羨ましくて恨めしいかな」
「気持ち悪い女」
女は男の言うことを聞くべきものだと、生まれた村では強く命じられて教えられてきた。
私のことを魔女だと人間扱いしないくせに、都合の良い部分では人間の常識を当て嵌める。そんな母や祖母が、村の女も男もみんな私は大嫌いだった。
そんな連中が平伏する教会の牧師様の説教を、魔女の私はあえて誰より熱心に聞いて覚えていた。わからない部分や納得できない箇所は、牧師様にたずねて、少しでも魔女と呼ばれないように努めていた。
結局、全部無駄だった。牧師様の教えでは女は子どもを産み育て良き母であることが善しというのが総論だったし、私が教会に足繁く通ってもそんなことをする暇があるなら働けと暴力を振るわれるだけだった。
目の前の親切ぶって柔和な笑みを浮かべ続けるドロテアという女も、根っこでは一緒なのだろう。惚れた男が狂っているから一緒に気が触れてしまっただけで、この女はどこまでも自分というものがない。
自分のことを他人任せにするような奴は嫌いだ。何も考えず、他人の言われるがまま誰かを傷つけて踏み躙って、平気な顔で笑っていられるような塵だから。
「それは良かったなぁ。ソーニャちゃん、ヘルマートさんと違って感情と理解に分別がつけられる子だから、いくら嫌われてもちゃんと自分に有利な情報は聞いて使うでしょ? そんな子に嫌われるなんて、本当に良かった」
両手の平を合わせて、薄暗い明かりの下でドロテアはにこにこ気味の悪いくらい晴れ晴れとした笑顔を浮かべていた。
――もしかして、ヘルマートがおかしいのではなく、この女も元々おかしいのではないのだろうか?
「言っている意味がわからないんだけど」
「え? 簡単じゃない? わたしが嫌いなら、いくらでも巻き添えにでも盾にでも使えるでしょ? 遠慮はしなくていいからね。ヘルマートさんも、ソーニャちゃんがそうしたって聞いても絶対に怒らないから。ソーニャちゃんは、自分とマリーちゃんのことだけ考えればいいんだよ」
「口から出てくるモノは心の内より出ずるモノ。それが人間を汚す。悪心、偽証、謗りは心中より生ずるモノであってこれらのモノが人間を汚すのである」
口ではなんとでも言える。そしてそうした軽率な言葉が互いを傷つけるから人間は醜い。
私はそうした想いを込めて、うろ覚えの聖句を暗唱して返してやった。
ドロテアは首を横に振った。
「そうだね。でもそんなことはないってソーニャちゃんはわかっているからわたしとお話しているんじゃない? 否定して、嫌って、間違っているって思って、自分の答えを出そうとしている」
「……ホントそうね。貴女と話していると頭がおかしくなるってマリーも言っていた。ドロテアとは喋らないに限る」
なんというか、まるで自分の影を掴もうとするかのような会話をする女だ。
ドロテアは私を否定しない。むしろ褒めてくる。でも、マリーの言葉と違って私の心にまるで響かない。何か泥のような澱のようなものを胸に滴らせる言葉を吐く。
もう黙っておこう。本人の希望通り、囮にでも盾にでも使ってそれで――いい。
いいはずだ。
でも、マリーはどう思うだろう。私がドロテアごとマリーの命を狙う障害物を排除したと知ったら、どう反応するだろう。
ここで、ドロテアに相談したら負けだ。
「わたしはね、心の中から出る想いを伝えるのは言葉だけじゃなくてもいいとは思う。抱きしめたり、撫でたり、キスしあったり。それも素敵。でも、心の中にある気持ちを言葉にして伝えないとわからないこともたくさんある。そうじゃないと、石を投げたり、殴りつけたり、銃で撃ったりすることになるから」
殺し合いの忠言をした口でよく言う。
「ソーニャちゃん。一つだけ、覚えておいて」
もう聞きたくない。
「死んだ人間とはもう絶対にお喋りできないんだよ」
マリーの言葉を思い出す。
私の胸の奥に仕舞い込んでいる、大切な宝物の言葉。
『喋って、笑って、わかりあおう』
私とマリーはそうして仲良くなった。最初に結んだ私を殺して食べるという約束を破ってもいいとお互いに思えるくらい、わかりあうことができた。
でもこの一年間じゃ全然足りない。もっともっと、私はマリーを知りたい。マリーとどこまでも一緒に行きたい。くだらないことを話し合って、私を引っ張ってくれるけど本当は寂しがりやのマリーを助けて、支えられる私になりたい。
ちくしょう。
私だって、この女と大して変わらないじゃないか。
そんなつもりは無いのに、これじゃマリーに都合のいいペットだ。
ドロテアは全部わかったうえで、私に話しかけてきたのだろう。
なら、お望みのままに私は返してやる。
「私は貴女みたいな気持ちの悪い女じゃない。魔女だ」
「うん、その意気」
死なせるか、こんな化け物みたいな女。
魔女の私が、平人の女を恐れて殺したのなら、私は魔女ですらなくなってしまう気がする。
それこそ、この女と同じなんだかよくわからない化け物になってしまう。
私は魔女だ。災いを撒き散らし、平人に恐れられ疎まれる魔女だ。
負けてたまるもんか。




